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聖者の街の蒼い穹  作者: kim
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恋文~カレへ

  恋文~カレへ

  十四才・ロムールにて 



 あたしが『ユニコーンの角』だとしておばあちゃんに渡していたのは、一角ネズミの角だったと判明した。

 一角ネズミも街中でほいほいと見つかる動物ではないのだが、ユニコーンのレア度からすれば雲泥の差だ。

 もちろん、その効能も知らない。ウマの角とネズミの角にどれだけの差があるかも知らない。

 ただ、知らなかったとはいえ、ネズミの角をユニコーンの角と偽っておばあちゃんに飲ませていたことは事実である。

 あたしは無邪気に詐欺の片棒を担ぎ続けていたのだ。


 おばあちゃんは知っていたのだろうか。


 多分知っていた。

 だから、あたしにお小遣いを渡して口止めしていたのだ。

 あたしが詐欺をしながらでないと生きられない存在だとわかっていたから。


「おばあちゃん、ごめんなさい。」

 あたしはホントにおばあちゃんが好きだった。

 血も繋がってないし、そんなに話をしたわけでもないのだが、あの頃唯一ホントの笑顔を見せていられたのはおばあちゃんにクスリを渡す時だけだった。



「ディルサの罪はいつになったら許されるのですか?」


 いつもの神殿。ロムールの光明神殿。

 いつもの部屋、ザンゲ室の左の一番奥。

 いつもの神官。ではないみたいだ。

 アタシは何か間違えたのだろうか。


 ロムール神殿のザンゲ室に行くためには礼拝堂を抜けていく必要がある。

 たいていのヒトは罪悪感と羞恥心から礼拝堂の隅っこを通って神像前まで歩いていく。

 アタシは慣れっこなので、整然と二列で並んだ長いすの間、真ん中の道をまっすぐ前を向いて歩いていく。

 神の前で立ち止まり、一礼して短い祈りを捧げてからその裏へと進む。

 そこにはアタシの胸元くらいまでしかない簡素な引き戸があるから、静かに開いてそれをくぐる。

 そうすると、左右に二つずつの同じような引き戸があるのだ。

 一番奥の左側がアタシのいつもの場所。

 引き戸を開けて中に入ると木製のいすがぽつんと一つ扉に向かって置いてあるので、そこに腰掛けるのだ。


 反芻してみたところで、いつもの礼拝と同じことを繰り返したことにかわりないようだ。

「貴女のおばあさんが亡くなってから、もう十年経ちますよ。

 罰は充分に受けたのではないですか?」


 アタシの名前を知ってて、その名前で呼びかけてきて、アタシのザンゲを知ってて、ずっと通ってるのも知ってて。

 再度数分前を思い出そうと試みた。


 まず、

 椅子に座って深呼吸をした。

 左手にある小窓をコツコツとたたいた。

「神は貴女の罪を許します。」と言う声がぼそぼそと聞こえてきた。

 それを確認してから、いつもと同じように、「おばあちゃんを殺しました。」と罪を告白する。

 何度も神に許しを乞いつつすべてを話し終えると、くだんの「ディルサは…」のくだりが聞こえてきたのだ。


 たしかにもう何度も通いつめている場所だ。

 アタシのことを知ってて当然。

 でも、今までアタシの名前を口にされることはなかった。

「神はあなたの罪を許します。」

 との言葉をもらえたはずだ。

 応答するように神に感謝の祈りを捧げて、部屋から出ると「光あれ」との言葉がもらえたはずだった。


 混乱して言葉が出なかった。

 壁一枚はさんだ向こう側、それをつなぐ唯一の小窓を凝視した。

 小窓には暗幕のようなカーテンが引かれていて、アタシからは何も見えない。

 向こう側の神官はカーテンを開けてザンゲ者を見ることができる。

 でも、秘匿性という立場もあるから、ザンゲ者が望まない限りはカーテンが開くことはない。

 もちろんアタシも開けてくれるように頼んだことはない。


 向こうにいるのはダレだ?


「困ってます?

