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フレイリーフの花言葉  作者: 明星ユウ
第四章 花言葉が導く空の下
27/34

真なる――〝ゼルロース〟の名の下に

 



 ――フレイとティリアが、ついに心から結ばれた。


 そう告げる言葉たちは、瞬く間に王城を翔け抜け、王都へと広がって行く。

 ティリアの十八歳の誕生日、その夜が終わる頃には、真実はすでに全ての貴族の知るところとなっていた。

 そして、その確固たる未来を約束された、事実の中で。

 王は密やかに〝ある事〟を決意し、本来ならば寝静まるべき時間に、重臣たちを玉座の間へと集わせた。


 ピンと張り詰めた空気の中、語られるべき議題は、一つ。


「――八年、待った」

 王は――フレイの義父(ちち)ともなった、この国の王は、告げる。

 厳かに……確かな怒りを、その青眼に滾らせて。

「今や息子も同然なフレイを、数々の悪しき謀略により傷つけてきた、その罪」

 王妃でさえも、真剣な表情で背を伸ばし。

 多くの臣下が跪き、頭を垂れる中。

「――今こそ、裁く時だ」


 悪徳貴族――現ゼルロース侯爵家の断罪が、始まった。




 目に沁みる朝日に、反射的に片手で顔を覆いながら、フレイは眠りから目覚めた。

 そっと体を起こし、ベッドに腰掛けて、窓へと深緑の視線を飛ばす。

 外の景色をそのまま見せる窓からは、夜の闇を払って輝く、朝焼けの景色が輝いていた。

「――夜明けの光華(こうか)……」

 ぽつり、と呟かれたその言葉は、鮮やかな朝日を讃えるのに用いられるもの。

 ――あるいは、長く辛い出来事から解放された、その喜びを、表す言葉。

 眩い夜明けの景色に惹き込まれながら、同時にフレイは、昨晩の幸福を思い返していた。


 今もまだ、耳に残る、ティリアの言葉。

 愛していると告げた自分に、同じように愛していると返してくれた、その心からの声。


 思い出すだけで心が満たされる感覚に、フレイはそっと瞳を閉じた。

 その暗闇の内に、ふと、大好きな祖母の姿が思い描かれる。

 ふわり、と浮かんだ微笑みは、感謝の心を乗せていた。


「――幸せ、ですよ。――お祖母(ばあ)様」


 そう響かせた言葉が、何よりの礼になると、信じて。

 フレイは今一度開いたその瞳に、今日一日の始まりを告げる光を映し――穏やかに、微笑んだ。




 ティリアの誕生日から一夜明け、しかし朝の内にほとんどの貴族が王城から出て行った事実に、フレイとティリアが小首を傾げていた昼食時。

 仲良く昼食を済ませた二人の下に――王の言葉を携えて、近衛騎士たちが訪れた。


 すなわち――現ゼルロース侯爵家の、罪を暴く……と。


 その言葉を聞き、初めに声を上げたのは、マイアだった。

「フレイ様!」

 そうフレイの名を呼ぶ声には、様々な感情が宿り、浮かぶ表情には恐怖と切望が入り混じっている。

「フレイ……」

 マイアの後に続いたのは、ティリア。見上げる青の瞳には、心配げな色が浮かんでいた。

 緊張と不安が、一瞬で昼食後の穏やかな雰囲気を消し去る。

 真剣な表情をした近衛騎士たちを前に、フレイは努めて穏やかに微笑み、告げた。

「行きましょう。――玉座の間へ」




「おぉ! 愛しき我らが息子よ! 元気そうで何よりだ!」


 近衛騎士たちに続き、フレイとティリアが静まり返った玉座の間に入った瞬間、そう不気味に明るい声音で、現ゼルロース侯爵が言葉を響かせた。


 現在玉座の間に集っているのは、玉座とその隣に腰掛ける王と王妃。両の壁側に居並ぶ、重臣たち。つい先ほど玉座近くの出入り口から入って来たフレイとティリア、その従者一同と、近衛騎士たち。

