君と円舞曲を
一度は壁と共に吹き飛ばされ瓦礫の一部と化していたが見事に復元された、謁見の間の荘厳で重々しい大きな扉を開けると、そこには豪華絢爛な世界が広がっていた。
壁側にいくつも並べられた染み一つない真っ白なテーブルクロスのかかった丸いテーブルの上には、テレビや雑誌でしか見た事のないような彩りや盛り付けなどの趣向を凝らしたイタリア料理やフランス料理に似た料理が並ぶ。立食形式らしく、ドレスや礼服を着た参加者は各々の皿に取り分けた料理を食べながらテーブルの近くで談笑している。
謁見の間の中央辺りでは数組の男女のペアがゆったりと流れる音楽に会わせて優雅にステップを踏む。音楽はどこから流れてきているのかと辺りを探すと、玉座の置かれている場所の脇にそれぞれの楽器を手に奏でる音楽団が居た。ヴァイオリンやチェロなど希美が元居た世界でも見た事のある、形状も大差のない楽器が殆どで妙なところで感心する。
「ノッちゃーん!」
目をキラキラと輝かせてパーティー会場を見渡していた希美に掛けられた声。そんなあだ名で呼ぶのは一人しかいない。声の主は人混みを掻き分けて、珍しく突進せずに小走りで近付いてきた。
「よかったー、来てくれなかったらどーしようかと思ってたよー!」
「え、あ、ええっと……す、スティ、さん……?」
希美が戸惑うのも無理はない。
鮮やかな深い青のふんわりと裾が広がったロングドレス。少な過ぎず多過ぎず、適度にあしらわれた優雅なフリルと、単調な青の中で一層栄える金糸のリボン。透き通った水色の髪の上には大きな赤い宝石が中央に埋め込まれたティアラ。
ボーイスカウトやレンジャーに似た服装をしていた時とは全く異なり、女性らしさと気品に溢れる雰囲気に思わず息を呑んだ。
「そだよー。天上天下唯我独尊! 天下無敵なカルディア国王☆アレスティーナちゃんとは、あっしのことでさぁ!」
相変わらずなハイテンションは間違いようもなくアレスティーナのもの。目の前に居る王族然とした女性はアレスティーナで合っているのだろうかという戸惑いも困惑もすぐにどこかへ飛んで行った。
「どう? どう? アレスティーナちゃん渾身のパーティーは!」
「え、えと、その……そ、想像、以上、です」
希美の率直な感想にアレスティーナは自慢げに胸を張る。
一国を担う国王にパーティーを催したいと願えばこの位の規模になるだろう事は容易に想像がついたハズだが、肝心な"国王"の部分を失念していた希美にはこれほどまでの大規模になるなど予想だにしていなかった。
何よりも希美が衝撃を受けたのは、諸外国の王族らも招かれているような格式高いパーティーにも関わらず、普段と変わらない自然体で、けれどパーティーに相応しい淑やかで上品な振る舞いで、ドレスや礼服をきっちりと着こなして、慣れた様子で優雅に踊る、騎士団員や魔道兵団員や使用人の面々だ。
自分が知らないだけでほとんどの人が貴族といったそれなりに名の知れた家の出なのか、このようなパーティーでの立ち居振る舞いを必ず習うのがこの世界での常識なのか。
恐れ多くもカルディア城でメイドとして働かせてもらっている中で、元居た世界では一平民だった自分との価値観のズレを多々感じていたが、ここまで住む世界が違うのかと実感したのは今回が初めてだ。
敷居が高過ぎるとか気後れしてしまうとかそういう次元ではない。
居た堪れなさとパーティーの物珍しさがせめぎ合うも、居た堪れなさの方が優勢でじりじりと扉まで後ずさりしそうになる。しかしクレナハーツに連れられてどうにか会場まで来たのだ、ダンスとかに参加出来ずともこの空気だけでも楽しみたいと足にぐっと力を入れて踏み止まり、迷惑は承知の上でクレナハーツの服の裾を指先でちょんと掴む。
服を引っ張られて気付いたクレナハーツが一瞬横目で希美を見るも、特に振り払う素振りはしない。
「他の王族連中も呼ぶからって、盛大にし過ぎだろ」
「アレスティーナちゃんもそう思ったのよー? こーんなに豪華にしちゃったら、廊下に適当にほったらかしてる花瓶とか絵とか壺とかにビビってるノッちゃんは、絶ーっ対に逃げると思ってさー」
「う……そ、その……ご、ごめんなさい……」
「ノッちゃんは謝んなくていーの! ボクも、ほどよく豪華な感じが良かったんだもん。もー、ドレスって動きにくいし重いしヤーダー」
「ごり押ししなかったのか? オマエの得意技だろ?」
「ボクがごり押ししてばっかりのワガママ人間みたいな言い方しないでよ、ハーくん!」
「違わねぇだろ」
「違わないけど!」
そこは否定するべきなのではと希美は思った。
