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聖者の街の蒼い穹  作者: kim
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転居のお知らせ~みなさまへ

 転居のお知らせ~みなさまへ  

 十二才・カラトンにて



 父はコワれた。


 シェスと呼ばれる女性、アタシにとって義母にあたる、を再び失ったあの日から。


 けっきょくアタシの声が父にとどくことはなく、父はゼツボウから立ち上がることはできなかった。

 そういうことだ。

 今の父はアタシのことはおろか、ヘスにすら関心がない。

 ヒトと関わることを完全にキョゼツしたのだ。


 地上にもどった数日後、黒メガネとクスリ屋さんが父のもとへと訪れた。

「何しに来た!」

 アタシを背後にかばいながらヘスがドナった。

 黒メガネはゴウマンに、クスリ屋さんはヒクツに、口元をユガめながらコッチを見ていた。

 背後から父が押しよけていく。

「今日はビジネスなんだよ。

 お子様らは横によいててもらおうかね。」

 したり顔の黒メガネ。

 キョウガクに見開かれたヘスの目を見返した父の目は白くニゴっていた。


 死んだ魚の目と表現されるソレ。


 ジゴクから帰った直後はよみがえった目が、今は焦点のあわない目をしている。


 ヘスはそのときから父の精神がホウカイしていること、血縁という家族がホウカイするだろうことを理解していたらしい。

 しかし、アタシがそれを理解するまでは、二年の歳月を要した。

 なぜならば、親の愛情ってものがよくわからなかったから。

 それが普通だと思っていたのだ。


 表面上は、死体の管理人としての責務を果たしているから、社会的には以前と変わらないように見える。

 むしろ、以前より社会への貢献度は上がったのかもしれない。


「肺に水が溜まってますが、血管を通って他の臓器に流れた形跡が見られません。

 それは、生体反応がすでにないときに水に投げ捨てられた証拠になります。」

 こないだ、たまたまヒト死にの現場につきそう機会があって、そんな話を警ら隊としているのを聞いた。


 また、べつのときには、

「これは蟲使いによる毒殺です。

 血液内に残っている薬物反応はおそらく解毒の類でしょう。

 しかし、虫を供物として呪術を施す魔法毒なので、解毒効果はなかったと思われます。」

 とか話してた。


 そんなふうに街のどこかで誰かが死ぬと真っ先に父の元へと連絡が入る。

 父は雇った従業員に命じて回収するか、自ら死に場所へ出向いた。

 明らかな自然死は光明神殿もしくは死者の信仰にのっとり墓地へと埋葬した。

 ただ、父が自然死とみなさなかった死、たとえば不審死、病死、事故死、自死といったものにかんしては屋敷に回収していく。


 死体に関しては、ずいぶんとよそから信用されてんだな、なんて他人事のようにのように感心したのを思いだす。


「アソコはジゴクだ。」

 ヘスは頬のこけた真っ青な顔でうったえられたことがある。

 アタシとヘシアンの住むロムール郊外の家と〈転移の扉〉でつながれたはるか遠くにあるはずの屋敷。

 父の仕事場らしい。

 屋敷にアタシが呼ばれることはない。

 呼ばれてもいかないけど。

 だから、そこでなにが行われているのかは知らない。


 父の言葉を借りれば、真相究明のためのカイボウ。ヘスの言葉を借りれば、精神安定のためのカイボウ。


 だから、私的な人間関係が減った。

 父自身、そういった仕事としての関わりをもったとしても、私的理由でヒトと関わることをやめたのだ。


 いずれにせよ父は、シータが言ったようなゼツボウから立ち上がれるオトナではなかったということだ。

 ためらいがちにのばした手を父がつかんでくれることはない。



「入学の手続きはしておいた。

 住まいも用意した。

 一週間後、もう一度私が来るまでにここを出る用意をしておけ。」

 アタシはぽかんと口を開いて、初老の神官を見上げていた。


 ただの神官じゃない。

 大司教様。トップが大司教と称されるのは数ある神殿の中でも光明神殿だけである。

 気難しく、勤勉で、光明神殿でもっともエラく、イフされる存在。


 アタシの祖父…らしい。


 祖父がアタシのことを迎えにきた日、父もヘスもうつむいてなにも言ってはくれなかった。

 どこから聞きつけたのか、クスリ屋さんが来て、お兄ちゃんも来たけど、アタシの護衛として残された女性神官に追い返された。

 アタシは遠くにそれぞれの姿を見かけただけだ。


 泣きながらすがるほどガキなわけでもなく、でも、問答無用で受け入れられるほどオトナにはなれない。

 数日引きこもるのがせめての抵抗だった。


 アタシはしょせんコドモだ。

 選択権はない。

 つくづくイヤになる。


 そんなわけで、小学校卒業と同時にアタシは住みなれたロムールの街をはなれ、宗教都市カラトンの街で暮らしはじめた。


「ずいぶん神学校から遠いんだな。」

 カラトンの街に引っ越してから一ヵ月くらいして、ヘスがアタシの部屋を訪れた。


 段々になった高台の中腹辺りにある1DKのアパートの二階。

 南窓にはりだしたベランダからは、カラトンの街を一望できた。

 斜め右に大神殿のショウロウと夕日が視える。


「わりといい街だろ?」

 ベランダの手すりにもたれるアタシはヘスの問いに答えなかった。

 脱力したようにあごを手すりにのっけてるから、と都合よく答えられないフリ。

 タバコに火を点けた。

 ヘスは嫌そうに眉をひそめたがトガめはしなかった。

「祖父さんと二人で暮らしてんだと思ってた。」

 おしゃべり禁止のオーラを完全にムシして、ヘスが隣に並んだ。

 アタシは彼を横目にし、片頬で笑む。


 きっと祖父は、不幸な生立ちのアタシを哀れんでいたのだろう。

 このスミカと神学校のガクセイという身分を与えると、それ以来アタシの前に姿を現さなくなった。


 タバコを覚えたのはヤサグれたからではない。

 ほっとかれたから。

 ヘスはそうみなしたらしい。

 トガめないのはそのためだろう。


 ヘスも一度祖父と暮らしていたことがある。

 実子である父とは親子の縁を切っているから、次期大司教として英才教育を受けていた。

 なのになぜ?

