華麗なる真剣勝負
舞い上がる花びらの中、再び訪れる沈黙。
しかしそれは、ふといつも通りの微笑みを浮かべたフレイにより、穏やかに破られた。
「昼食の時間ですね」
「……あ……」
その言葉と共に、優しい微笑みを浮かべたまま、そっと立ち上がるフレイ。
思わず小さく零したティリアは、迷うように視線を彷徨わせた。
そんなティリアへとゆったりと近付き、フレイはいまだ右手に持っていたティレネリアの花を、美しくその白金の髪へと飾る。
はっとして飾られた花へと手を伸ばすティリアに、フレイは眩しそうに深緑の瞳を細めて囁いた。
「――似合っていますよ……とても」
にこりと重ねられた微笑みに、ティリアはようやく、小さく微笑む。
「……ありがとう、フレイ」
「はい」
そっと見上げての言葉に、嬉しそうにうなずくフレイ。
再び緩やかに絡められた腕に、互いの従者たちはほっと安堵の息をついた。
「さぁ、隣の庭園に行きましょう」
「えぇ!」
穏やかに反転し微笑んで告げたフレイの言葉に、ティリアもまた微笑み、二人は歩き出す。
目指すは、ライオッドが待つ、隣の庭園。
先を見つめる青の瞳は、ティリアの内心を隠すことなく表して、いまだ小さく揺れていた――。
「……ゼルロース侯爵子息殿」
フレイがティリアを導き辿り着いた隣の庭園で、ティリアを待っていたライオッドが真剣な表情でそう呟く。
そんなライオッドに対して、ふわりと柔らかく微笑んだフレイは、穏やかな声音と共ににこりとその笑みを深めた。
「どうぞフレイと呼んで下さい。フィルハイド公爵子息様」
「!」
小さな思惑を見せるその笑みに、ライオッドは一度藍眼を見開く。
……そして、戦いはすでに始まっているのだと悟り、凛とした笑みを浮かべた。
「ははは! では、私のこともライオッド、と」
「承りました」
そう言い、互いに笑顔を向け合っての静かな押収に、思わずエフェナとマイアが微笑みながら冷や汗を流す。
いまだぎこちなさの残るティリアを、フレイとライオッドが挟む形。
そうして始まった昼食会は、しかし意外なほど穏やかさを損なうことなく、それでいて王族・公爵・侯爵と高貴な者が揃うだけに、実に華やかであった。
そもそもまず、所作そのものが、三人とも非常に上品で優雅なのだ。
その上、微笑みも声音も美しく澄んでいて、それだけで場が明るさに満ちる。
それが数多の花彩る庭園にて成されるのだから、華やかにならないわけが無かった。
そよ風に揺れる髪の煌きも、和やかな談笑の声も、すべてが鮮やかの一言。
はじめの方こそ、フレイとライオッドの一挙一動に緊張していた従者たちも、思いのほか穏やかな会話に、今は眼前の華やかな光景を、眩しげに見守っていた。
そんな中、ふとティリアを見つめたライオッドが、その白金の長髪に飾られた薄青の花を見て、凛とした笑みと共にティリアへと告げる。
「その花の髪飾りは、ティリア姫によく似合っていますね」
「えっ、あ、そうかしら?」
不意打ちのように告げられたライオッドの言葉に、慌てながら、フレイによって飾られたティレネリアの花へ手を伸ばすティリア。
それに、柔らかく深緑の瞳を細めたフレイは、ライオッドへと穏やかに紡いだ。
「このティレネリアの花は、ティリアの名前の元となった花だそうですよ」
「ほう……そうでしたか」
穏やかに語られた言葉に、素直に感心を示してそう返すライオッド。
自然と交わった深緑と藍の瞳が、互いに鮮やかな色を映す。
ふと同時に浮かんだ微笑みが、まだ勝負は始まったばかりだと、告げていた――。
今回は二夜続けて行われることになっていた舞踏会。
昨晩に続き、今夜もまた、舞踏会場には多くの人々が集い、皆思い思いに知人たちと語り合っていた。
しかし賑やかなその中で、王と王妃が座す入り口の付近だけは、不思議と騒がしさが無い。
それどころか、その場にいる者たちの多くは、口元に微笑みを浮かべながらも揃って真剣な表情をしていた。
彼・彼女らが向ける視線の先は、王と王妃――そして、王と王妃の近くにある、出入り口。
最早語るまでも無く、その場にいる者たちは昨晩のことを思い出し、ティリアとフレイが今晩の舞踏会に来られるかを、案じていた。
その中には、当然として王と王妃も含まれる。
互いに視線を交わし、そして幾度となく出入り口へと向けられる青と黄緑の視線は、不安げではなくとも静かな色を宿して、二人の姿を探す。
そうして舞踏会の始まりから、もうすぐダンスが始まるという頃まで、待った時。
「!」
誰かが息をのむ音と共に、フレイとティリア――そしてライオッドの三人が、出入り口から現われた。
