表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国のお土産  作者: トニー
第五章:王都と怪盗
116/160

5-19. 盥の中の黒い粘塊

 旧トゥラ王国で洗練された魔物調教の極意といって、しかしその基本的な考え方は、犬猫を飼い馴らし躾けるそれと変わらない。

 アメとムチ、信賞必罰、そしてそれが通じるように、より通じやすくなるように、品種の改良を繰り返すこと。


 もちろん、その過程において、そして実践においても、ギフトの効能や補助は前提とされるが、ギフトだけでは実現しない。応用と組み合わせ、数多の研鑽と試行錯誤の積み重ねの末に成立する技術だった。


 今、アラビィダの眼前に置かれた大盥の中で黒々と蠢くそれは、そうした創意工夫と研究の、ひとつの集大成だ。

 それは、従順にして強力なモンスター。利便性が高く、ほぼどんな用途にも使える、万能の奴隷だった。


「本気ですかアラビィタさん、王都中にモンスターをばら撒こうだなんて。一匹二匹を閉鎖空間であるコロシアムの中で暴れさせるのとはワケが違いますよ? 不測の事態が起きても、とても回収しきれない」


 ラッグスが眉を顰めながら、盥の中で蠢く粘塊に目線を向けてアラビィタに問い掛ける。

 一部を光に透かせば濃い緑色、塊として見れば闇が淀んでいるように見えるそれは、ネトネトとヌメる虹色の粘液に塗れて、何とも言えない悍ましい悪臭を放つスライムだった。


「心配症ですねェ、ラッグス。安心なさい、これは、ショゴスは、我が一門の全盛期に、アルケミスト達が生み出した最高傑作です。出来損ないの試作品どもとはワケが違う。完成されているのです。不測の事態なんて、起こりませんよ」


 アラビィタが胡散臭くニタリと微笑み、風船のような巨体に不安を隠さないラッグスを諭す。


「あなたの<<広域探査>>で見付けられない以上、普段は姿形だけでなく魔素まで隠蔽、或いは変質させて潜伏していると考えられます。ならもう物量作戦で行くしかないでしょう。これの分裂体を至る所に潜ませておけば、あなたのギフトでは取り零してしまうような、瞬間的な魔素の高まりでも察知できますし、疑わしきを重点的、継続的に監視することもできる」


 ラッグスは、直感系統に区分される<<広域探査>>のギフト持ちである。

 このギフトは広い範囲を探ることができる代わり、即時性や精密さに劣るという欠点があった。


 ラッグスはその欠点を、ダウジングを併用することである程度補うことができる技術者であったが、それでもアラビィタが指摘した通り、瞬間的なエラーのようなものを捕捉するのは苦手であり、特定の対象だけをマークするのも不得手だった。

 それはギフトの特性上やむを得ないことであったが、アラビィタはその死角を補うための方法として、王都中におどろおどろしい異形のモンスターを放流しようと言うのだ。


「モンスターが漏れ出る魔素を隠すことなんて、できるんですかね? もう、単純に王都には居らんちゅうのが、ありそうに思うんですが」


 ラッグスは、王都に生まれ、王都で育ち、そして家族共々王都に暮らしている身である。友人知人だって王都在住が多い。その彼としては、アラビィタのやろうとしていることは、有効性は認めるにしても、賛同しかねる手段であった。


「城外周辺、主要な街道、最寄りの都市や農村、それぞれを管轄とする者たちによって、今も捜索が行われているはずです。未だ朗報はありませんが、捜索に当たっているのは皆、神に仕える敬虔な信徒たちであり、最善を尽くしているに違いないでしょう。最も重要なこの王都の捜索を任された我々が、まさか手段の出し惜しみなど許されませんよ」


 手段の行使に際して、そもそもアラビィタはラッグスの賛同を必要とする立場ではない。位階は同じ祓魔師であっても、チームのリーダーはアラビィタで、ラッグスはメンバーである。


 異議があるなら、アラビィタを説得する義務はラッグスの側にあるのだが、ラッグスはそれを早々に諦めた。どう見ても、アラビィタに聞く耳があるようには見えなかったからだ。

 普段使えない手段に訴える名分を得たことが楽しみで仕方ない。アラビィタの胡散臭さ全開な笑顔は、能弁にそれを語っていた。


 アラビィタは盥の上に片腕を突き出し、そしてもう片方の手に構えた小刀でもって、一切の躊躇なく深々と手首の動脈に切れ目を入れた。

 ドクドクと、溢れる鮮血が盥の中に、ショゴスと呼ばれた奇っ怪なモンスターの上に降り注ぐ。


「ヒヒヒ、ヒーハハハ、さあ愛しき者よ、小賢しくも人混みに隠れ潜む獲物を見つけておくれ。一は二に、二は四に、四は八に。数は多ければ多い程よいぞ」


 ギリギリまで血を注ぎ、手早く止血しながらアラビィタが狂笑する。血を大量に失ったせいだろう。顔色は紙のように白い。しかしその瞳はギラギラと輝き、そこには計り知れない妄執が宿っているように見えて、止血を手伝い手当てを行いながらも、ラッグスはいやな戦慄を覚えた。

 手段を目的と履き違えていなければいいのだが。


「五百十二は千と二十四、千と二十四は二千と四十八、二千と四十八は四千と九十六。増えて分かれよ、分かれて増えよ」


 アラビィタがブツブツと呟き、それに応じてなのか無関係にか、分裂して(2 >)分裂して(4 >)分裂して(8 >)分裂して(16 >)分裂して(32 >)分裂して(64 >)分裂して(128 >)分裂して(256 >)分裂して(512 >)分裂して(1024 >)分裂して(2048 >)分裂して(4096)、数を増やしたショゴスの群れが、大盥からワッと溢れて散ってゆく。


