金花の出逢い
大変長らくお待たせいたしました!
星辰煌く夜が、静かに満ちた時間。
フィンフィール王国が王城では、華やかな王城舞踏会が、始まろうとしていた。
「おかしくないかしら? フレイ」
「大丈夫ですよ。とても素敵です」
「ふふっ、よかった!」
成長するにあたり、広い部屋へと場を移したティリアの自室にて、淡い水色のドレスをまとったティリアが、小首を傾げてフレイへと問いかける。対するフレイは、衣裳部屋から出てきた彼女を深緑の瞳に映し、ふわりと微笑みを浮かべ、答える。それにティリアが、嬉しそうに表情をほころばせて喜ぶのは、もはや二人の日常であった。
ティリアは薄水色のドレス。フレイは深緑の貴族服。互いに自らの瞳の色を真似た衣装を身につけ、二人はそっと腕を絡める。
「今日も、美味しいお菓子はあるかしら?」
「きっとありますよ。――さぁ、行きましょう」
穏やかなフレイの歩みに、寄り添って進むティリアの歩み。
互いの侍女と近衛騎士を従え、二人はゆったりと、舞踏会場へと足を進める。
他愛もない会話の中、確かに見える、大切に思う心。
この八年間。
二人は、こうして並んで歩いて来た。
外への恐怖を抱えながらも、ティリアは懸命に前へと進み、フレイはそんな彼女の傍に、常に在り続け励ました。
ティリアにとっては今でも、大勢の人前に出ることなどは、苦手なままである。彼女が自室より外へ出るようになって以来、多くの貴族たちがパーティーへと招待をしているが、こんにちまで、それが叶ったことが一度もないほどに。
それでも。
たとえ、そう長くない時間であり、加えてほとんどの人々は傍に寄ることさえ、未だに許されていなくとも。
フレイに導かれ、ティリアは確かに、一年の内に数回王城内で開かれる、舞踏会やパーティーに参加することが出来るようになった。
一度に多くの者たちに囲まれることはなくとも、代わる代わる訪れる者たちに対し、朗らかな笑顔であいさつを交わし、雑談をすることも。
それを喜ばない者など、この国にはいない。
他ならぬ、王と王妃が喜んだのだから。
当然、ティリア自身にとっても――そして、フレイにとっても。
それは、心より喜ばしいことであった。
――今日もまた、王と王妃の笑みが咲くことだろう。
長い白磁の廊下を寄り添って進む二人を見つめ、ティリアの老侍女エフェナとフレイの侍女マイアは、互いの瞳を交わして、微笑み合った。
二人が舞踏会場についた時には、すでに多くの貴族たちが集まり、各々で談笑していた。
数段高い位置に備え付けられた二つの椅子には、王と王妃が座っており、それはまだダンスが始まる時間でないにせよ、パーティーは始まっていることを示している。
「お父さま! お義母さま!」
「遅くなりました。陛下、王妃殿下」
王と王妃が並んで座る場の、その階下のすぐ近くにある扉から、フレイとティリアは密やかに入場する。
すぐに、幼き日の一件より大好きになった両親を見つけ、ティリアが嬉しそうに声をかけた。彼女に続くフレイの声も、久方ぶりに顔を合わせる喜びが、少なからず滲んでいる。そんな二人に対し、王と王妃もまた、満面の笑顔で愛娘とその婚約者を迎えた。
「おお、ティリアにフレイ」
「まぁまぁ、いらっしゃい」
穏やかな声音と嬉しげな微笑み。国王夫妻がここしばらく多忙だったことを知る臣下の幾人かが、その優しげな表情に笑みを浮かべる。
多忙の身であった王と王妃は、フレイはもとよりティリアとさえ、最近は語らう時間が少なかった。二人を実の娘、そして息子とさえ思う王と王妃にとってもまた、今日の王城舞踏会は楽しみなものであった。
「二人とも、病気や怪我をしていないようで何よりだ」
数段高い位置より、青眼を優しく細め、王が紡ぐ。それに、ティリアが嬉しそうに返した。
「当然よ、お父様! フレイもすっかり元気になったんですもの」
弾む声音に、淡い色の花の舞う様が見えそうなほどの、笑顔。美しい娘へと成長したティリアのその笑顔と言葉に、王は優しく瞳を細めたまま、そっとそれをフレイへと移した。
「そうだな。――本当に、元気で、立派になった」
王として、あるいは父親として、心から成長を喜ぶ言葉に、フレイが深々と頭を下げる。
「――本当に、感謝しております。私が今まで……いえ、これから先も生きて行くことができるのは、他ならぬ陛下や、皆様のおかげです」