 そんな疑問はあったのだが、この街を出たのかは問いたださなかった。

 ただ、彼のそんな過去を聞くと、祖父はアタシに対してなんら期待をしてないのは明らかだった。


「ま、なんにせよ、それなりにうまくやってるみたいだな。

 思ったより元気そうでよかった。」

「対オトナ用の仮面は強固なもんで。」

 ヘスは苦笑いが増えたなと思う。

 アタシの伝わりづらい皮肉と同様に。

「カレとは?」

 横目で一瞥し、やっぱりムシ。

 隣で大きなため息が聞こえた。


「夏休みにまた来るよ。」

「うん。ありがと。」

 小さく答えた背後で、

 キィィィィィ、バタン

 と玄関が閉まる音がした。


 鉄の階段を降りる靴音。

 固められた土を踏みしめる靴音。

 アタシをヒトリボッチにする音。


 ベランダからヘスの背中を見送った。

 暗くなりはじめた坂を降りていく彼の背中が、ジゴクに降りていった父の背中を想像させた。



 時は無難に何事もなく過ぎていった。

 中学一年生の夏休み。


「制服似合わねーな。」

 ヘスに逢うなり、ゲラゲラと笑い飛ばされた。

「言うな。

 アタシがいちばんにそう思ってんだ。」

 憮然として窓の外に目をそらす。


 カラトンの商店街のど真ん中にあるファーストフード店。

 市の城門から大神殿へ抜ける東西の大通りと、北部工業区から南部農業区へ抜ける南北の大通りが十字架を描く交差点。

 つまるところ、街のメインストリートってやつだ。

 引っ越してからしばらくたつけど、いまだに落ちつかない。

 ゆきかうヒトと馬車を忙しそうにサバく交通警備のおっさんをわけもなくにらんだ。


 エビとアボガドのパニーニを頬張り、アイスコーヒーで流し込む。

「ソレ着てると、真面目な学生に見えるぞ。」

 紺色のブレザーとスカート。白のブラウスにエンジ色のネクタイ。茶色のローファー。

 おカタさ満点のウチの中学校の制服だ。

 いまでこそ後ろ髪はほどいているが、普段は絞るようにしてゴム留めしている。

「バカにするな。

 アタシは優等生だ。」

 ウソはついていない。


 今のところ皆勤賞で、最初のテストも学年トップテン入りした。

 ヘスと違い机に何時間も座りつづけるような幼少期ではなかったが、意外と活字が嫌いではないようだ。

 それでもずいぶんと努力はした。

 それはアタシに学習の場を提供してくれた祖父への最低限の恩返しのつもりだから。

 これからもそれは続けていくだろう。


「ヘスはイヤミなくらいに似合うわね。」

 横目で彼を見た。

 純白の、神官着に似た裾の長い詰襟と同色のズボンにアンクルブーツ。無造作に散らした、男子としてはやや長めの黒髪の合間から、こげ茶色したフレーム眼鏡が鈍く照り返す。

 髪を軽くかき上げ、中指で眼鏡を直すしぐさが、あまりに様になっていてものすごくイヤミだ。


「っていうか、なんで制服?」

 ヘスはここカラトン市じゃなく隣の首都ロムールにある中学校に通っている。

 夏休みだから、とこっちに遊びに来ているのに、なぜわざわざ制服なんだ?

 アタシは学校帰りだからだけど。

 学校開催の夏期講習は午前で終わった。

 その足でヘスとの待ち合わせ場所に来ただけ。


 アタシの問いはムシされた。

 アンタにゃ関係ないないってか?

 ってことは神殿関係ってことかな。

 二人の会話には暗黙の了解ってのがあって、答えたくない場合はお互い黙秘する。


 そして、べつの話題が始まるのだ。

「どう?

 学校慣れた?」

 ローストチキンのハニーマスタードソースサンドとオレンジジュースなんて注文をするガキに気を使われるのも腹立つけれど、アタシは無言でうなずいた。

「イジメられてない?」

「同年代の子たちとの距離感ってムズカシイね。」

 慣れてないからさ。

 遅れてつけくわえたセリフに苦笑いで返す。


 しばらく学校ネタの近況報告をしあった後、また話題を変える。

「父は大丈夫なの?」

「んー…なんとかやってるよ。」

「あいかわらず死体整理?」

「だねぇ…」

 とは言ったものの、父の屋敷の雰囲気が最近ではずいぶんと慣れてきたらしく、父に対するヘスのグチは減ったように思えた。

「ちっちゃいころはさ、世間が毛嫌いするような仕事をしている父さんを避けてたけど、今なら素直に尊敬してるよ。自分がその仕事につきたいかって言われればキョヒると思うけど。」

