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ネガティブ戦線  作者: 楽夢智
前編 「もう終わりにしよう」と闇が囁いた
49/60

もう少し、あと一歩

「もーハーくんっ! 恥ずかしいからってタオル投げつけるのはダメだよー!」

「うるせぇ」

足早に歩くクレナハーツを捕まえて非難の声を上げるスティにクレナハーツは心底うんざりした表情を浮かべた。その表情に反省していないと思ったスティは不満げに頬を膨らませる。

「はいはい、落ち着こうね〜二人とも」

のんびりと杖をつき歩いていたホロが二人に追いつき嗜めた。すぐにスティはホロに飛び付き、いかにクレナハーツの行動が冷酷無比かを捲し立てている。ほぼ誇張しかないスティの話をホロは適当に相槌を打ちつつ右から左へ聞き流しているのだろう。ようやくスティから解放されたクレナハーツはあまりの言われように一つ溜め息をついた。

「うんうん、そっか〜。ところでスティ、時間は大丈夫なのかな?」

「…………ほあっ! 忘れてたっ!」

何かを思い出そうとしているかのような沈黙の後、スティが素っ頓狂な声を上げた。

「なんか用事でもあったのか?」

忙しいにも関わらず駆けつけてくれたのかと相変わらず仲間思いなスティに少し悪い事をしたなとクレナハーツは心の隅で反省する。

スティはその言葉を待っていたと言わんばかりに目を輝かせて、鼻息荒く自慢げな表情で言う。


「うん、火事場泥棒してくるんだよ!」

「は?」


たまに、というか六割方すぐには意味を理解出来ないような突拍子もない発言をするスティだが、今回は何の脈絡もない為に尚更意味不明である。そもそも"火事場泥棒"などという正義の味方を自称するスティからはかけ離れた言葉が文字通りの意味を持っている訳がない。

「ほら、三日位前に大嵐が来たじゃん? それで城下町の方に結構被害が出ててね、騎士団と魔道兵団とそれから手の空いてるギルド総出で復興作業中でね、ずーっと大忙しなんだよ。な・の・で! この混乱に乗じて盗みを働かずにどうするか! って美少女盗賊の血が騒いで仕方ないのである!」

やけに城内が静かでがらんとしていると思っていたが、騎士団も魔道兵団も出払っているからのようだ。

よくよく城内を見渡すと飾られていたハズの絵画や調度品はほとんど片付けられており、所々に元調度品となってしまった硝子の破片が怪我をしないように廊下の壁際へと纏めて寄せられている。恐らくあのドラゴンとの戦いで何度か地面が激しく揺れた所為だろう。

ところで、調度品が倒れる程の揺れの中で城内を走り回ったという希美は一体何度転んだのだろうか。二桁は軽くいっているのではないだろうか。もしかしたら三桁にまでいっているかもしれない。

「ボクの話、ぜんっぜん聞いてないでしょ、ハーくん!!」

硝子の破片を見つめて遠い目をするクレナハーツにスティが怒る。

「いい? ハーくん。ボクはね、食糧難でひもじい思いをしている城下町の人達から、大事な食糧をお店からも畑からも奪い取って来たんだからね!」

「あ、確か町の人とかから厚意で分けてもらったんだっけ。それでメイドさん達と一緒に城下町で炊き出ししてたね〜。お店とか畑のはちゃんとお金払ってたから盗んでないよ?」

「それにね、それにね、金銀財宝も根こそぎ盗んだんだよ!」

「金銀財宝? スティが貰って来たのって木材とか石材とかじゃなかったっけ? 出来る範囲でお城の修理をしたいからって言ってたと思うんだけどな〜」

「どう? どう? 今日の美少女盗賊☆スティちゃんは極悪非道でしょ!!」

どうかと訊かれてもいつも通りじゃないかとしか言いようがない。

いつも通りではない事といえば、擁護にも援護にもならない微妙なフォローしか言わないホロがまともな発言をしている事ぐらいだ。スティの言い方からしてそのフォローが意味を成していないところを見ると、ある意味いつも通りかもしれない。