そっと顔を上げたフレイが、ふわりと嬉しそうな笑顔を見せる。その隣で、ティリアもまた、嬉しそうに微笑んだ。
和やかな雰囲気に、ふふふ、と王妃が上品に笑む。
「本当によかったわ。二人ももうすぐ十八……ぶじ成人となる日も近いわ。あなたたちが健やかであることほど、わたくしたちが親として望むことは、ありませんもの」
にこやかにそう語る王妃の言葉に、王もまた深くうなずいた。
人族にとって、正式に大人として見られるようになる十八の誕生日は、等しく祝福されるべきものである。
特別な日には、祝いの席が設けられる。王族であるティリアの成人の日ともなれば、正しく、国を上げての催しがなされることは必定であった。
王と王妃を今喜ばすものは、そのような素晴らしい日が、そう遠くない未来にあるからである。フレイはもう少し先であったが、ティリアは丁度、半年後にその日を控えていた。
今や立派に成長した二人を、誇らしく思う王と王妃は、その日が待ち遠しくてしかたない。
必ず、誇りに思う二人の花舞台は、鮮やかなものだろうから――と。
青と黄緑の瞳が、揃って優しく降りそそぐ。それに、同じように揃って笑顔を向けることで、ティリアとフレイは応えた。
例え、正確な意図を読み取ることは出来ずとも。その賢くも優しき父と母の愛を、二人は確かに知っていたから。
舞踏会場を見渡せるその一角で、温かな雰囲気が満ちる。なおも穏やかな談笑を続ける親子の姿に、近くにいた臣下たちが頬を緩める中、ふいに会場内に響く音楽の音色が変わった。
「おや」
「どうしたの? フレイ」
唐突に後方を振り返ったフレイに、ティリアが小首を傾げて問う。
すでに、音楽が変化していることに気付いた王と王妃が微笑む中、フレイはふわりとティリアへ微笑んだ。
流れるようでいて跳ねるような、しかし限りなく優雅である、音楽。その音色が意味する答えとは、すなわち。
「――どうやら、ダンスの時間のようです」
そう穏やかに紡いだフレイが、そっとティリアの右手を、左手で優しく取る。青の瞳をぱっと輝かせたティリアは、嬉しそうにフレイへと向き直った。
優雅に引き寄せた小さな手の甲に、軽い口付けを一つ。互いに微笑みを浮かべ、腕を絡ませて進み出でるは、舞踏会場の中央。
――第二王女とその婚約者のダンスが、舞踏のはじまりを告げる。
最初は、互いの手を絡ませ揺れる、拍をとる軽いステップ。ゆったりとしたそれは、さながら水にたゆたう花弁のよう――しかし次の瞬間には、まるで風に舞うように、その姿を移ろわせて行く。
優しい一歩に、続く円舞。ふわり、と表現するに相応しいそのダンスは、しっかりとフレイが導きつつも、常にティリアが輝くようにと、見事なほど洗練されたものだった。
誰が見たとしても――例え、舞踏を学ばぬ者であってさえも、一目見ただけで誰のために踏まれているか、分かるステップ。
――全ては、ティリアのために。
ダンスの際に見せるフレイの所作は、二人がダンスを習い始めた時から常に、そうあり続けてきた。
美しく見事なその円舞に、多くの感嘆が上がる。澄み渡って響く音楽と共に、集まった貴族たちはしばし二人のダンスを堪能し、そして次の段階へと移りはじめた。
二人に次ぐのは、国王夫妻の傍にいる公爵や侯爵たち。彼らが次第にステップを踏む音を重ね、その波紋はあっという間に会場中に広がり、そうして幾多の円舞が披露される。
色とりどりの円が、くるりくるりと描かれる只中。フレイは穏やかな声音で、ティリアへと尋ねた。
「疲れてはいませんか? そろそろ抜けても問題ありませんよ?」
その優しげな微笑みに、ティリアはいたずらな笑みを零す。
「そうね! そろそろ抜けましょう!」
心底嬉しげなうなずきの真意を見抜き、フレイは静かに微笑みを重ねた。
「美味しいお菓子がなくなってしまったら、大変ですからね」
そう言ってもう一度笑む様は、男性であるにもかかわらず、高貴な令嬢にもまさらぬ美しさを魅せる。そんなフレイを少しだけ見上げ、ティリアはわずかに赤くなった頬を、小さく膨らませた。
「そうよ! 無くなったら一大事だもの!」
「えぇ、そうですね」
小声ながら跳ねるその言葉に、フレイが楽しそうにうなずく。
そんなやり取りを密やかに行いつつ、右に左にと器用に円舞の中を移動して、二人は会場の端へと辿り着く。
