6-07. バリードの苛立ちと、兄弟愛と
弓矢は狩人や兵士の武装であって、騎士のそれではない。騎士の武器といえばまずは騎乗鎗、そして直剣だ。それ以外を扱うのは、正統派の騎士達からは邪道と見做される。
しかしそんなものは、お行儀の良い様式美の、約束事のような人間相手の戦争でしか通らない、くだらないこだわりである。剣も槍も刃の届かない化物が相手なのであれば、届くだろう武器に持ち帰るのは賢明な判断だし、当然の話ではあるだろう。
「騎士どもめ、狙いが適当すぎる! 何人味方を射殺しゃ気が済むんだ下手糞共め!? わざとやってんのか?!」
きちんと使いこなせるのであれば、の話だが。
自らを貫く事能わず、ポトリと地面に落ちたクロスボウの、尺が短くそして太い矢を一瞥してから、バリードが毒づいた。
直に狙われているわけでもない、失速して落ちてくるこの程度の鉄針が当たった所で、それで即死するような事は、そうそうとはないだろう。
だがそれに気を取られて集中力を削られては、ワラワラと群がってくる敵の群れに不覚を取らないとも限らない。
彼自身は現在、ギフト<<降魔の英傑>>を発動中だ。今ならどんな攻撃も通らない。しかし、そんな例外はおよそ彼だけだ。
味方陣地からの黒き鉄の驟雨は、敵味方関係なく降り注でくる。そうして幾つかの人影が、バタ、バタと斃れていく。
「ぐあおらァァァァァアアアアッ」
敵が怯んだ隙に力を溜めて、雄叫びと共にバリードが大剣を振り回す。
飛び掛かってきた氷の竜牙兵を纏めて二体、弾き飛ばした。
「硬てえなクソが! 雑魚がいっちょ前に、ガードなんてしてんじゃねぇよ! うおおあらァァァァ!!」
弾き飛ばされて体勢を崩した一体に、振り回した大剣の遠心力を天性ともいえるバランス感覚の体捌きで直線の運動力に変えて、追撃の突きを放つ。
バキィンッ
勢い削がれぬまま放られた超重量の金属塊は、貧弱そうな見た目に反して異様に堅強な、氷の塊そのものである竜牙兵の胴体を、破砕音とともに見事にブチ割った。
氷の骸骨像のようである竜牙兵たちにも、命らしきものは宿っているのか。
命そのものではなくとも、何かを宿してはいるらしい。それを吸って、バリードの<<降魔の英傑>>が再び紫色に強く輝く。
この光を纏っている間のバリードは無敵である。
無敵たる紫光は攻撃の一切を受け付けない。
しかしその光は、バリードに代わって攻撃を遮る毎に、或いは時間の経過で、急速にその輝きを減じてしまう。
一方で命を吸うことで、光は元の強さを取り戻すのだった。
大剣が纏う黄金の輝きと併せ、彼が身に纏うその光は、バリードの姿を乱戦の戦場において、極めて目立つものとさせていた。
キシャァァァァァ!!
遥かな頭上から、絶大なるものの咆哮が聞こえてくる。
その主は大空の支配者にして、飛来する絶望の体現者である。
その巨躯は蒼穹に溶けるホワイトブルー。けれどもそれは、外敵の眼を欺き狩られぬ為の偽装ではない。
ビクビクと怯える獲物達に優しき不意の死を振り撒く為のものだ。
「肝心のドラゴンはピンピンしてんじゃねぇか! バカにしやがって、とんだハズレ籤だぜ」
咆哮に畏怖して足が止まった雑兵たちが、またしても竜牙兵や蜥蜴達の餌食とされていく。ダメだこりゃ、案の定だが、勝てるわけがねぇ。
バリードはクラナスの姿を探す。
とっとと撤退したいものだが、相棒が見つからない。
あの盲目娘はどこに行ったんだ?!
