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天国のお土産  作者: トニー
第六章:遠足に行こう
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6-14. 後手

 無力だ。自分は、本当に。

 伸し掛かって来るその思い。そんな卑下には意味がない。そのくらいのことは分かっている。分かっている。そのつもりだ。

 誰かを救えなかった事を悔やむだなんて、ひどい思い上がりもあったもの。それは傲慢。強欲で、憤怒で、怠惰にして憂鬱だ。

 他人は思い通りには動かない。そんなことは当たり前。自由に生きて、自由に死ぬ。何者かに把握されたいはずはなく、制御なんて論外だろう。

 管理も監視も拒むなら、個を救い得るのはただその個自身があるのみだ。 


 ああそれでも、もっと何かできたかも。

 きっと、そう思うのだろう。

 俺に、もっと力があれば。

 俺に、もっと疾く走れる脚があれば。

 俺に、もっと見える眼があれば。

 俺に、もっと聴こえる耳があれば。

 果ては十一の面に、四十二の臂でもあればか。

 莫迦莫迦しい。


「欠け月喰らうは虚無の深淵。満たされぬ渇望の名において命ずる……」


 銀光纏う指先で、眼前の宙に紋様を描く。

 それは何かの象形だ。だが可視の何とも似てはいない。

 描いた紋様ごと、セルバシアが自身の右腕を天に突き伸ばす。


「開け、冥き洞。我が手には鍵が在る。<<空の黒穴ヴォイド・ブラックホール>>」


 厚みの無いのっぺりとしたシミが、何も無かった位置に滲む。滲み浮かんで仄かに揺らぎ、穿たれた穴を通じて多より寡へ。遷り平衡に至ればそれは静止。静止に至れば車輪は倒れる。故に虚無を覗くそれは、魔素を枯らして術法を無効化する。

 周囲の霧が掻き消えた。氷骨の化物たちがガラリと崩れ、ただの氷塊となって地面に転がる。やはりか、とセルバシアは結果を見渡した。

 見渡せば、何人もの学生たちが、呆然と立ち尽くしている。崩れるように地面に座り込んでしまう者達の姿も見て取れた。


「霧がこの術の本体。氷の塊は操られているに過ぎない」


 似たような技に見覚えがあった。操り人形の環血輪舞曲。空の甲冑を操る鮮血呪法。しかし、今回のこれは規模が違う。

 霧が消えた向こうには、更に分厚い霧の壁があった。霧の向こうからは、戦いの音が響いてくる。氷塊に剣を打ち付ける鈍い音。爆音、轟音、破砕音。

 自他を鼓舞する雄叫びと、尽きぬ敵勢に尽きた誰かの断末魔。刻一刻と、犠牲者が増えていることは確実だ。


「仕組みは分かったが、展開されている範囲が広すぎるな……」


 今にも友人達が、クァータスが、シェリが、死に瀕しているかも知れない。側を離れるべきではなかったか。

 カロタスへの警告は間に合わなかった。一度は合流できたものの、混乱の中で再び逸れてしまった。何をやっているのだろう。自省ばかりだ。


「移動する! 無理にとは言わないが、また霧に巻かれたくなければ、付いてきてくれ」


 唐突に敵が失せて、周囲でへたり込んでいた学生達に声を掛けた。


「何だって? おい、セルバシア。お前はこの状況を説明できるのか! これはどういう事態なんだ!?」


 この場に居たほとんどは、オーク寮の寮生達と見えた。その中から、セルバシアの事を知っていたらしいひとりが立ち上がって、ドシンドシンと詰め寄って来た。

 軽量な細い鎖を編んで作った帷子の上から、寮の紋章か刺繍された外套を羽織る典型の格好。しかしそのそれぞれが一回りは大きい。だいぶ体格の良い学生だった。


「見て分かる以上の事は何も知らないよ、生憎ね」


 威圧してくる相手を見上げて、セルバシアが応える。

 目立つ相手だ。セルバシアとしても、相手に見覚えはあった。しかし名前までは分からない。過去には言葉を交わしたこともなかっただろう。


「ふざけてるのか? おい、説明するつもりがないなら、お前に従う義理はないぞ!」


 巨漢が憤然と吠える。早くもセルバシアはその相手から興味の過半を無くした。

 いったい、時間が惜しいときに限ってくだらない邪魔が入るのは、何の摂理なのか。主観の問題か。


「君等を従えようとは、俺は別に思っちゃいないが……」


 憮然の体で言って、セルバシアは浮かべた黒穴に目配せた。


「これは俺の術だし、この状態を維持できるのは俺の周囲だけだ。そして俺は仲間を助けに行きたい。皆がどうするのかは夫々に任せるさ。さっきのは、ただの警告だ」


「なるほど、今ここが安全地帯になってるのはお前のせいってワケだな! それでいて倒れてるやつ、怪我してるやつを無視して、どっかにフラフラ行こうってのか?! そんな勝手を許すと思うか!!」


 巨躯の学生が大声でセルバシアを恫喝して、周囲の学生たちの注目が集まる。


「俺は自分に出来る事をするだけだし、その優先順も自分で決める」


 スッと、相手を見据えるセルバシアの視線の温度が下がった。


「とやかく言われる覚えはないな。怪我人を背負って付いてくるのはお前の自由だし、したいのならば、そうすればいいだろう」


 ゴウッ!


