騎士団長の追憶
デュランは物心ついたときから"優秀なロランの出来損ないの弟"だった。
それなりに名門貴族の家に生まれ、名門が故に子供の頃から厳しい教育を受けていた。剣術も勉学も悠々とこなしてしまう才気溢れるロランに対して、デュランは剣術も勉学も兄に敵うどころかついていく事さえ出来ずに先生や両親に随分と酷く叱責されたものだ。
兄に出来て自分に出来ないハズがないと周りも幼いデュラン自身も思い、陰でひっそりと鍛練に励んだりもしたが兄と自分との力の差は埋まるどころか深まる一方だった。
次第に両親は優秀な兄だけを構うようになり、デュランに勉学を強制する事も何故出来ないのだと叱責する事もなくなり、彼に対して無関心となり離れていった。
変わらずデュランの傍に居てくれたのは、優秀な兄と、幼馴染みのアーニャだけ。
けれど優秀な兄と同じく、アーニャもまた幼い頃から魔道の才に溢れた恵まれた存在だった。
一緒に居る事自体は楽しかったけれど、自分一人だけが出来損ないで必要とされていないような、取り残されているような、どうしようもない劣等感がふと降りてきては言いようのない寂しさと苛立ちに苛まれた。
当時は魔法以外非力な魔法使いを見下していた節があった為、そのどうしようもない苛立ちをアーニャにぶつけたりもしていた。
勿論、十倍返しにプラスαでのし付けて全力投球の剛速球で投げ返され徹底的に打ちのめされたのだが。
一を言われれば十で返し、十を言われれば百で返し、百を言われれば千で返し、と次第にアーニャとデュランは口を開けば売り言葉に買い言葉で口論の絶えない間柄となっていた。
ロランも最初こそは二人を嗜めたりしていたが、不平も不満も口にせず内に溜め込むばかりだった二人の口喧嘩を仲の良い証拠だと思い、やり過ぎたら止めようと呑気に見守るようになった。
「二人共、仲が良いですね」
「コイツなんかと仲良いワケねぇだろ!」
「この馬鹿なんかと仲良い訳ありませんわ!」
アーニャの言葉遣いが少しばかり荒々しいものになっていったのはデュランの所為ではない、ハズである。
それから時は流れ。ロランはカルディア国の騎士団に入団し騎士団長の地位を与えられるまでになり、アーニャは同じくカルディア国の魔道兵団に入団したものだと思っていたら使用人として働いていた。
前々から次期魔道兵団長にと誘われており、その為身分を偽る必要があり使用人となった事などその時は知る由もなかった。
そしてデュランはというと、渋々ながら兄と同じ騎士団に入団。
名門貴族で、騎士団長になれる程に優秀な兄を持ち、団員には敬遠されていたがそれも最初だけ。貴族らしい振る舞い方などとっくの昔に忘れ、幼馴染みとの熾烈な舌戦で鍛えられた口で上官にも喰ってかかるデュランとすぐに打ち解けた。
デュランも冗談だってふざけ合いだって気楽に出来て、何より"優秀なロランの出来損ないの弟"などと言わない仲間との日々は家で過ごした幼少期とは比べ物にならないほど楽しかったのだ。
出来ない方がおかしいのではなく、出来る方が特別なのだと気付かされた事が大きいだろう。
ある日、デュランはロランに相談があると言われて呼び出された。
兄弟とは言えど積極的に会話らしい会話をしてこなかった弟に相談事をしようとする兄の意図が分からず、今までの馬鹿騒ぎやら悪ふざけやらを叱る為の嘘なのではと身構えた。
団員らも考える事はデュランと同じで、骨は拾ってやると言って彼を半ば強引に送り出した。
冷や汗をだらだらと流すデュランにロランはしばらくの逡巡の後に重い口を開けてこう告げた。
魔王討伐の命を受けた勇者一行に自分も同行する、と。
「――は? なんで?」
本当に相談事だった事に驚き思わず聞き返す。
「魔王討伐の旅なんて大変危険なものに三人では危険だと思いませんか?」
「そりゃあ、思うけどさ……なんていうか……別に兄貴じゃなくても良くない? 騎士団とか魔道兵団とか、わんさかいるんだしさぁ」
「確かにそうですが、その団員の中でどれだけの人が魔王に臆する事なく戦えると思いますか?」
「あー……そうだよな……」
騎士団員全員知り合いと言っても過言ではないほどに交友関係を広げたデュランはパッとロラン並の腕っぷしを持つ人物を数名思い浮かべたが、そういえばほとんど小心者だったなと気付く。根は優しいし生真面目だからきっかけさえあれば良い気がするが、だからといって"魔王討伐"をきっかけにするのは重すぎる。
