はじまりを告げる音
大変お待たせ致しました!
断罪が終わった玉座の間に、今までとは別種の緊張が満ちて行く。
王と向かい合った、二人の真なるゼルロースの内、沈黙を破ったのは――フレリアスだった。
淡い緑の貴族服を揺らし、フレリアスは跪く。
頭を深く下げた状態で、落ち着いた、しかし深い謝罪を宿した言葉が響いた。
「……長らく、御前に姿を見せることが出来なかった非礼。……その理由を陳謝すること、お許し頂きたく」
「――聞こう」
重く、王へと告げられた言葉に、王は青眼を細めて深くうなずく。
許しの言葉を得たフレリアスは、静かに顔を上げると、その口を開いた。
――長らく行方知れずであった、もう一人のゼルロース。
その、姿を消した理由が……今、語られる。
「――全ては、ゼルロース侯爵家が現当主である次兄が、前当主であった長兄を卑劣な策により、天と地へ還したことから始まりました」
まず語られたのは、フレイにとって伯父にあたる、今は亡き前ゼルロース侯爵暗殺の件。
「長兄が亡くなった当初は、母――先々代ゼルロース女侯爵、マリーフレア・ゼルロースとて、よもやそれが自らの次男により成されたことだとは、思っておりませんでした」
ふいに出された先々代ゼルロース女侯爵、マリーフレア・ゼルロースの名に、フレイが小さく肩を揺らす。王の青眼、そして王妃の黄緑の瞳が、わずかの間、思い出を手繰るように閉じられる。
フレリアスもまた、その明るい緑の瞳を祈るように瞑目し、そっと言葉を続けた。
「……母がその事に気付いた時、すでに次兄たる現当主は、その地位に納まることが決まっておりました。しかし、苦言を呈したとして、次は私や――あるいはフレイにさえ、影響が及ぶ可能性があると、母は考えたらしく……」
「!」
はっと、多くの者たちが、瞠目して息を呑む。
当時、マリーフレアが危惧したこと――それは確かに、フレイの身に、現実となって降りかかっていた。
つい先ほど行われた断罪により、明らかにされたマリーフレアの洞察力と、当時抱いたであろう、痛みを伴うその思い。
長き時を越え、とある真実に辿り付いたフレイが、優しい叔父へと静かに問いかけた。
「では、叔父様。――僕が二歳の頃、お祖母様に引き取られ、ゼルロースの本館で暮らしていたのは。……それも、すでに当主になることが決まっていた父様を住まわせることなく、わざわざ離れて過ごしていたのは……」
深緑の瞳の奥、切なさと感謝を秘めた光が煌めき、フレリアスを映す。
過去の真実を見つけたフレイに、フレリアスは淡く微笑み、うなずいた。
「どういうことかね?」
当時のマリーフレアの真意を察しつつ、王はフレリアスへと尋ねる。
その声に、フレリアスは再び深く、頭を下げて言葉を紡いだ。
「は。――マリーフレア・ゼルロースは、フレイと……私を守るため、次兄から私たち二人を、離したのです」
そう、つまり。
「私には、次兄の館より本館の方に近しい場所に、家を。――フレイは、本館へ引き取り、自らの手で……守ってくれていたのです」
「――なんと」
粛々と告げられたフレリアスの言葉に、王が短くそう零す。
流れた沈黙の後、普段の柔らかさに特別な感慨を含めた、王妃の声音が響いた。
「ずっと……守ってくださって、いたのですね」
自らの立場を、危うくしてでも。
マリーフレア・ゼルロースと呼ばれた、その人は。
大切な家族を、守ろうとしていたのだ、と。
「……はい。――私には、自らが天と地へ還った後は、遠方へと姿をくらませるよう、言い聞かせるほどに……」
紡がれたフレリアスの言葉を理解した者たちが、一様に納得の表情を浮かべる。
確かに、フレリアスが姿を消したのは、マリーフレアが天と地へ還ってからのことだった。
「母は、長らく私の身を案じておりました。……兄が、存命している限りゼルロース侯爵家を継ぐ権利のある私を疎ましく思い、長兄と同じように……天と地へ還すのではないか、と……」
事実、すでに罪を犯している者を、危険視するのは当然の考えだ。
フレリアスの言葉に、王とて重くうなずき、理解と納得を示す。
すなわち、フレリアスが姿を消したのは、現ゼルロース侯爵の謀略から、マリーフレアがその命を守ろうとしたが故のものである、と。
そう、あるいは。
――死して、なお。
