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フレイリーフの花言葉  作者: 明星ユウ
第三章 過去が彩る四華の色
22/34

幸せのカタチ

 



 窓から入って来た、賑やかな鳥たちの合唱の音色に、ティリアはうっすらとまぶたを持ち上げた。

 そろりと移動した青の視線は、まだ薄明かりしか湛えていない空を見る。

 その空の色は、起きるにはまだ幾分か早い時間であることを意味していたが、一方でまどろみそうな意識を、上半身を起こすことでティリアは無理やり振り払った。

 そうして目覚めた脳裏に浮かぶのは、優しく微笑むフレイと、凛と笑むライオッドの、二人の姿。

「っ」

 渦巻くような胸中の感覚に、ティリアは両手を胸へと重ねる。

 深く静かに呼吸をすれば、規則正しい鼓動が耳を打つ。

 けれどその心は、落とされた石に波紋を描く湖のように、頼りなく揺れ続けていた。


 傾きそうで、互いに決して完全に傾かない思いが、一つと一つ。

 今のティリアの心には、相反する思いがあった。


「フレイ……」

 そう呟いて思い出すのは、あの庭園で成された――愛の告白。

 心底嬉しいと、あの時確かに、ティリアは感じた。

 そして同時に、ライオッドの姿が、思い浮かんだ。


 幼い頃から、ずっと傍にいて自分を笑顔にさせ続けてくれた、フレイ。

 つい最近出逢い、けれどとても輝いて見える、ライオッド。

 穏やかさと凛々しさ、落ち着いた色合いと眩い色合い。

 その相反する二人の姿を思い出し、ティリアは瞳を閉じた。


 これは、自分で答えを見つけるものなのだと、ティリアは思う。

 フレイやライオッドに尋ねても、欲しい答えは貰えないのだと。

 ――ならば、自分はどうすればいいのか。


 困惑と迷いを乗せた視線が、窓の外の空へと、静かに向けられた。




「……本当に、一人で大丈夫ですか? ティリア……」

 真っ直ぐに向けられた、揺れる深緑の瞳。

 声音までも不安げなもので問うフレイに、しかしティリアはにっこりと笑んで見せた。

「大丈夫よ、フレイ!」


 二夜続けての舞踏会が終わった、その翌日。

 華やかな余韻をいまだ残す王城では、昼に花香る庭園の一つで、令嬢たちのお茶会が開かれることとなっていた。


「少し緊張するけれど……でも、優しい人たちばかりだと、お父様もおっしゃっていたもの! だから、大丈夫よ!」

 そう言って、フレイへと笑顔を向けるティリアも、今回のお茶会の参加者の一人。

 透けるような淡い水色のドレスは、常以上にティリアの美しさを際立たせる装いだ。

 しかし一方で、不安げなフレイの心情も、無理からぬものがあった。

 なにせ、今回のお茶会は令嬢たちの集い。

 お茶会の場である庭園へ入る事を許されているのは、御付きの者たちと……少女たちのみ。

 それはつまり、パーティーなどでは常にティリアの傍にいたフレイが、ついて行けないことを意味しており……。

「――庭園の前までは、送って行きますね」

「ふふっ、ありがとう、フレイ!」

 困ったような吐息を一つ。

 苦笑に近しい微笑みを浮かべて提案をするフレイに、嬉しげに返すティリア。


 催し事への、一人きりでの参加――それは、ティリアにとって、初めての試みであった。




 風が運ぶ花々の香りを前に、廊下でフレイと別れたティリアは、早速とお茶会の場である庭園をのぞく。

 見慣れているはずのその場所では、すでに多くの令嬢たちが、互いに微笑みながら言葉を交わしていた。

「まぁ……! こんなにたくさんのご令嬢が参加しているのね!」

 思わず青の瞳を輝かせるティリアを、御付きの一人としてついてきたエフェナが、眩しそうに見つめる。

 次いで、確認するように周囲の令嬢へと向けられたその碧の瞳は、しかし終始穏やかであった。


 実は、今回の令嬢だけのお茶会。

 ティリアだけが参加するということで、その身を心配したのはなにも、フレイだけではなかった。

 必然、何かしらの問題を起こす可能性のある者は排除され、絶対に安全だとされた令嬢たちだけが厳選され、この場へと来ている現状。

 事前にそのことを聞いていたエフェナは、確かに安全であることに納得し、ほっと安堵の息を吐く。


 そうして整えられた舞台へ、そうとは知らないティリアは、ただ楽しげに足を踏み出した。


 まず響いたのは、王女の訪れを喜ぶ、令嬢たちの嬉しげな声。

「姫様! お会いできて光栄です!」

 そう口々に頬を染めて告げてくる令嬢に、ティリアも満面の笑みを咲かせる。

「わたしも、みんなに会えて嬉しいわ! 今日はみんなで、楽しみましょうね!」

 弾む声音とその笑顔に、誰しもが笑顔を返してゆく、女性ならではの温かな空気。

 美しい花々に囲まれたその場は、ティリアの登場により、あっという間に華やかな雰囲気を増していく。

 次いで響いたのは、年長の令嬢の穏やかな声音。

「姫様。姫様はこのお飲み物がお好きだとききましたの。いかがですか?」

 その言葉をきっかけとして、場はあっという間に挨拶の時間から、お茶会としての時間へと発展して行った。

 純白の丸テーブルに並ぶ、繊細なカップと様々なお菓子。

 ティリアを囲む令嬢たちのドレスもまた色とりどりで、花々に劣らず美しく。

 正しく、つぼみが花開くように。

 庭園は、最高のお茶会の場として、令嬢たちの楽しげな声で満ちて行く――。


 そんな中、ティリアもまた多くの令嬢たちと笑顔を交わしつつ、しかし一方で彼女だけは、盛り上がる個々のテーブルを移動して楽しんでいた。

 それは単純に、ティリアがより多くの令嬢と話をしてみたかっただけではあったが。

 ――同時に、いつかは語り合うはずであった者との再会を、叶えることとなった。


 お茶会の場となった庭園の、少し奥まった蔦の空間。

 次はそこにいる、年上の令嬢たちと話そうと近づいたティリアは、そこで以前二度見かけた令嬢がいる事に、気付いた。

 一度目は、花を愛でるパーティーにて。

 二度目は、フレイが背中を見せた、王城舞踏会にて。

 ……いずれも、ライオッドへと向けられていた瞳が、ふとティリアを映す。

「まぁ、ティリア姫様」

 やわらかに響いた声と、ひと目で上級の貴族だと分かる、美しくも穏やかな微笑み。

 振り向いた拍子に揺れたのは、真っ直ぐに伸びた白銀の髪。静かにティリアへと向く瞳は、優しげな水色。まとうドレスもまた水色で、その淡い色彩は、どこかティリアをほうふつとさせる。

