第3話「ドランカー・マネジメント」
プロローグ
最初に、もしあなたが七色の味を持つ神秘のフルーツや、どんな怪我・病もたちどころに治す聖なる泉や、人体に眠る秘密の力を呼び覚ます魔法薬を夢想してここにいるなら、別の物語を探すことをオススメする。この物語の舞台は魔法と科学の融合した魔法文明でありながら、こちらの世界とほとんど変わらない。大部分のサラリーマン達にとっては、最も偉大な魔法薬は仕事上がりのビールか、残業中に飲む栄養ドリンクだろう。
とはいえ、決して無味乾燥な世界の話をしようとしているわけではないことは断わっておく。料理を美味しくする最大の魔法は、食べる者への真心であることはこちらと一緒だ。気心の知れた仲間達との食事のひとときが、どんな回復魔法よりも効果があるかもしれない。
さて今回の物語は、シタマチの地ビールを巡る地域活性化にまつわる話なのだが、まずは秘密のベールに包まれていたあの社員について話し始めなければなるまい…
1
正午のチャイムが鳴り、シタマチの学校や会社は一斉に昼食ムードとなった。
「よし、メシ行くか」
靖国が立ち上がり、オフィス内を見渡す。
「あ、はい」
その日その場にいたのはサキと、経理の水戸シズカだけだった。
「…混む前に行きましょう」
水戸はてきぱきとデスク上を片付け、靖国とともに出て行く。
「待ってください!!」
サキも慌てて後を追いかけた。
三人は近所の定食屋に入り、席に着く。
「お前ここは初めてだったな?ランチセットは納豆お代わり自由だぞ」
「納豆?あたし納豆は苦手で…」
サキが遠慮がちに呟いた。
「それならこれをどうぞ」
水戸はハンドバッグから小瓶を取り出した。
「何ですか、これ…?」
サキは何やら粉末の入った小瓶を手に取る。
「魔力で味を変えられるオリジナルの魔法調味料です。私も納豆は苦手でしたが、これで食べられるようになりました」
水戸はニコリともせずに言った。
「フン、邪道だがな…」
靖国は苦々しく小瓶を睨んだ。
「わぁ、試してみます」
「お待たせしました!!」
丁度その時、3人分のランチセットが届いた。
「好きな味をイメージしながら、瓶に魔力を込めつつ振りかけてください」
水戸が言い、まずは自分の納豆にキラキラ輝く粉末を振りかけた。
「うーん、好きな味…?」
サキはイメージを膨らませた。ハンバーグ、カレー、ショートケーキ、ナポリタン、鯖味噌、シュークリーム…一つに絞れない上に、どう考えてもスイーツが頭をよぎってしまう。考えがまとまらないままサキが粉末を振りかけると、納豆の糸が通常の何十倍にも膨れ上がり、あっという間に小鉢からはみ出した。
「おい、何だそりゃ!?」
さすがの靖国も、机の上で猛烈に増殖していくこの異様なネバネバ物体を”食品”とは認識できないようだ。
「俺まで出入り禁止になっちまったじゃねーか!!」
三人は定食屋から出て、コンビニで改めて昼食を買い直していた。
「私の計算では、あんな状態にはならないのですが」
水戸は冷静に売れ残りのおにぎりを見定めている。
「ごめんなさ~い」
サキの持つカゴに靖国と水戸は次々食料を入れて行く。
「しかし今の魔法は商品化できねぇかな?うまくコントロールできれば、納豆好きならたまらないと思うんだが」
「どうでしょう?増えていたのは糸だけみたいですし。それにあんな偶然できた魔法をコントロールできるとも思えないのですが…」
水戸も首を傾げる。
「お前、やってみろ。今回の罰だ」
靖国はサキを指さした。
「うぇ~、納豆苦手なのに…」
2
「あ、いたいた」
「?」
コンビニを出た三人の前に、二人の男性が駆け寄ってきた。片方は背の低い小太り男で、小奇麗なスーツに身を包んでいる。もう一人は対照的に痩せており、くたびれた白衣がだいぶ汚れている。
「ちょっとあなた、来てください!!」
痩せた男がサキの手を引っ張った。
「え、あたし?何で!?」
サキはわけがわからないまま二人の男に連れ去られた。
「…これ、どうしましょう?」
水戸の持つ袋には三人分の食事が入っている。
「知るか…サボりやがったら、オレが食っちまう」
靖国は頭を掻いた。
新しい三人組がやってきたのは、小さな酒造会社「越後酒造」だった。
「申し遅れました、私はここの社長です」
小太りの男、越後社長が名刺を差し出した。
「商品開発部の淀川と申します」
痩せた男も名刺を差し出した。
