7-04. 夜逃げ、なの
山歩きのコツを、ギークがアギーラちゃんから習っている。
アギーラちゃんとギークでは、そもそもの体格が全然違うので、なかなかアギーラちゃんの言う通りには、ギークは動けない。
でもまあ、ギークも身体能力自体はかなり高い。工夫したり、アレンジしたりで、大分ましになってきた、と思う。
若干力任せで強引なのところがあるのは、それはもうギークだから仕方ないだろう。
こうして訓練してみると、前に南東の波打ち際まで出掛けた際には、アギーラちゃんがだいぶ気を遣ってくれていたことがよく分かる。
かなり頑張って、歩きやすい道を選択してくれていたに違いない。
アギーラちゃんが普段通りに進んでいたら、あの時のギークは当然に置いてけぼりをくらっただろうと思われる。アギーラちゃんは気遣いの出来る本当にいい子だと思う。
ここは、四方を海に囲まれた土地ではないらしい。いわゆる半島、つまり三方は海に行き当たるが、一方は陸続きなのだという。
南西に下れば、別の部族の集落が幾つかあるそうだ。その中でも一番大きいものは、数え切れないほどの人が暮らす大集落だそうで、その大集落はさらに南西に住んでいるという沼森の民なる者達と交易があり、この辺りでは決して採れない、珍しい品を持っていたりもするのだとか。
沼森の民ってどんな人たちですかと、先日の夕餉の傍ら、村長に訊いてみた。唯一村長だけが、かつてその大集落に行った事があるという話だったからだ。
「そうですなぁ、彼等はなんというか、全身がこう、硬い鱗のような皮膚に覆われていてですな、我々のような体毛は一切持たない、のっぺりとした感じの連中です。瞼が、格子模様の赤黒い瞬膜でしてな。こう言っては何ですが、少々不気味な連中で」
瞬膜ってなんだ? まあでも、聞くだに普通にバケモノですね。詰まるところ、人間世界には繋がっていないという理解で宜しいでしょうか。
地図で、現在位置と、エデナーデの位置とを考えると、やっぱりあれである。エデン辺境伯領の、西の国境の向こう側、つまり魔境中の魔境であるところのアレに、この半島は接続されていると考えるのが、順当な推測になるようだった。
やー、マジでか。うー、むー、行きたくないなあ。
僕もエデナーデ生まれのエデナーデ育ちであるので、アレに対する忌避感はやっぱり強いわけなんである。
悪い事をすると、ソコから姿の見えない悪鬼がやってきて、貴女をアッチに攫っていってしまいますよ、そこはこんなにも恐ろしい世界ですよと、散々に脅されて育つのが、エデナーデ人という者だ。
「うン、さすがだなギーク。それだけ動けれバ、もう十分だと思うゾ」
岩から岩に、飛び移るようにして崖をよじ登ったギークを、アギーラちゃんが労った。
そうですね。僕もそんな気がします。後はもう、場数を踏むしかない感じかな。
午前中に狩りに出掛けて、午後に特訓というのを、天気が良い日にこれまで何度かやってきた。そろそろギークが食い荒らした分の補充も出来たのではないだろうか。
基本的に狩るのはアギーラちゃん達であって、僕は獲物探し、ギークは運搬を手伝っただけなんだけど、とにかくギークが空っぽにする以前よりも、今現在の氷室には食料が溜め込まれていた。
そう言うわけなので、そうですね、思わず長居をしてしまいましたが、そろそろお暇するにはいいタイミングかも知れません。アギーラちゃんと別れるのは寂しいけれど、こればっかりは仕方ない。ここにずっと居座らせて貰うわけには行かないのだ。
そうじゃないかと思った通り、この辺りはやはり、そこまで豊かな土地ではないようである。下手に居座ってしまっては、今度は氷室じゃなくて山中の動物を、ギークが食べ尽くしてしまうなんて事になりかねない。
「そうカ、、、行ってしまうのカ」
もうあと何日かで、出発しようと思うと告げると、アギーラちゃんが悲しそうな表情をしてくれた。うん、僕も悲しいよ。良くしてくれて、本当にありがとう。
「そノ、では最後ニ、ひとつお願いがあるのだガ、、、」
アギーラちゃんが、少し逡巡するような素振りをしてから、そう切り出してきた。
アギーラちゃんからお願いって珍しい。というかもしかして、初めてじゃないかな。何でしょう。もう、なんでも言ってください。僕に出来る事ならなんでもしますよー。
如何せん、大したことは出来ないのだけどね。
「村ニ、ひとつでモ、ふたつでモ、構わないのデ、胤を遺していっては貰えないだろうカ。本当ハ、出来れば吾が授かりたかったのだガ、、、、」
決意の表情で口にされたアギーラちゃんのお願いに、僕はフリーズする。タネ? なんでしょうかそれは。ギフトでしょうか。残念ながら、<ギフトの種>を作る秘術を、僕は習得してないです。教会が秘匿しちゃっているので。
「吾ではそういう気にはなって貰えなかったようなのデとても残念だガ、こうなれば村の誰でも良イ。皆乗り気だシ、なんなら年頃なのを今夜全員よんでもいいシ」
ちょっと待って。ちょーっと待ってね。今何をお願いされていますかね。
ギークは理解しているのか? 様子を窺う。難しそうな顔をしている。ちゃんと分かっているか? 大丈夫かオイ。分かっていてもNGだし、分かっていなくてもNGだ。つまりNGである。えーと、うん、どうしよう?
