5-23. 殲滅と追跡と臨床
祖国を愛しているか?
生まれ育った土地を愛しているか?
もし問われることがあれば「勿論だ」と答える。言うまでもない事という意味でだ。
肯定なのか、否定なのかは、尋ねる者が好きに取ればいいだろう。
さらに言明を求められるのであれば、どちらでも相手が望む方で応えてやる。
その場合は、自分が祖国だと思った場所が祖国だ、というレトリックの出番となる。
生まれ育った土地というのは何処までも地続きな大地そのもの。
もちろん愛しているし、憎んでもいる。豊作の年には感謝、飢饉の記憶には恨み節。
それなりに、うまく躱してきたつもりだったが。
「残念だよ、同志たち。お前たちの行く先は憤怒者の地獄か、異端者の地獄なのか。我が裏切り者の地獄に連行される途中で、また会えたら愚痴も聞こう」
黒炭と化した同志たちの亡骸に哀悼しつつ、ナタリアは地下室を後にする。
城外の、一見どこにでもありそうな小屋。しかしその床石を外せば、秘密の集会場。
肉の焼け焦げる臭いが立ち込めたここが使われることは、今後はもうないだろうが。
王女様の再訪こそまたとない好機!
今こそ我ら立ち上がり、不遜なる教会の下種共に思い知らそう!
人の話を聞かない莫迦どもめ。ナタリアは嘆息する。
期待を持たせるようなことを言ったかつての我にも責任はあるのだろう。
しかし、それにしてもお話にならない。
前に、ギークに語った言葉に嘘はないつもりだ。
我が目指すのは、トゥラ王国の汚名を濯ぐこと。
絶対の正義と標榜する教会に誤謬を認めさせること。
人とモンスターとが共存共栄する国家の成立が可能であることを示すことだ。
願わくば、滅び去った伝説の王国を現代に復興せしめること。
最後だけ、願望として語る。少なくとも我は、志してなどはいない。
願わくは、永遠の夢として、憐れな人々の希望で有り続けたまえよ。
そんな事にしか希望を持てない人々も居るのだから、だ。
トゥラ王国が滅びたのは、滅ぼされたのは、それは悲劇だっただろう。
だが、もう遠い昔の出来事である。いまさら復興も何もありはしないのだ。
無理を通すというのなら、それは単に、同じ名前の別の国を作ろうという試みに過ぎない。
大体にして、どうなれば成功と言えるのかというビジョンすらまるで共有できていないのだ。
復興しようという国が、果たして本当はどんな国だったかすら誰も知りはしないのであり、誰も彼もただ現状に対する不満を口にして、銘々が勝手なバラ色の未来を思い描いているだけだ。
共通事項としては、事成った暁に民族の英雄として祭り上げられ、永世大臣に殿堂入りして不労所得の年金生活を送れるはずだという妄想だけじゃないのか? そんなもの、必ずしくじって、ただでさえ迫害されているロルバレン人たちを、更なる苦境に追い込むだけだろう。
どうしてそんな愚挙に、この我が賛同すると思うのだろうか。
「モンスターの方がよほど素直だったり、理知的だったりするのは、何かの皮肉なのかね」
外に出て、見張りを頼んでいたテンテンと合流する。
だいじょうぶ? と尋ねられた。微笑んで、テンテンの小さな頭を撫でる。
「ありがとうテンテン、我が地下にいる間に、誰か来たか?」
撫でられつつ、プルプルと否定の体で振られる首。
ふむ、とナタリアは考える。
「そうすると、やはり見張りはギークの客か。城外まで付き纏ってきたことを考えれば、コロシアムから逃げたモンスターを追ってではないだろうな」
コロシアムから、凶悪なモンスターが脱走した。王都に潜んでいるようだ。
もし相手がその件で動いているハンターなら、ギークが城外に出たと確認できた時点で、仕事の完了を報告しそうなものだ。
「怪盗騒ぎの件か。やれやれ、奴も一体なにを企んでのことなのか」
耳を揃えて色まで付けて返された借金のことを考える。
まさかその為だけにということもないだろう。
しかし、根本的なところで、人間とは価値観や善悪の判断基準が違うのがモンスターだ。あり得ないとまでは言えないだろう。
「奴ってギーク? もう殺していい? あ! 殺すなら、あのショゴスとか言うスライム、わたし欲しいんだー。ナタリア、あれ飼い馴らせないかな? あのスライムベットにはちょっと興味が」
フレデリカがどこからか拾ってきたといって、ショゴスを出してきた時には目眩を覚えたものである。
「こらテンテン、仲良くしろと言っただろうが。向こうが牙を剥いてくるなら別だがな。そんなことではいつまでも友達に恵まれないぞ?」
左手を腰に添え、右手の人差し指で、めッとテンテンの額を小突くナタリア。
「ぶー、わたしにはナタリアがいるもの!」
我の余命などたがが知れているから気を揉んでいるのだがな。
困ったものだと、テンテンの頭を撫でくりしながらナタリアは苦笑する。
伝説通りのものが陰府で見つかれば、それが一番良いが、しかしさて、それは何処まで期待できるものなのだろうか。
◇ ◆ ◇ ◆
陰府に去ったかと思った追跡対象の痕跡を、まさか情報料を受け取りに来た狩人組合の本部で発見することになるとは思わなかった。
戸惑いつつも、ひとまずこれまで以上に慎重に、その痕跡を追ってみた。
しかしどうも真っ直ぐは辿れない。
唐突に途切れていたり、
行ったり来たりを繰り返しているようだったり、
めちゃくちゃだった。