「頂戴いたします…あ、あたし名刺忘れてきちゃった」
サキはポケットを探ったが、サイフ以外は何も入っていなかった。
「結構結構。あなたはまほうカンパニーの新入社員でしょう?靖国クンはこの辺では有名人だ」
越後社長は笑いながらサキと握手した。
「実は私達、あの定食屋に居たのです」
淀川は目を輝かせながら言った。
「あ、じゃあ、さっきの納豆も…?」
「そう、まさにあれが我々に必要なのです」
淀川はタブレット端末の画面をサキに見せた。
「勝手ながら、先ほどの納豆の糸をこっそり調べさせていただきました。どうも魔法の力で納豆菌が異常繁殖しているようなのですね」
淀川は画面に次々データを映し出すが、サキにはサッパリ意味が分からない。
「つまり…どういうこと?」
「私の計算では、あの魔法をちょっと工夫すれば、酵母や乳酸菌を活性化させる魔法が生まれる…発酵食品界に革命を起こせる可能性があるのです!!」
淀川はサキの顔面に端末を押し付けた。
「か、革命…?」
サキは慌てて端末を押し返した。
「早速わが社のビール製造ラインに組み込みたいと思い、あなたをお呼びしました」
越後社長が再びサキの手を握った。
「え~…でもあれは偶然で…」
「どんなに偉大な発明も、最初は偶然の発見だったりするものです」
淀川の端末には、サキでもかろうじて見たことぐらいはある偉人たちの顔が次々映し出されていく。
まほうカンパニー㈱
「…それで共同開発を持ちかけられた、と?」
靖国は不機嫌そうにおにぎりをかじりながら、サキと念話している。
「越後酒造…同じシタマチの中小企業だ。決して有名な会社ではないけど、業績は悪くないようだね」
北大路がパソコンの画面を見ながら言った。
「それならシズカを行かせるから待っとけ」
靖国が言うより先に、水戸は出かける準備をしていた。
「わかっています。あの調味料を作ったのは私ですし、権利関係は赤坂さんに任せておけませんから。セーラさん、箒借ります」
「オッケー♪」
しかしセーラが言い終わるより早く、水戸はオフィスから出て行った。
「彼女はああ見えて魔法薬学と魔法科学の博士号も持っている。ひょっとしたら、サキちゃんの出番はないかもね」
北大路がセーラに説明した。
「へ~、ハカセなんだ…」
「だが少し律儀すぎるところがある。意外とあの新人みたいな何しでかすかわかんねェヤツの方が、功績残したりすんだよ。少しはシズカにも刺激になれば良いが…」
靖国はニヤリと笑った。
「ヤスさんは新しいビールに興味があるだけじゃないんですか?」
北大路とセーラがクスクス笑った。
3
越後酒造
「…そういうわけですので、私が協力します」
水戸は二人分の名刺を越後社長と淀川に渡した。
「おぉ、これは心強い」
越後社長は水戸と握手した。
そこからは完全に水戸のペースだった。博士号を二つも持っている彼女がなぜ小さな魔法会社の”経理”に収まっているのか、サキはまざまざと見せつけられた。まほうカンパニー㈱の社員がどんなに奇妙奇天烈な魔法(らしきものの原型)を開発しようと、経理の視点から予算や納期に見合うよう修正・微調整を繰り返し、ついに製品として最終形を見られるようになるまでには水戸の手腕が必要不可欠なのである。もともと魔法調味料を作った本人でもある水戸はうまくサキを誘導し、あっという間に「酵母を活性化する魔法」の実用化に至った。
「素晴らしい…これを製造ラインに組み込めば…」
淀川が興奮した。
「えぇ。ただし現状のビール製造器にこれをそのまま導入した場合、不具合可能性のある部分が25か所も…ですがこのように対策すれば…」
水戸は合間に作った改装計画書を見せ、淀川と集中して話し始めた。
「ふぇ~…水戸さんってすごいな…」
サキは感嘆した。
「ふむ。しかし肝心なところはあなたの手柄になるよう、全て計算して動いていた。とても優秀な縁の下ですな」
越後社長もうなずいた。
「あたしもいつかあんな風になれるかな…?」
「私のようになんて、なってもしょうがないですよ」
「!?」
水戸はいつの間にかサキの横に居た。
「必要な指示は全てしましたが、改装工事と製品化には時間がかかります。私たちは通常業務に戻りましょう」
「え、あ…通常業務…ですよね?」
水戸はさも当たり前のように言い放ち、サキは肩を落とした。
4
数週間後
