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フレイリーフの花言葉  作者: 明星ユウ
第二章 三つの華が交わる地
12/34

すれ違う笑顔

長らくお待たせいたしました。

 



「今日もフレイは来られないの?」

「えぇ……残念ながら」

「そう……」


 ティリアとライオッドが、王城庭園にて昼食を取ったその次の日。

 昨日の約束どおり、今度はお茶会が開かれることとなった。

 昨晩の夕食の時に、とても楽しかったことをフレイへと語ったティリアは、当然として今回は是非とも一緒に、とフレイを誘う。

 しかし今日は、午前中が忙しかったティリアとは反対に、フレイは昨日よりは少し余裕があるものの、午後から忙しくなる。

 ひっそりと初老の侍女エフェナと、フレイの侍女マイアが困った顔をする中、ティリアは小さく肩を落とした。

 ティリアにとって、ライオッドとのひと時は、本当に楽しいものだった。

 あの楽しさを、フレイにも感じて欲しい。

 いつも自分を楽しませてくれるフレイに対し、ティリアはそう思っていたのだが、結果は芳しくない。

 結局、昨日と同じくティリアとライオッドの二人で、お茶会をすることとなった。


「じゃあ行ってくるわ、フレイ」

「えぇ」

 フレイが行けないと決まり落胆していたティリアだが、またライオッドと会えることは変わらない。

 綺麗な水色の刺繍流れる青のドレスをひらりと揺らし、早速と廊下へと出たティリアは、フレイから見ても浮き足立っていた。

 同じように廊下へと出たフレイが淡い微笑みを浮かべる。

 それに、楽しみで仕方ないとばかりの笑顔を浮かべたティリアが、一度だけ振り返って笑いかけた。

「……行ってらっしゃい」

 常と同じ穏やかな声音が、廊下に響く。

 ただ、浮かべられた微笑みと同じように、その声はどこか寂しげだった。




 廊下にてティリアと別れたフレイは、マイアと他の侍女たち、専属の近衛騎士と共に、色々と調べ物をするためにと、王城の中にある書室へと赴いた。

 整然と立ち並ぶ本棚を一見し、本を見るより先にフレイが行うことは、この書室を預かる司書への挨拶。

 ここへは、幼い頃より幾度となく足を運んでいるフレイだが、司書たちへのあいさつだけは、一度たりとも欠かしたことが無かった。

「こんにちは」

「これはこれは、フレイ様。こんにちは。どうぞ、ごゆっくり見て行って下さい」

「はい。ありがとうございます」

 穏やかに微笑んで言葉を交わすフレイに、司書も嬉しそうに頭を下げる。

 そうして司書に見守られながら、フレイはいつものようにゆったりとした歩みで、本棚へと向かった。


 いくつかの本棚を回り、数冊の本を腕に抱いたフレイは、次にと回り込んだ本棚の一角で、ふとその足を止める。

 立ち止まった場所は、幼い子供向けの本が並べられた棚の前。

 無言で移動した穏やかな深緑の瞳に映ったのは、一冊の本だった。

 いまだ男性にしては細く色白の手が伸び、その本をそっと引き抜く。深緑の瞳が、懐かしげにそっと、細められた。

 表紙に、炎球を纏う魔法使いの青年が描かれた本。大きく刻まれたタイトルは、【まほうつかいのぼうけん】。

 ――それは、幼い頃のフレイとティリアを繋ぐ、大切な一冊。

 閉じられた瞳の奥で、フレイは懐かしい過去を思った。


 それは、丁度魔法使いの主人公が、魔物と戦っている場面。

「あっ! やられてしまうわ!?」

 焦って声を上げる幼き日のティリアに、幼き日のフレイは、優しく微笑んだ。

「大丈夫ですよ、ティリア。……ほら、水の魔法がまもってくれました」

 めくられた次のページの文字をなぞり、にこりと笑うフレイに、ティリアは満面の笑顔を浮かべる。

「まぁ! すごいわねフレイ!!」

「えぇ。でも、いろいろな魔法をつかうのは、本当はむずかしいそうです」

「そうなの? なら、このまほうつかいは、とってもつよいのね!!」

「そうですね。とても強いです」

「すごいすごいっ!!」

 そう言ってはしゃぐティリアの笑顔は、いつでも、フレイにとって眩く輝いて見えた。


「――」

 ふと開かれた瞳に、過去の思い出が仕舞われる。

 再び本へと注がれた視線は、口元に浮かんだ淡い微笑みと同じように、懐かしさだけを宿しているわけではなかった。

 ――今も、フレイにとってティリアの笑顔は、明るく輝いている。

 それは、決して変わってはいない。

 変わっているのは……彼女の周囲、なのだ。

 近日の舞踏会を思い出したフレイの脳裏に、鮮やかな金を宿した青年が浮かぶ。

 ティリアは今も、その青年――ライオッドと共に、時を過ごしている。

