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フレイリーフの花言葉  作者: 明星ユウ
第一章 芽吹く小さな葉花の音
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扉の花と本の葉

 



「こちらです」

「はい」


 多くの者たちの予想を越えた、実に穏やかな謁見はあの後、何事も無く終わりを迎えた。

 玉座の間から出たフレイは、侍女のマイア共々、王城における自らの部屋に案内された後、すぐに別の部屋へと王城侍女の一人に案内されていた。


 平均的な九歳の男子よりいささか小柄なフレイから見る王城の廊下は広い。たどり着いたその部屋の扉もまた、新しい自室の扉と同じく大きく見えたが、しかしそれは同時にひどく繊細にも見えた。

 表情には出さない緊張をそっとなだめながら、フレイは案内してくれた王城侍女へと振り返る。

「このお部屋が?」

 小さな笑みを消さずにやわらかく尋ねたフレイに、王城侍女が優雅にうなずいた。

「はい。ここが――」

 一拍の間が、上品に流れる。

 ふいに、王城侍女の目元が、やわらかく伏せられた。

「――第二王女殿下、ティリア・レ・フィンフィール様の自室にございます」


 ぱちり、と深緑の瞳を瞬いたフレイが、小さな声で姫様、とこぼす。

 再度見上げた扉は、白の蔦模様と、ふわりと咲く水色の花が刻まれたもの。

 とくん、と跳ねた胸の鼓動に、フレイはもう一度瞳を瞬かせた後、ゆっくりとうなずいた。

「……わかりました。――今から、お会いしても?」

 常の小さな笑みを浮かべ、わずかに小首を傾げて問ったフレイに、王城侍女はにこりと微笑む。

「えぇ、勿論です」

 そうして自然な仕草で扉を開いた王城侍女が、笑顔で促した先。


 そこは、扉の装飾と同じく、白と水色に彩られたあまり広くない部屋だった。

 この部屋の主――第二王女ティリアに仕えているのだろう侍女が五人、そろって静かに頭を下げている。

 フレイは、王族の自室であるにもかかわらず、自らに与えられた部屋とそう大きさの変らない空間に驚きつつ、軽く頭を下げた。

「こんにちは」

「はい、こんにちは。お初にお目にかかります、フレイ様」

 穏やかなフレイのあいさつに応えたのは、同じく穏やかな落ち着いた声。

 そろって静かに顔を上げた五人の侍女のうち、その言葉を紡いだのは、すでに初老にさしかかっていると思しき女性だった。丁寧にまとめ上げた薄い金の髪と、やわらかに細められた碧の瞳が、礼儀正しさと様々なことに熟達した婦人であることを伝えている。

 フレイにとって姉のような存在であり、しかし実年齢的には年若い母に近しいマイアよりも年上のその侍女は、実に穏やかな優雅さを身にまとい、フレイとマイアへ微笑んだ。

「ようこそおいでくださいました。ティリア姫もフレイ様にお逢いできる日を心待ちにしていらっしゃいましたわ」

「!」

 他の侍女四人がさりげなく窺うような視線を向けてくる中、初老の侍女だけは、不思議と心底嬉しげな雰囲気で以って、そう親しげに言葉を紡ぐ。


 その姿に、フレイは束の間、過去の面影を見た。


「――そうだったのですか」

「えぇ」

 一瞬の空白の後、意識を戻して温かな気持ちでそう呟いたフレイに、初老の侍女が優しげに微笑む。

 次いでそっと反転した彼女は、未だ入って来た扉を背にして立っていたフレイから見て左側。そこにある扉を、ゆるやかに示した。

「残念ながら、入ることは事情により叶いませんが……さぁ」

 どうぞ、と微笑む初老の侍女につられて、フレイの深緑の瞳がその扉へと視線を注ぐ。

 示されたその部屋がどういった場所であるのかは、フレイもすでに知っていた。

「――そこに、姫様がいらっしゃるのですね?」

 ついにやって来た特別な瞬間に、思わず口元の笑みを忘れたフレイが、それでも落ち着いた口調で初老の侍女へと尋ねる。

 返って来た答えは、優しげな視線と深いうなずきであった。

「――――」

 二拍分ほどの沈黙。

 その間、そっと伏せられていた瞳がゆるやかに開かれた時。

 フレイはすでに、小さくも穏やかな笑みを戻していた。

「わかりました。ご挨拶をしなければいけませんね」

 そう紡ぐと同時にふわりと笑ったフレイに、後に立つマイアと、眼前に立つ初老の侍女が微笑ましげな視線をおくる。

 まだまだ小さく、そしてやや痩身にすぎるその身体は、しかし、一歩を大切にして示された扉の前へと移動した。

 誰もが無言となったその場において、扉の向こうから小さく、姫様、と諭すような声が届く。次いで、かすかな衣擦れの音とゆっくりとした小さな靴音に、フレイはそっと、右手を自らの左胸へとそえて微笑んだ。