越後酒造から新製品の地ビールが発売され、シタマチ中でキャンペーンが展開された。サキと水戸、およびまほうカンパニー㈱社員はスペシャルアドバイザーとして、公園でのビアガーデン試飲会に招待されていた。
「あの納豆騒動から、よくここまでやったもんだ」
靖国はビールに舌鼓を打っている。
「いやぁ~、ほとんどお二方のおかげですよ」
淀川は靖国のコップに再度ビールを注いだ。
「今回はあたしはほとんど何もしてませんけど…」
サキが見つめる先には、キャンペーン担当の越後酒造社員達に的確な指示を出している水戸の姿があった。
「あいつがいるから、俺達はどんなささいなアイデアでもとりあえずやってみることができるし、何としても成功させたい仕事は大抵うまくやってくれる」
靖国も頷きながら、地ビールをぐいと飲みほした。
「赤坂さん、これを」
水戸はサキに紙の束を渡した。
「市役所と連携して、明日から地域振興券を配ります。印刷しておいてください」
「わかりました!!」
サキも嬉しそうに答え、会社に戻っていく。
「いやはや、想像以上ですな」
サキと入れ違いに越後社長が現れた。
「こいつぁ社長さん、お先に頂いてますぜ」
靖国はすっかり出来上がっている。
「ところで水戸さん、少々ご相談が…」
越後社長が言い、水戸と共にその場を離れた。
「…あれから越後社長について調べたんですけど、あまり良くない噂を聞きますね。お金にがめついと言うか…」
北大路が靖国に耳打ちした。
「まぁ大丈夫だろ…それより眠くなってきたな」
靖国は大きなあくびをした。
「あたしも…何か…」
セーラや地域住民たちが次々眠り始めた。
「おやおや皆さん、良い夢を…」
淀川がニヤリと笑った。
5
「このくらいでいいかな」
コピーを終えたサキは会社を後にした。外はいつの間にか霧が出ていた。
「変な天気…」
サキは急いで公園に戻ろうとした。
「ん~!!ん~!!」
「えっ!?」
建物を出たところで、サキは路地から唸り声が聞こえた気がして様子を見に行くと、ロープで縛られた淀川が這いつくばっていた。
「淀川さん、なんで!?」
サキは慌てて淀川に駆け寄り、口を開放した。
「へ、変な奴が、私になりすまして…ビアガーデンが…!!」
淀川は震えながら呟く。
公園裏手
「これだけ言ってもダメかね!?」
越後社長は憤慨した。
「提供した魔法技術の特許は私と赤坂さんの物です。利益配分については交渉の余地はありません」
水戸はきっぱり言った。
「くっ…小娘が調子に乗るな!?」
越後社長は水戸に襲い掛かった。
「これはチャンスなんだ。会社を大きくする、最後のチャンスなんだ!!」
越後社長は水戸の首を絞める。
「そんな事を…しなくても…相応の、報酬は…」
水戸は意識が薄れていく。
「むっ、うぅ…?」
しかしそれより先に、越後社長が意識を失って倒れた。
「これは…?」
水戸は越後社長の様子を調べるが、ただ眠っているようだ。
「水戸さん!?」
そこにサキと淀川が現れた。
「大変なんです!!淀川さんの偽物が…!!」
サキの言葉と越後社長の変化から、水戸はおおよその事情を把握した。
「すぐに会場に戻りましょう」
「困るんですよね~、シタマチの振興だなんて。こんなことされちゃうと私たちの邪魔なんですよ」
ニセ淀川は用意した睡眠魔法入りビールで全員が眠ったことを確認すると、飾り付けられた提灯を一つ取った。
「ここで大火事でも起きれば、地ビールはオシマイですかね」
ニセ淀川はニヤリと笑った。
「そこまでよ!!」
そこにサキ・水戸・淀川が駆け付けた。
「あらら~、お嬢さんたちに助けられちゃいましたか」
ニセ淀川は本物を睨みつけた。
「それで、何か武器になりそうな魔法は?」
水戸が聞き、サキはポケットを探ってみる。
「とりあえず、これを!!」
サキが『犬歩棒』を投げつけると、棒は犬のようにニセ淀川に向かっていく。
「これはまた奇妙な…」
しかしニセ淀川の周囲には酒の匂いが充満しており、棒は酔って眠ってしまった。
「うっそ…お酒は効くんだ?」
「予想外のデータが取れそうですね」
さすがに水戸の反応はどこかズレている、とサキは思った。
「あまり手荒なことはしたくないので…」
ニセ淀川はポケットからストローを取り出した。
「『夢心地』!!」
ニセ淀川はストローからシャボン玉状のビールを吹き出す。これが靖国達を襲った魔法の正体だ。シャボン玉がサキ達の周囲で割れると、金色の霧が噴出した。