 ……それはフレイに、もう、幼き頃のように、ティリアを笑顔にできる存在は自らだけでは無いことを、強く実感させた。


 フレイは、ティリアと共に読書をする時間も無かった最近を思い返し、小さな苦笑を零す。

 寄り添って行う読書の時間は、フレイとティリアにとって何よりも大切な時間だ。それが欠けている日々が、色付くわけがない。

 無言で仕舞い込む思い出の本。その手には、確かな寂しさがあった。

 フレイの傍で控えていたマイアと他の侍女たち、専属の近衛騎士が案じる中、フレイは穏やかに歩みを再会する。

 そのまま司書のところへと向かったフレイは、腕に抱く数冊の本を借り、静かに書室を後にした。




 歩調も、その歩みの穏やかさも変わらないフレイに、それでも彼の胸中を思い、マイアたちが心配そうに続く。

 書室からフレイの自室までの、長い歩み。誰もが無言の廊下で響くのは、靴音だけ。

 そうして幾らか進んだ時、唐突に右側の壁が切り取られた、開けた場所に出た。そこは、庭園への出入り口の一つ。

 少しだけ進む速度を緩めたフレイが、すぐそばにも咲き誇る花々に、ふわりと微笑みを浮かべる。

 常のフレイらしいその様子に、マイアが頬を緩めた――その時。

 遠くから風にのって、少女の声が届いた。

「! ティリア?」

 思わず立ち止まるフレイの言葉どおり、それはこの庭園の奥にいる、ティリアの声だった。

 庭園の彼方へと向いた深緑の瞳が、温かな色を湛える。

 しかし、風が届けるのは、なにもティリアの声だけでは無い。

 次にその場に届いたのは、若い青年の声――ライオッドの声だった。

 わずかな間、フレイが瞠目する。ハッとしたのは、マイアたちも同じだった。

 思わずフレイへと振り返ったマイアが見たのは、かつて(・・・)見慣れた、儚い達観の微笑み。

「っ、フレイ様っ」

 衝動的に紡がれたマイアの言葉に、フレイは彼女へとふわりと微笑み直し、そしてくるりと背を向けた。

「――行きましょう」

「っ」

 常と同じ穏やかな声音。そこに、確かに幼き日の声音に似たものを感じたマイアが、息を呑む。

 しかし、マイアが再び言葉を発する前に、前に向き直っていたフレイが歩みを再開してしまった。

 穏やかでありながらも、どこか足早なその歩調に、マイアのみならず、この八年間フレイに仕えてきた他の侍女たちや近衛騎士も、苦い表情でフレイの後を追って行く。

「…………」

 再び無言で進む帰路の中、フレイは本をよりいっそう強く抱いた。


 今一度思い返すのは、ライオッド・ディール・フィルハイドという人物のこと。

 華やかな舞踏会の中、それでも尚鮮やかに見えた、その青年の姿。

 誠実だと語られる、フィルハイド公爵家の次男。

 ティリアが心を許す、数少ない者の、その内の一人。


 ふと、フレイは天啓のように閃く。

 自分は、侯爵家の人間だと。

 そして、ライオッドは、公爵家の人間。

 ――侯爵よりも、公爵の方が、王女には釣り合うのでは無いか? ――と。

 口元に浮かぶのは、小さな自嘲。

 今更、我が身が一番にティリアへと釣り合う存在では無いことに、気付いた、と。

 フレイは胸中で呟く。

 ――ならばこの先、僕はどうすればいいのでしょう?

 ――どういう立場で、姫様の傍に在ればいいのでしょう?

 ――姫様は……これから先、どうするのでしょう?


 答えの無い問いかけが、浮かんでは積もって行く。

 通い慣れた自室と書室との廊下が、今のフレイには酷く長く感じた。

 ただ、腕に抱えた数冊の本の重みだけが、フレイの足を前へと動かす。

 窓から差し込む眩い陽光が、明るい緑の長髪を、いたずらに鮮やかへと仕立て上げていた。




 月が昇り、優しく地を照らす時間。

 いつも通りティリアの部屋で始まった夕食の席で、ティリアはとても楽しそうに、フレイへと言葉を紡いでいた。


「それからね、どっちがお花の名前をたくさん知っているか、競ったの!」

「楽しそうですね。どちらが勝ったのですか?」

「もちろんわたしよ! でも、ライオッドも本当にたくさん知っていて、驚いたわ」

「フィルハイド公爵子息様も、花が好きなのでしょうか?」

「お母様がお好きだと言っていたわ。よく花瓶にかざるお花を、一緒に買いに行くのに、連れて行かれてしまうらしいの」

「それはそれは……。少し大変そうですね」

「そうなの! ライオッドも困った顔をして話していたわ!」


 料理を口に運ぶのもそこそこに、ティリアは先ほどからずっと、こうして話を続けている。よほどライオッドとの一時が楽しかったのか、昨晩よりも饒舌に語るその姿に、初老の侍女エフェナは後方で苦笑を零していた。

