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ネガティブ戦線  作者: 楽夢智
前編 「もう終わりにしよう」と闇が囁いた
50/60

カルディア王

雲一つない快晴の下で、カルディア城の至るところから聞こえてくる金槌の音に耳を傾けながら希美は庭掃除に勤しんでいた。

アジ・ダハーカと呼ばれるドラゴンを討ち果たしたあの日からもう一週間。大嵐で多大な被害を受けた城下町の復興が粗方終わり、今日ようやくカルディア城の修理に着手した。まずは死闘の舞台となり一番被害の大きかった謁見の間から取り掛かっているらしい。

魔道兵団が居るのだから魔法とかを使って簡単に素早く直すのではと思って内心胸を躍らせていたが、実際は魔法を使う場面といえば瓦礫を浮かせて撤去したり、高所で作業している人の所まで必要な材料を運んだり、材料を切削したり研磨したりといった作業が中心だった。主な力仕事は騎士団やギルドの人、それから手の空いた町民らが手伝っている。

あの調子ならば今日中にも謁見の間の修理は終わるのではないだろうか。ようやく数多くある庭園の内の一つの掃除を終えつつある希美は自分の仕事の遅さに落ち込んだ。


希美はドラゴンを討ち果たした日の翌日に体調を崩してしまい、五日も寝込んでしまった。

庭は大嵐の影響で随分と滅茶苦茶になってしまっていたから張り切って掃除を頑張らねばと意気込んだまでは良かったのだ。まずは何処の庭から掃除を始めるべきか悩んだ末、未だ起きていなかったクレナハーツの事がどうにも気に掛かって、彼の部屋に一番近いあの池のある庭から始めようと思い立ってしまった。

剥がれた石畳や力無く項垂れる芝生。暴風に運ばれてどこからかやってきた落ち葉や小枝。想像以上の散らかり具合にどこから手を付けるべきか見当がつかず、しばらくは庭をふらふらと見て回った。時々クレナハーツの部屋がある方を見ては彼が起きていないか、何か騒ぎが起きていないか確認する。

泥で足が汚れてしまうのが嫌で廊下で丸くなっていたカカに『そうしてたら転んじゃうよ』と注意されて、この位なら大丈夫だと言おうとした矢先、雨でぬかるんだ地面で滑って転びそのまま近くにあった池に落ちてしまった。池は増水していたが立った状態の自分の腰まであるかないか位だったので溺れる事はなかったが、見事に全身ずぶ濡れ。掃除で汚れるとはいえ昨日の騒動で汗まみれの汚れまみれでズタボロになったメイド服を着るのは如何なものかと真新しいメイド服に着替えたというのに、自分にとっても服にとっても災難だ。

カカが呼んできてくれたアーニャには盛大な溜め息をつかれて「今日はもう仕事はいいから寝てなさい」と言い渡された。ずぶ濡れにはなったものの怪我はないのですぐに仕事に戻ると言っても、アーニャは頑なに仕事はもういい、寝ろとしか言わず、希美は戦力外通告に落ち込みながら引き下がった。

とはいえ、あの大嵐と死闘の後片付けで大忙しの人達を見て一人のんびりと寝ていられるハズがなく、タオルで身体を拭き、泣く泣く新しいメイド服に着替え、迷惑を掛けないようカカに助けられつつ炊き出し等の仕事を手伝った。

若干、倦怠感があるような、ふらふらするような、いつも以上にぼんやりするような気はしていたけれど希美はさして気にしなかった。

そして翌日、高熱を出した希美は寝込む事となる。


ドラゴンと戦い死の淵を彷徨ったクレナハーツは三日で起きたというのに、城中走り回ったりしただけの自分がそれ以上寝込むという体たらくに情けないやら恥ずかしいやら。穴があったら入りたい衝動を庭掃除へ向ける事でどうにかこの場に踏み止まっている。

