祝宴
月が煌々と照らす夜。
等間隔に置かれた燭台の明かりが照らすカルディア城の廊下。そこにある他の物よりも少しくすんだ扉の一つがギィと音を立ててゆっくり開いていく。
僅かに開いた扉の隙間から人影がそっと顔を覗かせて、人一人居ない静まり返った廊下を見渡し耳を澄ます。
そして誰も居ないという確信を持って、ようやくその人影――希美は大きく息を吐いた。
どうして希美がこんな事をしているのか、話は数日前まで遡る。
数日前、アレスティーナに執務室へと呼び出されてカルディア国を救った事について感謝されたあの日。
泣き腫らして真っ赤になった目からまだまだ流れる涙を、アレスティーナが貸してくれたハンカチで目元を押さえるようにして拭い続け、やっとまともな会話が出来る位に落ち着いた頃、場の空気を変えようと普段通りのハイテンションでアレスティーナが言った。
「ここでスティちゃんから重大発表ー! カルディア国を救ってくれたノッちゃんの願いを、スティちゃんが何でも一つ叶えてしんぜよう! ……あ、叶えられそうな範囲でね? いくらはいすぺっくなスティちゃんでも、まだ全知全能と呼ぶにはほど遠い一般人でして……」
希美が異世界人である事を思い出したのか、元の世界へ帰りたい等のまだこの世界で確立されていない手段はどうしようもないと、すまさそうに訂正する。
その辺りは希美も勿論分かっているし、全知全能の存在にしか叶えられないような大それた事など考えもしなかった。
「わ、私は、えと、こ、このまま、ここで、働かせて、いただ、ければ、その、それだけで……ご、ご迷惑、かも、しれません、けど……」
「そんなこと、お願いされなくても全然おっけーだよ! 恩人を放り出すほどアレスティーナ王様は冷酷無比じゃないからね!」
その言葉に希美はほっと胸を撫で下ろす。
「他には? 他にはない?」
「へ!? ほ、ほか、ですか……?」
正直なところ、こんな鈍臭い人間を働かさせてくれているだけで充分だ。
というか、クレナハーツはカルディア国公認ギルドの地位を望んで、ホロはツァラトゥストラ書院の館長の地位を望んだというのに、何故自分がメイドの地位を求めたらそれ以外にも何か言えと言って引き下がってくれないのだろうか。
「他にも言ってくれるまで、スティちゃんは粘っちゃうよー?」
そうは言われても本当に何も思い付かない。
妥当なところだと金銀財宝の富なのだろうが、現在でも衣食住完備の上に御給金まで頂いているのだ。充分恵まれているし、あまり買い物をしたいとも思えずお給金だって殆ど手を付けていない。
何か欲しい物も特には無く、普段着がいくつかあったが便利だなと思ったがそれぐらいならお給金で充分賄える。
その他名誉とかメイド以上の地位とかを分不相応なものを貰ったところで、自分にはどうしようもない。そんなものを高望みする位なら自分の生まれ持った鈍臭さを直したい。
考え過ぎて頭の中がこんがらがって段々自分が何を考えていたのか分からなくなってくる。
他にはない、と押し切ってしまうのも実行出来るかは別とした選択肢の一つなのだが、何でも言っていいんだよと言わんばかりに目を輝かせてわくわくしているアレスティーナを見ては、何か言わなければならないと思ってしまう。
そもそも、確かに自分も頑張ったのだと思われるが、自分よりも命を張ってドラゴンと戦った皆の方が王様から褒章を与えられるに相応しいのではないだろうか。
だからといってあんな大人数の一人一人に褒章を与えていては一苦労だ。何かあの大人数でも一斉に労えるようなものはないかと希美は考える。
こういった経験の乏しい人生を歩んできた為すぐに思いつけない自分を情けなく思い始めた時、ふと体育祭や文化祭の後に皆が口々に言っていた"打ち上げ"という単語が思い浮かんだ。