どういうことかと、クロツァードは思索を巡らした。
たとえば十字路があって、その真ん中に立った時、多くの場所で四方全てに痕跡が伸びている。
その内、正解だろうルートは二分の一だ。
残りの二つは大概途中で途切れる。
これではまるで、こちらが<<追跡>>で後を追っていることに気が付いていて、それを撹乱しようとしているかのようじゃないか。
「気付かれているとすると、単独ではキツイな」
クロツァードはすぐにその結論に至った。
相手は追跡者の存在に気が付いていると考えるべきだろう。
密かに忍び寄ることは諦めよう。
適当なところでいったん追跡を切り上げて、再度教会に足を運ぶことにする。
なら、仲間を募って数で制圧するのが常道だろう。
後ろ暗いことがあるのはこちらではない。
数で追い詰め、追い込んで制圧すればいいのだ。
とはいえ軍団を指揮するようなことは自分の手には余る。
捕獲が目的だから、その辺りの手加減がきくメンバーで固めたい。
「四人か五人だな。捕縛要員が三人、俺を含めた残りが支援。尾行経験を重視するなら、モンスターハント組ではなく、賞金稼ぎ組を当たった方が良いかも知れんが……」
どういうチームを望むかを検討する。
あの教会の本腰の入れようからして、実現可能なものであれば大概の希望は通るだろう。
最近では教会の金庫を狙う正体不明の怪盗が出現しており、預かった金品の賠償もあって、教会の財政にはかなりの損害が出ていると聞く。
しかしそれでも情報料を出し渋る事はなく、こちらの提案通り陰府の捜索隊も組もうというのだ。
一方でなぜそこまでという興味も湧くが、あの副司祭の態度からすると、本人も実は知らないのだろうとクロツァードは踏んでいた。
もっと上から、大司教クラスからの指示に違いあるまい。
クロツァードとしても期待せずにはいられない。
この狩りを首尾良くこなせば、仕事とは言え、教会に対する大きな貸しになるだろう。
騎士に成る為には、諸侯と教会からの推薦が必要だ。
そしてどちらかと言うなら、後者のほうがより難しい。
ここで教会の後ろ盾が得られれば、夢が夢ではなくなるかも知れない。
功績に目を眩ませて、下手を打つことこそ恐れるべきだがな。
クロツァードは自戒する。
「人間に化ける事ができるモンスターが、自分の意思で狩人組合に立ち寄っているとなるとな。相手がハンターに化けている可能性まで考えるべきか」
もちろんそうではなく、依頼する客の立場かも知れない。
どちらにしても狩人組合の本部に立ち寄った事があり、今後もないとは限らないならば。
「公募する訳にもいかないな。知り合いで固めるしかないか。誰かいたかな」
◇ ◆ ◇ ◆
「ふむぅ、やはりダメであるな。そもそも本来、モンスターは<<再起の誓い>>にしても、<<不死の蛇>>にしても、ギフトを持つことはできても発動させる事はできないはずであるしな」
解剖の為にみじん切りにした、もはや微動だにさえしない妖鬼の遺体を前にして、血に染まった白衣を羽織るマッドサイエンティスト、ルベンは考え込む。
「やはり人間で試すしかないであるかね。しかし上位種族へ転生する可能性が僅かでもあるとすれば、聖騎士クラスに犠牲になって貰わなければならんだろうしなあ。まったく、頭の痛いことである。さすがにものは試しレベルの実験で聖騎士を浪費しては、弟達も良い顔はしないであろうし……」
そしてルベンは暗がりの宙を見上げて、<<千里眼>>を発動させた。
「ひとりは彼女でいいとして、、、うーん」
顔の上半分を赤い革の眼帯で覆った、金髪の女性の姿が視界に映っている。
「あとひとりかふたりは、サンプルを確保しておきたいところであるな。聖騎士クラスが無理なら、英雄クラスのハンターで妥協することも考えるとして、シメオン辺りにでも頼んでみるであるかね」
また、簡単に言ってくれるなと、呆れられそうであるがね。
手袋を外し、漆黒の頭髪をボリボリと掻き乱しつつ、ルベンは血臭漂う解剖台から離れた。
どちらにしても、すぐにとはいかない話だろう。今暫くはモンスター相手に根気強く実験を繰り返す日々になるはずだ。
ルベンは助手たちに、これまでの実験内容と、その結果とを整理し直しておくようにとの指示を出す。
サンプルが手元に届くまでの間は、既存の実験の成果を、なにか見落としがないか、改めて総ざらいにしておくとしよう。
「結局、本命の相手はいまだ見つからずであるしな。アラビィタがショゴスまで持ち出して行方掴めずとなると、さて何処に雲隠れしたものか」
そして久方ぶりに、彼は篭っていた地下墓地を後にした。
生憎の空模様で、小雨が肌に冷たい。
しかし見渡せば、草木はもうだいぶ芽吹き始めているようだ。
もうだいぶ、春が近いとみえる。
光陰はまさに矢の如しであるなと、ルベンは嘆息した。
春などつい先般過ぎ去ったばかりではないか。
いや、今思い起こしたのは、はて何年前の春の光景だ?
客観的に言えば、まだまだ時間はあるはずだ。
生れ落ちて、今日教会で洗礼を受けた嬰児の孫が、老衰で死ぬよりも長い時間が、彼等にはまだ残されていた。
しかし猶予が折り返し地点を過ぎてからもすでに久しい彼等の主観では、そうのんびりと構えてもいられなかった。
時間とは、これまでに生きた期間に応じて、加速して流れ去る物なのだ。
焦りがないといえば、嘘になるだろう。