6-21. 下山と落下、なの
そういえば、ギーク、空飛べるじゃん。
「あ?」
こんなことも気付かず、無策にうろうろクソ寒い中を徘徊するしかできないなんて、ギークはほんとバカだよね。
そんな感じではしゃぐ僕に、ドスの聞いたダミ声でギークが応じた。
目付きが完全に据わっている。
夜叉の姿で居る時の方が、ギークは考えていることが顔に出るようだ。
たぶんこれは、そうだな、、、飛べるわけねえだろ、羽根もないのに、とか考えている顔じゃないかな。
「バカか? 黙って夢でも見てろ。じゃなきゃ消えろ」
僕の想像の、何割か増しの罵詈が返ってきた。おかしい。
ミアの元から引き離され、ギークにマージされてしまって以降、僕は僕が尊重される関係を目指して頑張ってきたはずだ。
なのに一体、何処で道を間違えてしまったのだろう。
(幽霊みたくなるやつ。あれの事なの。あれを使っている時、ギークは宙に浮いているの)
アレなのアレ、ふよふよなのと僕が説明。
ギークは雑言の口を噤み、片手を顎に当てる。
指先でカリカリと頬を掻き始めた。いやちょっと。怖いよそれ。
師匠とかの姿でやる分には可愛い仕草だ。
しかし今のギークの指先には、かなり鋭利な爪が生えている。その爪でやられるのは、同じ身体に同居している僕としては恐怖しかない。
軽く掻いているだけだし、面の皮も厚いので、怪我とかはしていないようだが、いやこれで怪我をしたら間抜けの極みだが、まあとりあえず止めて欲しい。
(うわぁ!? 落ちる? 落ちてる?! 生き埋めになるの!!)
ギークは息を止め、幽霊と化して宙に浮かんだ。幽霊とは違う? まあ細かいことはいいよ。幽霊っぽいモードだ。ともかくある程度の高さまで、それでフワフワと昇った。
そして僕は悲鳴を上げた。視野が突然に失われ、気付いたら地面が頭上にあったからだ。
実体に戻ったギークが、地面に手を付いて受け身を取る。
グキッと、無茶な感じに落下して、肩が痛い。
(痛いの! 何やってるのギーク!? 上なの、上に登るの!)
僕とギークは、ベースの感覚を共有している。特に痛覚は密結合だ。
勘弁して欲しい。僕は痛いのは大嫌いだ。
アイスレクイエムの口の中で地獄を体感した後である。
でも、慣れないね。痛いものは痛い。
僕が抗議をすると、ギークは顰め面で応えてきた。
「あの状態の時に、上も下もあるものかよ」
ギークがぼやく。なんのこっちゃ。上は上だ。
幼児だって、左右で迷うことはあっても、上下で迷う事なんてないぞ。
空に浮かび登って、そこで雲に突っ込んだ。
辺りは一面に真っ白で、ギークは前後もとい上下不覚に陥ったらしい。
改めて頭上を見上げれば雲が近い。それは分厚く頭上を覆っていた。
天候は、いまにも吹雪きそう。でもさっきからそれはずっとそうだ。意外と長持ち。
山の天気は予測が難しいというし、僕にはよく分からない。
幽霊状態のギークは、およそ何処へだって潜入できる。
壁の向こう、金庫の中、地面の下でも、自由自在。
ただしどうやら生体をすり抜けには制限がある模様。
アイスレクイエムの口の中にいる状態で、一度これでの脱出を試みたのだ。
なぜかダメだった。理由不明。その内、詳しく検証しておきたい。
明らかな欠点は、発動中は息ができない。つまり時間制限が付いているということだ。
なので、絶壁や地面を潜り抜ける案は却下。潜れば当然真っ暗で、土中に迷った挙げ句、脱出出来なければ生き埋めだ。その状態ではさすがに蘇生も不可能だろう。
そうなったら、もう絶望しかない。
(壁沿いを伝っていけばいいの。気付かないギークはおバカなの)
そんなコメントをしてから暫く。
急な斜面を、跳ねるようにギークが駆け下る。
ぎゃー! わぎゃー! ぎゃああああああ!?
僕は絶叫していた。
めちゃくちゃ怖い。とにかく怖い。
跳ねてから着地までの間隔は伸びる一方で、落下の速度は速くなる一方だ。
逆流なし一方通行の半自由落下にして、転落までの秒読み待ったなしだった。
途中休憩を挟みつつで、断崖を浮かんで昇り、脱出に成功。
そこで実体化したギークは、最初慎重に山下りを始めた。
しかしその歩幅がだんだんと広くなり、走り出し、ピョンピョンと跳ねだしたのだ。
いくらギークの身体能力が人並みを外れていようと限度というものがある。
程なく不安定な足場を踏み砕いて、当然に足を滑らせた。
バカ? バカなの? 何やってるのギーク?!
とりあえず罵っておく。
あわや尖った岩塊に頭を打ち付け、凄惨に致命傷かと言うところで、咄嗟に幽体化して事なきを得たが、ほんと怖かった。
「チッ、いったん勢い付くともうダメだな。踏ん張る場所がない」
ギークが何か、見苦しく言い訳をしている。
そこをなんとかするのが、物理担当であるお主の仕事じゃ。
かくいう僕は、頭脳担当としてきちんと自分のつとめを果たすぞ。
違う違う、そっちはダメ! 行くならこっち!
