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フレイリーフの花言葉  作者: 明星ユウ
第一章 芽吹く小さな葉花の音
7/34

弱さが為の愛を

長くなりました。

 



 ようやく、幼き婚約者の顔合わせが叶った日の、その夜。

 フレイとティリアは王に呼ばれ、玉座の間へと行く準備をしていた。


「あ、そろそろ行きましょうか、姫さ……ティリア」

「そうね、フレイ!」

 願われて呼び方を変えたフレイが訂正するのに、ふふ、と微笑んで明るく返すティリア。

 その小さくとも婚約者同士らしい様子に、二人の後に控える侍女たちは当然として、フレイ専属の近衛騎士や、玉座の間までの護衛としてやってきた他の近衛騎士たちまでもが、優しく瞳を細める。

 ……しかし、一方で心配そうな色も、その瞳の中には浮かんでいた。

 彼・彼女らがその色を浮かばせて視線を送るのは――ティリア。

 彼女は、自室と外の廊下を繋ぐ扉を見上げ、不安げにその青の瞳を曇らせた。

「でも……おとうさまのいるお部屋までは、すこし……とおいのよね?」

「えっと……そうですね。ここからだと、少し遠いでしょうか……」

 眉を下げて問うティリアに、小さなおとがいに片手を当て、困ったような笑みを浮かべてそれに答えるフレイ。


 ――確かに、ティリアは自室内ならば、恐がらずに過ごせるようになってきている。

 しかし、それもまだ完全とは言い難く、まして思いの強さで飛び出したあの日以来、結局自室より外には出ていなかったのだ。

 不安になるのは当然だ。


 いざ自室を出ようという段階になって、思わず立ち止まってしまったティリアに、玉座の間までの護衛を担う近衛騎士の一人が、そっと声をかけた。

「どうかご安心を、ティリア姫。貴女様の御身は、必ず我らが御守り致します」

「……そう、よね……えぇ……」

 握った右手を左胸に当て、凛と告げる近衛騎士に、彼らを信じていて尚、ティリアは不安げに返事をする。

「ティリア姫……」

 ティリアの後に控える初老の侍女エフェナが、心配そうな声音で呟いた。


 ――と。

「大丈夫ですよ、ティリア」

 穏やかにして強い声が、沈んだ空気を明るさに変える。

「! ……フレイ」

 驚き顔を上げたティリアは、そこで、自らへとそっと右手を差し伸べる、フレイの姿を見た。

 温かな微笑みを柔らかに浮かべ、フレイは実に穏やかに語る。

「ティリアが恐いと言うのなら、ぼくはティリアが恐くなくなるまで、いつまでもそばにいます。ティリアが進めないと言うのなら、ぼくがティリアの手を引きましょう。もしそれが嫌だと言うのなら、ティリアが進めるようになるまで、ぼくはティリアの手を握って待ちましょう。――それでまた、ティリアが笑ってくれるなら」