「あなたは……」

 思わず、ティリア自身でさえ不思議な感覚を抱き零した言葉に、令嬢は実に優雅な礼と共に、その名を告げた。

「名のりが遅くなってしまい、もうしわけありません。――わたくしは、セシーリア・レア・フィーリス。現フィーリス公爵の、娘にございます」

 そっと顔を上げる所作でさえ、上品で美しい。

 それを、ふわりと浮かべ直した微笑みで整えた令嬢――セシーリアは、密かに、この再会を無駄にしないようにと、気を引き締めた。


 ――セシーリアには、どうしても一度、ティリアに尋ねなければならない言葉があった。

 それは、とても個人的なことではあったけれど。

 一方で、どうしても、ティリアから答えを聞きたくて。


「そう……あなたはセシーリアと言うのね! フィーリス公爵家の…………あら? では、もしかして」

 記憶を手繰り寄せるように、一瞬空を仰ぐティリア。

 その瞳が、再び自らとよく似た瞳と交わり――紡がれるべくして紡がれた言葉が、その場に響く。

「フィルハイド公爵家のライオッドとは、幼い頃からの知り合いなの?」

 純粋な疑問に、小首を傾げての問い。

 同じ公爵の家系であり、かつ年も近いとなれば、古くから接点があると考えるのが普通である。

 それに、セシーリアは微笑みを淡くして、静かに答えた。

「――えぇ。……お察しの通り、わたくしとライオッド様は、幼馴染にあたります」

「まぁ!」

 嬉しそうに重ねた両手が、ぱんっと可愛らしい音を立てて辺りに響く。

 自らとフレイを思わせる〝幼馴染〟と言う言葉に、ティリアは瞳を輝かせた。

 ……しかし、その嬉しげな表情は、眼前で微笑むセシーリアがふと表情を変えたことで、ゆるやかに心配げなものへと変わって行く。

「ど、どうしたの?」

「……すみません」

 戸惑いながら問いかけたティリアに、泣きそうな笑顔を浮かべたセシーリアは、ぽつりと返す。

 そして、毅然とあることの出来ない自分を不甲斐なく感じながらも、ティリアへ、ただただ真っ直ぐに問いかけた。

「ティリア姫様……ライオッド様は……」


 それは、セシーリアにとって、究極の問いかけ。

 もし、この問いの答えが、肯定であったならば。

 その時は、誰が、どれほど必死に足掻こうとも。

 自らの思い……そして、フレイの思いでさえも。

 ――決して叶うことはない……その証明となる。


 声が、震える。

 それでも、セシーリアは。

 ――最後まで紡ぐことを……止めなかった。


「ライオッド様は、今――お幸せ……でしょうか?」

「!?」

 はっと息をのんだティリアの脳裏で、ゴンッ! と強く、鈍い音が鐘のように大音で鳴る。


 決死であったセシーリアの問いかけに、ティリアはどうしても、答えることが出来なかった……。




 結局、予定より幾分か早く庭園から出て来たティリアは、迷う足をゆっくりと、王妃の部屋へと進めていた。

 理由は単純で、今抱えている悩みを、フレイに語るわけにはいかなかったから。


 ティリアは、耳に残ったセシーリアの言葉を思い、胸中で一つの問いを繰り返していた。

 それはすなわち――ライオッドにとって、自分と居ることは、最高の幸福になり得るのだろうか? と言う強い疑問。

 いずれ、必ず考えなければならなかったのだろう、大切な問い。

 けれどどうしても、今の自分一人では答えを見つけられない――難解なもの。


 ――たった一つだけでいい。

 どれほど、小さなものでもかまわない。

 だから――きっかけを、下さい。

 それさえ見つけることができたなら。

 ――わたしは必ず、答えを見つけてみせるから。


 きゅっと重ね握られる、小さな両の手。

 その様を静かに見つめていたエフェナは、辿り着いた王妃の部屋の扉を、祈るようにノックした。

 一拍の後に応えがあり、ティリアとエフェナ含めるティリアの侍女たちは、すぐに王妃の部屋へと招かれる。