「!?」
途端に瞠目した王と、ざわりと周囲に驚愕が満ちたのは、ほとんど同時。
フレイがティリアを導き、その隣にライオッドが並んで入ってくるというこの事態に、一瞬その場が愕然とした雰囲気に満ちる。
しかし、それを覚ったエフェナやマイアが、思わず首を縮める中、この場の雰囲気を作り出した原因である三人は、王と王妃へと微笑みを向けると、平然と互いに視線を戻す。
それにはっとして見守る態勢へと移った周囲を横目に、音楽が変わったことを一番に気付いたフレイが、ふわりとティリアへと微笑んだ。
「ティリア。丁度ダンスの時間のようですから、行きましょう?」
「!」
そうしてそっとティリアの手を引いたフレイに、今一度その場に緊張と、そして驚愕が満ちて行く。
緊張を抱いたのは、王と王妃をのぞく、三人を見守る周囲の人々。
彼・彼女らの脳裏には、はっきりと昨晩の光景が甦っていた。
一方で、驚愕を現したのは、エフェナやマイアたち従者と、そして王と王妃。
それはひとえに、フレイがどのような人物かよく知っているが故に。
――ティリアが答える前から彼女の手を引く。
その、フレイらしからぬ強引な行動に、ただただ驚いてしまう。
けれど、ティリアの手を引いた、その後は。
まるで、その青いドレスが、ふわりと可愛らしくゆれることを心得ているかのように、絶妙な時間差で歩みが開始される。
まさしく、いつもと同じ――いや、いつも以上に、ティリアを思って成されるフレイの所作に、多くの者が感嘆のため息をついた。
そうして、ライオッドが声をかける間さえないほど自然に、フレイがティリアを導き、二人は舞踏会場の中央へと辿り着く。
自然と集まる多くの視線に、少し戸惑いながらフレイを見上げたティリアは、しかしいつも安心させられる、柔らかな微笑みをそこに見た。
「――フレイ」
「はい、ティリア」
零れた小さな呟きを、しかしフレイはしっかりと拾う。
――それと同時に、音楽が変わった。
一拍を置いて、フレイが軽いステップを踏むことで、舞踏初めのダンスが始まる。
フレイのステップに導かれ、そっと音に乗ったティリアはしかし、今日はやはりぎこちない動きが目立つ。
フレイは最初の三拍ほどでそれを覚り、次ぐ盛り上がる音楽に合わせて、ティリアの足を実になめらかに滑らせた。
「!」
思わずティリアがはっと息をのんだ時には、瞳に映る人々の姿が流れ――気がつけば、微笑むフレイの端整な顔が、すぐ目の前。
「っ」
反射的に頬を染めたティリアは、ここにきてようやく、フレイが自分を実に鮮やかな手腕で以ってターンさせたのだと、気付いた。
途端、周囲から驚嘆の声が湧く。
しかし、フレイはそれにかまわず、トンッとステップを続けた。
どこまでも穏やかなその足運びは、しかし常以上にティリアを支え、彼女をより美しく魅せるダンスをその場に刻む。
ティリアへと捧げるかの如く、彼女を魅せるために成されるステップは、穏やかでありながら鮮烈に、見る者たちの目に焼きついた。
それは――まるで、独擅場。
決して、フレイ自身が目立つ動き方ではないにも関わらず、正しくその場がさもフレイの独擅場であるかのような感覚を、多くの者たちが抱いて瞠目する。
二人のダンスを、入って来た出入り口の傍で見ていたライオッドは、無意識にその両手を握りしめた。
「――なんと素晴らしいダンスだ」
反して、そう呟かれた声音は感嘆に満ち、その表情は純粋な驚きで満ちている。
同時に、その藍眼には確かな尊敬が浮かび、揺れて何度も瞬いていた。
ライオッドは思う。
――これが、フレイという人物か、と。
誰もが見惚れるそのダンスは、しかし舞踏初めのダンスだと多くの者たちが思い出し、次第にステップの音が重なって行く。
それはあっという間に会場全体に広がり、フレイとティリアのすぐ傍でも、幾人もが円舞を描き始めた。
多くの者たちがフレイとティリアのダンスに魅了され、先の素晴らしさに負けないようにとステップを踏む。
その只中で、予想以上の盛り上がりに困惑したティリアが、眉を下げてフレイへと呼びかけた。
「フレイ……」
「大丈夫ですよ」
不安げな声音に、穏やかでいて力強い返答。
フレイは、自らを見上げてくるティリアに、ふわりと優しく微笑んだ。
――と、その時。
「あっ」
「おっと!」
すぐ傍まで迫っていた互いに気付き、ティリアと男性の声が上がったのは、同時。
声を上げた男性の組とターンが重なり、危うくぶつかると言う所で、フレイがくるりと回る位置を変え、衝突を回避する。
「失礼致しました!」
