6-12. 押し寄せてきたもの
そのモンスターの造形は、牛に似ていた。
筋肉の発達した巨躯に鋭い角。それを支える四本の脚と硬い蹄。
けれど、似ているだけだ。
頭部の中央に大きな目がひとつ、ギラリと輝く。
雄叫びは地を震わせ、その体表は青銅に覆われている。
それは雷鳴轟かす黒雲に擬えられる雄々しき装甲獣、独眼青銅牛の群れだった。
「電撃系の罠が張れる者! 両翼の前面に布陣しろ!」
「大盾持ち、正面中央に集まれ! 急げ急げ!」
今、十数頭を数える青銅牛の群れが、往く街道の対向から、怒涛の勢いで殺到して来ていた。学生達は立ち塞がってこれを遮ることを選んだようだ。
青銅牛の大群は押し寄せるなら、如何な壁塁も打ち崩され、どんな城でも蹂躙されてしまうに違いない。重厚にして堅固であるこのモンスターの突撃には、それだけの威力がある。
にもかかわらず、挑戦する。その決断を下したのは、オーク寮の寮長、テイルディンだ。
集団が組織的に行動をするにあたって、特に有事に際しては、誰か指揮をする者が必要である。
誰彼が銘々勝手に動くようでは、それは烏合の衆に過ぎず、組織とは言えない。
学園の遠足において指揮系統は大きく三つある。
ひとつは教官、ひとつは実行委員、そして最後に寮長だ。
遠足は実地訓練であるから、教官は基本的に相談役である。
実行委員は企画役。実地での戦闘判断、その指示となれば寮長の領分となる。
寮長は寮ごとの代表者であるから、遠足に参加している寮の数だけ居る。
オーク寮、オリーブ寮、トネリコ寮の三つだから、三人だ。
この三人は同格で、誰が上でも下でもない。
しかしそれでは、全員が一丸となって行動しようとするのに支障がある。
都度協議して決めればいいのだが、今回のような緊急事態にそれでは遅い。
従って学生達は、事前にローテーションを取決めていた。
往路ではオーク寮、目的地に着いてはオリーブ寮、そして復路ではトネリコ寮の、それぞれの長が全体の指揮を執るとしていたのだ。
だから今回、オーク寮の長であるテイルディンが、状況の報告を受け、判断を下した。
「念のために聞くが、無謀じゃないか?」
オリーブ寮の寮長、カロタスがテイルディンに尋ねる。
やれる! やるんだ!!
やってやろうじゃないか!!!
学生達は、みな意気軒昂だった。
それはいい。力が湧いてくる。良いことだ。
青銅牛、一頭一頭のサイズはもちろん彼らの誰よりも大きい。
しかし集団全体の規模で言えば、相手の十数頭に対して、数十人の集まりである彼らの方がずっと大きいのだ。ならば対抗できないはずはない。
だが、指揮を執るものは冷静でなければならない。もしもの可能性も考えておく必要がある。
カロタスの問は疑義というよりは、冷静だなということの確認である。
例えば、見えている数だけが全てとは限らないが、考慮はしているか?
「先頭を走る数頭の足さえ止めることができれば、後続は巻き添えで勝手に止まる。十数頭の群れと聞いているが、仮に倍の数が居たとしても問題はない」
ちらりとカロタスを一瞥して、テイルディンが応じた。
「そもそもこちらも大所帯だ。道を譲るなんて選択肢はむしろ犠牲者を出すだけだろう」
例えば道を譲ろうとするなら、避け損ねて角か蹄かに引っ掛けられての死傷者を出すなんて間抜けな話が十分にあり得た。青銅牛たちが、ひたすら真っ直ぐ、脇目も振らず駆け抜けて駆け去って行ってくれる保証など、もちろんありはしないのだ。
楔型に陣形を組んで、突進を左右に流してやり過ごす案も考えられる。だが、思うように左右に割れてくれなければ、先頭を担う者の負担が大きすぎる。耐えかねれば壊滅的な被害になるだろう。
立ち塞がって打ち破る以外の選択肢は、どれも下策だとテイルディンには思えた。
カロタスとしても、異存はない。そうだな、と頷いて退き下がる。
因みにこのテイルディン、確実視されていた昨年度の学年主席の座を、まさかで編入生に簒奪された不遇の秀才である。
主席の座こそ射止め損なったものの、彼が際立って優秀なことは、誰もが認める所であった。
テイルディンが採用した戦術は、鶴翼陣形による包囲殲滅。
青銅牛の突進を罠で弱め、中央部に配した大盾部隊で受け止める。
脚の止まった相手を、両翼から包み込んで打ち倒そうというものだった。
オーソドックスな定石手と言えるだろう。
中央部を破られたら敗け、そうでなければ勝ち。
そういう勝負だが、博打の要素は薄い。
十分に勝算のある、いいやむしろ負けるはずの無い賭けだった。
「大盾持ちは正面に集まれー、だそうだぜ? 行かなくていいのか?」
クァータスがようやく姿を見せたシェリに言う。
ジロリとそちらを睨むシェリ。
大盾持ちと言っても、単に大盾を持っていればそれでいいというものではない。
そのくらいの事、誰でも分かる。少なくとも、学園の生徒であれば。
嵩張る大盾を持ち歩く以上、持ち歩いている者のほとんどは、それと相性の良いギフトの保有者であるに違いないのだ。
つまり参集を呼び掛けられているのは、<<鉄壁>>であるとか<<不動>>であるとか、青銅で鎧われた大質量を相手にして、並の城壁よりも強固な壁となれるギフト持ちなのであり、シェリがそれに当たらない事くらい、付き合いの長いクァータスは当然知っているはずだった。
また凝りもせず、僕をからかおうという魂胆だな?