 覚えててくれてると思っていたのですが。」

 戸惑う口調。

 でも、知り合いにこんな声のヒトはいない。


 男なのはわかる。

 声のトーンは低いけど、そんなに年寄りではない気がする。


 一つだけ思い当たる。

 しかし、それは認めてはダメだ。

 希望的観測はハズレたときのダメージが大きすぎる。


 そういえば、小学校から中学校に進級したとき、ヘスが別人のようなしゃべり方になってて、かなり驚いたな。

 男の子の声変わりは異次元のデキゴトみたいに思えてしまう。


 しばらく沈黙が続いた。

 おそらくザンゲ室での沈黙自体は珍しくはないだろうから、思う存分に沈黙した。


「ディルサ…」

 沈黙を破ったのは向こう。


 神官がザンゲ室でイニシアティブをとってはならない。

 宗教都市カラトンの神学校に通ってた頃、口すっぱく言われたことだ。

 神に仕えるものはザンゲの言葉をすべて受け入れなければならない。

 受容し、共感し、神の御言葉を伝えることが、ザンゲ室でのすべてである。

 そう教わった。


 向こうの神官は規律破りだ。

 きっと堕ちた神官だ。

「懺悔室の幕を開けてもいいですか?」

 優しく尋ねてきた。

 アタシは一生懸命首を横にふりながら答えた。

「はい。開けてください。」

 言動が一致しない。

 小窓を凝視する。


 目をそらすべきか迷いながら、ゆっくりとスライドしていく暗幕を見澄ました。

 鏡を見てるような感覚。

 ポーズがおんなじ。

 コッチをじっと見てる。

 ただ、鏡の中にいるのはアタシじゃない。

「…お兄ちゃん…」

 視界がぼやけていった。


  神殿前広場のヤナギが夏風に大きく揺らいでいた。

 あたしのまっすぐに切りそろえた前髪を撫ぜ、隣に座るカレの短い髪をふわふわと揺らした。

 まるで、目の前に広がる草っぱらみたい。

 少し笑ってしまう。


「お仕事はいいの?」

 沈黙に耐え切れずにコッチから口を開いた。

 話したいことがたくさんあったはずなんだけどな。

「大丈夫。

 少し早いけど昼の休憩を先にもらったから。」

 大人びた低い声が、隣から聞こえる。

 不思議な感じ。

「そうなんだ。」

 アタシの甲高いコドモじみた声までもが違和感を覚える。


 目の前のカレがホンモノかどうか迷うくらいだ。

 実は詐欺師がカレに化けてるんじゃなかろうか。


 目の端っこでカレを確認してしまった。

 そんな思いが伝わってしまったのか。

 広場で遊ぶ子供たちを見つめていた視線をコッチに向けた。

 思わず目をそらしてしまう。

「きちんと話すのは、えっと、八年ぶりだっけ?」

「そんなになるっけか。」


 あの時か。

 あのアクトウどもに襲われたトキだ。

 シータに助けられて、お兄ちゃんが入院させられたあのトキだ。


「ごめんなさい。

 あたしのせいで怪我したんだよね。」

 真っ白な神官着の袖口から覗くやけどの痕に気づいて、胸が苦しくなった。

「そんな顔しないでよ。」

 困ったような声で、でも、微笑みながらカレは言った。

「だって…」

「あれからは何もなかったから。

 あの時はディルサと引き離されたのがすごく悲しかったけど。」

 遠くを見る目。


 幼かったあたしたち二人が、広場を駆け回るそんな二人の絵が視えた。

 ジゴク旅行の後から、あたしは白日夢のように心象世界を視るようになっていた。

 未来が視えれば便利なのに。

 でも、それを視ることはない。


「だけどね、あれで良かったんだと今なら思えるよ。

 キミのお父さんには感謝してるんだ。」

 たしかに、カレの火傷は命を左右するものだったらしい。

 アタシたちが病院に駆けつけた次の日、カレは転院した。

 最初運び込まれたのがカレの家の近くの個人病院だったから、きちんとした治療ができなかったのだ。

 カレには親がいないからお金もなかったし。


「でも、それから一回も逢わせてもらえなかったんだよ。」

 あたしは憮然として言った。

「まぁね。

 でも、それだってキミの父親が僕を気遣ってのことだもの。

 僕はキミには関係ないから、二度と近寄るなってクスリ屋の親父さんとかに話してくれたのもキミの父親だよ。」

「そ、そうだったの?」

 知らない事実だ。

「それにキミのお祖父さんに神官の口利きしてくれたのもお父さんなんだから。

 二人仲悪いんだろ?