「あらら。ずいぶんとオトナになったのね。」

 ヘスを見直した。

「でも、やっぱりムカつくけど。」

「なにそれ…」


 と

「ディルサぁ!」

 店内に大声が響き渡る。

 顔を上げると、アタシと同じ制服を着た女の子集団がおのおのトレイをもって階段を上ってきた。

 クラスメイトだ。

 父についての話題はシャットダウンする。

「うわ、ダレ? この男子!」

「カッコいい!」

 テーブル横に並ぶキイロい声。


 ヘスの苦手なパターンだ。

 外目には容姿端麗風光明媚なわりに、自己評価の低いヘスは周りからきゃあきゃあ言われるのがだいっきらいだから。

 さらには成績優秀、家柄最高、努力もするし性格も優しいし。

 完璧超人なんだから遠慮なんてしなきゃいいのに。

 なんて思ってしまう。


「ディルサ! 紹介してって。」

 すばらしいまでのテンションですね。

 案の定、完璧超人は舌打ちしそうな表情を見せた。

 しかし、そんな感情をものの数秒で一転させて、

「どうも。初めまして。

 ヘシアンといいます。」

 にこやかに、かつさわやかに自己紹介をする。

 ヘスと目が合ってしまい、そろって苦笑する。

「カレシ?」

「違うよ!」

 想定内の質問だったから、ごくあっさりと返答できた。

 ちょっとアワてたフリをするのも忘れない。


「そんな全力で否定しなくても。」

 にこやかな笑顔のままヘスが言ってのけた。

「黙れ。」

 こっちはできるかぎり冷淡に言い捨てた。

「冷たいのねぇ。

 いいのよ、テレなくても。」

「そうよ。

 ほら、こんなサミしそうにしてるわよ。」

 横目でみたヘスは、あからさまに作った淋し顔をしていた。

 アタシのアゲアシをとるんじゃない。

 イラっとして、テーブルの下ですねを蹴りとばした。

「いいの。どーせ気にもとめないんだから。」


 ひととおりはしゃいで、4人の女の子は階段はさんで奥のテーブルへと去っていった。

 テンションは高いまま。だから話し声はコッチにつつぬけだ。

 ときおり聞こえる「カレ」という単語に何度か反応しかける。

 彼女らのカレシの話かもしれないのに。

 我ながら自意識過剰にもほどがある。


「うまくやってるんだね。」

「でしょ。

 まぁ、ボチボチ。アタシ、ソトヅラいいし。」

「たしかに。」

「ヘスもでしょ。」

 うまく笑えていなかったのか、ヘスは怪訝そうにアタシを見つめた。

 ごまかすのはあきらめた。

「みんなコドモだわ。」

 アタシのボヤキをヘスはいつもの苦笑いで受ける。

「ディルもでしょ。」

「だって、アタシとヘスがつき合ってるだの言ってからかうなんて、小学生のネタじゃない。」

「それだけ?」

「だけ?

 いやいやいや。そこ重要でしょ。」

 心底迷惑そうなソブリをしたのだが、伝わっただろうか。


 ヘスに対する距離感ってのも微妙なのよ。


 口にはしないがお互い感じてる微妙な距離感。

 笑っているような、困っているような表情に変わる。

「べつに放っておいたら。」

 なのに、困っているくせに肯定も否定もしないのがムカつく。

「どうせ俺のほうは愛しのお兄ちゃんのこと知ってるんだから。

 言い寄られないためのカモフラージュにしてもらってけっこうなんだけど。」

「なんのカモフラージュよ。

 自意識過剰。よけいなお世話。」


 軽口をたたきながらもいまだ心配そうに見るヘスの視線がイタい。

 だから窓の外へ視線を移した。

 忙しくヒトが往来する大通り。

 もう一人の親友はいまだ街角で歌ってるのだろうか。


 少しためらいがちに訊いてみた。

「シータは元気?」

「いなくなった。」

「?」

「中学校ほとんど来ないで、街の飲み屋で歌ってるらしい。」

 そろって苦笑しながらもアタシは納得する。


 中学校の中退はない。

 落第、留年はあるのだろうか。

 たぶん不登校あつかいで家庭学習ってことにしてんじゃないかな。

 それくらいの悪知恵ははたらかせそうだから。


「付き合ってんじゃなかったの?」

「さぁ。」

「さぁって…こないだコクったじゃん。」

 そういえばヘスの決断とシータの相談までしか聞いてないっけ。

 アタシん中では勝手にくっついたことになってた。

「うるさいヒトもいるし。

 父さんは何も言わないんだけどね。」

「あー祖父か。」

 従順に従ったアタシには絡まなくても、反抗して逃亡したヘスには相変わらず絡むんだ。

 どうでもいいんだけど。

 アタシにとっては放置されるほうが都合がいいし。


 祖父がどうこうより問題はヘスとシータ。

「別れないでよ。

 間に挟まれて、気を使うのはメンドウだから。」

「コレで付き合ってるって言うのか、付き合ってないっていうのか。

 ビミョウすぎるだろ。」

「そうなの?

 でも、あきらめたわけじゃないでしょ。」


 言葉に詰まるヘス。

 ニヤニヤと覗き込むアタシ。

 刹那の沈黙。

 ヘスの反撃。


「そっちはどうなのさ。

 カレとは連絡取ってるの?」

 まぁ、当然そうくるわな。

 ヘスの言うカレは、お兄ちゃんのこと。

 たしかにコクったし、一緒にいようと言ってくれたから、つき合ってることになるのだろう。

 小学生の約束が有効ならね。

「さぁ?」

「さぁ? って…」

「だって、逢ってないもん。」

 ウソはついていない。

 ごまかすつもりもない。

 ただ、自分から確かめるすべがないのだ。


 父と祖父にどやされ、自分自身を鍛えなおすとばかりにアタシと逢うのをキョヒってるから、アタシがこっちに来てから全く逢っていない。

 立派な神官になって迎えにいくから。

 そんな手紙がときおり送られてくるところをみると、たぶん待ってていいんだと思うけど。


「それも祖父さんの計画のうちってかい。」

「計画?」

「後継者の作製計画。」

 アタシを守ってくれたお礼だと、祖父はカレへ高位神官へのレールを敷いてくれた。

 早い話がコネ。

 大司教の紹介となれば、どこかの町の司祭までは決まったようなもんだ。

「カレを後継者?」

「ってか、ヴィクセン家の地盤固め。」

 あぁ、そういうことか。 

「べつに立派な神官でなくていいんだけどな。

 ホント、ただ一緒にいたいだけなんだけどね。」


 ヘスとシータ。

 アタシとカレ。

 アタシらは、お互いに自信もって愛されていると言えない。

 そろって嘆息した。



 小さな喜びと小さな悲しみ。

 人並みの幸福と同等の不幸を繰り返しながら、人生は続いていく。

 そんな風に、何事もなくアタシはオトナになるはずだった。



 なのに

 今日も神学の授業をサボってしまった。

「あなたは、万人を光照らしてくださる慈悲に背を向けると云うのですか?」

 光明神に光照らされたアタシは闇の塊だ。

 太陽を背にしたアタシの眼前には大きな影が映しだされていた。

「神様の存在は信じてますよ。」

 アタシは皮肉まじりに答えた。

 先生の怒った顔を正面から見すえることができるほど精神的に強くはない。

「完璧とか永遠とか、この世の中には存在しないのに、その単語を知ってるんだから。

 だとしたら、ソレらが存在する世界がある証明でしょう。

 単純に異世界にしかなにのならば、それは私たちヒトが理解し得るはずがない。

 だとしたら、完璧で永遠の存在がある。

 それは神様である。」

 滔々と解説するアタシにますます顔を赤らめて怒りだす。

 それは信仰と呼ばないだの。

 神をボウトクしてるだの。


 神学は神を学問するんでないの?

 学問は客観的でないとダメなんじゃないの?

 信仰やらボウトクってのは主観じゃないの?

 神は絶対的な存在で、神の愛は絶対で、その考えも絶対で。

 だったら、学問する理由がどこにある?