「!!」

 ぱちりと見開かれた青の瞳に、ふわりと笑うフレイが映る。

 瞬間、ティリアはもう、自分が不安を感じていないことを悟った。

「――ありがとう、フレイ」

 はにかむような微笑みと、伸ばされた手にそっと重なる小さな手。

 近づききゅっと握り合った互いの手は、下に降ろしてもう一度、確かに繋ぎ直された。

 ――それは、王族として、貴族として、親しい男女が行うべき作法とは、異なってはいたけれども。


「――いきましょう!」

「はい!」

 不安を消し去って言うティリアと、それに嬉しそうに答えるフレイ。

 その二人の笑顔を見て、作法を語る者など、この場には存在しなかった。


 繋いだ手をそのままに、侍女と近衛騎士に囲まれた二人は、玉座の間へと歩みを進めた――。




 白と、そして刻まれた花の広い部屋。

 その玉座の間には、フレイとティリアの予想に反し、多くの重臣たちが両脇の壁側に並んでいた。

「っ」

 その人数の多さに、思わずフレイへと身を寄せたティリアに、気付かれぬように驚く重臣たち。

 長らく自室より出る事が叶わなかった第二王女が、再び自分たちの前に姿を現してくれたことを、重臣たちは密やかに、しかし素直に喜んでいた。

 ――故にこそ、今日この場で語られる王の言葉を事前に聞かされ、大半の者たちはその表情を、硬くせざるを得なかった。


「ティリア姫、こちらへ」

 初老の侍女エフェナが、そっとティリアを誘導する。

 不安げな瞳をフレイへと向けたティリアは、しかし優しく微笑むフレイに、小さくうなずいて繋いでいた手を放した。

 そうして、護衛の近衛騎士たちと共にティリアが王と、そして王妃が座る玉座側の隅へと移動したのを見届けて、今度はフレイが前へと進む。

 マイアと二人の侍女、専属の近衛騎士を後に控えたフレイは、いつかの謁見の時と同じく、王の眼前にて跪こうと膝を折りかけ、

「いや、今回はそのままで構わない」

 と、頭上から穏やかに響いた王の声に、ぴたりと動きを止めた。

 思わず瞬きを繰り返して玉座を見上げたフレイに、王はかつての謁見の時に見せた険しさなど微塵も見せず、ただ優しげに青眼を細めてうなずく。

 その王の様子に、不思議そうな色合いを深緑の瞳に浮かばせながらも、フレイは右手を左胸に当て深く腰を折る最敬礼をして、その場に佇んだ。


 沈黙が、一拍。

 スッと満ちた緊張感の中、王はフレイへと、ゆっくりと語り始める。


「フレイ。君は三年前に体を壊し、以来虚弱になってしまった……と、私は聞いていた……。しかし、君を二度治癒した王城治癒士の者が、初めて君の治癒を担当した後、私に伝えてくれた言葉があった。……それは、君の虚弱には、きちんとした原因があるのではないか、ということだった」