「――お初におめにかかります、姫様。――フレイ、ともうします。これから、よろしくおねがいいたします」

「っ」

 穏やかな口調で告げたフレイに対し、扉の向こうで息を詰めた音が鳴る。

 扉一枚隔てたその先で、この部屋の主――第二王女ティリアが、小さく肩を跳ねさせたのだ。


 フレイに負けないほど小さく華奢な身体を縮こまらせたティリアがいるその部屋は、本来は眠ることと衣装換えをする時のみに用いられるはずの、寝室である。

 いかな王族と言えども、他者と会う時にまで寝室から出ないなどということは、通常はあり得ない。今のフレイとティリアの状態――扉一枚隔ててなされる会話は、まさしく異例と呼べるものであった。

 しかし、その異例の事態が現状行われていることに、疑問を抱く者は一人もいない。

 ――そうせざるを得ない特殊な事情をティリアが持っていることを、誰もが理解しているが故に。

 悩むような沈黙の後、扉越しに、弱々しくも可愛らしい声がフレイへと届いた。

「…………ティリア、です。……よ、よろしく、おねがい、します……」

「!」

 思わず瞬きを数度繰り返したフレイは、ややあって、幼くも端正なその顔をふわり、とほころばせた。

「はい、よろしくおねがいします、姫様」

「……え、えぇ……よろしくね? フレイ……」

「はい!」

「……ふふ」

 短い会話。

 それでも、お互いにふと浮かんだ笑みが、それぞれの侍女を驚かせる。

 ぱっと満面の笑みを浮かべたフレイには、マイアが。

 かすかにでも嬉しげに笑みをもらしたティリアには、傍にいる者を含めた六人の侍女が。

 思わず視線を交換し合ったマイアと初老の侍女が、予想外に驚きに満ちた互いの表情に、そろって苦笑を浮かべ合う。


 誰もが想像し得なかったほどに和やかな雰囲気となったその場を、窓から射し込む陽光が包む。


 ふと、あることを思い出したフレイが扉の向こうへと再び言葉を紡いだ。

「そうでした。えっと、ぼくをここへ案内してくれた侍女のかたからおききしたのですが、姫様は――」

「っ」

 唐突に向けられた自らのことが絡む言葉に、ティリアが反射的に身を硬くする。

 それをなんとなく感じ取ったフレイは、しかし、よりやわらかな声音で続きを告げた。

「――本が、お好きなんですよね?」

「――え……?」

 言われるであろう言葉とは正反対の意味を宿す言葉に、ティリアが呆然とした言葉をこぼす。

 それに、フレイがこてん、と小首をかしげた。

「あれ? 違いましたか?」

「!」

 心底からの疑問の声に、ティリアの声がはじけた。

「いいえっ! ――本は、すきよ」

 きゅ、と自らの手を握り締める彼女へと、扉越しにフレイが微笑む。

「よかった! じつは、ぼくも本をよむのが好きで……今日は、姫様にぼくが好きな本を紹介しようと思って、もってきたんです」

「……あなたの、すきな本を?」

「はい」


 穏やかながらも嬉しげなフレイと、興味を惹かれて尋ねるティリア。

 それは、いつの日か、と互いの侍女たちが夢見た、二人の極普通の姿。

 自らの幼い主が送るべき、本当の、ありのままの時間。


「……どんな、おはなしなの?」

「はい。魔法使いのしゅじんこうが、世界のいろいろなところを旅する、冒険のお話です」

「まほうつかい!? おもしろそう!」

「!」

 初めて聞く、はしゃぐような楽しげなティリアの声音に、驚きながらも笑みを深めるフレイ。

 しかし、次いで咲いた花が萎れるような、元気のない声で紡がれた言葉に、陽光がそっと陰りを見せた。

「……あ、で、でも、わたし、そっちには……行けないの」

「――はい。ぞんじ上げております」

「……」

 そっと、初老の侍女が碧の瞳を曇らせる。やはりこうなってしまうのですね……と。


 ティリアが抱える事情は、いつもこうして、彼女と出逢う人々を遠ざけてしまう。

 そうして、ティリアは何度、その肩を寂しさに落としてきたか。

 悪徳貴族の長男との婚約――大人たちにとっては警戒せざるを得ないその出逢いも、まだまだ幼いティリアにとっては、同い年の子に会うことの出来る、純粋に楽しみにするべきものだった。

 事実、今の今まで楽しかったのだ。

 けれど、その時はいつだって、決して長くは続いてくれない。


「ごめんなさい……」

 小さく呟かれたその声に、フレイがわずかに瞠目する。

 次いで、いつもより少しだけやわらかな笑みを浮かべた後、ゆったりと告げた。

「いいえ、姫様。謝るひつようはありませんよ。……だって、姫様がぜったいにこちらに来なければいけないわけでは、ないのですから」

「えっ?」

 俯いていた顔をぱっと上げるような、驚きに満ちた声で、ティリアが尋ねる。

「どうして? だって、そっちに行かないと、本が……」


 戸惑う彼女へと、フレイは魔法の言葉をささやいた。


「大丈夫です」

「――だい、じょうぶ?」

「はい。――ぼくが、よみますから」


 そうして紡がれた穏やかな時間は、この日初めて出逢った二人にとって、遥かな未来まで続く、特別で大切な時間となった――。


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