三行半~過去の自分とカレへ
三行半~過去の自分とカレへ
十六歳・ロムールにて
さすが優秀な魔術師と神官がそろってただけはある。
あたしは三日も寝たら全快した。
だから、その足でカレのところに向かった。
最後に逢ったのってイツだっけか。
あたしの中ではお兄ちゃんはカレじゃなくなった。
今もそれは変わっていない。
たぶん、お兄ちゃんだってあたしのことをカノジョだなんて思っていないだろう。
じゃあ、なぜあたしはカレの家へと向かっているんだろ。
何度も通った小道。
途中途中の景色に過去を回想する。
あそこでアイス食べて、ここの店で本を買った。
あっちの公園で二人で笑って、こっちの川原でいっぱい泣いた。
満天の星空を二人で見上げたし、花を摘んだし、雪合戦もした。
あたしはきっと幸せだった。
「あれ?」
何度も深呼吸してからたたいた玄関は固く閉ざされたままだった。
かわりに隣の部屋の玄関が開いた。
「ずいぶん前に夜逃げでもするようにいなくなったよ。」
隣の部屋のヒトに尋ねたらそんな答えが返ってきた。
カレが住むアパートにはダレも住んでいなかったのだ。
「そっか…まぁ、そんなもんか…」
ここ数ヶ月、怒涛のように日常が非日常的に過ぎていったから、あたしは自分自身の感情や想いを整理する暇がなかったようだ。
で、その間にカレはいなくなっちゃった。
「どこにいっちゃったんだろ。」
悲しくはない。
少し淋しいけど涙を流すほどのことではないと思う。
「しょうがない。」
ヘスもシータもいつもどおり。
父や祖父やクスリ屋さんとの関係も良好。
母と義母のことも知ることができた。
アルバイトと学校の両立もできている。
なのに、ポッカリと日常に開いた穴。
「どんなことがあったって、キミのもとへと駆けていくよ。」
カレが言った。
「キミを傷つけるようなヤツは絶対に許さない。」
カレが言った。
じゃあ、独りぼっちでここに居るアタシは誰?
アタシはカレにキズつき、カレに見捨てられた。いや、カレはキズつけたと見なしていない。
自分がキズつけたヒトにカウントすらされていないし、見捨てたつもりもないんだろう、きっと。
そんな現実にようやく気づいた。
だから、B級な捨てゼリフでも叩きつけて、後ろ足で砂をぶっかけるように去ってやろうと思ってた。
そう言って泣いたのはいったいいつだっただろ。
カレの所在がつかめなくなって一年が過ぎる。
季節はたいした変化もなく過ぎていった。
かわったといえば受験生になったことくらい。
「そうか…」
あたしたちの成功は、つまりカレの失敗でもあるんだ。
いまさらその事実に気づき愕然とした。
コツコツ。
玄関の扉がたたかれる音がした。
ヘスかな?
あたしは一瞬、居留守でも使おうかと考える。
べつにヘスに逢いたくない、ってよりもダレかと会話する気にならなかったから。
コツコツ。
まただ。
しかたなくベッドから下りて玄関口に向かう。
ヘスによく叱られるのだが、いつもみたいに無警戒に扉を開ける。
「はーい、どちらさまぁ…」
扉の外に立ってたヒトに一瞬思考が停止した。
髪が伸びてた。
ヒゲも生えてた。
神官着を着ていなかった。
また背が伸びてたけど、やせてた。
それでもあたしは認識できた。
「お兄ちゃん…」
曖昧に微笑まれた。
ちょっとくたびれた微笑。
でも、やさしくおだやかな微笑みは変わってない気がした。
「おかえり。」
おんなじように曖昧な笑みで出迎えた。
いまさら? と思いながらも、なんでもない日常が少しずつ巻き戻されていく。
懐かしさに鼻の奥がつんとする。
あたしがアタシだったころ、そして、その前の小さなあたしだったころ。
そんな記憶の中のあたしが今のあたしを追い出そうとする。
「とりあえず上がって。」
「あぁ。ありがとう。」
あたしはお兄ちゃんの手を握ろうとして、やめた。
「どこ行ってたの?」
「ディルサ…」
問いかけに答えてくれない。
「あれからちゃんと考えたよ。」
彼が言った。
「俺はこんなの望んでなかったんだ。」
彼が言った。
「敬虔に神様に祈り続けるディルサが、ホント好きだった。
一緒に神様の下で、光の下で生きていこう。」
彼が言った。
あたしは微かに笑みを浮かべながら、カレだった彼の言葉を受け入れていた。
決して皮肉でも苦笑でも嘲笑でもなく。その言葉を笑顔で受け入れよう。
受け入れた上できちんと心を伝えなければならない。
彼の言葉が続く。
「確かに言い方は悪かったかもしれないけど、キミは罪に怯えていたじゃないか。
だから、神に許される必要があった。
そうなんだろ?」
間違ってない。それも一つの選択なのだろう。
でも、わかってしまった。
あたしは…
「お兄ちゃんの正義はそれなんだね。」
そう言うと、ほっとしたように嘆息された。
でもね…
「でも、あたしは清廉潔白に生きなくていい。
黒いのも、弱いのも、全部あたし。
眩しい光で照らされたら、過去の自分を許してあげられなくなりそうだ。
あたしの周りはそんなヒトばかりだし。」
穏やかに滔々と語った。
驚愕にカレの表情が歪んだ。
アタシがあたしになれた所以の、苦しいまでの決意。
やっぱり彼はもうカレではない。
あたしはゆっくりと着ていたシャツを捲り上げた。
左腕を袖から抜いた。
お兄ちゃんが息をのむ。
肩口から胸元にかけて大きな傷痕が確認してもらえたはず。
ホントは傷痕を消すこともできた。
でも、あたしはその最後の治療を拒否した。
あたしなりの、コドモなりの罰のつもりだ。
あたしとアタシがキズつけたヒトたちに対する懺悔で、おばあちゃんへの懺悔。
あたしはこの傷痕を持つことで、過去のキズと闘うことに決めたんだ。
「ごめんなさい。今まであたしと一緒にいてくれてありがと。
でも、あたしはあたしの生き方があるみたい。」
そう言って、服を着なおしお兄ちゃんに背を向けた。
まだ、涙よ、こぼれる…な…
大好きな、大好きだったカレへ三行半をつきつける。
なのに…なんで?