「ノゾミ」

不甲斐なさを思い出して居た堪れなくなっていた希美に声が掛けられる。ばっと声がした廊下の方を見るとクレナハーツが立っていた。クレナハーツは挨拶代わりに片手を挙げ、希美はそれにお辞儀で応える。ほんの些細な今まで通りの日常に希美は内心安心した。

「今、他に仕事とかねぇか?」

「ふえ? え、えーっと……に、庭掃除、だけ、です、けど……?」

「なら、ちょっと来い。"王様"がオマエに会いたいってよ」

"王様"という単語に希美は顔を強張らせた。

思い出すだけでも身震えがする、なんでそこまで言えたのだと当時の自分の信じられない思考と言葉の数々。その無礼極まりない言葉にブチ切れた王様がドラゴンに変身して暴れ回ったあの光景は脳裏に焼き付いている。

勿論、その時まで信じ込んでいた"王様"がドラゴンが化けた存在だという事も、自分の言葉にブチ切れた訳ではなく偶然にも幻術を見破ったような事を言った為にドラゴンは王様の姿を維持出来なくなったという事も、アーニャやデュランに相当噛み砕いて教えてもらってどうとか理解している。

だが、理解したからといってあの出来事を自分の中で正当化出来るかどうかはまた別の問題である。

"自分の不用意な発言で"、"王様を侮辱し"、"勇者一行どころか騎士団と魔道兵団をも命の危険に晒した"、どんな過程であれ結果であれこの三つは変わらない。

「……安心しろ、もう王様が切れてドラゴンになったりなんてしねぇから」

大体何を考えているのか察したクレナハーツが言った。でも、と言おうとして希美は口を噤む。

よく考えてみたら、自分はカルディア城で働かせてもらっているというのに本物の王様に挨拶をしていない。挨拶どころか面識さえない。そもそもカルディア城で働いても良いと言ったのは偽物の王様だ。果たして本物の王様は自分がカルディア城で働き続ける事を良しとしてくれるだろうか。

これは、避けてはいけない問題かもしれない。希美の背中を冷や汗が伝う。

本物の王様が生きていた事を喜ぶよりも、今後の身の振り方への不安の方が勝る。

「ほら、さっさと行くぞ」

表情を強張らせたまま動こうとしない希美に業を煮やしたクレナハーツが彼女の手首を掴んで歩き出した。

「え、あ、あああの、あの、いや、その、ちょっ、ちょっと、あの」

「うるせぇ、黙れ、腹くくれ」

「は、はいぃ……」

手首を掴まれている事、そして今からまだ一度も会った事のない本物のカルディア王に会おうとしている事に錯乱しつつあった希美へクレナハーツの冷たい言葉が突き刺さる。希美は観念してクレナハーツに引きずられるようにして歩いた。

まだ少し硝子の破片や瓦礫が残り、絵画や調度品のほとんどが撤去されたままのカルディア城の廊下。唯一王様と王妃様と王女様の描かれた絵画だけが無傷のまま掛けられている。

前、夜中にこっそりと書庫へ向かった際に見た時は言い知れぬ怖さを感じたが、今見ると何故恐怖など感じたのか分からない。油絵の様な重厚さがありながら柔らかで温かな印象を与えるのは描かれた三名の笑顔だろう。椅子に腰掛けた透き通った水色の髪の王妃様と、その傍に立つ赤い髪に琥珀色の瞳の王様、そしてその二人の間に立つ母親譲りの髪と父親譲りの瞳を持った幼い王女様。

そこでふと何か違和感を覚えた。何かに気付いたけれどその何かが分からない、そういった違和感だ。

違和感の正体をいくら考えてみても思い当たるものはなく、希美は首を傾げた。

そうこうしている間に一つの扉の前でクレナハーツが立ち止まり、希美も一、二歩遅れて立ち止まる。

ここは確か王様の執務室だったか。いつもは見張り兼護衛役の騎士団員が二人、扉の前に立っているのだが今日はいない。謁見の間の修理へ行っているのだろう。

この扉一枚隔てた先に、王様がいる。

緊張から口の中がカラカラに乾いて、心臓が早鐘を打つ。

部屋に入ったらまず何と言えばいいだろうか、挨拶をして自己紹介をしてそれから後何か言うべき事はあっただろうか。いやちょっと待て、相手は王様、カルディア国の中で最も偉い御方、挨拶一つでも礼儀正しくきちんとした敬語を扱わなければならないだろう。

――おはようございます、って敬語で何て言うんだっけ!?

