5-04. 人に潜みし魔を探す
形式としては、各国の領主、いわゆる諸侯達も、王の騎士である。
人類世界の権力は、王への忠誠で一枚岩に盤石だという建前なのだ。
もちろんそれは建前で、実態とは乖離がある。
事あるごとに金銭を寄越せ、兵を出せと言う王権と、民の困窮を訴えて抗う諸侯たち。
あるいは、理想や理念の実現を目指す王を、手前勝手な理由で抑え込もうとする諸侯共。
どちらの構図でも風刺画は描けるはずだ。それは視点をどこに置くかという話である。
王に命じられるがまま領民を酷使し、重税を課す領主が讃えられることはない。
しかし際限なく諸侯に妥協して、グズグズに総体を腐らせる王が賢明ということも無いだろう。
人それぞれに正義がある。何が正しいかは立場次第だ。
否、断じて否。
人それぞれの正義など、正義の名には値しない。
正義とは神のものである。
人の行いの善悪を決めるのは、何人にも冒されない神の権利だ。
神の目を晦ます事など出来はしない。
主の教えとその声とに耳を傾けよ。
そして各々が為せる最善を為さねばならぬ。
教会とはそれだ。
利害の衝突する王と諸侯の仲立ち。
後ろ盾となり大義名分を授ける者たち。
神が望んでおられる。諸侯よ、うだうだ言わず王の下知に従え。
王よ、その令は神意にそぐわぬ。疾く撤回せよ。
どちらでも、思うがままだ。
懺悔せよ。
悔い改めよ。
己の狭い了見を恥じるがいい。
そしてただ無心に信仰すべし。
「どういう状況だ! 説明しろ!」
白を基調とし、随所に金糸をあしらった、荘重壮麗で豪奢な衣装。
それがドタドタと駆け寄ってきて、ツバを飛ばしながら相応しく喚き騒いだ。
「助祭どの。見ての通り捜索中です。邪魔なので、邪魔をしないでいただきたい」
赤味がかった白髪をボリボリと指で掻きながら、実に迷惑そうにアラビィダが応じた。
真っ黒なトンビコートを羽織った、浅黒い肌の痩身。
今は胡散臭い黄色いレンズの丸眼鏡を架けていて、胡散臭さにますますの拍車がかかっていた。
しかし実はこの丸眼鏡こそが彼のトレードマーク。
彼は自らがコロシアムのトーナメントにモンスターの飼い主として参加するにあたって、トレードマークであるこの丸眼鏡を外すという変装をしていたのだ!
「ぬ、ダウジングか。見付かるのか!?」
助祭と呼び掛けられた、衣装だけが荘厳な中年男が、彼から見てアラビィタの後方にでっぷりとある、風船のごとく膨らんだ肉塊の所作を見て、そう問い掛ける。
昆虫の触覚のような二本の折れ曲がった針金が、その風船男の両手にそれぞれ保持されていて、なにやらフラフラと揺れていた。風船男の巨体と、針金の貧弱さが、なんとも滑稽だ。
ダウジングというのは、井戸掘りで針金や振り子を利用して行う、水脈探しの手法である。鉱脈探しにも有用だと主張する者もいる。異端審問に使用されることもあるので、聖職者にとってはそれなりに馴染みのある技術であった。
「いま言いましたがね、捜索中です。意味わかります? いま、まさに、見付けようとして、探しているところなんですよ。理解できたら、すっこんでてください」
風船男の名はラッグス、アラビィタの相方である。
彼は探索に集中しており、アラビィタと助祭とのやり取りには、一切の反応を示さない。
詰め寄ってきた助祭に対して、アラビィタはシッ、シッ、と野良犬でも追い払うように手を振った。
「こ、このっ、貴様、誰に向かって口を、、、」
どうやってか、衆人環視の中で忽然と姿を眩ませたモンスター。
色合いから判断するに妖鬼と思しき鬼族の変わり種。
彼らは探しているのはそれだ。
妖鬼は人に化ける種族特性持ちだとされている。
それが姿を晦ましたとなれば、人混みに紛れている可能性が高い。
そう思い、観客席を見下ろせる高所に来てみたのだが、邪魔が入った。
VIP席から、妖鬼を捜索する彼等の姿が見えたのだろう。変な所で目敏い豚である。