「……ああ、うん、極悪非道だな」

これ以上話を長引かせても自分が疲れるだけなのでクレナハーツは心底適当に相槌を打った。その言葉にスティは自慢げに胸を張る。背後から撃つようなホロの援護射撃で極悪非道も火事場泥棒も単なる見栄だとばらされている事に気付いていないのだろうか。

「えーっと、そういうわけで、これから城下町のお手伝いに行ってくるけど、クレナは一人でも大丈夫かな?」

「もう部屋に戻って寝るし平気だ。それよりホロの方は大丈夫なのかよ?」

「僕はお手伝いっていうより、スティのお守が仕事だからね〜」

「それはそれで大変そうだけど、図書館は大丈夫だったのか? 一応館長だろ、オマエ」

やけに張り切っているスティのお守程大変な仕事はなさそうだが、話半分に聞き流したり受け流したりを普段から行っているスティ以上に飄々としたホロには適任かもしれない。

それよりもホロが館長を務めているツァラトゥストラ書院の方が心配だ。城下町からやや離れた場所にあるといってもあの大嵐の影響は受けているのではないだろうか。

ホロは特に困った顔もせずに言う。

「屋根が飛んじゃったり、窓が割れちゃったり、水浸しになったり、本棚が倒れちゃって本がそこらじゅうに散らばったり、その惨状見た本好きの司書さんが号泣したりしたぐらいで、大した被害はなかったよ〜」

「……いや、十分過ぎる被害だろ」

「本当に大した事なかったよ? 魔法で一分もかからないで片付け終わっちゃったし。後は屋根と窓の修理だけだから僕の仕事はないんだよね〜」

あっけらかんと軽く言っているが聞いた限りの被害を魔法で全て直すとなると、何万冊あるかも分からない散らばった本とこれまた何百個あるかも分からない本棚、そして浸水した水を一滴も残さず浮遊魔法で浮かせて所定の位置に戻したという事だ。しかも場所はツァラトゥストラ書院、エステルダスト大陸一の規模を誇る、蔵書量も敷地面積も広大で膨大な図書館。

規格外の魔法を平然と使ってのけるホロなのだから今更驚きはしないものの、一体どれほど魔法に精通しているのか計り知れない力に恐れを通り越して呆れてしまう。

「てなわけで、極悪非道の限りを尽くしに、いざ城下町へー☆」

そう言って走り出したスティは何か思い出したのかすぐに立ち止まりクレナハーツの方を振り返った。


「一つ貸しだからね、ハーくん?」


にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべてスティは言った。

「は? 貸しって……」

「それじゃ、ホロホロも一緒に行こー!」

「僕は転移魔法で行くから先に行ってていいよ〜」

「りょーかい☆」

「おい、待て……って、速過ぎるだろ、アイツ」

"貸し"とは一体何の事なのか訊ねる間もなくスティは走り去ってしまった。

スティに貸しを作るような事があっただろうか。今日あった事といえば希美にお礼を言えたぐらいしかない。アーニャに叩き出されそうになったがスティが話を逸らしたお陰で助かったと言えなくもない。

――まさか、それか?

いつも通りの何も考えていない、空気を読まない発言かと思っていたが、どうやら珍しく考えがあってのものだったらしい。

何で希美に用があると分かったのか少し恐ろしく感じるも、スティ曰く黄泉上がりの身体で希美の部屋まで走っていく姿を見れば一目瞭然かとクレナハーツはその時の自身の行動を恥じた。城下町の復興にほとんどの人が出払っておりその姿を見られていない事は不幸中の幸いといえる。

「じゃあ、僕も行くね〜。ちゃんと寝てるんだよ、クレナ?」

いつの間にか虚空に裂け目を作り出したホロが言う。

裂け目の向こうには整然と家屋が並び、そのどれも屋根や壁が壊れたり崩れかかったりしており街道には瓦礫や大量の落ち葉が散乱している。それらを工具片手に修理したり、箒や魔法で片付けたりしているのはギルドや騎士団、魔道兵団の面々だろう。騎士団員も魔道兵団員もあの象徴的な外套を身に着けておらず動きやすいラフな格好をしているので町民との区別がつかないのだが。ギルドは各々のネームタグを首飾りや腕飾りなどと一緒に身に着けているので分かり易い。