 振るわれた拳が、上体を後ろに傾けたセルバシアの顔の前を通り過ぎた。顔を真っ赤に染めた巨漢が、怒鳴り声とともに殴り掛かってきたのだ。


「ぬ、ウオッ?!」


 空振って身体のバランスを崩した巨漢の足を引っ掛け、軽く突き飛ばす。

 ひっくり返って尻餅をついた相手を一瞥して、セルバシアは踵を返した。

 時間が惜しい。暴力的な博愛(自覚の足りない利己)主義者に構っている暇はない。


「く、待てこ……」


 立ち上がり更に噛み付いて来ようとした相手の眼前に、小剣の鞘の先を突き付ける。そして言った。


「これ以上邪魔をするな。もし俺の友人たち、誰かひとりでも助け損ねるような事があった時には、お前を」


 殺すぞ。

 セルバシアから迸った殺気は、ほんの一瞬だけのものだった。

 しかしその密度は凄まじく、向けられた巨漢の顔面から血の気が引く。


「お前が俺に付いてこようと、そうでなかろうともな」


 そして今度こそ、セルバシアは歩み去った。

 誰彼を置き去りに、省みる事もなく速やかに。


 セルバシアに食って掛かった巨躯の学生は、声も出せず身体の震えを愕然と自覚する。

 何だ、今のは。

 今の気配、とても人間の放つものとは思えない。



 ◆ ◇ ◆ ◇



 戦技教官コロンゼは、彼に出来得る最善を尽くしていた。

 いち早く尋常ではない事態を察し、報せの早馬を出したのは彼である。

 付近にいた十数人の生徒達を指揮、負傷者を保護下に置きつつ、多勢に無勢の絶望的な戦況下で、秩序を維持しながら安全な場所を探して移動し続けた。

 生き延びている生徒を見付ければ、共に行動するように促し、或いはとにかく生き延びる可能性が高くなるように、それぞれで敵勢を切り開いて別方向に逃れようと向かうべき方角を示す。

 それらはどれも、この状況下ではひどく困難なことで、コロンゼが教官としてだけではなく現場指揮官としても有能であることを証していただろう。


 その彼をしても、打開策は掴めていなかった。そんなものがあるのかすらも分からない。

 立ち塞がる氷の敵を倒す。倒す。負傷した生徒を下がらせ、崩れた陣形を補修する。そして移動する。

 敵がいない場所、湧かない場所、或いはせめて、敵に囲まれない地形が見つかる事を目指して、とにかく前へ。


「……ッ これは?」


 ふと、周囲の明度が増した。急速に霧が薄れ、苛烈に襲い掛かってきていた怪物達が引いていく。

 それは修羅場の終わり。目的のものを見付けた氷結の鎮魂歌(アイスレクイエム)が飛び去って、稼動していた魔術が解けた事を意味していた。


「助かった、のか……」


 誰かが呆然と口にした言葉が虚しく過ぎる。

 ああ、なんという事だ。


 霧が薄れ、晴れてゆく。

 覆い隠されていた惨状が顕になる。


 死んでいる、死んでいる。

 生徒達が、折り重なるように、ただのモノであるかの様に。


 俯いて黙祷する。俺は教師だ。俺が動揺しては如何にも拙い。

 下唇を噛んで堪え、コロンゼは顔を上げた。


「生きている者! 集まれ、整列! 点呼を取る!」


 大声を張り上げる。


「怪我人を介抱している者はその場を動くな、すぐ介添を回す! 動ける者は急げ、ぐすぐずするな!!」


 後悔は最後にすればいい。

 まずは、ともかく、できることをするだけだ。



 ◆ ◇ ◆ ◇



 今や人知れぬ地となったそこに屹立する、比類なく巨大な建造物。彼等はそれを、ただ<塔>と呼んでいた。

 木造でも、石造でも、煉瓦造でもない。現在の人類世界には、他に類似を見出せない、トラス構造の巨大な鉄塔。それは、かつてに打破された統制された暗黒郷(ディストピア)の名残であり、象徴シンボルだった。