「だわっち、あぶねえなこの!」
岩陰から、霜を纏う氷のバケモノが飛び出して来た。それは竜牙兵と同様に骨格だけの怪物で、こちらは獣のような四足歩行、長い尻尾までついている。
大剣を盾に、氷骨獣の突進をやり過ごし、そして体勢を整えるべく、バリードは後方へと飛び退いた。
氷骨獣に組み伏せられるのはまずい。無敵状態の消耗が激しいし、解ける迄に抜け出せなければ、そのままご臨終である。
槍を手に竜牙兵達が寄ってたかろうと迫ってくる。
味方勢で目端の利く有能な連中は、こりゃもうとっくの昔に逃散した後か。
苦々しくバリードは予想した。付き合いきれん。まったく同感だ!
「誰か巻き込んじまったら、いつか煉獄辺りで詫びるぜ! <<練気纏>>、最大出力!!」
バックステップで敵勢との間合いを空けて、腰溜めにバリードが大剣を構える。剣が纏う黄金光が、一際強く輝いた。
「くらえ! 俺様の超絶究極的必殺奥義、今! ここに! 黄金飛刃……、……、どうわぁっ!!?」
ため技で、敵の一群をまとめて一閃、薙ぎ払おうとしたバリードだったが、頭上に差し掛かった影に気付いて慌てて中断。前転回避で、空けた間合いを再び詰めて戻した。
ドガッ、ドガンッ
巨大な氷の礫、礫というか柱の如き巨大さだが、それがふたつ、一瞬前までバリードが居た位置に突き立った。
「ガアアッ、ド畜生め、味方の援護にもソツがねぇな! いっそのこと鞍替えしたい気分になるぜ!!」
敵の群れの中に飛び込んだバリードにその余裕はないが、空を見上げて目を凝らせば、広域がキラキラと輝いている事がわかっただろう。
それは全て、人の体ほどの大きさの氷の礫だ。
誰の仕業かなんてことは明らかだった。そいつは悠々と空を泳いでいる。王として氷の軍勢を率いて君臨する至高の竜。
それこそが<氷結の鎮魂歌>。この状況そのものが、つまりはそれである。
氷の骸骨を軍勢として無尽に生み出し、津波の様に繰り出してくる。
そしてまた氷の巨塊を遥か上空から撃ち降ろして地上を蹂躙する。
どうしろってんだ、こんな理不尽。
対抗手段はあるのか?!
能無しの騎士達か、ドラゴンから見れば砂粒にも及ばないだろうクロスボウの矢を、ろくに届きもしないのにパシュパシュ撃っている時点でお察しくださいだろう。
「ドラゴンの相手は我ら騎士に任せよ。貴様らは地上に群がるそれ以外の雑魚共を防ぎ止めるのだ」
このザマでよくもそんな事を言えたもんだよ!
バリードは心底から罵った。
身の程知らずめ、後悔しながらくたばればざまあみろだ。
しかし生憎と連中の防護は硬い。ドラゴンの氷礫への対策だけは抜かりがなかったようだ。
全身甲冑で装甲して、ガシャンガシャンと後から偉そうに出て来る騎士達というのは、つまり元よりそういう連中なんだろう。
けれど今回は輪を掛けて最悪だった。
安全な結界の内側に縮こまって、そして狙うべき相手には届きもしない、届いたとしてもほとんど何の痛痒も与えられないだろう矢を、必死に結界の外で奮戦している味方勢の頭上に降らせているのが奴等の仕事だ。
もしや督戦隊でも気取ってるのではあるまいな。ブッ殺すぞ?
あれ? 俺ってあんな連中のお仲間になりたいんだっけ?
長年の夢に疑問を覚えてしまうバリードである。
バリードの野望においては、騎士などただの通過点に過ぎないが。
「あー、ウゼェ、邪魔だ! ブッ飛べこのやろう!!」
飛び込んでしまったからには仕方がない、攻略方法は変更しよう。
渋滞の中、竜牙兵が耳をつんざく絶叫と共に飛び掛かってきた。その勢いを大剣を盾に殺して、そしてカウンター気味に腕甲でぶん殴る。そこから更に、身を捻り宙に跳ねて、振り下ろす大剣の斬撃で追撃した。
大技の隙に、槍だの何だので突き掛かってくる周囲を、紫の光に受け止めさせて一顧だにせず、一体を潰して空いた隙間を活かして大剣に勢いをつけ、横に一斬する。扇形に敵を殲滅。残るは反対側!