すぐさま、先回りして二人を待っていた侍女と近衞騎士たちが、静かに頭を下げた。
「お疲れ様でございます。ティリア姫、フレイ様」
代表として、ティリアの侍女長である初老の侍女エフェナが微笑んでそう告げるのに対し、ティリアは楽しかった事を語り、フレイはその様を嬉しそうに見つめる。
やや遠くなってしまった、入り口付近の数段高い場所からは、二人の楽しそうな様子を王と王妃が優しく微笑んで見守っていた。
今回の王城舞踏会もまた、仲良しな婚約者たちにとって、穏やかで楽しい時が流れることだろう――そう、多くの人々が思っていた。
次の、瞬間までは。
カツン、と澄んで響く靴の音。
自らの侍女たちと談笑していたフレイとティリアが、近くで響いたその音に、同じようにくるりと振り返る。
さっと向けた視線の先。青と深緑の瞳に映ったのは――鮮やかな、金色だった。
「舞踏初めのダンス、大変にお見事で御座いました」
凛として響く、澄んだ男声。
肩口で揺れる金の髪に、精悍な顔に揃う藍の瞳。すらりとした長身に、白を基調とした、細やかな刺繍流れる貴族服。
ゆったりと二人の眼前で立ち止まったのは、二人より少し年上であろう、成人したばかりの若々しさをいまだ放つ、美しい青年。何故か、互いに瞳を瞬かせる二人には、不思議と彼の周囲だけは、明るく輝いているように見えた。
そう――まるで、物語の主人公のように。
「これはこれは、ライオッド様ではありませんか」
突然の訪問と内面の衝撃により固まるフレイとティリアの代わりに、初老の侍女エフェナが驚きを宿した声を紡ぐ。それにハッと意識を戻したフレイが、エフェナへと自然な視線運びでその先を願い、エフェナはそれににこやかな微笑みを返して承った。ティリアの青瞳が不思議そうに、ライオッドと呼ばれた青年とエフェナとを行き来する中、エフェナの言葉が続く。
「ティリア姫もフレイ様も、お会いになるのはこれが初めてですね。この方は、ライオッド・ディール・フィルハイド様。フィルハイド公爵様の、次男にあたる方です」
「お初にお目にかかります。ご紹介して頂いた通り、フィルハイド公爵が次男、ライオッドと申します。以後、お見知りおきを。第二王女殿下、ゼルロース侯爵子息殿」
金髪藍眼の美丈夫――ライオッドは、優雅に右手を左胸に当てる最敬礼をティリアに、次いで左手を右胸へと当てる貴族礼をフレイへと行う。それに、慌ててドレスの裾を持ち上げるティリアと、ライオッドに劣らぬ優雅さで以って礼を返すフレイ。
訪れた者が口上と共に礼を行い、相手側がそれに礼を返すことは、貴族の一般的なたしなみである。
最近ようやく見知らぬ者と接することに慣れてきたティリアは、隣で淡く微笑むフレイを見習い、眼前のライオッドへと小さな微笑みを浮かべて見せた。
途端に見開かれるライオッドの藍眼。それは、自身へと微笑むティリアの笑顔が、あまりにも美しく見えたがゆえ。
可愛らしいと評されるティリアの美貌をより彩る微笑みに、ライオッドもまた精悍な顔に鮮やかな笑みを浮かべる。その二人の様子に、浮かべた微笑みはそのままにして、フレイがわずかに小首を傾げた。
そうして出来た刹那の間に次ぎ、実に優雅な所作で以って、ライオッドがティリアへと片膝をつく。
はっと開かれたティリアの青瞳。
三者三様に引き伸ばされる時間。
さらりと揺れる金の髪に、見上げる藍の瞳。そっとティリアへと右手を伸ばすその様は、彼の第一印象を強く、鮮やかに再現する。
流れるような所作で片膝をついたライオッドが、凛と言葉を紡いだ。
「第二王女殿下。もしよろしければ、私とも一曲、踊って頂けませんか?」
それらの所作を通して、フレイとティリアの胸中に、同じ言葉が浮かび上がる。
まるで、物語の中の英雄。
気高く優雅にして、強き騎士。二人が大好きな、魔法使いとはまた異なる魅力を放つ、もう一人の――物語の、主人公。
「よ、喜んで」
戸惑う声に反して、そっと丁寧に重ねられるティリアの左手。
とくんと跳ねる心に、ティリアは知らずに頬を染めた。
その様子に、フレイが思わず、純粋な驚きを宿して瞠目する。
――ティリアは今まで、フレイ以外の者の傍に自らが在ることを、避けていたのだから。
流れるような音楽が、いまだ満ちる会場の、その端で。
華麗に舞う者たちと、それを見つめる者。
どちらもの一瞬を永遠にして、華やかな舞踏会は幕を下ろした――。