 遥かな過去に機能を停止して久しい塔の制御室コントロールルームにて、兄弟の五人目、<勝利する蛇>のダンが、兄弟の二人目、<罪>のシメオンへと詰め寄っていた。


「どういう事か、説明を貰えるかシメオン。ナフタリが、なぜ?!」


 冷静さを装うダンの問い掛けに、シメオンは静かに首を横に振る。

 分からない。シメオンをして、事件の全貌は掴めていなかった。


「一瞬の事だ。ナフタリは、弾け飛んだ」


 彼の<千里眼>は、過去を覗ける。起きた事実が見える。

 しかし、どうしてそうなったのかが、分かるわけではない。

 起きたことは分かる。しかしそれが何故起きたかは、推理する他ない。


「破裂した、ように見えた。誰に触れられもせずに、何者かから攻撃を受けたか、あるいは考え難いことだが、力を制御し損ねたか」


「ふざけるなッ! そんな事、あるはずが無い!」


 難しい、苦渋の表情で仮設を述べるシメオンに、ダンは怒声を叩き付けた。

 ナフタリは兄弟の六人目だ。

 母親を同じくするダンにとっては、その意味ではたったひとりの兄弟になる。

 他の兄弟たち同様程度には、シメオンのことも敬愛しているダンだったが、しかしそれはナフタリに互するものではなかった。

 そのナフタリが侮られたと感じれば、相手が誰だろうと黙ってはいられない。


「落ち着かないか!」


 シメオンが一喝する。

 今にもシメオンに掴みかからんばかりだったダンが、歯ぎしりの後に一歩引いた。

 兄弟で争う。そんな愚かで親不孝なことは、避けなければならない。それでもつい、責めるような目付きで、ダンはシメオンを睨み付けてしまう。


「……力の制御、だと? 何か心当たりでもあるのかシメオン」


 低く、絞り出すような声で、ダンが尋ねる。


「心当たりと言えるようなものはない。が、ナフタリが取り組んでいた課題については、ダン、むしろ貴公の方が詳しいだろう?」


「なんだと……」


 シメオンの答えを聞いて、ダンは片手を自らの額に当てた。

 目眩を覚えたのだ。


「……ナフタリは、箱庭で成果を出した。それを今度は城市の規模で再現しようとしていた」


「そうだな」


 ダンの言葉に、シメオンが頷く。


「タイミングを図っていたところに、先日話題に登った妖鬼が、どうしてか実験場に迷い込んだらしいと言う話が舞い込んで、実験のついでに炙り出してやろうと言う話になったと、これはルベンに聞いた話だ」


「ふむ?」


 相槌を打ちつつ、シメオンが首を傾げた。

 実験で「ついで」など、ルベンは嫌がるだろうにと思ったからだ。

 まあ、本筋の話ではないなと、聞き流す。


「呪火の雨を降らせたのだろう? ナフタリにとってみれば手慣れた事だったはずだ。シメオンの眼で見て、何か異常があったのか? ナフタリは、何か……」


 口惜しげに、ダンが尋ねた。

 だか、シメオンの言は、ダンの予想に反したものだった。


「ないな。これまで同様に、ナフタリは上手くやっていた。少なくとも、私にはそう見えたよ。ナフタリが散ったのは、術の行使を終えて、火も大分鎮まってからのことだ」


「なんだと? 術に失敗したわけではないのか? 邪魔が入った、と言うわけでも?」


 意表を突かれたダンが、問を重ねる。


「それならば、原因不明とは言わない。そうではないのだ。ナフタリは、焼け出された被験者達の状態を確認している最中だった。何かに気付いたような素振りをしたと思ったら、突然に弾けた」


「何だそれは……」


「何があるか分からん。もし、これから現地に直接行こうというのなら、なるべく遠くから代理を遣わせることを奨める。……ああ、貴公の蛇、或いはここからなら届くのか?」


 ふと、得心したようにシメオンがいった。


「ここに足を運ばせてもらった最大の理由は、言った通り、直接話を聞きたかったからだ」


 ダンが応える。


「ただ、遠隔操作の射程は、知っての通り高所からの方がより伸びるからな。それを試してみるつもりがあったのは、まあその通りだ」


 彼ら兄弟の多くは、長年の研鑽により、それぞれ固有の技能を有していた。

 距離どころか時間を超越して事象を捉えるシメオンの過去視の力が将にそうであり、ダンにもまたそれと同じように尋常と異なる異能がある。


 ダンの異能に、概念が最も近いのは、<支配>系統のギフト、憑依だ。誰かあるいは何かに取り憑いて、遠隔で意のままに操る。ダンのそれは、そのギフトの延長線上にあるものだった。


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