守ろうとしていたのだ、と。
「――おばあさま」
うつむき、閉じられた深緑の瞳の奥。
優しく微笑む祖母を映し、フレイは幼げに名前を呼ぶ。
零れたひとしずくの涙が、白磁の床に、音も無く弾けて煌いた。
ふと顔を上げたティリアが、涙するフレイの頬にそっと手を伸ばす。触れたその温もりに、フレイはふわりと微笑んだ。
再び響く、フレリアスの声。
「――兄の悪行を止めること叶わず、葉陰にまぎれる事しか出来なかった我が身。処罰は、どのようなものでも受ける所存に御座います」
依然、深い謝罪を宿し紡がれたその言葉に、ざわりと音が立つ。
それを、手を振る事で静めた王は、次いで青眼に温かな光を浮かべ、淡く微笑んで首を横に振った。
「その必要は無い。……罰など。その身に受けるのは、罪を犯した者達だけで十分だ」
「……陛下」
優しく、それでいて厳格に紡がれた言葉に、フレリアスは玉座を仰ぎ見る。
自らの青眼と交わった明るい緑の瞳に、王はふと嬉しげに笑み、告げた。
「十分だろう? フレリアス。――君が、無事だったのだから」
――それはまるで、植物無き不毛の大地に、鮮やかな花が芽吹き咲くように。
長い間、昏き陰を抱いていた、フレリアスのその心を。
王は確かに、この瞬間――光で満たしてみせた。
……あたかも、残酷な現実に諦めを抱いた、幼きフレイの心を――救い上げた、あの時のように。
「――感謝、致します――陛下!」
その力強い優しさに、フレリアスはぐっと再び頭を下げ、最敬礼を行う。
そうして、強く閉じられた瞳が、今一度開かれた時。
フレリアスは、かねてより抱いていた決意を浮かべ、改めて王を見上げた。
今度は、悔恨も謝罪も無い、ただ何かしらの意志を宿した声音が、凛と言葉となって響く。
「ならばこの身、我らがゼルロースの白葉の為、使いたいと存じます」
「何?」
唐突に紡がれた、ゼルロースの白葉、と言う言葉に対し、王が思わず言葉を零す。
この場にいる多くの者たちが、自らの近くにある顔を見合うのは、その言葉が誰を差すのか、それを知っているからだ。
ゼルロースの白葉――それは、ゼルロースの黒花と呼ばれたフレシアーナ・レア・ゼルロースに対する……フレイ・ディア・ゼルロースのことだった。
困惑を宿した視線は、自然とフレリアスと王、そしてフレイとを行き来する。
時折向けられる視線に、フレイが同じように困惑した視線を返すのは、フレイが社交界において、自らがその様に呼び表されている事を知らないからだ。
「どういうことかね? フレリアス」
困惑に満ちた空間に、大多数の疑問を代表して、王がフレリアスへと問いかける。
対して、問われたフレリアスは、晴れやかな笑みさえ浮かべて、恭しく答えた。
「は。元を正せば、現ゼルロースの罪は、我らが兄弟の上にあるものに御座います。……私は、例え直系であろうとも。汚名に堕ちた今のゼルロース侯爵家を、心優しい甥に背負わせるつもりは――小花の花弁一片ほども無いのです」
「! お、叔父様?」
甥、と語られて、ようやく事の重大さに気付いたフレイが、思わずフレリアスへと声をかける。
その声に、フレリアスはフレイへと振り返ると、穏やかに微笑んで言葉を続けた。
「フレイ。母は、いつも君が幸せに生きられることを願っていた。そして、その思いは、私とて同じなのだよ」
大好きな祖母と、同じ微笑みで告げられたその言葉に、フレイははっと息をのむ。
フレイの様子を見届けてから、フレリアスは再度、王に真剣な表情で向き合った。
――そうして紡がれる、真なるゼルロースとしての、誓いの言葉。
「陛下。次なるゼルロース侯爵家が当主の座は、どうか私に。私が、責任をもってゼルロースの――〝薬効の紡ぎ手〟の名を引き継ぎます。そして、長兄以前……母マリーフレア・ゼルロースの時代まで確かに存在した、ゼルロース侯爵家の信頼の回復に、全力を注ぐことを――ここに、誓います」
静寂に満ちた部屋に響く、凛としたその言葉に、王は静かに瞳を伏せ。
すっと開かれた青が、交わされた明緑と同じ、決意で煌いた。
「……良いのだな? フレリアスよ」
重厚で、けれど優しい声音。
対する答えは、はっきりと白き花の部屋に、響いた。
「は! ――覚悟は既に、かの日に!」
凛とした言葉の肯定に、ざわりと広がる驚きと期待。