アギーラちゃん達は、自分たちの事をユキビトと呼ぶらしい。吾等ユキビトは、というような言い方をしているのを、何度か聞いた。
特徴としては、頭髪から連なって身体の背面全体を覆う銀毛。アイスブルーの瞳。そしてギフトに似た、特殊な能力。自他の動作、体感時間を、加速させたり減速させたりということが出来るというそれを、僕は最初、普通に、そういうギフトなんだろうと思った。
でも、どうやらそうではないようだと、今では思っている。効能や精度に程度の差はあっても、全員が同じ能力を使えると聞いたからだ。ギフトなのだとすると、それはちょっと考えられない事である。ギフトは遺伝する事もあるものだが、しないことの方が多いもののハズ。少なくとも、僕はそう習った。
遺伝でなくても、ギフトは後天的に、<<授与の儀式>>で分け与えることができる。でも、遺伝にしても授与にしても、どちらの場合であっても、譲った方から何かが減るらしい。何度かそれをすると、元の持ち主のギフトは、性能効能が劣化してしまうそうだ。数回ほどでそれも枯渇し、それ以上譲る事が出来なくなるのだとか。
何十人と居る一族全員が、同じギフト持ちという事は、だからまず考えにくい事である。きっとその能力は、ギフトによく似ては居ても、別物であるに違いない。ギークの変身能力や、隠形能力の事を、フレデリカはなんと言っていたか。たぶん、それに近いものなんじゃないかと、僕は予想していた。
「毛の生え方が違う者が混じっているのニ、気付いていただろうカ?」
アギーラちゃんのお願いをとにかく保留にさせていただき、村に帰ってきた。彼女がそう言うので、改めて観察してみる。
確かにいわれてみれば、アギーラちゃんや村長、それに良く狩りに行くメンバーと、そうではないメンバー、武器の整備とか、木の実拾いとか、そういう事をしているメンバーは、毛並みがちょっと違うかも知れない。何か理由があるのだろうか?
「吾と同じようニ、ここがこウ、こういう風に生えている者ガ、基本的に優秀ダ。最初はみんなこうではなイ。働きが認められテ、祝福を授かるト、こう変わル。なのデ、選ぶときにハ、吾と同じような毛並みの者を選んで欲しイ。より強い戦士の子が望まれるのダ」
ジェスチャーで、自分の上腕部やうなじ辺りの銀毛の生え際を示しつつ、アギーラちゃんが言った。後半はちょっと置いておいて、前半の話を聞いて心当たりがひとつ。例の苦痛に悶えるあれじゃなかろうか。つまりモンスターのランクアップ。
ユキビトさん達もモンスターなのか? アギーラちゃんとか、めっちゃ可愛いわけで、別にモンスターって感じでもないのだけどなあ。毛並みフサフサだけど、でもまあ人間との違いなんて逆に言えばそれくらいだよね。後は、ちょっと犬歯が長いくらい?