 渦巻く疑問に答えてくれるヒトはどこにもいない。所属する社会にいながらにして、所属する社会に疑問を持つことはそれだけで罪だと知った。


 そしてなんの疑いもななく純真無垢に神を信仰できないアタシがいる。

 これではカレの隣にいられないじゃないか。

 あせる。

 でも、このささやかな抵抗はアタシを顧みないカレへの嫌がらせでもあった。

 アタシの知らない場所で神学へ没頭しているカレとカレを奪った神学への抵抗。

 どこかでそんな気もしていたのだ。


 気がつけば

 ささやかでコドモじみた抵抗は、しだいにささやかさを見失い、オトナの世界に歪められてしまった。

「終わった…」

 真っ白なはずの光明神殿の外壁がアタシには灰色にしか見えなかった。

 アタシの反抗的な態度はたちまち先生方の議題に上げられた。

 何回か態度を改めるよう注意を受けた。

 決して、反抗したいわけではないことは伝えたつもりだ。

 しかし、疑問を抱いたまま信仰することができない。

 そう弁解し続けた。


 その結果。

 アタシに対するオトナの評価は一気に暴落し、オトナに目をつけられたくないコドモたち、元トモダチが減少していった。

 タバコの量がどんどん増えて、テストの数値も下がり、祖父に完全に見捨てられた。


 あとは負の連鎖。

 周囲の状況に比例してますますタバコの本数が増え、学校にばれた。

 いや、大司教の孫ってことで見て見ぬ振りされていたのが、とうとう罰せられたのだ。


 祖父は諦観していた。

 堕ちきった元優等生を先生にも見限られたから。

 アタシという存在はは中学校から、そして神の都カラトンから消滅した。



 時は無常に何者にもなれないまま過ぎていった。


 中学二年生の夏休み。

「久しぶり。」

 かろうじて退学だけは免れたアパートへの上り坂を独り歩くアタシの前にとつぜん現れた訪問者。

 シータス・ミアロート。アタシの数少ない友人。

 腰にカリンバって楽器をぶらさげ、去年までは持っていなかったギターを背中に担いでいた。

「ギター弾けたんだ。」


 冷たい麦茶を一つはテーブルに、もう一つは一気に飲み干した。

 息苦しい。熱のこもった窓を大きく開け放つと、涼しい風が部屋を抜けていく。

 こもっていた熱気がアタシのため息のように吐きだされていった。

 仰いだ青空を少しだけ傾いた太陽がやわらかく照らしていた。


 シータは窓のふちに腰かけてピンピンと弦を弾く。

「んー、まぁこっちのほうがメジャーだし、人気あるしね。」

 カリンバが怒ったようにゆれた気がしたが、そこはムシする。

「で、用件は?」

「ホントだ。

 なんかに怒ってる。」

 クスクスと笑われて思わず眉を寄せてしまう。

 タバコをくわえたら、私も、と箱ごと奪われた。

 文句をつけようと口を開きかけたのを制し、シータが先手を打つ。

「いやね、ヘスが心配してたのよ。タバコの本数増えたって。」


 要らぬお世話だ。

 最近逢ってないは嘘か。

 ベラベラとヒトにばらしやがって。


 グルグルと言訳やら、苦情やらが脳内をめぐる。

「ってかさぁ、アタシなんかよりもヘスをかまってやってよ。」

 ゲフゲフ…タバコを大きく吸い込み、おおきくむせこんだ。隣でタバコを奪ったシータが。

 一瞬ごまかしたのかとも勘ぐったがマジ涙目だった。


 バカ。

 吸ったことないんじゃんか。


 苦笑まじりにタバコを奪還しようとカノジョのほうへ手を伸ばした。

「ねぇ、ロムールに戻らない?」

 機先を制して、シータがアタシの手をとった。

「戻るって…?」

「あら、理解力がないのね。

 言ったまんま。

 この街を出て元の街に引っ越そう。」

 あっさりと言ってのけた。


 ポカーンとアホ面でシータを見つめた。

「なにバカなこと言ってんのよ。

 そんなことできるわけないじゃない。」

 あからさまにため息をついて見せた。

 彼女の提案に飛びつこうとしていた自分を必死に抑えて。

「なんで?」


 可愛く小首をかしげてもムダだ。

 そんなのはヘスにやってやれ。


「常識ってもの知らないの?」

「ジョウシキ?」

「周りをキズつける。

 周りにがっかりされてキズつく。

 そんなのもうたくさん。」

 イカリ。

 カナシミ。

 そんな負の感情が渦巻いた。

 そして、渦巻いた感情は、アキラメという凪へのみ込まれた。


 そんなアタシの感情を知ってか知らずか、無頓着に部屋を漁りだす少女に苛立った。

 空気読めとにらむアタシの横で、旧友でクール気取りのフシギちゃんは何かを見つけ出した。

「まだ持ってんじゃない。

 でも、ずいぶんとサビちゃったわね。」

 そう言ってシータが床に投げ捨てたのは、三人でジゴクを旅したときの短剣。

 赤茶けた斬れない刃から、赤サビがボロボロと床にこぼれた。

 まだ真新しいグラスグリーンのジュウタンに広がるクリムソンレッドの花。

 ふみ散らかされた花壇みたいだ。

 嘲笑する。


「あのころはさ…」


 過去だ。

 想い出だ。

 いまさらそんなの見たって、アタシはトモダチって言葉は信じない。

 どこにしまっていたのだろう。


 ヒラヒラヒラヒラ…


 押し花にされた三つ葉のクローバーが舞い落ちた。


 ボロボロボロボロ…


「あれ?」

 ついでと涙もこぼれた。


 自分自身想定外の展開にワタついた。

 でも、ぜんぜん泣きやめない。

 ふいてもふいてもあふれるナミダにドウヨウして、部屋の真ん中につっ立ったままさらに号泣した。


「独りでよくがんばったね。」

 ギュゥゥゥゥっと抱きしめられて、ポスポスとあやすように頭を叩かれた。


 ずいぶんと泣いていた。


 ヒトはこんなに泣くことができるんだ。

「大丈夫。

 ディルは独りじゃないよ。

 毎日をびくびくしながらトモダチするくらいなら、毎日をびくびくしながらカゾクするくらいなら、毎晩ヒトリで唇噛みしめて、歯を喰いしばって泣くのガマンするくらいなら…」


 いっしょにいてくれる?


