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灰桜  作者: 名瀬薫
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一話

「色喪失現象が確認されました。繰り返します、色喪失現象が確認されました」


「良き数日を送れるよう落ち着いて行動してください」


「繰り返します……」



雪が降るかのように桜は空を流れている。


平日だというのに、町一番の自慢の桜通りには多くの人が上を見上げながらのんびりと歩いている。


出勤途中だっただろうスーツを着たサラリーマンもいれば散歩に出てきた老夫婦もいる。


今日の朝に流れた放送を皆聞いたのだろうどこか寂しげだ。


そもそも放送がなければこんな数の人がこの時間にのんびり歩いていることなどないのだが。


一ヶ所歩く人々が立ち止っている場所があった。


皆が歩き、立ち止まる中僕だけは走りながらちらりとだけ確認する。


赤い屋根の定食屋さんが皆に豚汁を配っていた。


もう一度来るころには無くなってしまうだろうか。


寂しげな雰囲気の中に暖かな湯気を灯していく豚汁に一瞬意識を奪われる。


しかし頭の中の彼女は僕を走らせる。


「パニックになる恐れがありますので走らないでくださーい」


交通整理に出てきた警察官に注意されるのも無視して僕は走った。


歩く家族が、カップルが、犬が、走り抜ける僕を振り返る。


痛む肺も無視して走る。


どれだけ走っても真っ白になってくれない頭の中で祈った。


今日こそ彼女は目覚めているだろうか。


彼女が眠り続けて過ごした時間の間に世界は少し変わってしまった。


そんなことは関係なく今日も彼女は眠り続けているだろうか。


願わくば今日こそはっ……。


もう何度祈ったか、願ったかわからない無能な神様に今日も祈りながら僕は彼女のもとに駆け付けた。


外の世界とは二つの扉で切り離されたようにそこはいつも通りの時間が流れていた。


食事を運ぶ人、点滴台を歩行器代わりにトイレに歩く人。


全く普段と変わらない光景だった。


「彼女もいつも通りなのかな……」


口から漏れたつぶやきを否定するために歩行と呼べる限界の速さで彼女の部屋へ向かった。


祈りながら部屋の重い扉を横に引く。


部屋の窓に切り取られた風景には桜の花が写り確かに時の流れを理解させる。


しかしそこに眠る彼女はここに来てからその桜を見たことは無い。


自分がこんな場所で寝てることも理解していないかもしれない。


壁一枚の差で流れる時の速さは変わってしまうのだろうか。


今日も彼女は変わりなくそこで眠り続けていた。


眠る彼女の横に立つとさっきまでの変化を望んでいた自分は小さくなり、変わりがないことは最悪な事態ではないと安心する自分が現れる。


そういえば今日は慌てていたから花も持ってきていない。


僕は眠る彼女にすら振り回されているのか。


少しは強くなったはずと彼女が元気だった頃を思い出す。


一緒に桜まつり来たなぁ。


まだ二人とも制服を着てた。


手を繋ぐのにも口実をいちいち探していた頃だ。


ベタだけどはぐれると大変だからなんて言って手を繋いでた。


あの日の桜はずいぶん綺麗な桜色だった。


視線が泳ぎまくってしょっちゅう上を見てたからよく覚えてる。


手をつなぐと最初は反射のように手汗が染み出してきてたけどそのうち気にしなくなって同時に汗も出なくなるんだよね。


あの日、手をつなぐのに慣れてきた頃彼女はチョコバナナの屋台を探してた。


ボタンを押して光るランプでおまけを決める店は信用ならないってじゃんけんの屋台を探してたね。


君はじゃんけんに見事勝っておまけをもらってたけどそのうち一本を


きゅうりの浅漬け食べてた僕の口に突っ込んできたのはちょっとやめてほしかったな。


かなり気持ちの悪い味だった。


向けられた抗議のまなざしを見事に無視して彼女は笑っていた。


眠り続ける彼女は夢を見てるのだろうか。