「赤坂さん、直接吸わないように!!」
水戸が言い、二人は慌てて口元を覆った。しかし淀川は間に合わず、霧を吸って眠りについてしまった。
「良い夢を。ちなみにあなたはこれで二度目ですけどね」
ニセ淀川はニコニコしている。
「近づくこともできない…でも私たちは戦闘できそうな魔法なんて持っていない…」
水戸は半ば諦めてしまっているようだ。
「でも、このままみんなを放っておくなんてできません!!」
サキはポケットから地域振興券を取り出した。
「もしかしたら…うまくいけば、ここから剣が出てくるかもしれないんです!!」
サキは地域振興券を高らかに掲げた。
「は、剣…?」
水戸は呆れてしまった。
「おやおや…大して飲んでもいないのに、もう酔っているのですか?」
ニセ淀川はさらに大量のシャボン玉を噴出した。
「お願い…何かよくわからないけど、あの時の剣、出て!!」
サキはビールの霧に包まれたが、それとほぼ同時に券が光を放った。
「うまく…いった…?」
サキは手に握りしめた「地域振興”拳”」を見つめながら、意識が遠のいて行く…
6
「何だ…?」
ニセ淀川の前に、サキが黙ったままふらふらと現れた。
「どうやって耐えたか分かりませんが、痛い目を見ないとわからないようですね」
ニセ淀川はサキに手を伸ばすが、サキは流麗な動きで躱し、逆にニセ淀川の脇腹に裏拳をヒットさせた。
「こいつ…どこにこんな力が!?」
ニセ淀川はサキにビールを直接かけるが、サキは全く怯まずに二発、三発と連続ボディブローを放つ。何とかニセ淀川が反撃しようとするも、サキはするりするりと身を躱していく。
「まさか…これは…酔拳!?」
「ホアチャー!!」
「!?」
サキの一撃が顎にクリーンヒットし、、ニセ淀川はKOされた。
「フーッ、フーッ…」
しかしサキもその場に倒れてしまう。
「何だったの、いったい…?」
何とか霧を吸わずにいた水戸は、一部始終を見ていた。水戸は足元に落ちていた「地域振興”拳”」を拾い、サキと交互に見た。
「こんな魔法、聞いたことない…」
7
翌朝
水戸の通報によりニセ淀川は逮捕された。そして水戸は越後社長を呼び出した。
「すんませんでした!!酒の勢いとは言え…」
越後社長は水戸に土下座した。
「あなたが私にしたことは、2人だけの秘密にしておきます」
水戸は越後社長の肩に手を置いた。
「い、いいんですか…?」
越後社長が顔を上げる。
「その方が会社の利益になるからです。あなたにはきっちり地ビールを造り続けてもらわなければなりません」
水戸は、少し離れた場所で待っているまほうカンパニー㈱の社員達を見渡す。
「そして何より、彼女の顔に泥を塗りたくありませんので…」
水戸はサキを見たときニヤリと笑った。
「あ、水戸さん!!」
サキ達の元に二人が戻った。
「さぁ、急いでここを片付けましょう。早くしないと、通常業務の時間ですよ」
「通常業務…ですよね?」
サキがうなだれた。
「おいおい、今日ぐらいいいじゃねーか…」
靖国は二日酔いの頭をさすりながら呟いた。
「ダメです」
水戸は靖国を睨みつけ、キッパリ言った。
「しょうがないよ、さ、片付けよう」
北大路が言い、一同はゆっくりと散らばり始めた。
「赤坂サキ…興味深いですね」
その晩自宅に戻った水戸は、ノートパソコンに何やらサキに関する情報を入力し始めて…?
エピローグ
いかがだっただろうか。酒は飲んでも飲まれるな、ということが読者諸氏にも伝えられただろうか。
まほうカンパニー(株)だけでなく、シタマチには様々な中小企業がひしめき合っている。そして彼らの生活を脅かす者達の存在もまた、シタマチが魔法経済特区であるがゆえなのだが、これについてはまたの機会に語ることにしよう。
そしてもう1人、初めて物語に深く関わってきた水戸シズカについても、何やら不穏な動きを見せている。
もしあなたがこの続きを読むことを望むなら、近い将来またお目にかかろう。繰り返すようだが、この物語には歴戦の戦士達が夜な夜な集う古びた酒場も、仲間を集めて未知のダンジョンに挑むギルドも、魔法薬の扱いに長けた老魔女も出ないだろう。代りに出てくるのは、地ビール造りに勤しむ中小企業や、労働者の権利を守るために戦う組合や、会社の縁の下を支え続けるインテリメガネの魔法OLくらいのものだ。きっと次もごくごくありふれた平和な物語が待っているに違いない…