 その優しい口調に一瞬気を許しそうになる。

 ホントは許しまくってんだけど。

「ガマンするくらいなら?」


 いや、コイツはシータだ。


 そんなこと言うわけはない。

 トモダチはそういうもんじゃないってウチらは知っている。

「武器もって戦おう。」


 やっぱり…。


 私が慰めてあげる。

 なんて優しい言葉を期待していたわけではないが、少しだけ期待してた自分にまた泣けた。

「あれ?」

 なのに、本日二回目の疑問符。


 シータはヤサシクナイ。


 なのにアタシの涙は止まった。

 シータはごく自然に身体を離し、玄関へと歩きだした。

「ホント優しくないなぁ。」

 少しだけ甘えたい気持ちがあって少しだけハズかしかったから、涙目でふくれて見せた。

 シータが鼻で笑いとばし、舞台女優さながらな仕種でこっちを指差した。


「社会に迎合するな。

 私たちは常に独りだ。

 しかし、徒党の中の独りじゃない。

 孤高たれ。

 だからこそ私たちは対等に手を握れる。」


 徒党を組むんじゃない。

 いち個人同士が手を組む。だからこそ、言動に責任をもてるし、相手を信じることができる。

 きっとコドモのころは意識せずにそうしていたはずだ。


「武器を手に取れ。戦友よ。」


 開け放った玄関のトビラ。

 西日を斜め後ろに背負った影は、ギターではなく大鎌を映す。


 ちょっと演出過剰な青春劇っポイけど、彼女なりの激励…なのかな?


 サッソウときびすを返し、アタシの前から姿を消した親友を追うことはない。

 タバコに火をつけた。


 追ったところで何をする?

 何ができる?

 何をしてもらえる?


「まぁ、いいか。」

 くわえタバコの煙が目に沁みる。

 涙がこぼれる。

 いずれにせよ、ウソじゃない笑顔はできた。

 それだけで、じゅうぶんアタシは立ち上がれる。



 小さな喜びと小さな悲しみ。

 人並みの幸福と同等の不幸を繰り返しながら、人生は続けたいがため。

 アタシは友達の手を借りながらも立ち上がった。

 アタシは少し大人になった気がした。 



 ソレを宣言したくてロムールの街に戻った。

 まだ、一時的だけど。

 夏休みだけでもコッチで生きようと思ったのだ。

 小さな雑貨屋さんの短期アルバイトを見つけて、実家にバレないようにこっそりと生活用品をそろえた。

 どうせ父はラボにこもりっきりだし。

 その部屋にいるのは、どうせヘスだけだから。



 そんなある日のこと。

 再びクスリ屋さんが現れた。

 ちょうどその日は、アタシを連れ戻そうと祖父が現れた日だった。


 ダレが祖父に情報をリークしたのかは問うつもりはない。

 身内かもしれないし、神殿のダレかかもしれない。


 ロムールの神殿は突然の大司教の訪問におおわらわだったらしい。

 アタシにとってはどうでもいい話だけど。


 父が呼び出され、ヘスが逃げ出そうとした。

「説得、手伝え!」

 アタシにドナられ、ロコツに嫌そうな顔をして彼も家族会議に参加してくれた。

 だからこそアタシの決意を三人に伝えようと覚悟を決めていたのに。


 水を差すな。


 今まで父や祖父を避けて、隠れるようにアタシに会おうとしていたクスリ屋さんが真正面から現れた。

 意外な展開に、父と祖父はもちろん、アタシもヘスも全ての行動を止めてしまう。

「受け取ってほしい。」

 そう言ってのばされた小指のない右手にいっしゅん後ずさってしまった。

 それでも、もう一度無言でつき出されたのでおずおずと受け取る。

 それは見慣れた掌サイズの布袋。

 アタシがお使いで持ち歩いていたサイフだ。


 なんでだろう。

 体が震えてた。


 のぼせたようにぼんやりする頭を必死に覚醒させてクスリ屋さんとサイフを見比べた。

 音と重さから中にどのくらい入っているかが瞬時に想像がついてしまった。

 懐かしさと罪悪感にさいなまれながら、

「何よ、こ、こんなハシタガネ渡して。

 タバコ代にもならないわ。」

 アクたれるセリフが、強気に言えない。


 代わりに父が追い払ってくれようとした。

 前回は三流悪党の捨てゼリフを残してしっぽをまいたくせに、今回は違っていた。

 必死の形相で父の手をふりはらった。


「育てることすら放棄した貴様に、貴様らに、俺を責める権利があるのか!」

 ドナり散らす。

「俺は…やり方は間違っていた。

 認める。

 しかし、この子を…

 ディルサを育てようと必死だった。」

 苦しげに呻いていた。


 アタシも苦しい。


「貴様が父親として、この子に何をしてやった?

 隣の祖父さんが孫に何をしてやったというんだ!」

 気圧されるように二人が黙りこんだ。

 その隙に再びアタシを向いて、そして深々と頭を下げた。

「あの時はすまなかった。」

「アタシに謝られても困る。」

 即答する。

「金がなかったんだ。

 詐欺だってわかってながら、あんなことを…」

「だったらアタシじゃなく、おばあちゃんに謝れ!

 土下座しろ!」

 なかば悲鳴だった。

 クスリ屋さんの胸倉をつかんで泣き喚いた。


 あやまれ、あやまれ、あやまれ…


 何度も、ナンドモ、なんども、クスリ屋さんを責めたてた。

「お前のことを本当の娘だと思ってたんだ。

 最初は、たしかにお前の母親であるスコールに頼まれたからだった。

 あれがこの街で頼れるのは、俺しかいないことは知っていたから。」

「アタシを生かすために、そんなことのためにおばあちゃんを殺したのか!