「おい、どうしてこんなにコソコソと、ここを離れる必要がある」
ギークが不満を口にする。およそ丑三つ時という時間帯、小さく丸まって、スヤスヤと寝息を立てていたアギーラちゃんをテントに残し、僕とギークはお世話になった村を離れた。
俗にこれを夜逃げと呼ぶ。うるさい黙れ。ギークは夜目が利くので、暗がりの移動も苦にはしない。以前ならまだしも、アギーラちゃんに鍛えて貰った結果、山林の中を予想以上にスイスイと進んで行けるようになっていた。
(仕方がないの。仕方がない事なの)
なにがそうであるかについては色々だが、ギークが変な事に目覚めて、更に数ヶ月、或いは何年と、あの村に居着いてしまっては非常に困る。
これはもう苦渋の選択だった。歓迎歓待が重かった。恩知らずな真似をしてゴメンナサイ。本当に申し訳ないです。
さて、狩りに出ては何度か通った道を進んでいるのであるが、夜中に来るのは初めてだ。
明るいのと暗いのとでは、やはり雰囲気が全然違う。まるで別の場所のよう。聞こえてくる音が違うし、息づく気配も異なっている。
結構な速度で移動していたギークが、その足を緩めた。アギーラちゃんに編んで貰った蔦縄で、腰に吊っていた大鉈を右手に構える。
僕も気付いた。何かがこっちに近付いて来ているようだ。一匹じゃない。何匹もいる。
「犬共か。どこにでもいるな、コイツらは。日中には見なかったが」
夜行性なんだろうね。唸り声と共に、爛々と光る眼が僕らを取り囲んだ。
獣臭が漂ってくる。香ばしいアギーラちゃんの香りとはえらい違いだ。
「掛かってこねえか。慎重なのがいいとは限らねえぜ」
舌なめずりをして、ギークが言った。構えていた鉈を腰に戻す。代わりに背負っていた短弓を左手に構えた。
アギーラちゃん達との狩りでは使わなかった武器だ。というか、山歩きに不慣れなギークが何処かに引っかけたり、ひっくり返った拍子に壊してしまうのではと懸念されたので、テントに置きっぱなしにしていた。
それでも狩りから戻って、昼ご飯を戴いて、山歩きの訓練をして、夕食を食べて、そのあと射撃訓練を毎日していたから、上達はしている。武器の特徴もおおよそ掴んだ。
アイスレクイエムに壊されてしまった長弓は、その長さ故に縦に構えて引く事しか出来なかったが、短弓の場合はそんな事はない。横に構えても、斜めに構えても、自由自在に引くことができた。威力や射程に関していえば、普通に考えれば長弓に分があるはずだが、素材と品質の違いで、そちらについてもむしろ向上しているようだ。
速射性にも優れている。それを活かして、ギークが素早く矢を放つ。犬ッコロがギャンと悲鳴を上げて、吹き飛び倒れた。その矢を僕が回収し、次の次の矢としてギークが番える。
犬なのか狼なのか、そいつらは十数匹はいたが、すべて一方的に、あっけなくギークは射殺してのけた。
「雑魚だな。くだらん」
心底から詰まらなそうに、ギークが吐き捨てた。勝手な言い草である。まあ、向こうから襲いかかってきた相手に同情するつもりは僕にもない。
最寄りにあった犬の死骸を摘まみ上げ、ギークが齧り付く。当たり前だけれど、まだ暖かかった。湯気が立ち上り、血臭が辺りにまき散らされる。ウエーって感じ。もう結構慣れたんだけれど、慣れたくはなかったなあ。
アギーラちゃん達と狩りに出たときも、狩り自体にはギークがロクに貢献しなかったという理由がこれだ。自分で獲物を狩ると、ギークはその場で食べちゃうのだもの。
(!? ギーク、何か来るの!!)
ギークが三匹目の屍を囓って囓って最後丸呑みにした辺りのタイミングで、味覚だの嗅覚だの嚥下の感覚だのをシャットアウトして地図を眺めていた僕は、それに気付いた。ものすごい勢いで、大きな何かが近寄って来ていた。
僕の警告に、ギークがとりあえず飛び退く。ギークが一瞬前までいた地点に、トゲに覆われた剣呑な巨体がズドンと飛び掛かり、空振ったことに苛立ったのか、地面を二度三度引っ掻いた後、その身をぐるりと反転させてギークの方を向いた。
アギーラちゃんが「この辺りで一番の危険」と言ったトゲトゲのバケモノが、敵意の淀んだ虚の眼窩でギークを睨んでいた。
「ああ、コイツか。ちょっとは手強そうな奴が出てきたな」
犬共の鮮血に塗れた口を笑みの形に歪め、ギークは獰猛に嗤う。弓は仕舞って、盾と鉈を左右の手にそれぞれ構えた。こんなトゲトゲとした相手に、ギークは近接戦を挑もうというつもりらしい。毒を持っているというモンスター相手に、ギークは何を考えているんだ。
(はやッ?! ショゴ君、ガード! ガードなの!!)
僕がギークに真意を糾す隙はなかった。一拍静止していたトゲトゲの姿が消えたと思ったら、どうも跳ねるように横に移動していたらしく、ギークの右手側から轟然とした勢いで再度飛び掛かって来た。眼にも止まらないとはこのことだろう。
押し潰し自体は避けたが、今度はそこからトゲが槍のように何本も伸びてきた。身躱しの直後で無理な姿勢をしているギークにそれを避ける余力はない。その半分以上は円盾で受けたが、面積が不足だ。すり抜けた幾本かが、ギークの身体にドスドスドスと突き立った。
「チ、よく動く。だが、……フン、トゲの攻撃自体は軽いようだな」
ギークの首から下には、服代わりでショゴ君を貼り付けている。
盾のガードをすり抜けたトゲは確かにギークの身体に突き立った。しかしその一撃一撃はそこまで力強いものではなく、ショゴ君の加護は抜けていない。背中側を手薄に、腹側を手厚くしていなければ、抜かれていたのではないかと思う位には際どかったけれど。
てゆうかギーク、今のを喰らわなかったのは、お前の実力でも手柄でもないぞ。偉そうにするな。