彼らが修理している建物の中には明らかに嵐の所為とは思えない抉り取られたように屋根等が壊され倒壊しているものがあった。これはいつかの正体不明の城下町での破壊騒動で壊されたものだろう。この際だからと纏めて修理しているようだ。あの騒動の下手人はカルディア王に化けていたアジ・ダハーカという名のドラゴンで、生来の破壊衝動を抑えきれずに行ったものだから、もう家屋を壊されたり畑を荒らされたりという事はないだろう。


過程がどうであれ、一人の力ではなかったにしろ、自分は城下町を、城下町に住む人々を守る事が出来たのだ。守る程の価値があったのかは分からない。しかし、守ったという事実だけは確かだった。


"世界"なんてあまりにも広過ぎて漠然としたものでしかなく、魔王を倒して世界を守ったのだと言われても今一つ実感がなかったのに、今はこうして城下町を見ただけであまりにも簡単に守ったという実感が静かに心に染み渡る。

体調が良くなったら自分も城下町、またはカルディア城の修理を手伝おうかなと考えて、そこでふと気付いた。

「スティも転移魔法で連れて行けば良かったんじゃねぇか?」

「…………あ、それもそうだね。次からは誘うことにするよ〜」

それだけ言ってホロは裂け目をくぐって城下町へと向かう。ホロの両足が城下町の舗装された地面に着くと同時に裂け目はすぐにその大口を閉じて虚空に溶け込むように消えていった。

途端に城内が静寂に包まれる。鍛錬に励む騎士団員らの声もなく、噂話に花を咲かせるメイド達の声もない。何かなくとも必ず賑やかな声がどこかでしていた今までと打って変わった静けさに寂しさがよぎった。

まだ安静にしていろと言われているのでこの位静かな方が丁度良いと自分を納得させてクレナハーツは自室へ向かって歩き出す。今はもう起きたばかりの時の具合の悪さはほとんど残っていない。頭痛はまだ痛みを訴えているが、これは体調不良から来ているものではなくアーニャが問答無用で投げつけてきたトレイの所為だ。思い出し、頭に響く鈍痛が酷くなった気がしてまだ赤いであろう額をさすった。

自分の靴音だけが響く静かな城内。そこに別の靴音が一つ加わった。クレナハーツは何の気なしに前方から聞こえてきたその靴音の方を見て、その靴音の主に気付いて思わず立ち止まる。靴音の主も同じくクレナハーツの姿に気付いて立ち止まった。


「よ、よう!」

「お、おう……」


ぎこちなく挨拶をしてきた靴音の主、デュランにクレナハーツもぎこちなく応える。

「あー……その……もう、起きてても大丈夫なのか?」

「え、ああ、まだ安静にしてろって言われたけどな」

「そっか……」

「……」

「……」

気まずい沈黙が下りる。

ぎこちなさに相反した随分と軽い挨拶をされ不意を突かれた自分も同じような挨拶を返してしまったが、やはり不慣れというか気軽な挨拶を交わせる間柄ではないというか。クレナハーツは未だデュランとの距離感をはかりかねていた。

よくよく考えてみると自分はデュランと特筆するような関わり合いもなく会話らしい会話もした事がない。ロランの事があった為、憎まれて恨まれて当然だと無意識の内に互いが互いを避けていたというのが大きな理由だろう。

アジ・ダハーカとの戦いの中で初めてまともに言葉を交わしたように思える。

「……なあ、デュラン」

沈黙を破ったのはクレナハーツだった。

「ありがとな。あの時、一緒に戦ってくれて。騎士団と魔道兵団が居なかったら、たぶん……いや、絶対負けてたと思う。だから……ありがと」

クレナハーツの口から率直な感謝の言葉が出てくるとは思ってもみなかったデュランは目を瞬かせ、むず痒そうに頭をがしがしと掻いた。

「〜〜っお礼ならノゾミに言えっての! ノゾミが城中走り回って呼んだから、オレらは集まったんだからな!」

「ノゾミにはさっき言ってきた」

「え、マジで?」

意外な返答にデュランは素直に驚く。その言葉にクレナハーツはムッとして、心外だとでも言いたげに眉間に皺を寄せる。確かに感謝したり謝ったりといった言葉を正直に言うのはどうにも苦手だ。苦手なりに頑張って言ってみても何故か今のように驚かれたりするので、自分は冷血人間だとでも思われているのかと考えずにはいられない。