 アタシなんかより、おばあちゃんのほうが生きてる価値の在るヒトなのに…アタシより絶対ヒトのために生きてたのに…アタシなんか…アタシなんか…」


 理不尽なことを言ってるのは、重々承知だ。


「ズルイよな。

 言い訳にもならないことは理解している。

 だが、自分に生きる価値がない、なんて言わないでくれ。

 お願いだ。」

 わずかな収入でアタシを育ててくれたこと。

 感謝すべきだ。


 実際感謝しているつもりだけど…


「アタシは見捨てられてる。

 そうまでして生きなきゃならなかったの?」

 アタシは崩れ落ちる自分自身のひざを、支えることはできなかった。

 ゆっくりと視界が降りていくさなか、耳元にふと、


「武器を手に取れ。戦友よ。」


 どこからか少女の声がした。

 胸倉をつかんだ両拳にもう一回力を入れ直した。

 アタシの両拳を、少しだけ大きい、シワだらけの、薬品くさい、ゴツゴツした手のひらが包みこんだ。

「ディルサ。

 生きてくれ。

 俺も全うなニンゲンになるから。今は少ししか手助けしてあげられないが、二度とお前を裏切らない。」


 脱力していく。

 崩れ落ちるとかじゃなく、感情に支配されていた肉体が力を緩めていく。

「カッテにしたら…ジャマ…よけて、オトコども…」

 それがアタシにできる精一杯の遠吠えだった。

 精一杯冷たく捨てゼリフをはいて、アタシはその場を立ち去った。



 なのに

 どこまでもアタシはコドモだ。


「アタシはどうすればいいんだろう。」

 父に相談する日がくるなんて思いもしなかった。

 どんなに落ち込んでも、どんなに辛い状況にいても、アタシは絶対に父に自分のことを話すことはないと誓っていた。

 それは、父とアタシとの関係性とも言えるし、アタシの父が一般家庭におけるような頼れる父ではないと毛嫌いしていたからとも言える。


 その日、初めて父の仕事場を訪れた。

 肉の腐った臭いや血の鉄サビじみた臭いが染みついた屋敷はヘスの言ったとおりジゴクだった。

 机につっぷしたまま涙をこらえるアタシを一瞥することもない父。


 やばい。これ以上は耐えられない。


 逃げ出すように勢いよく立ち上がった拍子に、ガタンと座っていた椅子が倒れて大きな音を立てた。

「ご、ごめん。

 すぐ出て行くから。」

 声がかすれた。

 父は気にする様子もなく死体をバラしていた。


 父に背を向けたところで声がした。

「調子にのんなよ。」

 久しぶりに父の声を聞いた気がした。

 アタシは足を止めた。

「どうすればいい?

 今のお前に選択する力があるのか?」


 そう。

 アタシはコドモだ。

 選択肢なんてないのだ。

 オトナの手を離れたら生きるすべはない。


 アタシはすがるように父をふりかえった。

 キビシい顔して死体とにらめっこしていた父が頭を上げた。

 タバコに火を点けた。

 アタシも、と言うと「吸うのか」と答えながらも差しだしてきた。

 アタシが吸うことを止めないこともだが、父が吸うなんて意外だった。


 一本分。

 二人の間に沈黙の時間が流れた。


 べつに気まずい気はしない。

 灰皿に吸殻を圧しつけたところで、父がアタシに言った。

「どうすれば、じゃなく、どうしたいかを教えてくれないか?」

「…え?」

 優しく笑んだ父。

「枝葉を伐り落とされたって、花を無残に摘まれたって、実を採りつくされたって、樹ってのは根っこと幹で立ってんだろ?