「あ、ああああの、あの! えっと、その、き、騎士団の方、とか、ま、魔道兵団の方、とか、あの時、が、頑張って頂いた、みなさん、と、えぇっと……ぱ、パーティー、みたい、なの、を、やりたい、かな……と、お、思い、まし、て……」
自身には縁のなかったものだが、楽しそうだなと密かに憧れていた。
自分は楽しめて、その上あの戦いでそれぞれに奮闘した人達を労う事も出来る、鈍臭い自分にしてはなかなかの名案だ。
アレスティーナは二つ返事で快諾した。それというのも、アレスティーナも慰労会やパーティーを開こうと考えていたけれどなかなか大臣らの賛同を得られず、どうやって外堀を埋めるかと画策していたところだったかららしい。
「……アレ!? これじゃあボクが助けられてる!? ノッちゃん、他には――」
「ほ、本当に、もうないです! そ、その、パーティーに、参加、出来るだけで、充分、なので、ほ、本当の、本当、に」
随分と他にはないのかと粘られたが、最終的には希美が心の底から楽しめるぐらい盛大で豪勢なパーティーにするという事で落ち着いた。
希美は一安心するも、ある事を失念してしまっている。
ここはカルディア国を統治する王の住むカルディア城であり、アレスティーナはその城に住むカルディア国の王であるという事を。
その事が引き起こす"盛大で豪勢なパーティー"に気付いたのは、そのパーティーが開かれる今日の昼頃だった。
嵐で滅茶苦茶にされる前の姿をようやく取り戻してきた庭の掃除に勤しんでいた時、アレスティーナに呼ばれた。とにかく付いて来てくれと腕を引っ張られて向かった先の一室。アレスティーナは少し勿体ぶってから扉を勢いよく開け放ち、その部屋の中の光景を見た瞬間、希美は凍り付いた。
部屋には既に数人のメイドが居る。それは問題ではない。
問題なのは彼女らが手に持ち、どこか別の所からここまで運んできたのであろう幾つかの小さめな移動式クローゼットの中から覗く、彩り豊かで目映いドレスの数々だ。
赤に青に黄色に緑に白に黒に、原色に近い派手なものから淡い色の柔らかなものまで選り取り見取り。キラキラと輝いて見えるのは宝石の類ではなく自分の目の異常だと思いたい。
物の価値に疎い希美でも一目で分かる程に高級そうなドレスは、今日のパーティー用のものだろう。きっとアレスティーナが自分にはどれが似合うかと相談したかったに違いない。王様なのだから身なりはきちんとしていなくてはいけないのだろう。
「ノッちゃんはどんなの着てみたい?」
一瞬にしてその考えは打ち砕かれた。
「ホントはこーゆー着飾ったりとか堅っ苦しいのはナシ! って考えてたんだけど、外交がー、とか、なんとか協定がー、とか、色々言われて、諸外国の王族様も招待する事になっちゃったんだよねー」
更なる追い打ち。
絶対に似合いそうにない不釣り合いなほど高級そうなドレスを着る事さえ、そのドレスを作った人にもドレスそのものにも申し訳なさ過ぎるというのに、一メイドとして働いていてはお目通り出来るかどうか分からない各国の王族の視界の端に入るなど、なんかもう想像の域を超えていて訳が分からない。
「それで、ノッちゃんは何色が好――」
「む、む、無理です――っ!!」
そう叫んで希美はその場から逃げ出した。
アレスティーナの追跡から逃げ回り、偶然会ったデュランに逃げ道や隠れやすい部屋を教えてもらい、そして今に至る。
城内のほとんどの人は謁見の間のパーティー会場へ行っているのだろう、しんと静寂に満ちた廊下の遥か先から人の話し声や音楽がかすかに聴こえてくる。きっと会場には煌びやかな衣装を身に着けて、ダンスを踊ったり楽しく談笑したりしている人達で溢れているのだろう。
パーティーをやりたいと言い出したのは自分だし、アレスティーナもそれに全力で応えてくれたのだと分かってはいる。無理だと言って逃げ出して、その好意を無碍にしてしまった事も分かっている。
けれど、と夜闇の色に染まったガラス窓に映る自分の姿を見た。