混迷を極めつつあった希美の耳にコンコンと扉をノックする音が届き反射的にそちらを見た。

「入るぞ」

希美の心情を知ってか知らずか、クレナハーツはそれだけ言って扉を開けた。


「ノッちゃあああああぐえっ」


扉を開けたと同時に勢いよく飛び出してきたスティ。クレナハーツと扉の隙間をするりと抜けて希美目掛けて突進してきたのだが、こう来るだろうと予想していたクレナハーツに襟首を掴まれ蛙が潰れたような声を出して止まった。

「うぬぬ……ハーくんのイジワル」

「病み上がりに突進すんな」

スティは恨みがましい目でクレナハーツを睨みつける。

ノッちゃんやハーくんなど親しげなあだ名で呼ぶのは希美の知る限りスティだけだ。だから今クレナハーツに襟首を掴まれている人物はスティなのだと分かるが、最初見た時は誰なのか分からなかった。

それもそのはず、今日のスティはキャスケット帽を被っておらず、帽子から覗いていた透き通った水色の髪は肩甲骨が隠れるぐらいの長さがある。

どうして今日は帽子を被っていないのだろうかと疑問に思ったが、王様とお会いするなら帽子類は身に着けないのが礼儀かと希美は納得した。

「ノッちゃんもハーくんも元気になって良かったよー。ささ、中に入って入って」

スティに促され、クレナハーツに次いで希美も蚊の鳴くような声で失礼しますと言って執務室へと恐る恐る足を踏み入れた。広くもなく狭くもないその部屋は簡単に言えばドラマとかで見た事のある社長室のような内装だ。書類や羽ペンの置かれた横に長いずっしりとした机に、大きくて座り心地の良さそうな椅子、本棚には必要最小限の本とよく分からないオブジェが置かれている。来客時とかに座って話し合いをするようなソファとテーブルは見当たらないが、来客があった時には謁見の間を使うから必要ないのだろう。

執務室にはスティの他にホロ、アーニャ、デュランが居た。王様はまだ来ていないようで、見知った顔ばかりで希美は少し安心する。

「よーし、これで全員集まったねー☆」

「え、あ、あの、王様、は……?」

スティの言葉に戸惑いつつ希美は控え目に訊ねた。

するとその部屋に居る希美以外の誰もが何とも言えない微妙な表情を浮かべて、いつにも増してニコニコと屈託はないけれど裏はありそうな笑顔を浮かべているスティに視線を向ける。

自分一人だけが状況を理解出来ていないようで、希美は助けを求めるように隣に居るクレナハーツを見上げた。クレナハーツは希美の無言の訴えに気付いたのか額に手を当てて溜め息をつく。

「むっふっふー、その答えはボクが教えてしんぜよう!! ……あ、また"ボク"って言っちゃった。慣れないなー、もー」

胸を張り自信に満ちた表情でスティは言った。けれどもどうやら言葉を間違えたようで、肩を落として面倒臭そうに呟いた。そしてそれらを振り払うように一つ咳払いをする。


「改めて自己紹介をするね。ボク……じゃなくて、私はアレスティーナ・カルディア。前カルディア国王の一人娘で、今この国を治めてる王様だよ!」


希美以外の面々は知っていた、というより思い出していたようだが改めて言われた事でより一層現実味が増したのか何だか酷く落ち込んだような、信じたくないとでも言いたげな表情を浮かべ、頭を押さえて黙り込んだ。

それはスティが王様など有り得ないという考えから来たものではなく、何故こんな忘れたくても忘れられないような個性の塊の王様の事を忘れていたのか、何故あんな似ても似つかない偽物の王を本物だと思い込んでいたのか、そういった自己嫌悪のような感情が複雑に入り混じっているようである。