 それなのにわざわざ、ロムール神殿の下級神官の身分をくれたんだ。

 大司教様、お祖父さんに話してくれたんだ。

 感謝してもしきれないくらいさ。」


 驚きでアホみたいに口をぽかんと開けて、カレを見た。

 こんな風に見つめるつもりじゃなかったのに。

 と頭をふって現実に戻った。


「結局、こうして再会できたんだ。

 万事うまくいったじゃない。」

「たしかにそうだけどさ。」

 なんかしっくりこない。

 父はそんなこと一言も言ってなかった。

 ヘスは知ってたのだろうか。後で問い詰めよう。


 ゴォーーーーーォン…


 頭上で鐘の音が響いた。

「あ、時間だ。」

 カレは懐から懐中時計を取り出して慌てて立ち上がった。

 名残惜しむヒマもなく、爽やかに手をふって神殿に戻っていく。

「あ…」

 あたしはいろんなことを言いそびれたまま、カレを見送った。

 浮かしかけた腰をもう一回ベンチに下ろした。


 やっぱり夢幻なんではないだろうか。

 目の前に広がる晴れた公園も蜃気楼のように揺れてるし。

 地獄で見た白日夢のような光景が蘇った。

 白い太陽。

 化石のような柳の巨木。

 灰色の空。朽葉色の土。


「おかあさーん!」

 楽しげな女の子の声が現実に戻してくれた。

 目を向けた先にはヤナギの下でお弁当を広げた母娘。娘さんは小学校低学年かな。

 ちょうどカレと別れた歳くらいだ。


 懐かしさに涙が滲んだ。

「涙腺ゆるいな。」

 あたしは現在十四歳。

 あたしもすでにあの日のカレと同い年なんだ。


 ってことは、カレは、

「うわ…二十三歳か。年取ったな。」

 声変わり遅いよ、カレ。

 もう立派なオトナじゃないか。

 どおりで判らないわけだ。ヘスの声変わりの時には隣にいたから、驚きもひとしおだったけど、カレについて記憶がない。

 とすれば、もしかして声変わり後だったのかな?


