6-01. 友のために捧げる祈り
ご主人様達の世界は「敵」に敗北してしまった。
住んでいた場所を追われたご主人様は、ここを新天地に選ばれた。
選んだのは、ご主人様と、彼と、私。ここは魔素が濃すぎて、地平の果てまでが混沌の泥に覆われていた。
だからこそ「敵」の手が伸びてくる可能性は低く、逆に安全だと私達は判断したのだ。
清水を讃えた大きな杯をひとつ、泥濘の中に据えた。
器の中に、箱庭のように新しい世界を作った。
元の世界に比べれば、それでもここの魔素は濃かったけれども、なんとかした。
いろいろと問題は多かったけれども、予想外のことも沢山あったけれども、ご主人様が居られる間は、私達は対処できていたのだ。
ご主人様がお隠れになって、私と彼が後を託されてからが、ダメだった。
ダメになった。ダメにしてしまった。
私と彼とは根源的には同じものだ。相談をしても着想に斬新さがない。
そうして停滞して淀んでしまって、その重みで終には天網までもが破れてしまったのだのだろう。
◇ ◆ ◇ ◆
華美な装飾に彩られた応接間。きらびやかで分不相応な場。
そんな場所に引っ張り出された、思い出の中の自分は、緊張でカチカチだ。
まあ、そんな時代もあったな、という話である。
つまりは、いいタイミングでのイベントだったのだろう。
もう少し子供の頃だったら?
ものの価値なんて分からないどころか、見当も付かなかっただろう。
その部屋に通されても、
(なんだかキラキラしててキレイだな)
とか、思うだけだったに違いない。
もう少し捻くれた後、つまりは今時だったら?
(騎士の守護者と讃えられる方の屋敷にしては、随分と成金趣味だな)
とでも思ったかも知れない。
警戒心が先立って、一歩身を引いてしまっていただろう。
「貰い物をな、適当に飾らせただけの部屋なのだよ。いや、改めて見ればゴテゴテとしておるな。お恥ずかしい」
それが、その部屋の主人であるエデン辺境伯ご当人の弁だった。
もちろん、未来の自分に向けた言い訳であるはずはない。
思うに、当時は気付かなかったのだが、つまり父さんの表情がまさに、今だったら自分が思うだろう事を感想した風だったのではないかと思う。
貴族にあるまじきことに、腹芸の苦手な人なのだ。
「父さんには困ったものだ。顔に出過ぎる。とことん腹の探り合いに向いていないのだ。そんなことだから……」
等々と兄さんが愚痴っているのを、何度か聞いたことがある。
兄さんは兄さんでちょっと問題のある人だが、父さんが困った人なのも事実だろう。
「セラト辺境伯の次男、セルバシア=セラトです! 初めまして!」
真っ当に感嘆して、緊張していた、子供だった頃の自分。
その自分のいっぱいいっぱいな挨拶に対して、相手は実に貴族らしく、優雅に微笑んで返してきた。
「エデン辺境伯の五女、ミア=エデンと申します。ご尊影はお写真で何度か拝見していました。本日はお会い出来て嬉しく思います」
まあ、赤面ものだね。何この格差、みたいな感じ。
相手の方がどう見ても年下だったのだけれども。
如何せん、それまでおよそ貴族らしさなんてものとは、縁遠い生活しかしていなかった。
出発の直前まで、師範と、妹と、野山を駆けずり回っていたわけで、そんな自分がなんでまた、これまで着たこともないような正装をさせられて、あんな場所に引っ張って行かれたのか。
穿った見方をしようと思えば、色々とできるお見合いの場だった。
けれど、敢えては考えない。自分の中での真実はひとつだけだし、それで十分なのだから。
父さんたちには大事な話があるからと、別室に案内された。
彼女とはなにか一生懸命、いろいろな話をしたと思うけれど、残念ながらその時に話した内容はほとんどまともに覚えていない。
テンパっていたよな、我が事ながら。
つい最近までは、苦笑できる微笑ましかった記憶だ。
ただ、
「騎士なんて堅苦しいのは好きじゃない。オレは探検家になりたいんだ」
と、馬鹿正直に夢を語ってしまったことは覚えている。
「騎士は堅苦しいですか? 開拓騎士、芸術家騎士、酷いところでは盗賊騎士なんて方も、昔は居られたそうですよ? 探検家騎士というのも面白いんじゃないかしら」
それに対して、彼女がそう答えたのも覚えている。
それで自分は、自由気ままな野生児暮らしを改めた。騎士学校にだって行くことに決めた。
探検家になる夢は夢として、騎士にもなりたくなったのだ。
つまり、
僕は彼女に相応しい騎士になるのだ!