アラビィタはそう思い、肩を竦めた。
「助祭殿、こっちはこっちで探してますので、飼い主の方をお願いできませんかね? 偽名使ってたようですが、ありゃナタリアでしょ? ああ、知らんかな? Bランクのハンターですがね。なかなかイカした美女ですよ。とっつかまえて尋問でもしたらいいじゃないですか。好きでしょ、そういうの」
助祭の怒声をやり過ごして、アラビィタが言う。
ナタリアは覆面を被ったりボロい外套を纏ったりして変装していた。
しかし、アラビィタには彼女の正体がおおよそは割れていた。
正直、声を聞いた瞬間に分かったといっていい。
自身でどう思っているのかは知らないが、ロルバレン人のコミュニティでは、彼女は有名人なのだ。
どうせ変装するならもっと巧くやるべきだろう。自分のことを棚に上げて、彼はそう思った。
そもそも、鬼の遺骸、のはずだったものを回収しようと、コロシアムの掃除係たち、その実教会の回収屋たちがリングに上がろうとしたとき、恐らく威嚇のつもりなのだろうが、それを制止に掛かったナタリアの周囲には火の粉らしきものがクルクル舞っていたからな。あれじゃ赤魔法使いなのがバレバレだ。もちろん金属武器が手元にない状態だから、実害が出るようなものではなかったわけだが。
「うぬ、くっ、差し出口を。……、……、仕方ない、儂は飼い主をあたる! お前たち、逃げた鬼を見付けたら、すぐに報告を上げろよ! 逃がすんじゃないぞ!!」
今度は、バイバイと言わんばかりに手を振るアラビィタ。
まあなんだ、そのご立派な衣装の裾でも踏んづけて、階段を転がり落ちたらいいだろう。
アラビィタは冷笑した。
教会には、モンスターを研究する機関がある。
モンスターは人類共通の敵だ。教会の主流派はそう教える。
だからこそ、敵を研究する機関が必要なのだ。
その機関の構成員は、そう訴える。
どんな特性を持っているのか。弱点は何か。どれ程の脅威なのか。
そうした情報はモンスターを狩ろうとするときにはとても有用なはずである。
恐らく初めは、そういったことを調査して公表する、純粋にそのための機関だったのだろう。
「ただの鬼じゃないと、踏んじゃあいましたがね」
そのように呟いて、アラビィタは、ヒッヒッヒ、と胡散臭い含み笑いを漏らす。
「まさかねえ。どっちなんでしょうねえ。元から妖鬼で、それが鬼の化粧をしていたのか。それともなのか。前者だろうとは思いますがね」
昨今やや行き詰っていた、狂化技術とキメラ技術の研究開発。
それらの今後の将来性を占う意味くらいしかなかった今回のお披露目会だったが、予想外のあたりを引き当てたかもしれない。
「いやはや、もしそうじゃないんだとすれば、ヒッヒッヒッヒッヒ。ルベン師が聞けば、諸手を挙げて大喜びしそうなネタじゃあないですか」
転生による種族進化らしきものは、さすがに錯覚である可能性も高いが、もしそうでなかったとすれば、事実その通りであったとすれば、心が躍る。期待せずにはいられない。
「主よ感謝します、この出会いに、となればよいのですがね」
そしてまたそうではなかったにしても、種族特性として変身能力を備えるという妖鬼は、特にキメラ研究の素体として実に魅力的と思える。
停滞を打破し、新たなステージに次の一歩を進めるための、偉大なる助けになってくれるのではないか。
「……フゥ、ここは、モンスターが多すぎて、分かり辛くてかないません。でもたぶん、フゥ、もう余所に行ってしまったんじゃないかと、思います。怪しいのはあっち、外北門の方向ですわ」
布巾を取り出し、額の汗を拭いながら、ラッグスがアラビィタへと告げた。
ラッグスの言を聞いて、アラビィタは舌打ちをする。心配だ。
「それはまずいですね。早く保護しないと」
軽く周囲を見回して、アラビィタは外に出るためのルートを考える。