「……?」

 静かな王のその言葉に、わずかに小首をかしげるフレイ。

 ただ一人、フレイの後に控えるマイアが、ハッと身を硬くした。

 ――そうして告げられた王の言葉は、酷く、残酷な真実だった。

「私はその原因を調べ……そして、知った。――フレイ。君は、三年前からずっと……毒を、盛られていたのだ」

「――――?」

 きょとん、とした驚きの表情に消えた微笑みと、次いで浮かんだ困惑。

 玉座側の隅にいるティリアもまた、えっ、と小さな声を零した。

 それでも、次の瞬間には小さな笑みを再び浮かべたフレイに、王は苦々しいく眉を寄せる。

 ――幼くも賢いはずのフレイが、自らの話に半信半疑であることを、気付いたが故に。

 ……次いで上がった声は、フレイの後方にて口元を押さえ、驚愕の真実に震えていたマイアだった。

「そんな……っ」

 悲痛なその声に、振り向くフレイ。

 多くの者たちが見守る中、マイアは己が小さな主人を見るなり、涙を溢れさせ、崩れ落ちるように膝をついた。

「フレイ様っ! あぁ、なんてこと! わたしは、わたしはっ! あの人達のことを、分かっていた、はずなのにっ……! こんなにも気づけずにいたなんてっ!」

「……マイア?」

 自らへと懺悔するように膝をつき、背を丸めて泣くマイアに、戸惑いを乗せながらも、まだ小さな笑みを浮かばせ続けるフレイ。

「ごめんなさい、フレイ様っ! わたしはっ」

 そう何度も、フレイへと謝罪を告げるマイア。

 彼女の、後悔を乗せたその背に、ティリアの傍からそっと離れた初老の侍女エフェナが、静かにかがんで手を添えた。


 王は言う。

「フレイ。私の言葉に偽りは無い。君は三年前……その頃からずっと、そのような身体になるよう、毒を盛られ続けていたのだ」

「――そんな」

 静かな王の声に、振り返ったフレイはしかし、固まりかけた表情の中でも笑みを消さず、王へと言葉を返す。

「でも、ぼくが自分の部屋にいるときは、食事はいつも母様(かあさま)が……」

「――」

 途端に険しさを増した王の青眼に、沈黙が場を支配する。

 居並ぶ大人たちの多くがその顔をしかめ、表に現われた真実の悲惨さに硬く口を引き結んだ。

 王は、自らへと視線を向けたフレイへ、もう一度――真実を告げる。

「――そうだ。君は、三年前からずっと、家族に毒を盛られ続けていたのだ」

「っ――」

 言葉を失ったフレイが、今度こそ、純粋な驚愕に笑顔を消す。

 そして、スゥ――と。

 フレイの深緑の瞳に、いつか見た昏い陰が満ちたのを、王は見逃さなかった。

「フレイ」

「!」

 努めて厳格に響かせた声に、わずかと言えども心を遠くへと飛ばしていたフレイが、反射的に右手を左胸へと当てる、最高の敬意を表す姿勢を取った。

 それに、ぐっと拳を握った王が、そっと玉座より立ち上がった。

「!」

 そして、一度の瞬きの後に王の真意を悟った王妃が立ち上がるのに伴い、二人揃って数段上の場所から、フレイの目の前へと降りてくる。

 そうしてやっと再び口を開いた王は、表情を無くしたフレイに、王ではなく、父としての顔でそっと告げた。

「フレイ……泣いて、良いんだ。辛いと叫んで、良いんだ」

 優しくそう語った王の言葉に、しかし、右手を左胸から落としたフレイは俯く。

 わずかな沈黙の後。

「…………分かりま、せん」

 俯むいたまま、フレイはそう、呟いた。

 その表情は、困惑と笑みが混ざった、複雑なもの。

「フレイ様っ」

 いまだ枯れぬ涙を流しながら、マイアがそう呼ぶのに、今度は戸惑う表情で振り向くフレイ。

 ふと、フレイの肩から力が抜ける。

 それに伴ってごく普通に浮かんだ表情は、いつもの彼の淡い笑顔だった。

 とん、と軽い音をたてて、フレイがマイアへと近づく。

 伸ばされた青白い両の手が、そっとマイアの頬を包んだ。

「大丈夫ですよ、マイア。――ぼくは、平気です。ぼくは、ぼくが傷つけられるのなら、痛くなんてありません」

「!」

 そう告げられたハッキリとした言葉に、王と王妃を含め、多くの者が無言の驚きを現す。

 フレイの言葉は続く。

「毒でも、剣でもかわりません……ぼくは、マイアが泣くほうが嫌です。だって――」

 だって。

「誰かが、いなくなるわけではありませんから。誰かがいなくならないのなら、ぼくはどれだけ傷ついても、痛いとは思いませんから」


 一拍の間に、どれだけの者が瞠目しただろう。

 ――わずが九歳の少年が告げた、その言葉の、重みに。


 マイアが小さく、フレイ様……と呟く。

 途端、壁に並ぶものの中から、凛とした声が上がった。

「それは違います」

 ハッと多くの者たちが振り返る中、以前フレイを診た王城治癒士が、静かに歩み出てくる。

 王城治癒士の男は、一度窺うように王へと視線を向け、それに小さく王がうなずくのを確認すると、そっとフレイの眼前に身をかがめて片膝をついた。

「フレイ様。確かに、貴方様は傷つけられても痛くはないかもしれません。けれど、傷ついた貴方様の姿を見て、涙を流す方はいます」