すっと背を伸ばした王が、深くうなずいた。決定の言葉が、高らかに響く。
「良かろう! その覚悟、確かに次期ゼルロース侯爵に値する!」
瞬間のどよめきの中で、フレイだけは、その美貌に驚愕を浮かべた。
王の言葉は続く。
「本来ならば、直系であるフレイが次期ゼルロース侯爵となるのが自然ではある」
それは、他ならぬフレイに向けられた言葉。
穏やかな青眼に見つめられ、フレイははっと息をのんだ。それは、ある種の理解が成されたが故。
引き続いた言葉は、今度は居並ぶ臣下達に対してのものだった。
「しかし、私はフレリアスの決意とて、蔑ろにしたくは無いと考える」
王の言葉に、臣下達の瞳が静かに、王とフレリアスとを行き来する。
フレリアスの強き決意の言葉を聞き、その王の言葉にうなずかない者は、一人としていなかった。
――それは即ち、決定への肯定である。
今一度、ぐるりと玉座の間に集まる面々を見回した王は、今度こそ穏やかに微笑む。そうして、〝真なるゼルロース〟を再興させるための決定を――告げた。
「よって、ゼルロース侯爵家はその直系の血筋を、分家へと移すことを命じる。即ち――次なるゼルロース侯爵は、フレリアス・ゼルロースである」
湧き立った拍手に、ゼルロース侯爵となったフレリアスが、深く深く最敬礼を行う。
さっと真剣な表情を浮かべたフレイの深緑の瞳が、一瞬だけ、王の優しい青眼と重なった。
祝福の音が満ちる中、王命にも似た言葉が、掻き消えることなく響き渡る。
「〝薬効の紡ぎ手〟ゼルロースよ。これを以って、今一度清く正しき侯爵家として――見事再興を果たしてみせよ!」
「は!」
強く澄んだフレリアスの返答と同時に、フレイもまた跪き、最敬礼を行う。
二人の薬効の紡ぎ手を見つめ、王はゆっくりとうなずいた。
――次いで響くのは、今までとはまた異なる、威厳の中に嬉しさを内包した、言葉。
「なに、心配することは無い。……フレイの誕生日は、もう目前だからね」
「は。……はい? それは、確かにそうですが……」
唐突に紡がれた自らの誕生日の話題に、礼儀正しく返事をした後で、疑問を深緑の瞳に浮かべるフレイ。
思わず見つめあう形となったフレイに、王は微笑みを浮かべたまま、静かに……そしてやはり嬉しげに、疑問の答えを紡いだ。
「うむ。――ならば、新たなる家名を授けることに、異論はなかろう」
「!!」
新たなる家名――その言葉を聞き、驚愕したのはフレイだけではなかった。
フレイは今まで、あくまでもゼルロース侯爵家の直系たる人間として、多くの者たちから認識されていた存在である。しかしその認識は、フレイの家族であったゼルロース侯爵家の断罪からはじまり、フレリアスが新たなるゼルロース侯爵として任命されたことで、終わりを迎えるべきだったのだ。
――なぜなら。
現状においてフレイという青年を表すものが、血筋を改めた真なるゼルロース侯爵家における唯一の分家の人間であり、そして――フィンフィール王国が第二王女、ティリア・レ・フィンフィールの婚約者である、という二点に集約されているから。
最も重要な点は、最早語るまでもなく、既にティリアの未来の夫がフレイであると、当人たち及び国王夫妻によって、決定されていること。
そして――二人の結婚式は、もうすぐ訪れるフレイの十八の誕生日。その日に、執り行われること。
……その事を、断罪に任命と続いた今までの事態により、多くの者たちが失念していたのだ。
多くの臣下達とて失念していた事実を、王は改めて認識させ、満足げに微笑む。
驚愕による沈黙の後、再びざわめきが戻って来た空間で、王がフレイと、そしてその隣に立つティリアへ、澄んだ青眼を向けた。
穏やかさに満ちた視線に、しかし、ティリアは実にうやうやしく、フレイの隣で跪く。
そうして揃って自らに頭を垂れた二人を見つめ、王は〝王〟として、言葉を紡いだ。
「ティリア・レ・フィンフィール及び、フレイ・ゼルロースよ。しばし気が早いが、二人に新たなる家名を授けよう。……貴族位は、王女たるティリアがいる故、最上級貴族である、公爵。家名は――」
いつの間にか、静寂が支配する部屋の中。
ひとつの語が、紡がれた。
「……フィンマリア」
――それは、名へと、姿を変える。
「〝満つる幸福〟――フィンマリアだ」
一拍の後。
王の高らかな声が、朗々と玉座の間に響き渡る。
