ありがとうを響かせて
深い悩みを宿し、眩き朝の目覚めを迎えても物思いにふけるティリア。
そんなティリアを見かねたフレイは、朝食後、気分転換にと庭園へ誘った。
白い雲が気持ちよさそうに所々で浮かぶ、穏やかな晴天。
それがよく見える、貴族用に解放されている庭園の一つへと、フレイはティリアを導く。
その庭園には、特別綺麗な噴水が備えられており、以前それを見たティリアがとても喜んでいたのを、フレイは憶えていたのだ。
温かな陽光が花々へと降り注ぐ中、数箇所に置かれている噴水が、きらきらと水飛沫を煌かせている。
それに気付いたティリアが、あ! と声を上げた。
「ここは、この噴水がある庭園だったのね!」
途端輝いた青の瞳に、フレイが嬉しそうに微笑み、うなずきを返す。
「以前、とても気に入っていたようだったので」
そう、にこりと微笑むフレイに、ティリアは今日始めての、満面の笑みを咲かせた。
「すごいわフレイ! そうなの! ここの噴水は、とっても綺麗だから気に入ったの!」
嬉しそうな声音に、後方に控えていたエフェナやマイアたちも、微笑みを浮かべる。
陽光を反射して煌く噴水に劣らず、青の瞳をきらきらと輝かせるティリアに、フレイはささやくように呟いた。
「――良かった」
「えっ?」
安堵したようなその言葉に、ティリアは少し驚いてフレイへと振り返る。
青の瞳に映ったフレイは、優しい微笑みを浮かべていた。
しかしそれは、ティリアが再び問う前に、嬉しげなものへと変わる。
「いえ、何でもありません。――さぁ。それよりも、折角来たのです。他の噴水も見てまわりませんか?」
気分転換が成功したことを喜び、けれどティリアの疑問に答えてしまえば、きっとまた彼女は悩み始めてしまう。そう思ったフレイは、ティリアの疑問が深まる前に、眼前で煌く噴水へと、深緑の瞳を投げた。
「そうね! せっかく来たのだもの。楽しまないと!」
「えぇ」
瞬間咲いたティリアの笑顔に、フレイもまた、同じように笑顔を咲かせる。
そうして次の噴水へと足を進め、そしてまた次……と噴水を回る途中。
――二人は、数箇所目になる噴水の傍にある丸テーブルで、偶然にも穏やかに語り合っている、よく見知った者たちと顔を合わせることとなった。
「あら……?」
「姫様、それに、フレイ殿……?」
穏やかで静かな庭園に響く、やわらかな女性の声と、凛とした男性の声。
声が聞こえた方へと、蔦の壁を回り込んで顔を出したフレイとティリアは、その二人の男女を見つめ、二人と同じように瞠目をして驚きを表した。
「ライオッド様にセシーリア様」
小さな微笑みを口元に戻して、思わず、と言った風にフレイがそう紡ぐ。
それに対し、ライオッドとティリアが同時に、疑問を瞳に浮かべた。
フレイがセシーリアと出会ったのは、ティリアとライオッドが、フレイとセシーリアたち令嬢とは、別の庭園で過ごしていた時間。
その出会いを、ライオッドが知ることが出来るはずもなく。
加えてフレイは、令嬢たちとの時間について、ティリアのように多くを語っているわけではなかったため、ティリアもまたライオッド同様、その出会いを知らなかった。
その為、ティリアはフレイがセシーリアを知っていたという意外な事実に、思わず問いをフレイへと投げかける。
「フレイ、セシーリアを知っていたの?」
「え?」
……しかし、逆に、先日行われた令嬢たちだけのお茶会にて、ティリアとセシーリアが出会っていることを知らされていなかったフレイは、ティリアがセシーリアを知っている事に驚いた。
瞬間、重要な出会いを伝える事が出来ていなかったエフェナが、視線で謝る。
それに大丈夫です、と返しつつも、フレイは内心で不安が湧き上がるのを感じた。