「っ! それは……」

 そろりとマイアを見る素直で賢い少年へと、王城治癒士の男は続けた。

「――仮に。もし、貴方様がその傷によって、死んでしまったら? 一体、どれだけの方が、哀しむと思いますか? ――彼女は、どれほど泣くでしょう? それに、姫様も」

「!!」

 パッと顔を向けた先で、互いの視線がぶつかった。

「やっ! イヤよっ!」

 叫んだのは、ティリアだった。

 タッと駆け出したその小さな身体は、その勢いを緩めることなく、フレイへと抱きついた。

「っ、姫様……」

 強く抱きつかれ、戸惑いながらそう呼ぶフレイに、ティリアはにじむ涙をそのままに、さらにぎゅ、と抱きついて叫ぶ。

「イやよっ! フレイがいなくなるのはイヤ! いっしょにいるの!!」

「――フレイ様」

 純粋な思いで離すまいと叫ぶティリアを温かく見遣った後、王城治癒士の男が、再びフレイへと言葉を紡ぐ。

「貴方様は、誰もいなくならないのなら……と仰った。――ならば、貴方様もまた、いなくなってはならないのですよ?」

「ぁ……」

 優しく諭す声音に、ゆれる深緑の瞳。

 迷う小さな少年に、王は王として、そして彼のもう一人の義父(ちち)として、名を呼ぶ。

「フレイ」

 そっと王へと向けられた表情は、ただしく不安げな幼子のもので……。

 王は優しく青眼を細め、しかし威厳ある声音で告げる。

「君はまだ、何も諦めなくていいんだ」

「!」

 ぱちっと見開かれた深緑の瞳の中、満ちていた陰が掻き消える。


 心に深い傷を負い、達観し――王城へと訪れるずっと前から、すでに自らの未来を、生を、諦めていたフレイ。

 幼くも深い闇を宿した心に、かつてあった光が今、舞い戻りつつあった。


 と――。

「そうですよ」

 そう、王の横からやわらかな声が響く。

 今まで、事態を静観していた王妃は、愛情に満ちた微笑みを浮かべ、そっとフレイと、そしていまだにフレイに抱きついて離れないティリアを、その腕で包んだ。

 そうして紡がれる音楽のような優しい声音に、ゆっくりと、小さな二人の緊張がやわらいでいく。

「わたくしたちは、もう家族なのです。ひとりで涙を流す必要は、もうありません。ティリアもフレイも、もっとわたくしたちに、頼ってくれてもいいのですよ?」

「……おかあさま」

 フレイに抱きついたまま、自らを見上げるティリアに、王妃は優しく微笑んだ。


「――そう。私たちはもう、家族だ。これから多くの素晴らしい思い出が出来て行くだろう……だから」

 王妃の言葉を引き継いだ王は、そこでもう一度、フレイを見た。

 その、ティリアとは異なる空を思わす青眼が、穏やかに深緑の瞳を射抜く。

「何も、諦めなくていいんだよ」

「――」

 再び告げられた心からの言葉に――じわり、と。

 それはさながら、慈雨のように、そっと。

 溶かされた心の欠片が、雫となってぽろぽろと零れ――そして。

「――っ、ぅ」

 長年、毒に蝕まれ続けた小さな痩身が、床へと崩れ落ちる。

 次いで響いた幼い泣き声に、多くの温かな手が伸ばされた。


 ――長きに渡り、実の息子をも謀略の糧としていた、ゼルロース侯爵家。

 浮き彫りになった真実は冷たく……子供たちは泣き、大人たちはその胸に、そっと怒りの炎を燈す。


 泣き止まぬフレイを優しく撫で、一人身を翻して涙を流す者たちから離れた王に、壁際に立つ重臣の一人が小声で問いかけた。

「陛下。ゼルロース侯爵家への処罰は……」

 問いかける者以外の臣たちも、皆一様に問う視線を向けてくる中、王は静かに瞳を閉じ、首を横にふる。

「しかし……」

「まだだ」

 かすかな動揺と共に発せられた臣の言葉を、厳かな声が断ち切った。

 その響きに、すっと背を伸ばす重臣一同。

 静かに開かれた王の青眼には、重臣たちと同じように、確かな怒りが宿されていた。

「今はまだ、その時では無い」

 重く、そして静かな怒りと共に紡がれたその言葉に、重臣たちもまた、重くうなずいた。


 そうして幾人かが礼をして退出するのを見送った王は、今一度後方を振り返る。

 その青眼に映るのは、己が守るべき、愛しき者たち。

 王は、そっと思いを言葉に乗せる。

「……今はまだ、断罪をするわけにはいかぬ。……他ならぬ、フレイの立場の為に。――しかし、必ずや」

 あの悪を、排してみせよう。

「――我が愛すべき、子のために」

 呟かれた言葉は、今はまだ、周囲の者誰もが涙ぐむ只中の少年には届かない。

 ――けれど、いつの日か。

「……」

 無言のまま、慈しむ視線を向けた王は、そっと玉座の間を後にする。


 残った者たちは、ただ自らの内に溢れる愛をそのままに、抱き合い、その涙が枯れるまで、フレイの傍に在り続けた――。

あと一話あります。

『幼少期』の最終話にあたる残り一話は、今夜20時に予約投稿にて。

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