「覚えてないなぁ。」

 ヒトの記憶なんて曖昧なものだ。

 背の高さも、顔立ちも、髪型も違和感しかなかった。

 八年間全く逢わなかったわけではないはず。

 必死で想い出すカレは、でもやっぱり十四歳のお兄ちゃんだったカレだけだった。


 と、そのとき、

「あー、いっちゃった。」

 ころころとゴムボールが足元に転がってきた。

 小さなそれは、片手で簡単につかめてしまった。

「ありがとうございます。」

 目の前に駆けてきて、ぺこりと頭を下げたのはさっきお母さんといた女の子だ。


 そう。

 この子だっていつか大人になる。

 そうすればかわいいだけではなくなるだろう。

 母親にもなるのだろう。


「どうぞ。」

 ボールを差し出すと、礼儀正しくもう一度頭を下げてお母さんの下へと帰っていく。

 遠くにいたお母さんも微笑んで会釈したからあたしも会釈を返した。

 きっとあんな素敵な女性になるんだろうな。


 頭を上げた景色は、幸せに満ちた夏の午後だった。



 お兄ちゃんに逢えたことをヘスとシータに伝えた。

「よかったね。」

 二人は手放しで喜んでくれた。

「のわりに、浮かない顔してない?」


 めざとい。

 でも、あたしもわかりやすい顔してたんだと思う。


 再会できた次の日に、あらためてカレの、お兄ちゃんの気持ちを確かめた。

 あたしの想いももう一度伝えておきたかったから。

 正直言ってしまえば、再会した日はあまりのまさかの展開に動揺してたし、お兄ちゃんの変化に戸惑うばかりだった。


「あたし、お兄ちゃんのことが好きです。

 お付き合いしてください。」

 って、伝えた。

 お兄ちゃんはうなずいて、あらためてカレになった。

 あたしの初恋が実った瞬間だった。

 お兄ちゃんはもうオトナだったけど、さすがに即同棲なんてことはなかった。

 せっかくだから毎日でも逢いたかったんだけど。

 だって、カレは週一も逢えないくらい忙しいヒトだから。


 カレは位こそまだ低かったといえ、神官になってた。

 勤勉で信心深いから出自がどうこう言う周囲のやっかみもたいした障害にはならなかったらしい。

 神官の仕事はあたしの想像以上に煩雑なんだと話を聞いて思った。


 なにせ、自分の周りにいる神官がヘスだから。

 それを見てるとヒマじゃないのかとカンチガイもするさ。


「失礼なヤツだなぁ」

 ヘスがムツけてる。

「だって、そうでしょが。

 あたしがカラトンにいたころ、どんだけコッチにきたのよ。」

「えっと、私が聞いたかぎりで平均月一?」

 とシータも皮肉る。

「あたしのトコ来るより、シータに逢えよってどれだけ思ったことか。」

「いらぬお世話じゃ。

 それにそのころ私、中学校キョヒってたし。」

 矛先が自分に向いたとたんに強固な盾で身を守るのも、シータはぜんぜん変わらないな。

「それより、ディルよ。

 リア充全開のクセに、なんで不幸面してんのよ。」

「そこまでヒドイ顔してる?」

 二人してうなずいた。

「マジか。」

「マジだ。」


 そっか。

 だったらグチっといたほうが無難だ。

「暴れた。」「誰が?」「あたしが。」「いつ?」「昨日。」「なんで?」

 とシータとの単語のみの会話が続く。

 でも、なんでと問われたところで言葉に詰まった。


「なんでなんだろ。」

 カレのアパートを訪れた日。

 部屋にこもった熱気に当てられるように意識がぐらついた。

 体調不良かと思ったカレがベッドのほうへと連れてってくれた。

 そこから意識がないのだ。


「なんでそれが暴れたになるの?」

「だって意識が戻ったら、カレが傷だらけで、しかも部屋が滅茶苦茶だったんだもん。」

 二人が顔を見合わせた。


 それだけであたしがやったことにならないかもしれない。

 可能性ってだけで言えば、カレ自身がやったとも考えられるし、第三者が襲ってきたとも言える。

 でも、目を覚ましたときのカレの怯えた表情はあたしに向けられていた。


「それに…」

 あたしは自分を見ていた。

 そんな夢だったのかもしれないけど、カレの部屋をメチャクチャにしている自分を見ていたのだ。

 幽体離脱でもしたのかと思えるくらいはっきりとあたしは自分を見ていた。


「そっか…」

 シータがうつむいた。

 ヘスもなにも言ってくれない。

「自信ないなぁ…」

「カレといることが?」

 うなずいた。

「それにさ、カレは神殿でいっしょに仕事をしてるヒトって言ってんだけど。」

「オンナのカゲがチラついてるっていいたいの?」

「うぉ!

 シータはシーアか!」


 シーアってのは星視師とか占星術師って称される預言者のこと。

 なんとなく音が似てるから言ってみた。


「ごまかすな。

 チャカすな。

 現実を見ろ。」

 そして、シータはあいかわらず容赦がない。

 溜息をつきつつシータが話を続ける。

「たぶん、そっちはどうでもいいや。

 問題は前者よね。」

 確かめるようにヘスを見た。

 ヘスも複雑な顔で考えこんだ。

「そっか…やっぱりそっちか…」


 ちょっとしたことで日常が破綻していく不安。

 記憶が曖昧だからよけいに自分自身が怖くなる。


「ねぇ、ヘス。

 今度シンモンカン連れてくるってカレが言ってたんだけど、なんのことだかわかる?」

 あたしの問いに、ヘスの顔色が変わった。

 血の気が引いていく感じ。

 あたしにも疑問と不安が入りまじる。


 あ、またあたしは自分に体があることを拒否してる。



「あれ?