主が語らぬことを、従者が容易に語っていいものでは無い。その暗黙の規則を知っているからこそ、フレイはエフェナを責めることはしないし、しようとも思わない。
しかし、事が事なのも、事実。
――それほどまでに、ティリアとセシーリアとの関係は、深く、特別なのだから。
焦る気持ちを隠して、フレイはティリアへと問いかけ返した。
「私は、以前あったご令嬢方とのお茶会の時に出会っていたのですが……ティリアは、いつセシーリア様とお会いしたのですか?」
ちらりと深緑の瞳が映したセシーリアは、どこか複雑そうな表情をしている。わずかの間に重なった水色の瞳には、不安の色が揺れていた。
同時に確認したライオッドは、疑問と困惑が混ざった表情で、セシーリアへと視線を注いでいる。
そしてティリアもまた、一瞬迷うように表情を硬くした後、彼女にとっては珍しくも、苦笑に似た微笑みを浮かべて、フレイの問いに答えた。
「わたしは、昨日のお茶会で……」
「……そうですか」
そうして伏せられた青の瞳が、確かに昨日と今朝の憂いを内に宿しているのを見て。
フレイは、確実に昨日の令嬢たちだけのお茶会にて、ティリアとセシーリアの間に何かがあったのだと、確信した。
それは、ライオッドも同じであり……。
「何があったんだ? セシーリア」
「……」
真剣な表情でそう問うライオッドに、しかしセシーリアは、困ったような微笑みを浮かべて、見つめ返すだけ。
美しい花々に囲まれながら、不気味に静まり返った場に、エフェナやマイアたち従者一同が危機感を抱く。
その沈黙を破ったのは――驚くべきことに、ティリアであった。
「ライオッドが聞くのはダメよ」
「!」
ことさら響いたその声に、はっとフレイとライオッド、そしてセシーリアがティリアへと視線を向ける。
それぞれの瞳に見つめられたティリアは、ふと、その可愛らしい美貌には似合いそうにない、力強い笑みを浮かべて見せた。
「――わたしが、答えを見つけなければいけないの」
いつも通りの、可愛らしい声音。
しかし――その力強い笑みは、凛然とした鮮やかささえ魅せて咲き誇り。
何よりも。
その言葉を紡いだ今のティリアに――とてもよく、似合っていた。
「――そうでしたか」
最初に言葉を発したのは、フレイだった。
「では、私は答えを探すティリアを、応援する事にしますね」
そうして浮かんだ微笑みは、少しイタズラめいたもの。
その笑いを誘う言葉に、ティリアは素直に笑みを零した。
「ふふっ、もう、フレイったら! でも、わたしが見つけなければならないことだから、あんまり助けてはダメよ?」
「えぇ。分かっていますよ」
小首をかしげ、同じようにイタズラっぽく告げるティリアに、しっかりとうなずくフレイ。
そのやり取りに、思わず顔を見合わせるライオッドとセシーリアを置いて、再びその場の雰囲気がなごやかなものへと戻って行く。
フレイと微笑み合っていたティリアが、ぱっとライオッドとセシーリアへと振り返り、二人にも笑顔を向けた。
次いで、名案を閃いた、とばかりに輝く青の瞳。
「ねぇ! せっかくだから、四人で朝のお茶会をしましょう?」
「――四人でお茶会、ですか?」
突然の提案に、ライオッドが藍眼を瞬いて問う。
セシーリアも同じように水色の瞳を瞬いているのを見て、フレイは小さな苦笑を浮かべ、ティリアへと紡いだ。
「いけませんよ、ティリア。お二方はお二方で、お話していたのですから」
「! そ、それもそうね…………残念だわ……」
優しい制止の言葉に、納得を示すティリア。しかしその様は、目に見えて気落ちしている。
それに、さっとライオッドへと目配せをしたセシーリアは、ライオッドが小さくうなずくのを見て、ティリアへやわらかに声をかけた。