実体に戻って次の一歩を踏み出そうというギークの、踏み出す向きを補正する。
単純に、フレデリカがいる方向に向かおうというだけだけどね。
合流して、宝物の回収をしたいのだ。
この辺りの地理地形なんて、僕にももちろんさっぱりである。
道があるわけじゃない。なら目的地に向かって、真っ直ぐ進むだけだ。
「なんだコイツは」
急峻な山岳を滑り下り、ようやくと、やや開けた場所についた。
小休止を取ることにして手頃な岩に腰掛けたギークが、それに気付いて飛び退く。
ギークが腰掛けた、手頃と見えた岩がもぞもぞと蠢き、別の何かに変形し始めたのだ。
(これ、岩じゃないの! えーと、名前は忘れたけど、モンスターなの!)
僕が警告する。言うまでもなかったか。見りゃ分かるね。
それは丸まっていれば岩としか見えない、ずんぐりとした四本足のモンスターだった。
大きさの全長は人の子供程。ただし体重の方は大の大人三人分はありそうだ。
ちゅうちゅうちゅうと、ネズミか何かの様に大きく鳴いた。
とりあえず名前を忘れた、もしかしたら元々知らない、ので岩ネズミと呼ぼうか。
見た目が岩で、泣き声がネズミっぽいからね。安直で悪かったですね。
ギークが大鉈の柄を握り直す。持ちだした武器が、早くも役に立ちそうじゃないか。
相手は見たまま硬そうだ。素手で殴ったら殴った手の方が痛いだろう。
相手の出方を窺うギークだが、対する岩ネズミも様子を窺っている感じだ。
と思ったら違った。背後斜面から転がり落ちてくる岩塊ふたつ。
さっきの鳴き声は仲間呼びか!
僕の注進に反応して、素早く身を躱したギークが事なきを得る。
ギークはもっと僕に感謝すべきだと思うね。
(チイッ、避けやがったか、勘の良い野郎だぜ。だが、ゲッヘッヘッヘ、三対一だ。まんまと罠に嵌まったな。久しぶりのごちそうだ! 野郎共、取り囲んでボコっちまいな。あっちもちょっとはゴツってるが、なあに、俺等の岩肌に比べりゃ手弱女の柔肌同然よー)
たぶん、そんな感じの事を考えているとみたの!
頭脳担当の僕が、そのような的確な状況分析の結果を報告すると、ギークは「クソだなコイツ」という顔をして、「とりあえず黙っとけ」とのたまった。
ぞんざいな扱いに抗議したい。
左手に円盾、右手に大鉈をそれぞれ構えるギーク。
どちらも、万全に手入れをされた新品同様の輝きを放っている。だいぶ強力な<<保護>>か<<自己修復>>の特殊効果が付与されているのだろう。
伝説級の武具となれば、特殊効果のひとつやふたつ付与されていて当然だ。しかし持ち主の手を離れた状態で、何十年あるいは何百年もの間、効果を維持し続けていたのだとすれば、それは破格だという他ない。
僕のちょっと偏り気味の知識には情報がなかったけれども、さぞかし名のある宝具に違いなかった。
岩ネズミ一匹の突撃を円盾で弾きつつ、もう一匹を大鉈で迎撃する。
ガインッ、と思わず顔をしかめる音がして、ギークが僅かによろめいた。
鉈に叩かれ、ネズミも反対側にゴロゴロと転がっていくが、程なくよろよろと起き上がってきた。大したダメージを負ったふうでもない。
「硬えな。それともこの鉈がナマクラなのか?」
ギークが呟く。お前に武器の善し悪しを語る資格はないと思うね。
もっとちゃんと、斬れそうな部位を狙わんかい。棍棒じゃないんだぞ。
刃毀れひとつしていない、僕が選んだ武器の頑丈さを讃えてもいいんじゃないか。
ナマクラ扱いに、鉈も機嫌を損ねたのか、刃が薄く、不吉な色合いに帯光した。
ん? なんだなんだ?
(ギーク、鉈がなにか光っているの。何かしたの?)
「知らん」
尋ねるが、ギークの答えは否だった。
答えるその目線は三匹の岩ネズミから外さない。
しかし鉈だけ僅かに持ち上げて、確かに何か光っているなと確認はしたようだ。
ちゅう、ちゅううううううッ
岩ネズミ三匹が一斉に鳴いた。
何事とみれば、その三匹を点と結んだ三角錐の頂点にあたりに、周囲から石塊や氷の欠片が吸い寄せられて、不自然に滞空を始める。
ヒュカッ ヒュカッ ヒュカカカカカカカカカカッ
次の瞬間、いったん宙に浮かんだそれらが、目にも留まらぬ高速で、ギークに向けて連続で打ち出されてきた。
「コイツら?!」
ギークは慌ててその場を飛び退く。
飛来してきた岩の切片は、地面を深々と切り裂いて、勢いのままに砕け散った。
この岩ネズミ共、あれで<<念動力>>相当の能力使いらしい。
普通のモンスターはギフトなんて使えないはずだから、ギフトではないのだろうが、脅威であることに違いはない。
数多飛来する飛礫を、ギークは器用に避けた。しかし元々そこまで広い足場でもない。
足を踏み外し、バランスを崩したところに弾丸を何発か喰らってしまう。
哀れ斜面を転がり落ちる羽目になってしまった。
ちなみに、哀れなのは僕だ。完全に被害者である。
とにかくもう、めちゃくちゃ痛い。もうダメだ。死んだ方がましだ。