「わりぃ、ちょっと意外だったからさ……」

不機嫌そうなクレナハーツの表情にデュランは失言だったと気付きすぐに謝る。やはり慣れない事はするものではないなとクレナハーツは改めて実感し、先程の苛立ちを吐き出すように溜め息をついた。

「寝惚けてたし、どうせ憶えてねぇだろうけどな」

「憶えてなかったら、また言えばいいだけだろ?」

「……言えたら苦労しねぇ」

「まあ、そうだよなぁ……勇者ってなんか、"ありがとう"とか"ごめん"とか言った後、すぐに相手殴って忘れさせようってしそう気がするし」

「……」

「オイ、否定しろよ。黙るなよ。目ぇ逸らすなよ! 恐ぇだろ!」

殴って忘れさせようとした訳ではないが、先程お礼を述べたものの居た堪れなくなり希美にカラカラになるまで絞りきったタオルを投げ付けてしまった事を思い出し閉口した。

そんな事はしないと否定したいが、つい先程の事実があるので真っ向から否定出来ない。

「まさか勇者、ノゾミ殴ったんじゃ……!?」

「殴ってねぇよ」

意味有り気な沈黙に不穏な何かを悟ったデュランが声を荒らげるが間髪入れずにクレナハーツは否定した。流石に病人相手に手はあげないかとデュランは安堵の息をつき、疑ってしまった事を謝ろうとした。

「……タオルは投げ付けたけど」

「オイッ!! 病人相手に何してんだよ! バカか!?」

ぼそりと呟かれた言葉に勢いよくつっこみを入れる。けれど馬鹿は言い過ぎだしそんな軽口を叩き合えるような仲でもないとハッと気付き、どうしたものかとデュランは気まずそうに頭を掻く。クレナハーツも病人にタオルとはいえ投げ付けてしまった事は事実なので何も言い返せない。

再び沈黙が下りた。

「……俺、そろそろ部屋に戻るな」

「あ……わりぃ、引き止めちまって」

「いや、こっちこそ……って、オマエはどうせサボりか」

「サボりじゃねぇし! アーニャに用があってきたんだっての」

つなぎの両袖を腰辺りで結んだ服装やその服や顔に付いた土汚れを見れば城下町の復興作業を行っていたのは一目瞭然だ。珍しくきちんと働いているらしい。一体どんな心境の変化が起こったのかはクレナハーツには推し量れないし特に興味も沸かなかった。

それよりも、アーニャの名前を聞いただけで忘れかけていた額の痛みが蘇った事をどうにかしたい。

「……ノックはちゃんとしろよ」

「え、お、おう?」

脈絡なく言われた忠告にデュランは戸惑いながら頷いた。

クレナハーツは今一つ分かっていないデュランを心配に思いながら自室へと歩を進める。

「――あ、あのさっ! 勇者!」

デュランに呼び止められてクレナハーツは振り返った。


「その……すぐに答えてくれなくてもいいし、色々整理がついてからでもいいんだけど、さ……えーっと……兄貴、とミーリィテスさんの、墓の場所、教えてくれねぇか……?」


先程までの明るい声色を潜ませて遠慮がちにデュランが言った。クレナハーツは思わず顔を強張らせる。

「ここ最近、色々あったからさ、ちょっと気持ちの整理をしたいっつーか……兄貴に騎士団の事とか報告したいっつーか……」

ロランとミーリィテスが眠る墓は二人が命を落とした村のすぐ近く、見晴らしのいい小高い丘に二人寄り添うように作られている。本来ならば家族の元へ連れて帰るべきだと分かってはいた。しかし、デュランの言動を見ていると忘れてしまいがちだが彼ら兄弟は名門貴族の出だ。対してミーリィテスはカルディア国の端の小さな村で生まれ育った田舎娘。どれだけ二人が想い合っていようとも同じ墓どころか近くに墓を置く事さえ許されないかもしれない。