「皆、讃えよ! 〝満つる気高さ〟たるフィルハイド、そして〝繋がる花〟たるフィーリスに続く、新たなる公爵家――満つる幸福の誕生に、祝福を!!」
次は、空白は無かった。
瞬時に響く、祝福を! の大音声。誰もがフレイとティリアへと瞳を向け、喝采の拍手と祝福の言葉が部屋に満ちる。
その只中で、一度視線を交わし合ったフレイとティリアは、再度王へと深く頭を下げ、声を揃えて応えた。
「フィンマリア公爵の名と地位――ありがたく拝命いたします」
「あぁ。……家族としての名だ。大切にしなさい」
儀礼と感謝の応えに、王は〝父〟としてそう紡ぐ。
その優しい声音に、ふと顔を上げたフレイとティリアは、揃って王へと笑顔を向けた。
「心得ております、陛下」
「素敵な名前をありがとうございます! お父様!」
心からの言葉を紡ぐ二人に、王もまた本心から微笑み、うなずく。
優雅に立ち上がり、そっと両の手を重ねたフレイとティリアを、多くの者が眩しそうに瞳を細めて見つめる。
王の青眼もまた、近く正式に家族となる二人の仲睦まじい姿を映し、優しげに細められた。
熱狂にも等しい感激溢れる瞬間を終え、玉座の間には再び、穏やかな静けさが戻ってくる。
その中で、ふいに柔らかな、王妃の言葉が響いた。
「――わたくしは初めから、こうなってくれると確信していましたわ」
今まで黙したまま事態を見守っていた王妃の言葉に、はっと多くの視線が王の隣へと注がれる。
突然告げられた言葉に、王が青眼を瞬かせて問った。
「それは一体、どういうことだい?」
その至極最もな問いかけに、しかし王妃は王と臣下達へとそれぞれ視線を向けた後、無言でふわりと微笑む。
次いで、黄緑の瞳を優しげに細め、フレイとティリアへと向けた。
音の無い視線の、その内にある深い懐かしさに気づくことが出来たのは、視線を向けられたフレイと、長年連れ添った王だけだった。
青眼と深緑の瞳が、それぞれに瞠目をした瞬間――泣き出してしまいそうなほど、懐かしさに溢れた王妃の声音が、誰もの耳を打った。
「〝明光の側室〟と謳われた、レティ・フィーリス・フィンフィール様。常に最高の女性であり、貴族であられた、マリーフレア・ゼルロース様。……お二人とも、本当に素敵な方であったこと。わたくし、忘れた日はありません。――そして、そのように素晴らしいお二方が残した愛し子こそ、ティリアとフレイであるのならば……」
思い出を、甦らせるように伏せられる黄緑の瞳。
ふと開かれたその瞳が、同じようにかつての日々を思い出す、エフェナとマイアを映して煌いた。
「……たとえ、どれほど遠く、回り道をしてしまっていたとしても――」
響く声音は、二人の尊き女性たちを、知るが故に。
どこまでもどこまでも、優しく、懐かしげに。
「――必ず。幸せな今へと、辿り着いていたことでしょう」
そう、白花の部屋で、紡がれた。
――同じ女性だからこそ、分かることがあった。
憧れ、素直に尊敬し、そして泣いて見送ったからこそ、本当は気付いていたのだ。
王妃は、幼きフレイが王城へと訪れたその頃から、悪徳の家族の中にいてさえ心優しい事の、その真相に気付いていた。
――フレイの優しさとある種の強さは、ティリアが持つものと同じなのだと、気付いたから。
当時、外への恐怖心から、寝室から出ることが出来ずにいたティリアが、それでも前を向き続ける事を諦めない、強さを持っていたように。
フレイのその強さは、フレイの祖母であり、育ての母でもあったマリーフレアが与えたものなのだと、分かっていたのだ。
……ティリアの強さが、ティリアの実母であるレティによって与えられたものである事を――知っていたから。
祈るように、王妃は瞑目し、微笑む。
今は亡き偉大なる女性たちに、捧げるように。
――確信を秘めた言葉が、今一度、玉座の間に響いた。
「疑ったことなど、ありませんでしたわ。――二人ともが、優しい意志を貫いた方々に、育てられていたのですから――」
そっと開かれた黄緑の瞳が、青と深緑の瞳に交わる。
美しい王妃の微笑みに、同じように美しいティリアの微笑みと、優しく穏やかなフレイの微笑みが、咲き誇った。
全てをはじまらせる音が、確かに誰もの心で鳴り響いた――瞬間だった。
次の更新は、来月になると思います。