 そして――背中に回した両腕を騎士たちに拘束され、王の正面にて両膝をついている、現ゼルロース侯爵とその妻、その娘。


 この状況で殊更陽気に発せられた父の声に、フレイは瞬間ひんやりとした恐怖を感じて、微かに震えた。

 ――罪を暴き、そして裁く。

 その裁きが家族に下ることも、未だにフレイの心に辛さを残していたが、それよりも裁かれる事が分かっている父が、確かにまだ笑っていることが、フレイには恐ろしく思えた。

 腕を通して伝わった震えに、ティリアはフレイをそっと見上げる。

 ティリアにとっても、裁く場に居合わせることは恐ろしいことだったが、今誰よりも不安であるのはフレイだという事も、分かっていた。

 案じる青の視線を、感じ取れないフレイではない。愛する人の優しさに、フレイはかろうじて微笑みを保ったまま……しかし答える事もせず、黙して自らの家族へと視線を向けた。

 一拍の沈黙。

 それを破ったのは、王の声だった。

「当代ゼルロース侯爵家当主、並びにその妻とその娘に――断罪を下す」

 静かに響いたその声に、断罪を!! と重臣たちの唱和が続く。

 宿る怒りに震えた空気に、しかし現ゼルロース侯爵は、恐ろしく穏やかに言葉を放った。

「――我らに、何の罪があると仰るのです? ……陛下?」

 次いで浮かんだのは、誰もがぞっとさせられるほどの――邪悪に満ちた、笑顔。

 分かっていないはずが、ないのだ。己が成してきた所業なのだから。

 それさえも、知らぬと言い張るその姿は……いっそう見事なまでの、悪徳の権化であった。

 その、悪に対し。

「……知らぬでは、もう通せぬよ。……ゼルロース」

 王はただ一人、恐れも、不快も、何一つ表さず。そう淡々とした言葉を告げた。

 そして、その言葉を合図に、ある物が王のもとへ運ばれる。

「!」

 ハッと息をのんだのは、フレイと、フレイの従者たち。

 ……わずかに顔を歪めたのは、フレイの実の妹である、フレシアーナだった。

「これが何か分からぬとは――もう言えぬはずだ」

 冷たく告げた王が、そっと眼前へ向けて掲げたのは……透明な、小瓶。

 それは、以前花々を愛でるパーティーにて、フレイがフレシアーナから受け取った――毒入りの小瓶だった。

 確固たる証拠に、ざわりとその場に音が広がる。

 動揺であり、怒りであり、納得でもあるそのざわつきの中――それでも、現ゼルロース侯爵と、そしてその娘は、笑顔を浮かべてみせた。

 次に声を発したのは、フレシアーナ。

 まだ幼さを残す美貌の少女は、ゼルロースの黒花と密やかに呼ばれている通り、とても綺麗で、それでいて邪悪な笑顔で言葉を紡ぐ。

「あら。わたくしは、お兄様がお幸せになれるよう、すこしだけ特別な物をお渡ししただけですわ。そう――愛する姫様を、いだけるように」

「っ」

 瞬間、フレイがその微笑みを崩して、唇を引き結んだ。

 ――それは、あまりにも偽りのない言葉だった。

 フレシアーナは確かに、その言葉の通りに……渡した毒で実の兄の恋敵であったライオッド・ディール・フィルハイドが天と地へ還れば、兄は幸せになれると思っていたのだから。

 例え、その先にある自分たちが咲き誇る未来こそ、本当に望んでいたものであったとしても。

 ……慕う兄の幸福を願った妹が、すこしばかり過激な贈り物をした。

 何よりも、その毒が使われることはなかったのだから。

 結果的に、それは悪には至らないのではないか……?