「わたくしたちは問題ありませんわ。元々、久しぶりにゆっくりお話しましょう、とわたくしがお誘いしただけで、特別な理由はありませんでしたから」
「――よろしいのですか?」
やわらかに微笑むセシーリアに、微笑みながらも、瞳の奥に真剣さを湛えて問うフレイ。
本当は何か大切な話をしていたのでは? と問うその深緑の瞳に、しかし本当にただとりとめもない語り合いをしていただけのセシーリアは、美しく笑ってうなずいてみせた。
「……いいの?」
「えぇ。――さぁ。お二人とも、どうぞおかけくださいませ」
不安げに問うティリアに、フレイの時と同じく、美しい笑顔で応じるセシーリア。
示されたイスに向いたティリアの瞳が、今一度輝きを取り戻す。
「ありがとうっ!」
瞬間に咲いた満面の笑みに、フレイとライオッドが温かく微笑んだ。
そうして始まった、穏やかでなごやかな、四人でのお茶会。
しかしそれは、ティリアとフレイが丸テーブルへと着き、温かな香り立つ飲み物が四人の前に出された直後に――凍りついた。
他ならぬティリアの、至極単純で純粋な……疑問の問いかけによって。
「――そう言えば」
「? はい。いかがいたしました?」
ふと、セシーリアを向いてそう呟いたティリアに、ティリアと視線を合わせ、小首をかしげながら言葉を返すセシーリア。
ティリアは、小首を傾げた拍子に零れた白銀の髪を見つめ、セシーリアへと問った。
――誰しもが、何よりも心の奥底で紡がれることを危惧していた、その疑問を。
「セシーリアは、なんとなくわたしに似ていると、前から思っていたのだけれど……どうしてなのかしら?」
「っ!」
ハッと息をのんだのは、セシーリアだけではなかった。
サッと表情を強張らせ、深緑の瞳を揺らしたフレイ。
ティリアとフレイの後方で、それぞれ血の気の引く思いに顔を青ざめさせた、エフェナたちティリアの侍女たちと、マイアたちフレイの侍女たちと近衛騎士。
グッと膝の上で、見えないように拳をつくったライオッド。
それぞれに共通しているのは、凍えるような危機感だ。
――王でさえ呑み込み続けた答えを、今、ティリアに告げても良いものか? と。
必然的に交わった、セシーリアとフレイの瞳。
両者とも問いかけるその視線は、けれど。
ふと同じように伏せられたことで――互いの覚悟を認め合った。
先に動いたのは、セシーリア。
「ティリア姫様」
「えぇ、セシーリア」
変わらないやわらかな声音に、ティリアもまた変わらない好奇心を湛えた声音を返す。
――次を紡ぐセシーリアの声が、震えた。
「……ティリア姫様。わたくしと、あなた様の容姿が、似ているのは……」
――傷つけたくない。この、純粋で優しい、我らの姫を。
誰もが、心の中でそう叫ぶ。
それでも、いつかは。
いつかは、告げなければならない、真実だから。
――その重みを、セシーリアは背負った。
すっと伸びた背筋と、真っ直ぐ向けられた水色の瞳。
誰もが抱く、悲鳴と同じ心の叫びを、自らの身でも感じながら。
セシーリアは穏やかに、優しく、微笑んだ。
「っ」
一瞬、ティリアの瞳が見開かれる。
それは正しく、これからセシーリアが告げる真実に、ティリアの思いが重なったから。
――かつて、ティリアが大好きだった人に……重なったから。
全ての責任を背負い。
セシーリアは、やわらかに告げた。
「わたくしの父が、ティリア姫様の実のお母君――レティ・フィーリス・フィンフィール様の、実の兄に当たるからです」
「――え?」
小さな疑問が、零れ落ちる。
さして難しくもない説明が、ティリアには本当にすんなり、理解できたからこそ。
目の前にいるセシーリアの姿を、ティリアは束の間見失う。
ティリアには、その優しく微笑む姿が……。
「――お母様?」