 対するフレイは、常の微笑みを浮かべながら、穏やかに相槌を打っている。

 それは一見、いつものように、ティリアの話を楽しそうに聞いているように見えた。


 ――しかし、その姿を上辺だけで判断する従者は、二人に従う者たちの中にはいない。


 今日一日の情報交換をすでに終わらせている侍女たちは、ティリアの侍女であってさえ、フレイの心境が決して穏やかでないことを見抜いていた。

 フレイの侍女マイアが心配するのは当然のことだが、マイア以外の者たちも、十分フレイを心配している。その原因が、他ならぬティリアであるのだから、尚のこと心配にもなるというものだ。

 侍女たちと近衛騎士は、この八年間、二人が仲良く寄り添って育ってきたことを知っている。

 だからこそ、二人の心がすれ違っている現状に、酷く危機感を抱いていた。

 ――同時に、この危機感を抱いている者が、自分たちだけで無いことにも、気付いた。


「そうしたらね? いきなりライオッドが笑い出したの! ひどいと思わない?」

「おやおや。しかし、それなら私も笑ってしまうかもしれません」

「も、もぅ! フレイまで笑ってはだめよ!」

「えぇ、そうですね」


 そうして、穏やかな笑い声を立てるフレイ。

 けれどその楽しげな声は、全てが本心から零れるものでは無く。

 フレイもまた、その楽しげな笑顔の裏に、確かな危機感を持っていた。


 楽しげにライオッドのことを語るティリアの姿に、フレイは思う。

 今のティリアの心には、誰が居るのか? と。

 ライオッド? それとも自分?

 そこに、自分は居るのだろうか? と。

 幼い頃からずっと、苦も無く浮かべてきた微笑みが、今は意識しないと消えてしまう。

 それはどうしてなのだろう? と。

 ただ一つ、フレイは明確な感情を自身が抱いていることに、気付いていた。

 ――怖い。全ての問いに、ティリアの心に、答えがあることが。

 何よりも、それを知ることが。

 怖い、と。

 フレイは、ただそう感じる。

 すぐ目の前で、自らに笑顔を向けるティリアが、少しずつ離れていくような、感覚。

 フレイは、無意識に膝の上の両手を、ぐっと握りしめた。

 震えそうになる声と、消えそうになる微笑みを、必死でいつもどおりに収める。

 本当に楽しかったのだろうティリアの話を止めさせることは、フレイの選択肢には無い。

 ――どんな時も、フレイの行動は、ティリアの為に成されてきたのだから。


 束の間に成された不安を示すフレイの行為を、目敏く捉えたエフェナとマイア。

 刹那に視線を交わした二人は一度、互いの主人を見つめ、そして再び視線を合わせた。

 双方共に、表情は食事の時間に相応しい、やわらかなもの。

 しかし、その瞳に宿るものは、やわらかくもなければ、穏やかでもなく。

 エフェナの碧の瞳には、確信を秘めた悲痛な複雑さが。

 マイアの茶色の瞳には、不安を秘めた悲哀の複雑さが。

 互いの複雑な色を映し、よりいっそう揺らいで行く。

 今日の情報交換の際、二人は互いに、こう紡いだ。

 エフェナは、ティリアの心はライオッドに傾き始めている、と。

 マイアは、フレイの心が、幼い頃のように、諦めを抱き始めている、と。

 そしてそれは、二人だけの意見では留まらなかった。


 互いの従者たちに見守られながら、フレイとティリアの夕食は続く。

 そこに、何十もの重なり合う思いがあることを、知らないままに。


 優しくも賢い従者たちは、願った。

 できればこのまま何事も無く、この気高くも儚い二人の花舞台が見えますように……と。

 誰よりも傍に在った者たちだからこそ、誰よりも二人の幸せを願う。

 ――例えそれが、叶いそうにない願いであったとしても。


 全てを諦めていた少年と、全てを拒絶していた少女。

 互いに手を取り合い、だからこそ互いに成長をしてきた二人。

 幼い頃からずっと、同じ思いで互いへと向けられていた、その笑顔。

 それはすでに、ゆっくりと。

 別の思い、別の方向へと……移り始めていた。


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