 それは、いまだ家族を思う優しさを残しているフレイへと、フレシアーナが放った――この状況を覆すための、反逆の一手。

 しかし。

 本当に、フレイを愛している者にとって。

 その言葉は、恐れなければならないものでは、無かった。


「――フレイはそんなこと、望んでいなかったわ」


 凛とした声が、その場に響く。

 誰もが驚き、視線を向けたその先には――強くフレイに寄り添った、ティリアが居た。

「ティリ、ア……」

 フレシアーナの言葉に対する動揺と、ティリアの言葉に対する驚きとの両方を宿した声で、フレイは自らに寄り添うティリアの名を呼ぶ。

 その声に、ふとフレイを見上げたティリアは――優しくも凛とした微笑みを、浮かべて見せた。

 再び移動した青の瞳は、微笑みを消したフレシアーナの、深緑の瞳と交わる。

 ティリアが大好きな人と同じ色をもちながら、その内に宿すものを違える瞳を見つめ、ティリアははっきりと言葉を紡いだ。

「例え、どれほど欲しいと願ったとしても。そのために誰かを傷つけるなんて、フレイは絶対にしないわ。その結果、欲しかったものが手に入ったとしても……喜ぶなんて、フレイには出来ないもの」

 真剣な表情で紡がれた言葉に、しかしフレシアーナは再び浮かべた微笑みと共に、小首を傾げて問い返す。

「なぜですか? 傷つけてでも、欲しいものが手に入ったのならば、当然として嬉しいと思うはずですわ。――それなのに、なぜお兄様は喜べないとおっしゃるのです?」

 可愛らしく、しかし残虐なフレシアーナと言うその少女の言葉は、ある意味ではとても的を得ている。

 けれど、だからこそ。

 わずかな間を挟むことさえなく、ティリアは笑って返してみせた。

「優しい人だからよ」

「!」

 ぱちり、とくしくも驚きの瞬きを重ねる、フレイとフレシアーナ。

 見事に反撃の一手を崩したティリアの言葉を、王が静かに引き継いだ。

「もう、十分のはずだ……悪徳のゼルロースよ」

 そして、言い放つ。

 王としての、言葉を。

「――これ以上、ゼルロースの毒で苦しむ者たちを、増やすわけにはいかぬ」

 その言葉には、力があった。

 現ゼルロース侯爵の顔から微笑みを消し、その妻の顔を青ざめさせ……そしてその娘を、激昂させる、力が。

「っ!!」

 ガラリと表情を変えたフレシアーナは、次の瞬間、悪徳の(・・・)ゼルロースとしての言葉を、叫んだ。

「〝ゼルロース〟の意味は、〝毒の赤〟! 我らが毒を持っていて、何が悪いというのです!?」

 幼い子供のかんしゃくにも似た、怒りの言葉。

 〝ゼルロース〟と言う名に、恐ろしい意味があったことを示唆するその言葉は――しかし次の瞬間、多くの者たちにとって聞き憶えのない、穏やかな男声によって、静かに抑え込まれた。

「――それは違います」

「!?」

 驚愕のまま後方を振り返ったフレシアーナの瞳に、大扉から入って来た一人の男性の姿が映る。

 整え撫で付けた髪は、ゼルロース侯爵家の者に代々受け継がれている色によく似た、薄緑色。精悍でいて穏やかな顔に揃う、少し明るめの緑の瞳。

 白に近い淡い緑の貴族服をまとうその男性は、ゆったりとした歩を刻みながら、先の言葉の続きを紡ぐ。

「直訳すれば確かに、〝ゼルロース〟は〝毒の赤〟を意味します。……しかし、その棘たる名の裏に秘められた、真なる意味は確かに――我ら自身が脈々と、語り、受け継いできた」