「でもね、こーゆー時ぐらい、景気良くパーっとお金使って経済を回すのも、王様のお仕事の一つだからねー。今回ばっかりは、唯我独尊なアレスティーナちゃんも空気を読んだのよ」
「……ちゃんと王様らしい事、考えてんだ」
「ふっふっふっ、今更気付いたのかい? ハーくん」
「今更って……オマエが王様だって知ったのも、つい数週間前だろ」
それもそうだと言ってけらけらと笑うアレスティーナ。いつも通りな彼女に希美は少し緊張が解れる。
「カルディア王」
振り返るアレスティーナにつられて希美もその声の主の方を向く。司祭が着ているような赤色の法衣を身に纏った初老の男性が人の良さの滲み出ている笑みを浮かべている。
希美には見覚えのない人物だがアレスティーナにはすぐ誰か分かったらしく、彼女は希美らの方に向き直ると両手を顔の前で合わせて「ごめんね」と言い、法衣の男性の元へと小走りで駆け寄った。
談笑を邪魔してしまった事への謝罪か法衣の男性は希美とクレナハーツに向けてお辞儀をする。クレナハーツはお辞儀を返して、法衣の男性は一体誰なのだろうと考えていた希美も少し遅れてお辞儀を返した。
「オステオン王様。御無沙汰しております。今日は急な招待にも関わらず御参加頂いて、有難うございます」
「いえいえ、カルディア王の元気な御姿が見れて安心しましたよ。ところで――」
聞こえてきた会話の内容からあの法衣の男性が別の国を治める王様だと知り希美は何か粗相をしてしまってはいなかったか今更ながら焦る。
「あの人はカルディアの隣国の、オステオンっていう国の王様だ。エテル教とかいう宗教の司祭長らしい。余程の事でもない限りは怒らねぇ人だから、そんなにビビんなよ」
「へ!? あ、は、はい……えと、え、えてる教? って……?」
「知らねぇ。興味ねぇし。後でホロにでも訊いたらどうだ?」
「は、はい……あ、あの、お、王様、とか、国、とか、な、名前も、知らないのって、やっぱり、せ、世間知らず、ですよね……」
未だこの世界で知らない事が多過ぎる、というよりも積極的に知ろうとしていなかった事に改めて気付かされ希美は落ち込んだ。"異世界から来たから"という理由はいつまでも知らない事への免罪符にはなりえない。
神様が叶えてくれる一つだけの願いはもう使ってしまったから、元の世界へ帰る事はほとんど不可能となった。この世界で生きていくのだと決めたのだから、この世界の常識や必要な知識を身につけなければならない。いつまでも今みたいにクレナハーツの服の裾を掴んでいては駄目なのだ。
「別に気にしなくてもいいだろ。俺も旅の時に会って初めて知ったし」
「そ、そう、なん、ですか? な、何か、ご依頼、が、あって……?」
「不法入国はマズいだろ」
「え、あ……た、確かに……」
「オステオンは平和主義だからな。軍事力なんてほとんど無いようなもんなんだと。だから戦の火種になりそうなものを排斥する為に、出入国は大陸一厳しい、ってスティが前言ってた」
どうにもロールプレイングゲーム等のイメージや知識を基準にして考えてしまいがちだが、ここは偶像ではなく現実の世界。魔王を倒すという大義名分の下でもしっかりと法律は守らないと罰せられて然るべきだ。
ゲームや本の世界に似通っていてもどこか現実的なこのギャップが、希美が未だこの世界に慣れられない原因の一端なのかもしれない。
「……髪、悪かったな」
「……え? ……あ、い、いえ! ぜ、全然、気にして、ない、です! い、いつか、は、切らなきゃ、って、思ってた、ので……」
「そっか」
二人の間に沈黙がおりる。希美はちらりと視線を上げてクレナハーツの顔色を窺った。いつもと変わらない仏頂面で何を考えているのか分からないが、いい加減裾から手を離した方がいいかもしれない。
傍に居させてもらえると有難いとは言ったものの、流石に閉会までくっ付いている訳にもいかないし、何より周囲の視線が痛い。
庭掃除だけしかしていない希美はとっくに忘れてしまっていたが、魔王討伐を果たしたクレナハーツは国賓としてカルディア城の一室に招かれており、彼へのお茶出し等の雑務を誰が請け負うかメイド間で毎日熾烈なる戦いが繰り広げられている。
彼女達にとってこのパーティーはクレナハーツとお近付きになる絶好の機会なのだ。
それなのに、お目当ての彼は開会早々に何処かへ行ってしまうし、戻って来たと思ったらドレスで着飾ってもいない挙動不審な女の子を連れて来ていて、服の裾なんか掴んで離れようとしない。
――私、今、すっごく邪魔な存在だ……っ!!