「……ノッちゃーん? もしもーし? 何もりあくしょん無しだと流石のボクでも落ち込むよー?」

何も反応を返してくれない希美に段々不安が募ったのかスティが呼び掛けた。

「え、あ、えと……王様が、ドラゴンで、敵で、その王様は偽物で、本物の王様は無事で、スティさんで、アレスティーナさんで、王女様で、王様で、ドラゴンで、あ、ドラゴンは偽物だから……あれ、えっと……」

無反応の希美はというと、あまりの展開に頭がついていっていなかった。

「いくらはいすぺっくが売りのスティちゃんでもドラゴンにはなれないなー」

「いいか、ノゾミ。偽物の王様はドラゴンだった、ここまでは理解してたよな? そんで本物の王様はノゾミがスティって呼んでた盗賊だったんだよ。大丈夫か? 理解出来そうか?」

「え、っと……えっと……ど、どうにか……?」

デュランが噛み砕いて説明してくれた事を希美は更に噛み砕いて思考を整理する。

つまり「偽物の王=ドラゴン」で「本物の王=アレスティーナ王=美少女盗賊☆スティちゃん」だという事。存外簡潔に整理出来たがそれをそのまま呑み込めるかどうかはまた別問題である。それにさらりと言われたが前カルディア国王の一人娘と言っていなかっただろうか。希美の知るスティは男性だったハズ。中性的な顔立ちだし女性とも男性ともとれる声で判断出来ず、性別は本人の自己申告、というかクレナハーツがそう言っていなかったか。

「ちょっと、短気勇者様に魔力馬鹿様? 少しぐらい説明しておいてくれやがりません?」

「え、僕も?」

「文句はスティに言え。アイツが何も言うなって言ったんだからな」

「だってノッちゃんならいいりあくしょんしてくれると思ったんだもーん☆ ……まさか無言とは思わなかったけど」

「そりゃ無言にもなるっての……」

王様だと宣言しても今までと少しも変わらないスティに、希美は失礼だと重々承知しているが本当に王様なのか疑ってしまう。

未だ現状を呑み込めずにオロオロする希美にクレナハーツが言った。

「なんとなく気付いてたんじゃねぇのか? あの絵見て、首傾げてただろ」

「絵、です、か……?」

そういえば執務室へ向かう道すがら、王様と王妃様と王女様の描かれた絵画があった。赤い髪の男性と透き通った水色の髪の女性と、男性と同じ色の瞳に女性と同じ色の髪をした少女の絵。

はたと希美は気付く。自分はすっかり赤い髪の男性を王様だと認識していたが、それはドラゴンが化けていたのがその男性だったからという思い込みに過ぎないのではないだろうか。

段々、雑然としていた頭の中が整理されていく。どうやら自分は赤い髪の男性こそが王様だという考えに固執してしまっていたらしい。そうなると男性は前国王で女性は前国王妃ということだろうか。そして王女様だと思っていた少女こそが現国王で今目の前にいるスティ、改めアレスティーナということになる。

――え、あれ、ちょっと待って、え? え?

あの絵画に描かれていた少女の姿を思い出した。

透き通った水色の髪に琥珀色の瞳。美男美女の父母譲りの少年にも少女にも見える整った顔立ち。そして屈託のない笑顔。

何故今まで気付けなかったのかが不思議なくらい、スティと瓜二つだ。スティをもう少し幼くしてドレスで着飾ったなら、絵画の少女と同じになるのではないだろうか。

絵画を見た時に感じた違和感は、会った事のない少女のハズなのにすでにもう何度も会った事があるような気がしたからだ。


「え、え、ええええええええええっ!?」

「そのりあくしょんをボクは待ってたよーっ!」


ようやく現状を呑み込んだ希美の絶叫に、カルディア国の現国王アレスティーナは満足そうにあの絵画の少女と同じ笑顔を浮かべた。

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