あの桜まつりを何度もループしてたりするのだろうか。


それとも眠り続ける原因になった事故の記憶から抜け出せないのだろうか。


桜の香りを感じたら少しでもいい夢が見れるかな。


今日は花を持ってくるのも忘れたし桜の枝取りに行こうか。


先程見た桜を思い返す。


「あの時の桜に比べたら色が薄かったな。山のほうで咲いてるのなら綺麗な色したのがまだあるかな」


彼女に話しかけながら今日の予定をまとめる。


「桜は虫がついてるからどこかで軍手買わなきゃだ」


「そういえば今日はまだ何も食べてないな」


「豚汁まだあるかなぁ」


日が強く当たらないように少しカーテンを動かしたり、彼女の髪をひとしきり撫でながら今日の時間割は決定した。


彼女の額に手を置いて聞こえるはずのない「行ってらっしゃい」を待つ。


「行ってきます」と彼女に伝えると僕は部屋を出た。


外に出ると目に飛び込んでくる町はすでにずいぶん色を失っていた。


来るときに見た桜はもう完全に真っ白になっている。


公園の木々からも生命力を感じる色彩は失われていた。


少し前の方から大きな泣き声が聞こえ人だかりができている。


走りながら様子を伺うと「白い」毛並の犬が号泣するおばさんに抱えられていた。


周りの人々の反応は慰めの言葉をかける人、目をそむけながらもその場を離れない人、反応は大きく分けてその二つだ。


おばさんの肩に手を置く小太りのおじさんも覚悟した顔に青ざめた心情が滲み出していた。


今日は走っても走っても頭が真っ白になってくれない。


目を背け肺が痛むのも無視して走るペースを上げた。


何があったと駆け付ける警察官とすれ違いざまに再び注意されるが注意を聞く気はなかった。


桜通りの終わりが見えてきた。


「ちょっと待ち」


ちょうど豚汁を配っていた辺りでおじいさんに手をつかまれた。


「ずいぶん青い顔して走っとるな。良くねえなあ」


無視しようにも一度止められた足はすぐには言うことを聞いてはくれなかった。


「息子が豚汁作っとる、食ってきな」


もう一度豚汁を作って配るつもりらしい。


先を急ぎたいのはやまやまだったが走った直後だというのに


朝から何も食べていない僕の若い体はエネルギーになるものをよこせと主張してきた。


「ほら、お前の腹もそう言っとる。食っていけ」


「ありがとうございます」


「おう、まあ作るのはわしじゃないけどな」


カラカラと笑いながらおじいさんが差し出してきた水を受け取り一気に飲みほす。


ゴホッゲホッ!


酸素を求める肺が喉を潤す邪魔をした。


「もう少しで豚汁もできる、それまで少し息落ち着けてな」


むせた拍子に出てしまった鼻水をかむためのティッシュまでおじいさんは差し出してきた。


ありがとうございます、お礼を言いながらティッシュを受け取り僕はガードレールに腰を落ち着けた。


一度息を大きく吐き出す。


上下する肩の動きが落ちつきだし指先、足の先まで強く流れていた血液はその流れを穏やかなものにし始める。


酸素を求めてか上を向く。


頭上を流れる桜の花はもう白いどころではなく無機質な灰色をしていた。


「一度始まるとこんな速さで色っつうのは失われるものなのかね」


ほれ、と言いながら白いカップに注がれた豚汁をおじいさんは差し出す。


ごぼう、豚肉 人参、大根普通の豚汁だ。


味噌の香りが中指を立てて僕のお腹を挑発する。


「これがホントの灰桜、なんてな」


「灰桜っつうのはこんな乾燥したものじゃなくてもっと柔らかくてほんのりあったけえ色のことなんだがなぁ」


夢中で豚汁を胃に注ぐ僕の横でのんびりとおじいさんは語る。


「こんなに人が落ち着いてるのもおかしい話だ」


「俺みたいな年寄りはべつとしてみんな覚悟ができてるふりをしてるだけさ」


ぽつぽつと話すおじいさんの目がこちらに向く。


「何のために走ってた?」



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