このままでは不味い。状況を打破しようとまずは掴んでいた裾から手を離した。
「? どうした?」
「え、あ、えと、えぇっと、その……わ、私は、もう、ひ、一人、でも、大丈夫、です! だ、だから、その、く、クレナ、さん、は、ほ、他の、方と、お話し、したり、して、全然、大丈夫、です!」
壁際に立っておけば誰にも迷惑を掛けずに済むハズだと考えて、希美はそれだけ言うと足早にその場を離れようとした。
「…………あ、あの……」
しかし、クレナハーツに手首を掴まれ引き止められる。
おずおずとクレナハーツの顔を見上げると、彼自身も自分の行動に驚いたような表情をした。
そしてしばしの逡巡の後、口を開く。
「――オマエ、踊れるか?」
「……え?」
踊れるかって何を踊るのだろうかと、謁見の間の中央辺りで音楽に合わせて優雅なステップを踏む男女の姿を見て、あれが踊れるか訊いているのかと理解する。
理解して、考えて、さっと血の気が引いた。
「む、むむ、無理です、無理ですっ! お、おど、踊れない、ですっ!」
運動は苦手だし、リズム感だってあるかどうか怪しい。フォークダンスなら運動会等の関係で習ったが、動きは覚え切れないし、音楽には乗れないし、相手の足を踏みまくったし、苦い思い出しかない。
完全に誘う相手を間違っている。踊りたいのならば、先程からずっと話しかける機会を窺っているメイド達の誰かを誘う方が断然良い。自分よりも断然踊れるハズだ。
「……適当に周りに合わせて動けばいいだけだ。行くぞ」
「え、ちょ、え、あ、あのっ!?」
しかし抗議も空しくクレナハーツは希美の手を引っ張ってどんどん進んでいく。
「ほ、本当、に、本当に、無理、ですっ! 絶対、絶対に、あ、足、踏んじゃい、ます! 絶対に、踏みます、必ず、踏みます、から!」
「俺がリードする。オマエは適当に合わせてろ」
適当に合わせる事が出来れば苦労などない。今回ばっかりは断固として反対の姿勢を貫かなければと決意するも、王族も含む大勢の人が居るこのパーティー会場で品位や清楚さの欠片もなく喚く訳にはいかないだろう。
会場内の雰囲気を壊さずかつお淑やかな断り方は何だろうか、と考えている間に謁見の間の中央にある開けた空間まで辿り着いてしまった。
「ほら、手」
クレナハーツは希美と向かい合うと両掌を上に向けて、そこに手を乗せるよう催促する。
ここまで来てしまった以上、踊っても逃げ出しても視線が痛い程突き刺さる事に変わりはない。
希美は腹を括り、緊張やら怖さやらで震える手をそろそろと伸ばしてクレナハーツの両掌の上に乗せた。
玉座近くから流れてくるゆったりとした音楽に合わせてクレナハーツがステップを踏み始め、希美は一拍遅れながら彼に合わせてステップらしきものを踏む。綺麗に優雅に踊る余裕も楽しむ余裕も無く、彼の足を踏まないようにするので精一杯だ。時々他の踊っている人達の方を見てはステップの踏み方を真似て、必死にクレナハーツについていく。
「……ありがとな、ノゾミ」
「へ!?」
突拍子もなく紡がれた言葉に希美は驚き、その瞬間どうにかそれらしい形になり始めていたステップが乱れてしまい、クレナハーツの足を踏んでしまった。クレナハーツが痛みに小さく呻く。
「あ、えと、あの、その、ご、ごめんなさい!」
「――っこのくらい平気だ」
すぐに何事もなかったかのように踊りを再開する。
「ホロから聞いた。俺があのドラゴンの呪術喰らってぶっ倒れた時、オマエが助けてくれたって」
「え、あ、えぇっと、あれは、そ、その……」
「後悔、してねぇか?」
勝手な事をした事について怒られると思った希美は咄嗟に言い訳しようと口を開いたが、クレナハーツの言いたい事はまた別のものらしく口を閉じて彼の言葉を待った。