 突然訪れたティリアに、しかし王妃は問う事も無く、ただ静かにティリアを見つめた後、優しく微笑んでソファーへと導いた。

 並んで腰掛けた二人の前に、素早く温かい飲み物が用意される。

 それに視線を落とすだけのティリアに対し、王妃は黙したまま、上品に一口だけふくんでのどを潤す。

 そうして、ようやくやわらかな声音で言葉を紡いだ。

「あなたは、きっと自分で答えを見つけることができます。……ですから、わたくしは何も言いません」

「!」

 少しだけ厳しい、けれど確かに、母親としての言葉。

 その言葉に、はっとして王妃へと振り返ったティリアは、そこで普段より少しだけ凛とした、王妃の微笑みを見た。

 カップをテーブルへと戻した手が、そっとティリアの頭を撫でる。

 優しく、温かい、母親らしい手。

 その、確かな愛情を感じる心地よさに、ティリアはそっと瞳を閉じた。

 束の間舞い降りた沈黙を、しかし王妃は優しく破る。


 ――次いで紡いだ言葉は、王妃自身、とても思い入れのある言葉だった。


「――あなたなら、大丈夫ですよ」

 やわらかに紡がれた言葉が、優しくも強く、部屋に響く。

 その言葉に、エフェナがはっと息をのんだ。

 ――なぜなら、その言葉は。

 かつての日々の中……王妃へと、他ならぬティリアの実母レティが、紡いでいた言葉だったから。

「お義母(かあ)さま……」

 穏やかに離れた手と響いたその言葉に、青の瞳を開いて王妃を見つめるティリア。

 そんなティリアに、王妃は珍しくいたずらっぽく笑み、繰り返した。

「ティリア。あなたなら、きっと。大丈夫ですから……ね?」

 そうして、ふわりと今一度浮かんだ微笑みは、もう常のやわらかなもので……。

 ティリアはただ、今は悩むべき時なのだと、静かに理解をして、うなずいた。

「……わたし、投げ出しませんわ。――お義母(かあ)さま」

 憂いの中にあって、なお。

 ティリアはしっかりと、自らの義母(はは)に、そう宣言をしてみせる。

 それに、王妃は本当に嬉しそうに、微笑んだ。


 窓から射し込む陽光が、やわらかに二人を照らす。

 その沈む黄金光の眩しさに、王妃がフレイのところへ帰ることを提案し、ティリアとエフェナたちは王妃の部屋を後にした。


 深い悩みを抱えたまま、自らの部屋へと戻ったティリアを、すでに部屋へと訪れていたフレイが、駆け寄って迎える。

 フレイは、お茶会から帰ってくるべき時間を過ぎても部屋に戻って来ないティリアを、大変心配していた。

 しかし、本来安堵すべき現状は、ティリアが沈んだ様子であるのを見て、いよいよその表情を心配に染めることとなった。

「ティリア、一体何があったのです? 顔色が良くありません……」

 そう問いかけながら、深緑の瞳に映すティリアは、見るからに常とは違っている。

 可愛らしく素敵な笑顔は消え去り、常に煌いている青の瞳は、物憂げな色を隠そうともしない。

 フレイはたまらず、その冷たい頬へとそっと手を添えた。

「ティリア……?」

 うかがうような問いかけに、ティリアはようやく、俯いていた顔を上げてフレイを見つめる。

 しかし、その時間は長くはなく、ふときつく閉じられた青の瞳と共に、その顔をフレイの胸元へとうずめてしまう。

 小さな肩がより小さく見え、フレイはそっと、その小柄な身体を優しく抱きしめた。

「――しばらく、こうしていましょうか」

 穏やかな囁き声は、常よりもゆったりと紡がれる。

 途端に胸中に満ちた温かさに、ティリアは涙をぐっとこらえ、小さくうなずきを返した。


 フレイの優しさは、いつであっても、ティリアの心をぬくもりで満たす。


 ――幸せとは、何であるのか。


 優しく温かな腕に、包まれながら。

 ティリアはようやく、その意味の一欠けらを、掴んだように感じていた――。


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