 クスリ屋さん?」

 あたしは和解? してからというもの、父の屋敷を訪れる回数が増えた。


 父がなかなかロムールの家に戻ってこないから、こっちから行かないと会えないのだ。

 と言うほど、会う理由はないけど。

 ついでに言えば、相変わらず腐った死体の臭いが染みついたこの屋敷は苦手なのだが。


 今日の目的はヘス。

 夏休みの課題を一緒にする約束をしていたのに、ロムールの部屋にいなかったから、コッチかと思って来てみたのだ。

 なのにいたのは、ヘスではなくクスリ屋さんとは。


「なんでいるの?」

 あたしが訊くと、困ったようにうつむいた。

「いや、いちゃいけないわけではないんだけど…」

 慌てて言葉を付け足した。


 父の仕事場であるこの屋敷はロムールからはるか南西にきた海岸沿いの町の外れにある。

 ヘスの部屋からは空間を繋げているから〈転移の扉〉一枚で来れるけど、普通に来たら馬車でも丸一日はかかるはずだ。

 用事がないとわざわざこないだろう。


「納品だよ。」

 気まずい空気が流れる中、父が部屋に入ってきた。

「納品?」

「前、少し話しただろ?

 クスリ屋さんとは仕事の付き合いがあるんだよ。

 今日は頼んでた薬の納品。」


 不意に何かがこみ上げてきた。

 黒い感情。


 それに気づかない二人は、クスリ屋さんが持ってきた段ボール箱を開けて検品をし始めた。


 なんだこれ?

 怒り?

 悲しみ?

 すごくイヤな感情がこみ上げてきた。

 ダレかが自分の体を勝手に動かしている。

 そう、ジゴクで父に突っ込んでいったあのときに近い。


「ディルサ!

 やめろ! 落ち着け!

 どうしたんだ! 落ち着けって!」

 アワテた父の声が遠くに聞こえる。

 クスリ屋さんがアタシを羽交い絞めにしてる。

 あたしはアタシが何をしているのかよくわからないけど、父が怒鳴ってる。

 怒られてるんじゃなくて必死になだめてるみたい。


 あたしはオチツイテるけど?

 父は何をドナってる?

 クスリ屋さんはなぜアタシをハガイジメにしてる?


 上空斜め四十五度から眺める世界。

 自分自身を他人のようにフカンするあたし。

 父親を足蹴にする娘。


 ダメだよ。

 親不孝だよ。


 あたしはアタシをトガめる。

 でも、親不孝のワルいムスメは、ボウリョクをやめない。

「ヤメテ!」

 声が出た、と思った瞬間。

 アンテンするセカイ。


 気がついたら、あたしはベッドに横になっていた。

 真っ黒の天井がやたら近くて、今にもあたしを押しつぶしそうだ。

 ゆっくりと頭を起こすと、飾り気のない少しくすんだ白い壁にロウソクの灯りが点っていた。


「ヘス?」

 灯りの下に、見知った顔があって安堵した。


 ヘスは声に気づき読んでた文庫本から顔を上げた。

 ヨイショと一声。

 そして、ゆっくりと歩み寄ってきた。

「そんなの読むんだ。」

 文庫本は今流行の恋愛小説だった。

 神学の本しか読んでるイメージがなかったから意外だった。

「ここの家、神学の本ないからね。

 それにせっかくジャンル豊富においてるんだから、読まないのももったいないし。」

「いや、父が恋愛小説ってのもどうだろ。」

「あのヒト、ロマンティストだからね。」

 ポンと文庫本をあたしに放って顔を覗き込んできた。

 思わず顔をそらしてしまう。


「気分どう?」

「べつに悪くない。

 でも、やたら疲れてる感じする。

 なんで?」

 首をかしげた。

 髪を軽く撫でられた。

「父さん呼んできても大丈夫?」

 もう一回首をかしげた。

「その前に、とりあえずタバコもらえる?」

 しぶしぶと箱を渡された。


 あたしはあのころのアタシになった気がした。

 ヘスにも禁煙したことを宣言したんだけどな。

 でも、知らんぷりしてタバコをくわえて火をつけた。

 ヘスは部屋を出て行った。


 なぜベッドに寝てんだ?