「お前は……」

 呆然と、ぽつりと呟きを零した現ゼルロース侯爵が、〝我ら〟と告げたその言葉の意味に気付いた瞬間、表情を変えた。

 驚愕と、苦々しさに満ちた表情。次いでそこから、怒りが放たれた。

「フレリアス!」

 怒号のような言葉。それが告げたのは、一歩一歩踏みしめるようにして前へと歩む、男性の名だった。

 男性は――現ゼルロース侯爵の実の弟であり、フレイの叔父である彼――フレリアスは、悪徳にまみれた実の兄とその家族の傍にて立ち止まり、重々しく答えた。

「お久しぶりに御座います……兄上」

 明るくも静かな緑の視線が、捉えられた自らの兄を見つめ、射抜く。

 その緑の瞳には、深い悔しさが滲んでいた。


 王と、そして一部の重臣たちのみがその存在を知っていた、フレリアスと言う参戦者――今の今まで表舞台に立つことが無かった、もう一人のゼルロース侯爵家の者に対し、玉座の間はただただ静まり返る。

 その沈黙を、ふと、呆然とした声が破った。

「――叔父、様?」

 ハッと、多くの者たちが顔を向けた先。

 その先に居たフレイは、幼い頃の記憶をようやく手繰り寄せ、眼前の男性が何者であるのかに、気付いた。

 瞠目した深緑の瞳に映る男性の姿が、かつて大好きな祖母と共に遊んでくれた、優しい青年の姿に重なる。

 そんなフレイに対し、フレリアスは確かな肯定を乗せて、やわらかに、優しく微笑んでみせた。

 瞬間、肯定された事実に、重臣たちがざわりと音を立てる。

 行方知れずであった、現ゼルロース侯爵の弟フレリアスの生存と、その者の存在を知っていた真のゼルロースの意志を継ぐ者である、フレイ。

 それは、この崩れかけた現状が立て直され、正しく断罪へと導く力が揃ったことを、多くの重臣たちに気付かせるに十分過ぎるほどの、事実だった。


 再び緊張が膨らむ空間に、王の声が放たれる。

 それは、フレリアスに対する、問いかけであった。

「〝ゼルロース〟には何かしらの意味があるというのは、真実か?」

「はい、陛下」

 フレイへと向けられていた明るい緑の瞳が、素早くも上品に、王へと注がれる。

 すっと右手を左胸に当てたフレリアスは、その瞳にわずかに影を落とし、王の問いに答えた。

「〝ゼルロース〟という言葉に意味があることは、真実で御座います。……そしてそれは、直訳すれば確かに……〝毒の赤〟を意味します。――毒の赤とはすなわち、毒を用いた悪行そのものの意。許されぬことであると同時に……〝ゼルロース〟の名が、まるでそれを肯定しているかのようであるのは――事実です」