あたしの覚悟をきちんと目を見て告げる。
でもその機会は突然に、しかし永遠に失われた。
「はなれて!」
とうとつに玄関が開いた。
「ヘス?」
あたしの背後から伸ばされる腕をヘスが弾く。
呆然と立ちつくすあたしの身体を軸にするようにヘスが蹴りを繰りだした。
回し蹴りがカレの、お兄ちゃんの身体を窓際まではじきとばした。
「お兄ちゃん!
ヘス! なにすんの…よ…」
空ろにあたしとヘスを見つめる瞳。
なに?
あの二つの穴みたいな瞳はナニ?
ヘスが隣でナニか説明している。
話のほとんどが理解できない。
一年前のジケンとか、お兄ちゃんがシュボウシャの一人として追われているとか、黒メガネが生きていたとか、ヘスが襲われたとか、シータが襲われたとか、カラトンでなんかおこったとか、ロムールでなんか起こるかもとか…
「死ね。」
ナンテイッタ?
「お兄ちゃん、今までありがとう。」
あたしが言いたかったのはそれだよ。
「オマエがいなければ、オレはこんな落ちぶれなかったんだ。」
あたしが聞きたかったのはそんな言葉だったっけ?
「シンデシマエ!」
お兄ちゃんの身体が大きく膨れた。
あんなにやせたと思ったのにビックリするくらい太った。
太ったことにして…お願いだから…
ヘスがあたしの前に出てきた。なんか魔法を唱えた。
おばあちゃん。
アタシは後悔ばかりです。
おばあちゃんに謝れなかったし、カレにアタシの気持ちを伝えられなかった。
家族は大事にしたいです。
けどすべてのヒトを信じきることはできないみたいです。
せめて、心許せるトモダチは裏切らず、傷つけず生きていきたいと思います。
バクハツした。
「あたしはあなたと別れます。自分勝手でごめんなさい。」
きちんと言葉にできた。
「お兄ちゃん、今までホントにありがと。大好きだったよ。」
声に出して言えたのに…
お兄ちゃんはいなかった。
そこにあったのは、焼け焦げた壁と床と、大きな穴。
大好きなカレが何度も訪れ、何度も愛を語りあった小さな六畳一間のアパート。
窓を全開にしたように壁に大きく開いた穴。
昼下がりの晩夏は抜けるような青空だった。
そんな穴、なかったよ。
ねぇ?
「だいじょうぶ? ケガない?」
お兄ちゃんが光明神一神教化計画の首謀者にされた。
お尋ね者になったおにいちゃんはアパートから逃げ出した。
逃げ出したお兄ちゃんは地下組織に入った。ソレに入ったお兄ちゃんはゲリラ活動に参加した。
参加したらお兄ちゃんは黒メガネと出会った。ヤツと出会ったお兄ちゃんは心が壊れた。
心が壊れたお兄ちゃんはあたしやその仲間たちを殺す計画を立てた。
計画を立てたお兄ちゃんが、今日、あたしのトコに現れた。
そして、今日現れたお兄ちゃんが、
どうでもいいや。
「ヘス…ありがと…」
あたしを心配するヘスを横に押しのけ、ふらふらと青空に歩み寄った。
アパートへと上ってくる坂に二つの影を認める。
一人はオトコ。
一人はオンナ。
アパートのところにあたしを認めたオトコが逃げだした。
ふりむいたオトコの黒メガネに陽光が反射する。
大きな湾曲した刃が陽光を反射して弧を描いた。
オトコの首が坂を転がっていく。
「シータ…ゴメンね…ありがと…」
悲しげにあたしを見上げる友達の女の子に小さく頭を下げた。
あたしの手は汚れないままだ。
泣いた。
泣きじゃくった。
トナリにはヘスがいた。
哀しいくらいケガレのない手をぎゅっと握ってくれた。
「あんたはいい子だよ。やさしい子だよ。」
おばあちゃんがやさしく囁いた。
「これいじょう、ディルサがキズつかないように見守ってるよ。」
ゴメンね。おばあちゃん、ありがと。あたし強くなるよ。
トナリにはシータもいた。
頭を撫でてくれていた。
目いっぱい泣いて、部屋に開いた穴を見た。
「だいじょうぶ。」
まるでアタシの心に開いたみたいだ。
なんてね。そんなB級な未練はいらない。
シニカルに笑むアタシの視界に広がるは、真夏の太陽をギラギラと照りかえす屋根、屋根、屋根…その一つひとつに生きるヒト。そして、死んだヒト。
ミントメントールのタバコに火をつけ、穹を見上げた。
蒼く眩しく過ぎゆく夏の日に想いを馳せた。
吐きだす煙に蒼穹は白くけぶる。
指ではじいた吸殻が薫風に流されながら、コワれた聖者の街に落下していった。
ゆらゆらゆらゆらゆらゆら…
消えてった。
聖者の街の蒼い穹に過去といっしょに消えてった。