 今日を思い出そうとした。


 そもそも今は何時なんだろう。外が真っ暗だから夜なのは確かだ。

 父を呼んでくると言ってたから、ここはヘスの部屋…ではないな。

 こんな殺風景な部屋はあの家にはない。

 と言うことは父の仕事場か。

 そういえば、昼ごはんを家で食べてから父のトコに来たのをうっすらと思い出した。


 そして、

「思い出せない。」                                       そう呟くと同時に部屋の扉が開いた。入ってきたのは三人の男。ヘスと父とそして、

「あれ?

 クスリ屋さんまで…

 なんでいるの?」

 なんか同じような質問をしたような気がする。


「ディル、落ち着いて。」

 しっかりとヘスがあたしの手を握っていた。

 珍しく、すごい汗かいてる。


 いや、あたしが汗をかいてるんだ。

 急に寒気がした。

「なんか、あたし、変。変?」

「ん。だいじょうぶ。」

 とヘス。

 さらに、

「あ、起きた。」

 シータまでいた。

 学校とか、ウチとか、ドーナツ屋さんとかカフェとか雑貨屋さんとかでは一緒にいることが多くなったけど、父の仕事場で会うのは初めてじゃなかろうか。


 四人の心配げな表情が並んでいた。

 それを一つずつ見比べてあたしは改めて訊いた。

「あたし、変?」

 それぞれが顔を見合わせた。

「うん。まぁ、変。

 いや、変だった。」

 歯切れ悪くシータが言った。

 だいじょうぶ? とまた尋ねられたから首をかしげながらもうなずいた。

「今から、何が起こったのか話すね。

 途中で気分が悪くなったりしたら、すぐ教えてね。」

 おかしな前置きは、おそらくおかしなアタシを抑えるためなのだろう。


「うん。わかった。」

 ヘスがゆっくりと話し始めた。

 あそこにヘスはいなかったから、父とクスリ屋さんから聞いた話なのだろう。


 父の仕事場に来たまでは思いだした。

 でも、二人が検品を始めたあたりから記憶が曖昧だ。


 結論から言えば、アタシは大暴れしてたとのことだ。

 検品していたダンボールを蹴りとばし、父を殴りつけ、クスリ屋さんを罵倒して、あたりかまわず狂ったように殴る蹴るして、泣いて怒ってゲラゲラと笑い続けていたそうだ。

 その間も部屋のものを原型がわからなくなるほど、ぐちゃぐちゃに壊して回っていた。


 …らしい。

 父とクスリ屋さんが傷だらけなのは、そのせいか。


「憶えてない。」

「うん。そうだと思う。」

 シータは一人納得しているようだ。

 あたしは怖くて震えだした。

 ポンポンとヘスが優しく撫でてくれたから、すぐに震えは止まった。


「カレの前でも同じようになったんでしょ?」


 そういえば、そんなこと二人に言ったことがあるな。

 そのときはたいして重要視してなかったから記憶がない。

 カレがある日を境に変わったような気がする。

 いつだっけ。


「完全にトラウマになってるわ。」

 あたしじゃなく、クスリ屋さんを向いてそんなことを話す。

 苦しそうなクスリ屋さん。

 カレの件といい、たいした出来事でないから記憶に残ってないんだとも思ってたんだけど、そうではないらしい。

 あたしはあたし自身を守るために、記憶を無意識的に封じ込めていたことを知った。


 じゃあ、家でもココでもカレんトコでも、もしかしたら学校でも暴れてたことがあるってこと?