 はっきりと告げられたフレリアスの言葉に、どよめきが湧き起こる。

 恐ろしい意味を宿す〝ゼルロース〟の名に慄く重臣たちに対し、元よりそれを知っていた現ゼルロース侯爵とフレシアーナの表情は、先とは打って変わって明るさに満ちた。

 小さな言葉が飛び交う中、嬉しげな声を張り上げたのは、現ゼルロース侯爵だった。

「その通り! 故にこそ、我らは毒を持ち、その効果を」

「しかし!」

 その効果を活用していただけ、と続くはずであった悪徳の兄の言葉を、弟が強く遮る。

 さっと上げられた苦渋に満ちた顔と、その瞳に宿された切実さが、王の青眼に眩く飛び込んできた。

「我らが、このフィンフィール王国にて紡いで来た自らの歴史が! ――そのようなものであるはずが無いのです!!」

 一瞬で音を消した空間に、凛と響く、強い思いが込められた言葉。

 静かに息をのんだフレイが、自らを大切にしてくれた叔父を見つめ。

 次いでその視線を、王へと注いだ。

 ――切実さと、真剣さ。

 その二つを宿した二つの緑の瞳と、順に交わった青眼がそっと、静かに伏せられる。

 瞳を閉じることで、自らの内なる思いを束の間伏せた王は、瞳を開くことなく、静かに言葉を紡いだ。

「では――」

 一拍の間。

 次いで、王は問った。

 長らく紡がれることの無かった……しかし、決して失ってはならない――〝真実〟を知るための、問いを。

「フレリアス。君の語る――真なる〝ゼルロース〟の意味、とは?」

 開かれた青眼の澄んだ視線を、明るさを失わぬ緑の瞳が、確かに受け止める。


 そうして、長き忘却の時を経て。

 ようやく――真の〝ゼルロース〟の意味が、今一度。

 確かに――紡がれる。


「――〝毒の赤〟たる〝ゼルロース〟の、真なる意味……。それは――〝薬効の紡ぎ手〟。……陛下。我らは、代々薬効を学んできた一族なのです」

 故に、こそ。

 フレイと同じく、真のゼルロースの意志を継ぐ者は、告げる。

「――我ら、だけは。……毒を振るっては、ならなかった」

 薬効の紡ぎ手(ゼルロース)に名を連ねながら、罪を重ねた――自らの兄に対して。

「……兄上。貴方は、数多ある他の名ではなく、ただ一つ――他ならぬ〝ゼルロース〟の名によって――断罪を受けるのです」

 それは、静かでいて、覆しようの無い、強き真実。

 他でもない、自らが持つ名こそが、毒を振るった〝ゼルロース〟を、何よりも確かに裁く。

 その意味が分からないほど……現ゼルロース侯爵とて、愚かではなかった。


 表情を無くした現ゼルロース侯爵と、青ざめたその妻、その娘に。

 王は、ただ静かに――宣告した。

「――偽りを信じ、棘だけを纏った罪人よ。かの偽りの名たる〝毒の赤〟の名の通り――己が振るった毒という証拠で以って、裁きを受けよ」

 反論の声は――今度こそ、響くこと無く沈黙に埋もれた。

 王が向けた視線により、罪人たちを押さえつけていた騎士たちが動く。

 ざっと音を立て、引っぱり立たされた後、押される形で現ゼルロース侯爵とその妻が玉座の間から出て行く。

 しかし、遅れて立たされた、フレシアーナだけは。

 ……ある意味では、まだ自らが助かる道があると、信じていた。

 ぐっと、騎士に背中を押された瞬間、フレシアーナはその瞳に涙を浮かべ、バッと振り返り叫んだ。

「いやっ! 助けてお兄様!!」

「!」

 瞬間、今一度ざわりと立った音と共に、これ以上無いほどの緊張感が、玉座の間に満ちる。

 王や王妃、フレリアスでさえ、愕然とした表情を浮かべた後、空白さえ生まれないほどの素早さで以って、フレシアーナが助けを求めた存在へと、その視線を向けた。

 フレシアーナが兄と呼ぶ――フレイへと。

「助けて! 助けてっ、お兄様っ!」

「っ」

 涙を散らし、必死に助けを請う、まだ幼さを残す妹。

 フレシアーナのその姿を見て、それでも断罪に従えと告げられるほど……フレイは、冷たい人ではなかった。

 そもそも……幼い頃から毒をもられていたのだと知り、自らもまた毒を使えと手渡され――それでも、フレイは決して、家族を恨んではいなかったのだから。


 震える瞠目した深緑の瞳は、確かにフレシアーナを見つめ。