 瑣末なことは一旦全部捨ててしまってもいいんじゃないか?」


 どっかで聞いたような。


「ディルサがそう励ましてくれたんじゃないか。

 我が子に励まされる親もどうかと思うけど。

 今度はこっちから言うよ。

 一本強い芯を持て。」

「でも…」

「金なら大丈夫。

 二人分は用意できる。

 いや、僕がディルサにしてあげられるのはそれだけだからね。」

 クスリ屋さんと同じセリフ。

 傍に立った父がアタシの目じりをぬぐってくれた。

 優しくて、暖かな掌。

 薬品の臭いに息が詰まる。

 でも、それは子である自分たちのためなんだと思うと涙がまた零れた。


「あと、ありがとう。」

「ありがとう?」

「なんだかんだ偉そうに言ってみたって、こんな父親だ。

 頼りにならなかっただろう。

 それでもお前はボクを頼ってきたんだ。

 それなりのことをしなければ、母親に申し訳が立たないよな。」


 気弱で自信なさげな笑みなのに。


「あのクスリ屋にも教えられたよ。

 僕は血縁って言葉に甘えていたのかもね。

 あのヒトの言うとおりだ。

 僕はディルサに何もしてあげていない。

 ゆいいつの父親だってのに。」

「クスリ屋さんがアタシの母の知り合いだったってのはホントなの?」

 いつぞや聞きそびれたクスリ屋さんの話を問い直した。

「らしいね。」

「ディルサの存在すらキミの母親が死んだあとに知ったんだ。

 それに彼女とは年に数回程度しか逢っていなかったしね。」

「じゃあ…」


 もしかしたら父親じゃないかもしれないのでは…


「ディルサ。

 今、よけいなこと考えてるだろ。

 僕はディルサの父親だよ。

 何度も言うとおり父親らしいことしてないから信じられないかもしれないけど。

 それだけはぜったいだ。」

 真摯な瞳。

 アタシは大きくうなずいた。

「アタシはこの街で生きたい。

 ヒトリでもいい。

 でも、コドモだから全部できるわけじゃない。

 少しでいいの。

 アタシがこの街で生きるのを手伝ってほしい

 …です。」


 カラトンの街には戻りたくない。


 祖父やら先生やら、学校にで出会ったトモダチモドキに「逃げ出した」だの「負け犬」だの後ろ指さされるだろうけど、そんなのチッポケなことだ。

 父がコワれてても、父がコワれてるって嫌悪にしながらも、頼らざる得ない矛盾にさいなまれても、それでも、アタシはこの街で生きたいんだ。


 おばあちゃんがいた。

 クスリ屋さんがいる。

 父とヘスとシータがいる。

 アクトウもいるけど。


 そして、お兄ちゃんがいる。


 今、アタシが望むのはカレ。

 お兄ちゃんだ。

 決して依存するつもりはない。

 カレと対等に生きていく。

 それがアタシのコドモなりの目標であり自立のつもりだ。


 間違った選択だ。

 おそらく生きる目標としても、自立の理由づけとしても、オトナたちからすればチンプで安易な考え方なんだと思う。

 でも、アタシは父にカレの居場所を訊いてみた。


 邪魔したらかわいそうだろ。

 そう躊躇う父を問い詰めた。

「わかった。」

 根負けしたらしい。

 父は苦笑いを浮かべたまま、カレの個人情報を書いた紙を放り投げた。



 どこまでもコドモなアタシでも少しは成長してる。

 まだ、お兄ちゃんには逢いに行っていない。

 怖いのもあるけど、まだ一人のヒトとして向き合える自信がなかったから。

 だから、この連絡先はアタシが強くなるためのお守りだ。



 ロムールの神学校に転校して、はや三ヶ月。

 中途半端な夏休み明けに転校してきた上に、父や兄弟がいるにもかかわらず一人暮らしで赤貧してるアタシにも新しい友達ができた。


 ヘスとシータの存在がでかかった。

 ロムール神学校随一の優等生ヘシアン・ヴィクセンと随一の不登校不良娘シータス・ミアロートの知り合いってだけで、クラスメイトからも先生からも一目置かれた。

 しかも、カラトンでの優等生という下積みがある。

 成績も速攻で元に戻った。

 神官兵団が存在するから中学校のくせに格闘技の授業もあるのだが、それだって上位だ。

 ヘスやシータにはかなわないけど。


 雑貨屋さんでのアルバイトも長期に格上げされた。

 けっして哀れみじゃない。

 苦学生へのヒイキメは否定しないけど、能力と努力が認められたのだ。

 週一でいく礼拝も欠かさないし、お墓参りも月一は行く。


 おばあちゃんのご家族とも仲良くやっている。

 息子のおじさんはもちろん、奥さんにも信用されてるという不可思議な事実。

 お線香あげるついでにお茶をご一緒する。

 話のネタはたいていはおじさんのグチだけど。


 クスリ屋さんも、まるでヒトが変わったように働いている。

 父と薬品関係の契約しているらしい。


 ここまでくると、祖父もアタシのことを認めざる得なかった。

 真面目で不器用なヒトだな。

 最近ではそんな風に思えてくる。


 時々だけど、父の仕事場にもお邪魔するようになった。

「そういえばさ。」

 アタシはずっと気になってたことを父に訊いてみた。


「ジゴクでアタシたちが来たのを見ても、全然驚いてなかったよね?

 来たの知ってたの?」

「いや、知らなかった。」

 即答された。

「じゃあ何でアタシたちがホンモノだと信じたの?」

「ニセモノと思えなかったから。」


 アタシは父を刺そうとした。

 操られていたとはいえ殺そうとしたんだ。

 娘に化けた敵だとみなされても文句は言えないはずだ。


「アタシの言葉をどうして信じたの?」 

「血かな。」

 またも即答。

「血がつながってるって思ったんだ。

 お前の姿見てさ。」

 父の言葉に迷いはなかった。


 父はアタシを見て娘だと気づいた。

 アタシはジゴクでコワれていた父をチチオヤとして認識していただろうか。


「ちょっとした仕草もしゃべり方も母親そっくりだけどね。

 でも、親ってさ、どっかに自分とおんなじものを見つけてしまうもんなんだ。」

「そんなもんかな…」

「そんなもんさ。」


 父との絆。


 ヒトと比べたら希薄かもしれない。

 それでもあるんだ。

 たとえそれが小さなものだとしても。


 一人バレないようにほくそ笑んだ。

「じゃあ、その前のもディルサたちだったのか?」

「その前って?」

「百鬼夜行が追いかけてきたとき。」

 あぁ、とポンと手を打ち、そうだよ、って胸をはった。

「アレもディルサたちが助けてくれたというわけか。

 そうか。

 強いんだな。お前たちって。」

「主にシータがね。」

 アタシの苦笑いを見て、優しく微笑んだ。

「強さは実際の力量とか能力だけじゃないさ。

 それ以上に大事なものをディルサはもってる。

 立ち向かう勇気は何よりの強さだ。」


 クサいセリフ。


 でも、今日くらいはチャカさずに素直に言葉を受け取ろう。

「そんなもんかな…」

「そんなもんさ。」

 照れるアタシを気にも留めずに父は続けた。

「その歳で自分と向き合う勇気を持ってるディルサはエライと思うよ。

 僕はそのくらいの歳のときは泣いてばかりだった。

 だから、姉が必要だったんだ。

 僕はいまだにその頃のままだね。」

 そんなこと言ってるからヘスに怒られんのよ、と二人で笑った。


 あ、そういえば。

「父には何が視えたの?」

「何がって?」

 百鬼夜行の傷痕。

 あのジゴクの心象風景のことを訊いたつもりだったのだが、父は首を傾げるばかり。

「視てないのかな。」

 アタシの問いにコクリと頷く。

 アタシは三人の話をした。

 そのとき何を思ったか、まで。

 特にヘスの話を。


「そっか…ヘスの悩み事はそこか。」

 ヘスは父に相談しないのか。

 納得できるようなきがする。

 だけど、なんか納得したくない。


 ヘスももっと頼ればいいのに。


「いつかアイツもヒトの目を気にしない自分ってのを見つけるといいな。」

「他人事みたいに言うなぁ。」

「だって他人だもの。

 血縁は自分と他者の中でもっとも近い他人だろ。」


 なるほど。

 父にはみんな他人だ。

 だから、アタシも話をできるんだ。そのことにようやく気づいた。

「ヘスって、父の息子?」

「血縁上は。」


 あぁ、やっぱりそうだ。


 父とヘスとアタシ。

 家族としては、他より希薄に思えるだろう。

 でも、その距離感がアタシたち家族の距離なんだ。

 どうも距離感を計りそこねていたアタシは、ほかの家と比較して勝手に絶望し、父を殺していたらしい。

 アタシが死んだ目と表現したものはあくまでアタシの受けとり方。

 主観的に見てくれない、親として子供を見るのではなく、一人のニンゲンとして客観的に見ていた父の目をアタシが「死んだ」と見なしてしまっただけなんだ。


 ということは、ヘスが父をどう見ているのかも間違っていた。

 そのことに気づく。


 ヘスだってそうだ。


 彼は父が嫌いだから、悪口ばかり言ってんだと勘違いしてた。

 違う。

 ヘスにとって父は歳の離れた友達。

 人生の先輩って位置づけなんだ。

 アタシがフツウのカゾクを夢見てるから、それは望めないだろうと警告しただけなんだ。

 だから、正直に批評しているだけなのか。それは、アタシとシータ、アタシとヘスの関係と変わらない。


「アタシね、ずっと自分の家族がおかしいんだと思ってた。」

 アタシも正直に気持ちを伝えた。

 口元に浮かんだのは、ヘスと同じ苦笑い。

 なるほど、血だ。


「うらやんでたの。普通の家族に。」

「だろうな。」

 こともなげに父は答える。

「でもね。普通だからシアワセなわけでもないんだよね。」

 別に負け惜しみのつもりではないが、カラトンの中学校で会った子たちは普通の家族みたいだったけど幸せには見えなかった。

 ダレかを下に見ないと、幸せを確認できない彼ら。

「集団を安定させるのはいつもスケープゴートの存在だから。」

 アッチの学校でのアタシを知ってるんだ。

 その事実にも驚いた。


「アタシは幸せなんだね。」

「さぁね。」 

 肯定しろよ!