 あたしが覚えてないだけで。


「あたし…え、えっと…ゴメン…なさいなんだよ…ね? えっと…ゴメン…」

「いいの。

 とりあえずディルは悪くないから。」

 再び取り乱しかけたあたしにシータが優しく微笑みかけてきた。

 涙がボロボロと零れてきた。


「だから、コドモは絶望を見ちゃダメなのよ。

 パパ、わかった?」

 ジゴク旅行のときに聞いたセリフだ。

「ジゴク行きを誘ったのは、シータだろうが。」

「ディルの絶望はそれじゃないわ。

 あ、でも、私にも責任あるか。

 ごめん。

 おばあちゃんの話、詳しく聞いたの最近なのよ。小さい頃の事件の話も。」

 躊躇いがちにシータが続けた。

「私、ディルのおばあちゃんって、血のつながってるおばあちゃんで、ホント普通に老衰で亡くなったと思ってたから。

 そこはホントにゴメン。」

 あたしはヘスをにらんだ。


 説明責任きちんと果たせ。

 でも、やっぱりソレは違うから、ごめんと小さく呟いた。

 八つ当たりというか、べつにヘスに責任ないのに。


「つまり…おばあ…ちゃんので…あばれた…の…?」

「まぁ、そういうこと。」

「カレの…ときも?」


 カレがお兄ちゃんである事実。

 クスリ屋さんが詐欺の片棒を担いでいた事実。

 クスリ屋さん、黒メガネ、おばあちゃん、そのあたりが引き金になってパニックを起こしてしまう、とのこと。


 過去を想像させる何かがあたしを狂わせるらしい。

「ディルのお祖父さんは予感してたのかも。

 だから、ムリヤリでも自分のところに転校させたのかもしれないわね。」

 シータが独り言のように言った。


 それが本当だとしたら、なぜ話してくれなかったのだろう。

 父もそうだが、なんでオトナは本当のことを話してくれないんだろう。


「ディル。今、あなたが何を思ってるのか、なんとなくわかるわ。

 でも、それは仕方がないこと。

 そう、今は納得して。

 コドモが何を理解できるか、親と言えどわからないものなのよ。」

「それはわかるかも…。」

 シータがほぅと小さく安堵の溜息をついた。


 たぶんあの頃のアタシだったら泣き喚くばかりで、けっきょく祖父の思いを踏みにじっただろう。


 大きく深呼吸をした。

「父はどう思う?」

「祖父さんのことか?」

 あたしが頷くと、なぜかシータをふり向いた。

 シータが大丈夫と頷くのを確認して、

「シータの言うとおりだ。」

 と告げた。

「僕も後から聞いた話だけど。」

「じゃあ、なんでロムールに戻ってくるのを認めたの?」

 今度はクスリ屋さんと確かめ合う。

 まるで腫れ物に触るような距離感を覚え、少し寂しくなった。

 そういうときにタイミングよく手を強く握り返してくれるヘスに感謝する。


 ヘスはすべてを知っていたのかな。

 いや、それは問わないでおこ。

 で、オトナになったら、きちんとありがとうと言お。

 今は言える気がしないから。


 クスリ屋さんが話を続けた。

「俺が会いに行ったとき、ディルサは啖呵きっただろ?