煌びやかさの欠片もない、みすぼらしい自分。パーティー会場どころかカルディア城にさえも不釣り合いな自分には、例え高級そうなドレスに身を包んでも会場に足を踏み入れる勇気は出ない。
自分も楽しみたいというのは分不相応だったけれど、あの戦いで奮闘した皆が楽しんでいるのならそれでいいかと納得する。
「おい」
「!?」
誰も居ないと油断しきっていたところに声を掛けられ、希美は肩を跳ねらせてバッと振り向く。
そこには白を基調とした礼服に身を包んだクレナハーツが居た。
初めて見るきっちりとした正装に、やはり背格好が良く顔立ちも整っている人は何を着ても似合うのだなと心の中で感心した。同時に自分がドレスを着ても同じように似合うなんて事はないのだろうなと落ち込んだ。
「今までどこに居やがった。スティが探し回ってたぞ」
「ご、ごめんなさい……」
諸外国の王族も招待する事になって一番忙しいアレスティーナに迷惑を掛けてしまった事に罪悪感が募る。
アレスティーナどころかクレナハーツにまで迷惑を掛けてしまったが、自分が居ない事に気付いてくれた事や探しに来てくれた事に心の隅で嬉しいと思ってしまう。なんて傍迷惑な人間になってしまったんだと自己嫌悪に陥った。
「……着替えてねぇのか」
「え、あ、あああんな服、着れない、です! ぜ、絶対、絶対に、似合いません! 服に、申し訳、ない、です!」
「あっそ」
着替えと言われて真っ先に昼頃見せられた絢爛豪華なドレスの数々を思い出して必死に拒否する。
クレナハーツは素っ気なく相槌を打つが、どこか残念そうだ。
「じゃあ行くぞ」
「ぅえ!?」
希美の手を掴んで彼女を引きずるように歩き出したクレナハーツ。
「え、あ、あの、あの、い、行く、って、どこ、に……」
「会場以外に行く場所あるのか?」
さっと血の気の引く音が聞こえた。
「む、むむ、無理、無理です、無理ですっ!! 本当に無理です!!」
「何が無理なんだよ」
「ええっと、その、わ、私、き、着替えて、ない、ですし」
「着たくねぇなら仕方ねぇだろ」
「そ、それ、に、えと、ほ、他の、お、王族、の方、が、お、おられる、と、思うと、その、緊張、しますし」
「スティは平気なのにか?」
「それは、その、きょ、今日、初めて、会った、訳では、ない、ので」
「なら、俺の傍にでも居ろ。知り合いが居れば平気だろ」
「え、いや、で、でも、そ、それだと、クレナ、さんに、ご、ご迷惑、が」
「迷惑だったら探しに来ねぇよ」
でも、と希美が更に言葉を続けようとするとクレナハーツが盛大な溜め息をついた。
「オマエが言ったんだろ、パーティーに参加出来るだけで充分だって。なのに会場にも行かないつもりか?」
「それは……その……」
参加出来るのなら勿論参加したい。しかし、見るからに高級そうな礼服を身に着けて、簡単に諸外国のトップとも言える王族を招待するようなパーティーだ。未だにカルディア城内に置かれた調度品にさえ萎縮してしまう希美には敷居が高過ぎる。
悩んでいる間もクレナハーツに引きずられるように歩き続けており、次第に謁見の間へと近付いていく。
昼の時のように無理だと言って逃げ出す事は容易に出来るだろう。それなのに掴まれている手を振り払う事もせず、引っ張られるままに歩く。
結局のところ、自分では決断出来ないし一歩を踏み出す勇気も出ないから、少し強引にでも背中を押してもらいたかったのだ。
言い訳と、勇気と、それから自分も参加していいのだという許しが欲しかったのだ。
希美は自身の手を掴むクレナハーツの手を恐る恐る握り返す。
「あ、あの……ご、ご迷惑で、なければ、その、ち、近くに、居させて、頂ける、と、た、助かり、ます」
「ったく……偽物の王様相手に啖呵切ったくせに、王族だの何だのの何が怖いんだか」
クレナハーツは呆れたようにそう言って、不安げに震える彼女の手を強く握った。