 とことんまで他人事のように肩をすくめた父を睨みつけた。

「ディルサが幸せだと思えるなら、幸せなんだよ。」

 何だソレ。

「外から見たらどんなに幸せだとしても、本人が幸せと思わなかったら、不幸だし、逆もあるでしょ?」

 そう話す父を見て笑顔が増えたと思う。


 いや、それすら違う。

 父はずっと笑いかけてくれていた。

 アタシが笑う父を見てこなかっただけ。


「僕もヒトとの距離の計りかたがわからないニンゲンだから、なんとなくだけどディルサの気持ちもわかるよ。」

 そういってアタシの体にうでを回した。

 なんか遠慮がちに。

 父親が娘を抱くというよりはうでで作ったわっかに入れたって感じ。

「心も体も、個人の領域内に入るのも入られるのも、僕には恐怖なんだ。

 中途半端な距離に戸惑って、結局拒否されて、もしくは僕が拒否して、キズつくのもキズつかれるのもイヤだから。」


 ああ、そうか。

「でも、家族なんだよね。」

 どちらのつぶやきだっただろう。

 あたしはカラトンで過ごし始めてから、ヒトに触れていない。


 手を伸ばすことをためらい、ダレかが泣いてても抱きしめることも頭を撫でてやることもしなかった。

 カレシに泣きつくこともなかったし、家族にすら触れなかったし、触れさせなかった。


 まるで精神だけの存在みたいだった。


 肉体に、この世に存在するモノに触れなければ幽霊とおんなじだ。

 肉体だけの存在を求めた父も歪んでいたけど、精神だけになっていたあたしだって歪んでいたんだ。


「今、アタシはこの世界に存在している。」


 心と体は補完しあう。

 心にせよ体にせよ、触れなければ傷つくことはないのかもしれない。

 でも、癒されることもない。

 心で耐え切れないキズはどんなに心で触れ合おうと癒されることはない。

 逆しかり。

 それ以上キズつくのがイヤだからすべてを拒否する。

 でも、拒否する心の壁を体vで無理やり壊さなければ、キズを癒すきっかけすらつかむことができない。

 なるほど。体の存在しない悪霊は恨みを消せないじゃないか。

 でも、ロムールにもどってきてから自分が拒否してきたこと、怖くてできなかったことが少しずつできるようになってきた。

 環境が整えばヒトは変われるんだ。

 少しずつでも。



 父に逢いにいった次の日。

 お兄ちゃんに逢いに行くことをヘスにだけ伝えた。

 事後報告でもいいかとも思ったんだけど。


 ぽちゃん。


 儚い水音をたてて小さな魚がはねた。

 水面がゆっくりと形を変えながら、夏の夕日を照り返していた。


「引越しってさ、想像以上に自分をリセットできるみたい。」

 とうとつにアタシがそんな事を言い出すものだからヘスはバカみたいにきょとんとしていた。

「何をとつぜん?」

「わかんないかな。

 カラトンからこっちきたことがアタシのすべてをリセットしてくれたってことよ。」


 淀んでた。


 アタシのカラトンでの生活は無難に過ぎてたはずだった。

 でも、なににも変わることができずに淀んでたんだ。

 もしかしたらあの街でも何かが変えられたかもしれない。

 しかし変われる何かを見つける前に淀んでしまっていた。

 淀んだ水はだんだんと濁っていく。

 濁った水はアタシの心を汚していった。


「父がコワれていたんじゃない。

 コワれていたのはアタシの瞳だったんだって気づいちゃったの。

 クスリ屋さんだってそう。

 あんなにアタシのことを思ってくれていたのに…

 アタシの瞳が濁ってたんだよね。」

 流れる水は濁らない。

 少しずつでも浄化される。

 でも、浄化作用のほうが足りなければ、すべてを濁らせてしまうんだ。

 ジゴクで視たドブ川を思いだした。


 ドブ川だってこんなにキラキラと輝くのに。


「アタシ、あの部屋出るね。」

 この街で淀むわけにはいかないんだ。


 ヘスはもちろん、ここには大事なヒトが多すぎる。


「そっか。」

 横目に視たヘスは表現のしようのないいろんな感情がまじった顔をしていた。

 でもその感情を露にすることはなかった。

 ちょっとは驚いたり、寂しがってみたり、泣いて止めたり、おめでとうと拍手したり、そんなことを期待したんだけど、なんら変わったリアクションはしてくれなかった。

「つまんないの。

 まぁ、いいや。

 とりあえずあるていどまとまったお金も作れたしね。

 いつまでもヘスとおなじ屋根の下ってワケにもいかないから。」


 タバコに火を点ける。

 同時にヘスに奪われた。

 欄干に圧しつけられ消えた火を無言で睨み、もう一本タバコに火を点けた。

 呆れたようにため息をつかれたけど今度は奪われなかった。


 たなびく煙。

 夕焼けの紅を落とされた川面がキラキラ輝いてる。

 息を吐き出すたびに目の前が白くけぶる。

 目にしみて涙がこぼれた。


 二人だけの時間がゆっくりと過ぎていった。


「ディルのこと好きだよ。」

「ん。ありがと。

 あたしもヘスのこと好き。」

 どんな種類の“好き”なのかはお互い問いたださない。


 灰が長いまま川に落ちていった。

 燃え尽きて火が消えたタバコを奪われた。


 ヘスが口づける。


 さすがに身体も思考も動きを止めた。

 見つめあう。

「バッカじゃないの。シータに言いつけてやる。」

 呟いたアタシに苦笑い。


 カレ、お兄ちゃんに逢う前にタバコをやめなきゃなぁ、なんて思う。



「おばあちゃん、ごめんなさい。」

 あの日から、アタシはほぼ毎日のように大神殿のザンゲ室に通っている。

 たとえそれが自己満足で、偽善でしかないとしても。



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