そのように、シェリは受け取る。
何か罵詈雑言を言い返そうと口を開きかけたシェリ。
そのシェリに対して、銀髪のポニーテール、昨年度年度頭の編入生、セルバシアが声を掛けた。
「お帰りシェリ。早速で悪いが、白魔法の生体感知で、モンスター達が来た方向を探れないか?」
その口調が、普段のセルバシアのそれよりもやや緊迫したものであったことに、エルシアがこの場にいれば気付いただろう。しかしその差異は余りにも微妙すぎて、友人であるクァータスやシェリでも把握できない程度のものだった。
「探れなくはないけど、、、相手動いてるから、正確な数とかそう言うのは分かんないよ? 大体の規模感なら、二十頭居るかどうかだって、誰かが報告してたよね? それ以上のことは、ちょっと僕にも、、、」
緊迫感はいまいち伝わらなかったが、それでもクァータスヘの舌鉾はひとまず納めて、シェリが応じる。バカの相手はしていられないとばかりに、クァータスのことは無視することにしたようだった。
セルバシアが、首を横に振る。
違う、そうじゃない。
「青銅牛は多分、何かから逃げている。何か尋常じゃないものが群れの向こうにいるぞ」
セルバシアの指摘を聞いて、シェリが大きな瞳をさらに大きく見開く。
遠くない距離で、大気の引き裂かれる音が鳴り響き、オゾン臭が立ち込めた。
青銅牛の勢いを少しでも弱めるための、電撃罠が展開されたようだ。
「う、うーん、探ってはみるけど……」
最寄りでの轟音を気にしながら、シェリがギフトによる探索を始める。
シェリの身体が仄かに白く、見ようによっては天使のように神々しく輝く。
白魔法、生命操作。二つ名からは、あるいは万物の生死にさえ干渉できるのではないかと言う可能性を感じさせるギフトである。
しかしその実、少なくともシェリにできることは、大したことではない。創傷の回復促進、生命力の測定、そのふたつだけだ。だが、そのふたつだけでも、便利な能力ではあった。
後者の能力で、シェリは相手の力量を大凡で把握することができる。
強い生命力を宿す相手は、人間であれば鍛えている人だし、モンスターであればランクが高いと見て間違いない。
そして強い光を放つ相手の事は、注意深く探すなら、そこそこ遠くからでも捕捉できるのだった。
「空? え、ちょっと待って……」
雲が掛かっていて見通せない空の向こうを、シェリが凝視する。
表現するべき言葉が見つからないのか、シェリは唇をただパクパクと開閉させた。
そんなシェリの様子を見て、セルバシアはクァータスに告げる。
「カロタスに警告しておいた方が良さそうだな。此処は任せた」
第二波があるかもしれない。
そう言って、セルバシアは身軽に駆け出した。
「あ、ああ、気を付けてな」
クァータスはそう応じたが、少し遅かったようだ。
既にセルバシアの姿はそこにはなかった。
密集する人混みの中を、スルリスルリと抜けて、あっという間に居なくなっている。
他の誰にもできないだろう、卓絶した身のこなしだった。
衝撃波と衝突音で空間が飽和する。戦闘が始まった。
勇敢な大盾部隊は、見事青銅牛の全重量がかかった猛進を受け止めたようだ。
その光景はとにかく凄まじい。目に眩しい火花が散って、局地的な地震が起きる。
むしろ周囲に居た者たちが蹈鞴を踏んだほどだった。
だが、青銅牛の足は止まった。ならば、もはや事の趨勢は明らかだ。
火力を集めろ! 殲滅戦だ!
雄叫びを上げて勇ましく、学生たちは右往左往する牛様のモンスター達に挑みかかった。
全体の指揮を執っているのはテイルディンだ。
しかしセルバシアが報告に向かったのは、カロタスの元へだった。
それは、セルバシアがテイルディンに対して隔意を持っているとか、そういうことでは無い。
幾らテイルディンが有能と言っても、都度都度上がってくる玉石混淆の報告を全て受け止められるはずはない。自寮内のメンバーからの報告は、いったん寮長ないしは副寮長が取り纏めるのがレポートラインになっていた。
それは仕組みとしては適当だったろう。
けれど、本当に大切な報告が伝達されるのにも、時間が掛かるというジレンマがある。
もっとも今回に関して言えば、そんなことは関係なく、どうあれ手遅れだったのだが。
セルバシアが前線で細かな指示を飛ばしていたカロタスを見付けて、警告を口にした時には、もう始まっていた。
遠方より流れ込んできた靄が学生達の足首に触れた。
それはあっという間に膝上から腰の高さに達し、一気に全身を、そして全体を呑み込んだのだ。