と、その日に、青臭く誓ったのだった。
「お兄、やる気無くしすぎ」
テーブルに突っ伏しているのを、妹に見咎められた。
顔だけを起こして、声のした方を見る。
「なんていうかさー、気持ちが分かるとも分からないとも、私には言えないんだけどさ」
両手を腰に添えてのお怒りモードだ。
も~! とか背後に書いてある。
「そんなんじゃ母さんに怒られるんだからね? 尻子玉抜かれたってんなら代わりに玉ネギでも詰めてやんなさいとか、手紙に書いてあったし」
それは十中八九、お兄が河童に尻子玉を抜かれたみたいになっているの、とかお前が手紙に書いたからだよな?
あんまり変なことを書くのはやめて欲しいものだ。
「授業にはちゃんと出てる。仕送りを貰っている身だからな、無様に退学だなんてことにはならないようにするさ」
くてっとしたまま、無気力に応じた。情けないというのは分かっているのだ。しかしどうにもならない。今の自分には著しく何かが欠乏中だった。気力がゼロだから無気力なのである。
「ちょっと前まで主席だったイケメンのセリフとは思えないなぁ。千年の恋も冷めちゃうぞ? 女の子たち前でくらい、もうちょっとカッコつけなよ!」
男装の麗人。違う。男装の男なのだが、どう見ても美少女であるシェリ。
それが、エルシアの横から口を出してきた。
コイツに言われてもな、と思う。
というか女の子たちとは誰のことだ?
妹のことか? それともお前のことか?
ついに自分がそっち側だと認める気になったのだろうか。
「なにさ、その呆れたような目は。『最近のセルバシア様は、お元気がございませんのね〜』『心配ですわ〜』『どうお慰めしたら良いのかしら〜』な彼女たちのことに決まってんじゃん。心当たり多過ぎて特定できないのかな?」
シェリが人聞きの悪いことを言う。
「心当たりなんてないぞ。大体、主席なんて取ったのは一度だけだ。それだって偶然だしな」
取り敢えず、正確でなかった情報に訂正を入れておく。
あることないこと吹聴されては堪らない。
「うん、普通は偶然でもなんでも、そんなもの取れないから。それだけを生きがいにしている人達ってのもいるんだからさ、その彼らの屍を乗り越えた以上、セルバんには先に進む義務があるでしょ」
なんの話だ。
あと、誰のことだ。
「そう言われてもな。……ところで、ふたり揃ってどうした。同じ授業だったわけじゃないだろ?」
男女合同の授業というのは、イベント事を除けばほとんどない。
授業の後、お友達同士で歓談しながら廊下を歩いています、の体でふたりはやって来た。
しかし同性同士であればごく自然でも、異性ととなればやや違和感のある状況だ。
見た目上は何ら不自然なところはなかったが。
エルシアが何か応える前に、シェリが興味有りますな笑顔で言う。
「おっと、無気力モードでも愛しい妹の交友関係は気になりますかセルバん。僕と妹の親密度とか、気になっちゃう?」
無。
中庭を眺める。小鳥が増えたなと思う。
もう春かな。
「……失礼だねキミは! 僕のプレイボーイ振りを聞いて驚きたいの?!」
応答せずにいると、シェリがプンスカという擬音をバックに、人差し指を突きつけてきた。
「シェリのは、ホントにただ、友達が沢山いる感じだけどね」
微妙な感じで笑いながら、エルシアが言う。
「あ、エルシアまでひっどいなー。裏では取っ替え引っ替えヤっちゃってるかもしれないんだぞー」
シェリの発言に、エルシアが目をぱちくりとさせて小首をかしげた。
やるってなにを? そんな感じ。
そしてシェリの避難の眼差しが再びこちらへ。
あんたが過保護すぎるからだー。
知るか、冤罪だ。
「で、結局どうしてふたりは一緒にいたんだ?」
面倒なので話を逸らす。
もとい、元に戻す。
「先生のお手伝いで呼ばれて教員室に行ったら、シェリがいたのよ」
エルシアが応えた。
「今度の『遠足』の実行委員になっちゃったからさ、僕はその打ち合わせだよ。カロタスも一緒だったんだけど、監督生同士での別の会合がこれからあるとか言ってたからそっちとは別れて、エルシアと一緒に出てきたのさ」
遠足ね。
そう言えばもうすぐか。
「ああ、立候補したんだってな。去年の轍を踏まないようにと……」
「ちょ〜っと待った、セルバん! 怒らないからその噂の出処を、僕に教えてくれないかな?」
微笑みながら青筋を立てるという器用なことをしながら、シェリが聞いてきた。
おや? と、少し考える。そして、まあ別にいいかと、事実を答えることにした。