天と地へ還った――実の母の姿に見えたから。
「ティリア」
穏やかな声が、ティリアの名を呼ぶ。
今まで知らされていなかった真実に驚き、呆然としていたティリアが、その声へと振り向く。
セシーリアは、成すべきことをしっかりと果たした。
――次は、フレイの番。
ティリアを振り向かせたフレイは、穏やかな微笑みを浮かべたまま、そっとティリアの手を自らの手で包み込んだ。
深緑の瞳が、温かさと共に力強さを宿して、青の瞳と交わる。
――紡がれたのは、瞳と同じく、優しくも力強い声。
「ティリア。きっとこの真実は、貴女にとって優しくはありません。痛みも、哀しみも……何もかもを、思い出させてしまうから……」
それでも。
いつかは、誰かから語られるべき、関係性だった。
セシーリアとティリアに、血の繋がりがあることは、覆せるものではないのだから。
……だから、大切なことは、一つだけ。
「ティリア? 貴女の心の傷が、もし、まだ癒えていないのならば――泣いても、いいんです。苦しいと、言ってもいいんです」
だって――。
「私はずっと、貴女の傍を離れません。貴女が抱く、痛み、苦しみ、嘆き、その全てを――貴女が零す、涙ごと」
そう。だって。
いつであっても、ティリアを護るのは。
「僕が貴女を包んで――必ず護ってみせますから」
――フレイが、成してきたことだったのだから。
「……フレイ」
零す声も表情も、呆然としたまま。
けれどもティリアは、少しずつ、その表情を、やわらかくして行く。
改めて青の瞳が見回した場には、不安げな表情が溢れていた。
その内の一人、ライオッドへ、ティリアは静かに問う。
「ライオッドも……わたしとセシーリアが血縁者であることを、知っていたの?」
その問いに、ライオッドは一瞬口をつぐんだ後、それをゆっくりと開いて、答えた。
「……上級の貴族は、互いに古くから繋がりがある家が多いので……おそらく、伯爵までなら、古い家の者たちは皆、知っているかと……」
途切れ途切れに紡がれた内容は、ティリアも心得ていたもの。
それを思い出し、ティリアは小さく、可笑しそうに笑った。
「ふふっ。そうだったのね。知らなかったのは、わたしだけ?」
微笑みながら、どこか残念そうに一同へと問いかけたティリアに、後方から答えが返された。
「――申し訳ありません。ティリア姫……」
「エフェナ?」
重く掠れた声に、くるりと振り返ったティリアは瞳を瞬く。
それは、いつも優しくも毅然とした姿を見せている筆頭侍女たるエフェナが、ティリアでさえひと目で分かるほど、辛そうな表情をしていたから。
そしてそれは、決してエフェナだけではなく……。
――だからこそ、ティリアは遅まきながら、気付く事が出来た。
そして、気付いたからこそ――その美貌に、満面の笑みを咲かせた。
――自らを守る者たちが、こんなにも沢山いた事が……何よりも、嬉しくて。
「ありがとう、みんな」
そう、紡がずにはいられないと、ティリアは告げる。
「わたし、少しも気付けていなかったわ。――わたしは、フレイだけじゃなくて、みんなに守ってもらっていたのね!」
鮮やかに咲く、心底から零れる嬉しさの笑顔。
その笑顔を見つめて、それでもまだ不安を心に秘めたまま、フレイがティリアへと問いかけた。
「……辛くは、ないのですか?」
その、窺うようで、やはり温かさの宿る問いかけに、けれどもティリアは笑顔で深くうなずく。
そうして、自らの思いを、言葉にして返した。
「――もう、心が痛くないの。――みんなのおかげよ!」
ぱっと咲いた、庭園の花々でさえ霞むほどの、眩い笑顔。
それに、誰もが瞳を細める中。
フレイだけは、限りない愛しさを宿して、同じように笑顔を咲かせた――。