 唇が引き結ばれた表情には、誰もが見てとれるほどの、苦悩が浮かび。

 ついには、伏せられた瞼により、その瞳の奥の感情さえ、読み取れなくなり……。

 そのフレイの姿に、しかしここで手を差し伸べさせるわけにはいかないと、王とフレリアスがそれぞれ息を吸い込み、口を開きかけた――その時。

「……なぜ」

 ぽつり、と、フレイが言葉を零した。

 それは、ともすれば単純な問いかけに聞こえるもの。

 ――ただ、その内に、あまりにも深く、苦い思いが宿っていることに気付けないものなど、その場にはいなかった。

 ……助けを口にした、フレシアーナで、さえも。

 そろり――と、深緑の瞳が、再び開かれる。

 哀しみ、苦しみ、後悔に、痛みに、苛まれて震える、その深い緑の瞳。

 ――それでも。

 その瞳は――強さと誠実さを、失ってはいなかった。

 真っ直ぐに向けられた真剣な瞳が、同じ色の瞳と交わる。

 愕然と見開かれたその瞳に、小さな絶望を見つけて。

 ――それでも。

 紡がなくては――ならないのだと。

 フレイは静かに。

 思いを、言葉にした。

「……どうして、同じ花を名に持ちながら――君は、こんなことをしたのですか? ……フレシアーナ」

「っ!」

 反射的に口を開いたフレシアーナは、しかしもう、語るべき言葉を持っていなかった。

 音を発することなく、口を閉ざした自らの妹へ。

 フレイは、ふと、哀しげな微笑みを浮かべた。

 それは……フレイが、助けることの出来なかった〝家族〟へ贈ることの出来る、数少ない思い、そのもの。

 ――静かな言葉が、紡がれる。

「知らないわけでは、なかったはずです。私たちが授かった名前の、その花の意味を――」

 家族に対する()では無く、()と言い換えて。

 自らに与えられた名の、その花の意味という、絶対的な真実をも添えて。

 なにより――ごめんなさいと、さようならを、込めて。

 決別の言葉が、それでもなお穏やかに、その場に響く。

 ……続く音は、騎士が立てた靴音だった。

 華奢な身体に纏う、黒と見まがうほどの濃い緑のドレスと、長い薄緑の髪がひるがえる。

 最後の最後まであがき、悪の花であった、ゼルロースの黒花たる、フレシアーナ・レア・ゼルロース。

 残酷な策に満ちた言葉を失い、玉座の間を去り行く少女の後ろ姿は、まさしく悪徳のゼルロースの、終焉そのものに見えた。

 ――現代当主により、幾度も重ねられた悪行の数々が、この日、正式に終わりを迎えたのだと。

 玉座の間に居る誰もが確信をし、閉じられる大扉に隠れる最後の時まで、その小さな背中を見送った。


 喜ぶべきでいて、重苦しい雰囲気のまま、完全に罪人たちが去った後。

 威厳に満ちた王の、凛とした声が、玉座の間の空気を変えた。

「――これを以って、現ゼルロース侯爵家の裁きを、終了とする。――皆、肩の力を抜きなさい」

 ふと微笑んでの王の言葉に、多くの者たちがほっと息をつく。

 重臣たちの多くは、近くにいる同胞たちとかすかな笑顔を交わし合い、今後の展開について小声で語りあった。

 しかし――一方で、解散を告げない王の真意を見抜けないほど、この場に揃う重臣たちが、思慮に欠ける者たちであるはずは無く。

 小さなざわめきは自然と収まり、その場には再び、沈黙が満ちた。

 静かになった玉座の間の中。

 一度王に集まった視線は、他ならぬ王が見つめる場所へと、静かに集まって行った。

 多くの……案じる視線が向けられる場所は、二つ。

 ――どちらも、未だ悪徳のゼルロースが去った大扉を見つめる、二人の人物へ。


 真なるゼルロースとして、この玉座の間に残った、フレイとフレリアス。

 二人の心を案じる、王とティリアの青の瞳が、一瞬交わった。


「――ここから、始めよう」


 唐突に響く、王の穏やかな声。

 それに、どちらもはっとしたように振り向いたフレイとフレリアスに、王は優しく微笑んだ。


 悪を裁き、真なる者を取り戻した、ゼルロース侯爵家。

 ゼルロース侯爵家にとって大切なことは、失った過去ではなく――これから紡ぐ、未来であった。


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