「クァータスがな、まあ噂というか、きっとそうだぜという予想を」
「ふ〜ん、そうなんだ〜。うん、大丈夫、仮に彼の屍が、ダナサス川を流れて故郷に漂着することになろうとも、セルバんが責任を感じることはないからね?」
シェリの周囲に暗く淀んだ感情のパルスがたゆたう。
それを観てエルシアが、これは事情を聞いていいことなのかな? どうしようかな? という顔をする。
遠足は、泊りがけのイベントだ。そして、班分けをどうするとか、誰と誰とを同じテントにするとかは、引率の先生と相談の上、実行委員が決めることになっている。
で、昨年シェリは、同じテントになった男子にめでたく告白されて、ついでに押し倒されそうになるという貞操の危機に直面していた。関係者の名誉のために、そっと伏せておいてあげるのが優しさだと思う。
だがその事件は遺憾なことに、オリーブ寮の寮生には広く知れ渡っていた。
何故と言って、告白した方の寮生が、別の寮に異動になったから。
寮の異動というのはあまり無いことだ。であるから一体何があったのかと話題になって、真実の追求こそが我が責務と調べ回った新聞部員がいたせいである。誰にとっても不幸な話だ。
「なんでか先生たちにまで、たまに誤解されてるような気がするけどね、僕にそんな趣味もないよ!? 女装しているわけじゃないし! ちょっと髪を伸ばしているだけじゃないか」
体型が華奢で顔立ちが美少女だからな。まあ、それは本人のせいとも言い難いことだが。
しかし百人が百人誤解するようなものは、誤解した相手だけが悪いわけでは、多分ないんじゃないかなと思うが。
まあ、無責任な部外者の感想だが。
「誤解されたくないのなら、坊主頭にでもしたらいいだろ」
気のない返事を返す。
「前にも言ったでしょ、白魔法使うと勝手に伸びるんだよ! 自分で切り揃えるにしても、誰かに切ってもらうにしても、これくらいの長さのほうがざっくりいけて楽ちんなの!」
そういえば、そんな事を言っていたかも?
その時は、
「この髪型が気に入っているのもあるんだけどねー」
と続いたので、ああ単なる建前かと納得したことを思い出した。
「反動? 白魔法には対応する緩和ギフトって、ないんだっけ?」
エルシアが小首をかしげる感じで尋ねてきた。
おやおや。
「んー、、、アブソーバーはねえ、あるのかも知れないけど、少なくとも僕は知らないな。そもそも身体活性の逆だと衰弱になっちゃうしね、自分に使うってのはゾッとしないかな〜」
シェリが自分の髪先を弄りながら応えた。
赤魔法に対しての断熱や、青魔法に対する絶縁なんかはわかり易いが、確かに生命操作である白魔法への対抗というのは、あまりピンとこない。こないというか、自分に使って大丈夫な感じがしない。
反動というのは、たとえば赤魔法のギフトに恵まれれば習熟次第で加熱や発火を自在に操れるようになるだろうけれど、しかし残念ながら本人の体が熱や炎に強くなったりはしないことで起きる様々な副作用のこと。
自分のギフトが引き起こす現象で、自身がダメージをうけたりしないためには、別のなにかそういう能力を授けてくれるギフトの獲得が必要となる。
ちなみに銀魔法を始めとして、使いこなせる者が居ないギフトの幾つかは、つまりギフトを発動することで発生するリアクションが耐え難いほどに大きくて、かつそれに対応できるアブソーバーギフトが見つかっていない為にそうなのだ、というのが通説である。
「ついさっきまで、ハーシェル先生の授業だったのか?」
それを授業で教える、ギフト制御の講師がハーシェル先生。
ハーシェル先生はそれに関する論文とかを何本も書いているそうだ。
読んだことはないが。
「ちー、がー、いー、まー、すー! それ、なんか絶対、すごく失礼な意図での質問だよね?!」
バレた。
覚えたての言葉だから使ってみたとかだろうかと思ったのだが。
男女で同席ではないだけで、共通の単位というのは幾つもある。
多くの場合で、先生は男女掛け持ちだ。同じ学園で学んでいるのだから、当然だが。
「うん。じゃあ、僕は大事な用ができたから、ここで失礼するね」
そう笑顔で言って、シェリが踵を返した。
少しフラフラと揺れている。
ふふふ、クァータスめ、今日を男としての奴の命日にしてやる。
ハサミだ。ハサミでジョキンとやってやろう。
すこしは人の苦しみが分かったらいいんだ。
そんな呟きが聞こえたような気がした、かもしれない。
とりあえず、友人のために軽く祈っておく。
祈る。何に?
さあ? 何にだろうかね。