 三人して大丈夫だと思ったんだ。そのとき。」


 あー

「あの時はごめんなさい。

 生意気言ってホントすいませんでした。」


「いや、いいんだ。むしろ安心したんだよ。」

 素直に謝られたのが照れくさかったらしい。

 ぽりぽりと小さく鼻頭を掻いていた。

 ついでだ。

「ありがとう。お金。

 あれ、袋に入れたままとってあるんだよ。

 いつかお礼言わなきゃと思ってたんだ。」


 あぁ、あたし、ホントに今素直だ。

 これもおかしな自分だからだろうか、と危ぶんでしまうくらい。


 満面の笑みで涙ぐむクスリ屋さんに、あたしは訊いた。

「もう、あいつらとは関わりないんだよね?」

 案の定、体が震えだした。

 また、ヘスが手を強く握ってくれた。


 だいじょうぶ。ありがとう。

 口に出さなくても伝わるようにあたしも握り返した。


「もちろんだ。」

 力強く言い切った。

 あたしは笑顔でその言葉を受け取った。

 でも、少し翳りを見つけてしまった。

「でも?」

 見透かされて驚いたのと、恥ずかしくなったのだろう。

 表情を隠せぬまま黙りこんだ。

 だから、アタシのほうから促す。

「納得はしないかもしれない。

 でも、理解はしたいと思う。

 だから、続けて。」

 オトナ二人の安堵の吐息。

 ヘスの苦笑いを久しぶりに満喫する。


「話すよ。

 さっきもこっちの娘が言ってくれたけど、無理はしないでくれよ?」

 あたしは力強く頷いた。


 頷きながらも、シータにも手を伸ばした。

 シータはびっくりした顔をした。

 唇を尖らすあたしの掌を、躊躇いがちに両掌で包み込んだ。

「なんのタメライよ、それ。

 イヤなの?」

 ブンブンと首を激しく横にふる。

「いや、初めての頼られ方だったから。

 少し驚いただけ。」

 一生で二度目のシータの照れ笑い。


 あたしは幸せな人間なんだな。

 つくづく思う。

 この二人を失った自分を想像すると、ヒトのぬくもりを求め彷徨った父の気持ちが少しだけ理解できた。


「で?」

「あぁ、いや、俺は直接は関与してない。

 それだけは信じてほしい。」

 あたしはもう一回うなずいた。

「あいつら、俺らを真人間にしてくれたデルヴィさんを裏切って、また始めやがったんだ。」

「詐欺を?」

 父が、眉をひそめた。

「いや、それだけじゃない。

 最近デルヴィさん、仕事忙しいだろ?」

「確かにヒト死に多いな。」

 思い当たる節がある。

 そんな顔だ。


「死体売買に手を出したようなんだ。

 それだけじゃない。どうも仲間に死霊術師がいるらしい。

 今日デルヴィさんのところに来たのは、納品だけじゃなくそれの相談もあったんだよ。」


 死霊術師?

 イヤな予感がした。


 右手に重ねられたあたしより小さな手に力がこもった。

「あのババァ…」

「いやいや、そうと決まったわけじゃないでしょ。」

 気がつけば、あたしがなだめる側に回っていた。

 というほど、シータの怒りは続かなかった。


 あぁ、でも、ある意味怒ってたほうがよかったかも。


「ディル!」

 ヘスから左手も奪った。

 あたしの両手を自分の両手で包み込み、というより握り締め、あたしの瞳をしっかり見つめて顔を寄せてきた。

 ちょっとだけ引いた。

 それほど近くにシータの顔があった。

「シータ。イヤな予感がするんだけどさ。

 もしかしてさ?」

 と怯え口調で話し始めたのは、あたしの手を奪われたヘス。

「なぁ。

 シータもさっきのディルの様子見たばっかだよな?」

 あたしとシータを交互に見比べて、静観する大人二人をすがるように見てる。

 シータはそんなヘスを横目にしてにんまりと笑った。

 ぞわっと背中に悪寒が走る。


「ねぇ…まさか…」

 あたしはたじろぎながらも確認する。

 瞳がキラキラしている。

 シータが大きく頷いた。 

「あたし、モリアおばさんが絡んでると思う。」

「いや、だから、死霊術師って言っても…」

 ヘスがなんか言おうとしたが、みぞおちに肘を入れられてうずくまった。

 どういうこと? と首を傾げたオトナ二人。


「思い込むと周り関係なく、突っ走るのは血だよ。」

 溜息をつきつつ、床にしゃがみこんだままのヘスに言うと、大きくうなずかれた。

 で、あたしの顔の、鼻が擦れるほどの距離にあるのは、今の会話すら聞こえてないようなにこやかなシータの笑み。


「ねぇ、ヘス…ディル…」

「なに?」

 で、告げられた。

「闘うよ!」


 闘志をタギらせるな。


 あたしはシータに手を握られたまま、呆れ半分、あきらめ半分に嘆息を漏らした。



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