「ったくよお、クラナスのやつはどこにいんだよ?! まさかこんな雑魚共に不覚を取るとも思えねぇが……、空で戦ってる訳じゃなさそうだしな」
敵の一群を壊滅させて、戦場を駆け抜け場所を変えながらバリードがぼやく。
飛竜は悠々と空を泳ぎ、次々と氷礫を地上に向けて打ち出している。クラナスが突っかかって行っているのであれば、ああも悠々とはしていられまい。
「あいつを置き去りにとか、寝覚めが悪いにも程があるぞ!」
バリードは歯ぎしりをする。
無敵の効果は敵を殺し続ける限り永続するとしても、バリード自身の体力気力は有限だ。余力があるうちに逃走に移らなければ、必ず力尽きることになる。
潮時だと、歴戦の雄である彼の勘はそう告げていた。これ以上は死戦になる。俺はこんな場所でむざむざと横死する訳にはいかない。
「キリがねぇしな……。手傷でも負って、先に落ち延びているって可能性に掛けるしかねぇか。あー、寄ってくんじゃねぇよ! 吹っ飛びな!」
更に群がってくる敵勢に、振るう大剣を叩き付けるバリード。
彼は、撤退の決断を迫られていた。
◇ ◆ ◇ ◆
「弟が、ナフタリが死んだかも知れんだと? 何かの間違いだろう、そんなバカなことが、あるはず無い!」
サブターゲットを首尾よく捕獲し、ルベンの元への移送を済ませたダンは、その信じがたい報に接して、愕然と聞き返した。
「吾輩としてもそう願ってやまないのである。が、ううむ、あり得ないことだとは思うのであるが、シメオンの言である」
難問を前にした表情で、ルベンが告げる。
「居所が掴めない上に、音信不通、転移の目印に持っていた道標石の反応が消失していると言う事であるので、何かがあったのは間違いないのである」
「わかった、シメオンに当たって、俺はそれから捜索に出る」
すぐさま踵を返そうとしたダンに、ルベンが問い掛ける。
「ふむ、そちらの現場は、貴君が抜けても平気であるのかな?」
問い掛けられて、眉根に暫し指を添えて黙考してから、ダンが応えた。
「……、……、如意宝珠の入手は、今回は見送りだ。飛竜はこちらの挑発に応じたに過ぎん。多少の被害は出るだろうが、公都が落ちるようなことにはなるまい。前線基地のひとつやふたつ、弟の身には代えられん」
「ふむ、吾輩としても責任を感じる話なのである。なにか必要なことがあれば、いや如何せん研究一筋の吾輩にできることなどたかが知れているのであるが、ぜひ言ってほしいのである」
「長兄の手を煩わせはせん。……ああ、ひとつだけ。シメオンは塔に?」
立ち去ろうとした足を止めて、ダンが尋ねる。
「そのはずなのである。直接赴くのであるか?」
その問に応じて、そしてルベンが尋ね返した。
彼ら兄弟は皆が<<念話>>系統のギフト持ちなので、単に言葉を交わすだけなら、無理に顔を合わせる必要はない。
「そうさせてもらう。転移門を借りれるだろうか?」
ただやはり、大切重要な相談事であれば、顔を合わせることが必要だという思いがあるのだった。
「構わないのである。それこそナフタリが使うというので、贄も多目に用意もしていたのである。執事の……、あー、今は誰であったかな、……まあ執事である。食堂にでもいると思うので、それに一声掛けてもらえば、抜かりなく準備をするはずなのである」
「感謝する。ではな長兄、貴君の研究が花開き実を結ぶことを、心から」
一礼をして、今度こそダンが踵を返す。
「健勝たれよ、わが弟。どうか無理はしてくれるな」
その背に向けて、ルベンが言う。
麗しき兄弟愛と言えるだろうか。
彼らの会話の中では何百何千という単位で人命が軽んじられていた。
しかしそれも、お互いを思いやる心が強ければこそなのであった。