「異世界人が神様とかいうヤツに叶えてもらえる願い事ってのは、一回しか使えないんだろ? それがあれば、魔法も精霊術も使えるようになれたり、歴史に名前が残るような凄い存在になれたり――元の世界で人生やり直せたり、色々出来たんだよな。それなのに、オマエは……」
一度言葉を切り、クレナハーツは続ける。
「俺は、オマエを本気で殺そうとするようなヤツだ。そんなヤツ、助ける価値があるか? 自分のやりたい事が出来て、なりたいものになれる、そんな可能性全部投げ捨ててまで助けてもらえる程、俺は、価値のある存在か?」
じっと希美を見つめる透き通るような青い瞳は普段よりもどこか弱々しい。
ずっと訊ねる機会を窺っていたのだろう。訊ねようとした矢先に希美が周りを気にして離れようとした為、慌ててダンスに誘い今に至るのかもしれない。
あれだけ会場内に満ち満ちていた音楽もどこか遠くに聴こえる。
「えっと……その……わ、私、には、価値が、あるか、どうか、は、分からない、です、し……えと、か、考えた、事も、なかった、んです、けど……その、わ、私は、クレナさん、に、死んで、ほしく、なかったん、です」
クレナハーツを助ける為に願い事を使った事について後悔していない、とは言い切れない。魔法が使えたら、精霊術が使えたら、元の世界へ戻れたら、そんなもしもの話をどうしても考えてしまう。
けれど、そのもしもの話はどれもクレナハーツを見捨てた上に成り立つ話だ。
「そ、それに、その……クレナさんが居て、ホロさんが居て、スティさんが居て、アーニャさんが居て、デュランさんが居て、カカさんが居て、騎士団の方が居て、魔道兵団の方が居て、メイドの方が居て、と、特別な出来事とか、事件とか、何も起こってない、そういう、当たり前な、普通な日常が、続いてほしかった、だけ、なんです」
魔法が使えなくても、精霊術が使えなくても、元の世界へ戻れなくても、あの時の決断を心の底から後悔するような事態に陥っても、自分の望んだ当たり前の日常を否定するような事は絶対にしない。
あの時、クレナハーツを助けてほしいと願ったからこそある今が、言葉では言い表す事が出来ない程に嬉しくて愛しいのだ。
「……あ、こ、これじゃ、答え、に、なってない、ですよね? ご、ごめんなさい。えと、えっと……」
「いや、充分だ。オマエの言う普通な日常ってのに居ていい位には、価値があるって思っていいんだろ?」
「は、はい!」
安堵した様な柔らかな笑みを浮かべたクレナハーツにつられて希美も笑顔を浮かべる。心なしかステップを踏む足取りが軽くなった気がした。
「……でも、これでもしもの時に身を守る手段が一つ減ったな」
「あ……」
楽しい今に暗い影を落とす存在、災禍と絶対なる天啓だ。
依然として、自分は災禍復活の為の生贄である。
絶対なる天啓の狙いが、あの神様に一つだけ叶えてもらえる願い事だったならば救いはあったかもしれないが、残念ながらそうはいかない。絶対なる天啓は確実に自分の命を狙っている。
不意にクレナハーツの掌に乗せていた希美の手がぎゅっと力強く握られた。
「大丈夫だ、俺が守る。絶対に守ってみせる。だから、何かあったら俺を頼れ」
「へ、え、あ、え、そ、その、え、えと、こ、これ以上、クレナさんに、ご、ご迷惑を、お掛けする、訳には……っ!」
動揺のあまり、足が縺れてまたしてもステップが乱れクレナハーツの足を思い切り踏みつけてしまった。
「い……っ!」
「ご、ごご、ご、ごめんなさい! だ、大丈夫、ですか?」
「――ッ、全っ然、大丈夫だ」
先程よりも体重が掛かってしまった分痛いハズだ。
平静を装ってはいるが痛みを堪えているのであろう、眉間に皺が寄っている。
「あ、あの、あの、もう、踊るの、やめません、か? な、慣れない、事は、やっぱり、やめといた方が……」
希美はそーっと後ずさりつつこれ以上のダンスを止めるよう提案するが、クレナハーツは彼女の手を握ったままだ。
「……ここまで来たら意地でも一曲踊りきるぞ、ノゾミ」
「ぅえぇっ!?」