二人を正直に祝えなかった代わりに、自分のエゴでも構わないからせめて二人を引き裂いてしまいたくないとその村で埋葬してもらえないかとクレナハーツは村人らに頼み込み、そしてホロとスティ以外の誰にも墓の場所を知らせなかった。無論、デュランにも。

「も、もちろん、墓を暴こうとかそんな事は全然考えてねぇよ? あんな生真面目で堅物な兄貴の、最初で最後の恋人と引き離したくはねぇし……親父とかお袋とかが知ったら無理矢理連れ戻しそうだから、なかなか教えれねぇのは分かってる。でも、絶対誰にも言わねぇから! あ、いや、アーニャには言うかもしんねぇけど……」

デュランの言葉に嘘は見当たらない。元より直情的で裏表のないデュランが言葉巧みに嘘を言えるとは思えないが、墓参りをしたいというのは間違いなく本心だろう。だけど、とクレナハーツは躊躇う。

このまま意固地になってずっと教えなかったなら、彼は誰も居ない形だけの空しい墓に手を合わせる事になる。

それで本当にいいのだろうか、ロランとミーリィテスがそれを望むのだろうか。


いや、誰が望むかじゃない、自分が何を望むかだ。


「……わりぃ、やっぱり今言った事忘れて――」

黙ったままのクレナハーツにやはり教えてはもらえないかと俯きがちに少し寂しげな笑みを浮かべてデュランは立ち去ろうとした。

「オステオン国のアイマ大河の上流辺り、そこのハノって村のすぐ近くの丘に、アイツらの墓があるから」

デュランは勢いよく顔を上げまじまじとクレナハーツを見た。

「その辺りの魔物、結構凶暴なのが多いから、行く時は気を付けろよ。それから……ロランの事、悪かった」

それ以上何と言っていいのか分からなかった。どれだけ言い訳や謝罪の言葉を並べ立てても意味はない。

ただ、憎まれて当然だと罵詈雑言を甘受していただけで一度も謝っていなかった事に気付き、それは良くないと思って口走ってしまっただけだ。もっと他に言葉を選べなかったのかと少しだけ後悔する。

「お、オレの方こそゴメン! ヒドい事、たくさん言っちまって……」

「それは別に気にしてねぇし、言われて当然の事したからな」

「だけどオレ、ほとんど八つ当たりだったし……」

「……」

「……」

「……謝り合戦はやめとくか」

「だな。なんか……ガラじゃねぇな」

そう言って二人は苦笑した。

そして気まずい空気もなく、二人は別れて各々の向かう部屋へと歩き出す。


――やっぱり、後でまたしっかりお礼言っとくかな……。


死に直面して、言いたかった事や伝えたかった事があんなにも心に残るとは自分でも想像出来なかった。

数え切れない程の後悔の中で取り返しのつくものなどほとんど無い。それでも、何も言わず何もせずの後悔ぐらいは簡単と言えるほど楽ではないが、実行してしまえば思っていたよりも呆気ない。

どうせ死ぬのだから何もかもがどうでもいいと諦めていたかつての自分では見る事の出来なかった景色を見て、交わす事のなかった言葉を交わして、少しだけ前を向けた気がした。

それはやはり、自分を白黒の世界から引っ張り上げて世界を色付けてくれた彼女のお陰なのかもしれない。

こんな事をあの鈍い彼女に話したところで、自分は何もしていない、自分が勝手にしてしまった事だ、むしろ気を病ませてしまってごめんなさいと確実に言われるだろう。それはそれで彼女らしくて良いのだが、伝えたい事をきちんと伝えきれない事にもどかしさを感じてしまう。

それでもいいか、とクレナハーツは納得する。伝わるまで言い続けられるほど気は長くないけれど、自分と彼女が生きている限り伝え続ける事は出来るのだから。

散らかったままの庭を見て、早く希美が元気になってくれればいいなと一人願った。

心地良い風の吹く音だけが聞こえる静かなカルディア城に、希美の部屋のある方角からいつかの鈍くも軽い音が響き渡って木霊する。

「……俺はちゃんと忠告したからな……」

何があったのかすぐに察したクレナハーツは忘れていた額の痛みに、頭を押さえて溜め息をついた。

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