少し遠回りになったとしても、人混みになっている場所は避けたい。
「聞いている話では、妖鬼は人間の娘に変身できるということですが」
ルートを定めて歩き出す。ラッグスもその後に続いた。
「見た目はともかく、言動がどうしても不自然になってしまうそうですからね。城門を潜ろうとした際に門衛あたりに看破されて、手打ちにされてしまわないとも限りません」
どうせなら生け捕りにしたいですからね。アラビィタは呟いて、そして考える。
妖鬼となればBランクのモンスターだ。決して脆弱ではないだろう。
しかし王都の門衛数人がかりを全て打ち倒して、城外に逃走できるほど強力な相手かというと、そこまでではないはずだ。
同格の鬼族でも、戦闘に特化した種族特性を持つ赤鬼であれば、或いはそれも可能かもしれない。
しかし妖鬼のようなトリッキーな種族特性持ちは、正体を看破されてしまえば、ランクの割には弱いというのが通例なのだ。
「ああ君、悪いけれど、妖鬼の捕縛手配を、この付近にある狩人組合の、何件かに出しておいてくれないか。コロシアムに出場していたものだが、逃げ出してしまった可能性がある」
コロシアムから出てすぐに、顔見知りの守門に目を留めて、アラビィタが声をかける。
守門の青年は、それを聞いて驚いたようだったが、すぐに神妙な顔になって頷いた。
ここは、モンスター同士を娯楽のために戦わせているような場所である。
いつかそうしたことが起きても、決して不思議ではなかったのだ。
「捕縛が望ましい。可能な限り生け捕りでというのを、条件に付けておいてくれ。依頼者と、それから手形の名義は、ここの責任者である助祭殿の名前で頼むよ。助祭殿には私の方から話は通しておく」
よくも城内でこんな危険な興行を行う許可が出たものだと、誰でも考えるだろう。
もちろん教会の権威あってこそだが、王都の構造あってのことともいえる。
王都の城壁は三重構えになっている。コロシアムがあるのは、城内といっても一番の外側だ。
だから万が一事故が起きても、高貴な方々が暮らす居住区の安全は担保されている。
故に許可が出たのだろうというのが、アラビィタの予想であった。
「承知しました。アラビィタ殿はこれからどこへ?」
守門も聖職のひとつである。
基本の業務は教会の門の前に立って、信者の応対をすること。
その他、釣鐘を鳴らしたり、教会およびその周辺の警備をしたりといったこともする。
この青年が今ここにいるのは、助祭の随行でに違いなかった。
「捜索に出るところですよ。妖鬼は人に化けるそうですから、君も警戒は怠らないように」
警備役を務めることがあるといっても、守門達は兵士ではない。
彼らはせいぜい木の棒くらいしか携行しないし、十分な戦闘の訓練を受けているとも言い難い。
だからアラビィタはこの青年に、捜索に同行することは求めなかった。
狩人たちに依頼を出しておくのは、ご利益があれば儲けもの、程度の考えだ。
大して宛にしてはいない。なぜなら狩人たちもまた、城内では武器を振るえない者たちだからだ。
城内に逃げ出したモンスターの対処には、ほとんど役に立たないだろう。
とはいえ門衛が間抜けで、妖鬼を城外に逃がしてしまうことも、やはりあり得る。
王都の門を守る兵士たちは決して愚か者揃いではないが、しかし漏れなく精鋭揃いというわけでもない。
ラッグスは、歩きながら再びダウジングロッドを操っていたが、すぐにある一方を指差した。
指差す先は、現在地からそう離れてはいない場所。
人が住んでいるのかどうかも怪しい、薄汚れた建物が複数立ち並んでいる一角。
そこにあった、廃屋と思しき建屋の前に、二人は来た。
これはおそらくは、コロシアムの建造以前からあった住居だろう。
コロシアムの喧騒を嫌って住民が立ち退き、次の買い手もつかないまま放置された廃屋。
アラビィタの目には、そのように見受けられた。