 虫や、ドブネズミ、放置された死骸でも、異臭放つ汚泥でも、散った先で取り込んで活動のエネルギーに転換し、余剰ができれば更に増える。放置すればいつか何もかもを喰らい尽し、王都全てを覆ってしまうのではないかとさえ、ラッグスには懸念された。

 もちろん、アラビィタはそうならないように制御するだろうが、例えば万が一、彼の身に何かが起きた場合にはどうなるのか。


「フゥ、さて、これで私は暫く動けません。ショゴスの制御で手一杯ですし、動き回るには血が足りませんからね。大神殿の地下(ここ)で静養していますので、あなたは騎士をひとりかふたり適当に借りて、捜索を続行してください。ショゴスが何か見付ければ、<<念話>>をしますからそのつもりで」


 フラフラと、ラッグスに肩を借りて起き上がりつつ、アラビィタが言う。ラッグスは頷いて、アラビィタを寝台のある部屋にまでゆっくりと運んだ。



 ◇ ◆ ◇ ◆



 <不可竄の猟犬>という二つ名を冠するクロツァードは、ベテランのAランクハンター。

 賞金稼ぎの筆頭ハンターである。


 彼には<<追跡トレース>>のギフトがある。

 このギフトを以てすれば、行方を眩ませたモンスターの一匹や二匹、見つけ出すのは容易いことだ。

 例えば捜索対象の血が一滴でも手に入れば、すぐにでも居所を掴むことができる。

 そのはずだった。


 捜索すべき妖鬼・・の血は、コロシアムですぐに手に入った。

 教会からの指名で請けた割りにはチョロイ仕事。あとの問題はソコソコには手強いだろうBランクモンスターを、さてどうやって生け捕りにしたものか。その一点だけだと彼は考えていたのである。


 クロツァードはそして、妖鬼の残り香を追った。コロシアムから移動した主な行き先は、傍にあった廃屋と、そして外北門の二つだった。その内、廃屋の方は単に立ち寄っただけのようだ。

 外北門からコロシアムを訪ね、そしてまた外北門から外に出たのだろう。ザルな警備だと、クロツァードはすこし呆れた。確かに妖鬼は人間に化ける能力持ちだが、言動所作にはどうしたって不自然さがあるはずだ。二、三問答すればすぐにおかしいと気が付きそうなものだろうに。


 その妖鬼は、王都の側で野営をしていたらしい。そしてそれから、ヘザファレート公爵領の方面に向かったようだった。楽な仕事かと思いきや、長い追跡行になるかもしれんなとクロツァードは嘆息した。

 食料他、長旅に必要な物資を買い込み、後を追う形でヘザファレート公爵領へと続く街道を往くこと数日、どうやら妖鬼は、ヘザファレート公爵領には入らず、国境近くの山岳地帯へと逸れたらしかった。


「追えたのは、今のところはここまでだ。つまり、陰府シェオルに続く廃坑に入った可能性がある。悪いがそっちの探索は別のハンターに頼んでくれないか。オレの専門からは外れてくる」


 クロツァードからのその報告を受けて、依頼者である助祭は額を揉んだ。

 陰府シェオルだと?


 妖鬼などどこから湧いてきたと思ったら、陰府シェオルから這い出してきたもので、そして既に戻った後だと言うのか。

 上層部からの強い意向によるこの捜索だが、これは暗礁に乗り上げてしまったのかも知れない。


 霊鉄や霊玉を発掘するため、浅い階層にこそ人も入るが、その深奥はだれも生きて帰った者のいない暗黒の穴だ。奥深くに逃げ込まれてしまったのだったとすれば、もうどうしようもない。


「……ご苦労だった。そちらは他に捜索チームを編成して当たらせることにしよう。お前には引き続き、王都周辺の捜索を頼みたい」


 中年の助祭は、羊皮紙に陰府シェオル捜索チームの編成希望と、情報料をクロツァードに支払う旨を書き付けて封をし、クロツァードに手渡した。

 書状はもちろん、狩人組合宛である。


「毎度どうも。だいぶご執心のようですな?」


 クロツァードが助祭に言う。

 助祭は嫌そうに彼を一瞥してから、早く下がれと彼にジェスチャーをした。


 上層部がなぜそうも件のモンスターにこだわるのかは、彼も知らない。

 なぜ生け捕りを厳命されているのかも分からない。


 すでに王都にはいないというのなら、もうそれでいいではないかと個人としては思う。

 しかしそう言う問題ではなかった。


 枢機卿クラスのあのこだわりようからして、もし自分が首尾よく件のモンスターを捕縛できれば、司祭どころが司教にだって出世できるかもしれない。

 一方で、アラビィダ辺りが功績をあげるようでは、自分の立場が怪しくなる。

 いっそ誰もが手の届かないところに言ったというのであれば、それならそれで仕方がないと諦めがつくというものだ。


 助祭の考えはおおよそそのようなものであり、クロツァードはそれを、固有名詞を除いてはほぼ正確に推察していた。俗物の考えそうなことという奴である。


 だからこそ彼は、妖鬼が廃坑に向かったと思しき痕跡を見つけて、そこで追跡を打ち切って王都に戻って来たのだ。

 この報告だけで、最低限の任務達成条件を満たしたと考えればこそであった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