「いえいえ、こちらこそ申し訳ありません」
即座に飛んだ謝罪の言葉に、穏やかに微笑みながら返すフレイ。
無事なめらかに続いたダンスは、やはり驚くほどふわりと優雅で、何よりもティリアを思ってステップが踏まれる。
鮮やかなる緑と青の円舞は、しかしそれから少しだけ続いた後、優雅さを残してステップを止めたフレイにより、終わりを迎えた。
そうして静かに舞踏者の間を抜け、ライオッドの元へと帰って来たフレイとティリアに、ライオッドは以前の舞踏会の時のように、素直に賛辞を捧げる。
次いで、少しの休憩を挟んだ後に、ライオッドとティリアのダンスも行われ、それもまた実に見事ではあったが……しかし一方で、多くの者たちは感嘆の声を上げることが、出来なかった。
それはあまりにも、先のフレイが刻んだダンスが、素晴らしかったが故に。
ティリアと共に躍るライオッドでさえ、フレイが見せた動きを再現する事は出来ないと、強く確信を抱いて。
確かに、今日一番に行われた舞踏こそが、最高の舞踏であったことを、誰もが認めて。
穏やかにして鮮烈なあのダンスを超えるダンスは、今日はもう見られないだろうと、多くの者たちが胸中でそう、言葉を零した。
――しかし、舞踏会はまだ始まったばかり。
それを思わず失念していた少なくない数の者たちは、ライオッドとティリアのダンスが終わり、再びフレイがティリアの隣に並んだことで、それを痛感することとなった。
「ティリアもライオッド様も、のどが渇いていませんか? ――あのテーブルに、ティリアが好きな飲み物があったのですが……」
どうしますか? と問う深緑の瞳に、瞬間ティリアの青の瞳が輝く。
「飲みたいわ! 行きましょう!」
そうして笑顔と共に、フレイの左腕へと手を絡めたティリアに、ライオッドがはっとする。
そして、今のティリアを導くような言葉と、先の素晴らしいダンスを思い返して――思い出す。
……フレイとの真剣勝負は、まだ続いているということを。
思わず浮かんだ真剣な表情は、しかしティリアがぱっと嬉しげな表情で振り向いたことによって、笑顔へと変わる。
「ライオッドも行きましょう?」
「――はい」
言葉はティリアに、藍眼はフレイへと移して、ライオッドは返す。
それに、同じようににっこりと微笑むティリアとフレイ。
……しかし、改めて気を引き締め直したライオッドは、今日はその努力が実りそうにないことを、すぐに実感して驚愕した。
一見して、ライオッドの事もしっかり気遣い、穏やかにティリアを導くフレイ。
けれど一方で、その立ち位置はティリアがフレイの腕から手を解いてさえ、決してティリアの右隣から、外れる事は無かった。
だからと言って、ライオッドをティリアから遠ざけている、というわけでも無い。
――ただ、本当にうまく、ティリアの気を引き続けるのだ。
常ならぬフレイの強引な所作は、しかしあまりにも見事と言わざるを得ず、ライオッドを含める多くの人々は、その胸中に驚きを抱かずにはいられない。
加えて、驚いたのは、マイアたちフレイの侍女や近衛騎士、そして王と王妃もまた同じで……。
こちら側の人々は、フレイの行動がティリアにつき従うものから、彼女の好みを把握した上で積極的に導くものへと変化したことに、純粋に驚きを抱く。
そして同時にその口元へと、慈しむ微笑みを浮かべた。
――不思議と、フレイがまた一つ、立派に成長したように感じて。
そうして、周囲の驚きと共に過ぎ行く時間の中、ティリアはフレイの左側、ライオッドはティリアの左やや後方の位置取りで、フレイの導きにより、三人は舞踏会場を回って行く。
その表情は三者三様で、しかし三人ともが、決して自らを偽ろうとはしていなかった。
「ティリア。あちらに白いケーキがありますよ」
「まぁ!」
愛する人が隣にある嬉しさに、明るく微笑んでそう紡ぐフレイ。
その言葉に、青の瞳を煌かせたティリアは、揺れる思いを胸中にわだかまらせたまま、けれどやはり今の瞬間とて楽しくて。
「ライオッド様も如何ですか?」
「え、ええ。――頂きます」
くるりと振り返ってのフレイの問いに、藍眼に複雑な色を浮かべ、けれどもライオッドは自分らしく、凛とした笑みでうなずいてみせた。
ふと、誰もが胸中で問いかける。
――この物語の結末は、果たして? と。
「美味しいですね、ティリア」
「――えぇ。とっても!」
そう言って、満面の笑顔をティリアに向けるフレイに、ティリアもまた笑みを浮かべ、二人は嬉しそうに、楽しそうに、笑い合う。
それは、ライオッドから見ても、とても眩い光景だった――。