「勇者に任命された方が強いのは分かっています。ですが、一人だけでも、盾となり守りに徹する者がいるべきだと考えているんです」
確か勇者一行の構成は剣士、魔法使い、精霊使い。剣士と魔法使いは守るまでもなさそうな気がするが、精霊使いは身を守る手段に今ひとつ欠ける。確かに盾役がいた方が戦略の幅や生存率は高まりそうだ。
「……もしかして、惚れた?」
そういえば精霊使いはぽやぽやした感じの女性だったなあと思い出して、普段団員たちと話しているノリでデュランは冗談半分に軽く訊ねた。
「へ? は!? な、なな、なななななに言って!?」
何年もロランの弟をしてきたデュランだったが、ここまであからさまにうろたえる兄を見たのは始めてだったかもしれない。デュランは目をぱちくりとさせて兄を凝視する。
「え、マジで?」
「あ、う、うぅ………………誰にも言わないで下さい」
その動揺こそが答えのようなものだと気付いたロランは真っ赤になった顔を両手で覆い俯いて、蚊の鳴くような声で言った。
文武両道で聖人君子のような兄にも、人間らしい感情や打算があったのかと純粋に驚く。
精霊使いの子とお近付きになりたいから勇者一行に加わるのか、魔王を討つという正義感にも嘘偽りはないのだろうがそれ以上に精霊使いの子を守りたいのか、そうかそうかとデュランはにやつく顔を隠さずに納得する。
「へー、兄貴ってああいう子が好みなんだー、そっかー、ふーん」
「――っ、笑わないで下さい、デュラン!!」
真っ赤な顔で怒鳴られても迫力や凄味はなく、ムキになる兄をひとしきり弄り終えた弟はふと疑問に思った事を口にした。
「その話って、王様とかには言ったのか?」
「い、言うわけないじゃないですか! まだ私が一方的に好意を持っているだけで……」
「いや、そっちじゃなくて。勇者たちに付いて行くって話」
「あ、そっちですか。カルディア王には既に話してあります。騎士団長の私だけでなく、いっその事、騎士団と魔道兵団全軍動かさないかと提案されてしまいましたよ……」
「……相っ変わらず無茶言うんだな、王様……断ったよな?」
「なかなか聞き入れて頂けませんでしたが、なんとか。騎士団も魔道兵団も不在と知って、黙っている国ばかりではありませんからね」
「ふーん、そっか」
諸外国の情勢や国交事情などさして気にした事のないデュランはそういうものなのかと適当に返事した。
「それでですね、私が不在の間――デュランに騎士団長を代行してもらいたいんです」
「……へ?」
予想だにしなかったロランの言葉に思わず間抜けな声が出た。
「いやいや……いやいやいやいや、ないって。それはないって! 冗談キツ過ぎるって!」
「冗談ではありません。この事に関しても既にカルディア王には了承を頂いています」
「はあ!? 王様は良いって言ったかもしんねぇけど、オレは良いって言ってねぇからな!?」
「ですから、相談があると言ったんです」
「事後承諾かよ!!」
その後もしばらくデュランは「無理」「出来ない」「冗談だろ」と言い続け、ロランはそれを宥めながら根気強く説得を試みた。
自分は人の上に立てる器ではないのだとデュランは分かっていた。兄のように強くもなく賢くもない、誰からも敬われ期待され、それらに応えられるような実力など持っていない。
「お願いです。これはデュランにしか頼めない事なんです」
「絶対他にもいるって!! 副団長とか、上官とか……」
「彼らにも既に相談して、納得してもらっています」
「な……」
ロランの行動の早さにデュランは二の句が継げない。
そうまでして自分に代理を務めさせたいのは何故なのだろうか。しかも馬鹿騒ぎと悪ふざけの常習犯に代理を任せても大丈夫だろうと止めもせずに納得している王様も副団長も上官もおかしい。
"ロランの弟"なら大丈夫だとでも考えているのだろうか。自分は"優秀なロランの出来損ないの弟"だというのに。
「私が留守にする間だけでいいんです。凱旋を果たせたなら、再び私が団長になりますから」
けれど、無理だ何だと拒否を続ける頭の中で、頼られているという事に嬉しさを感じていた。それにここで自分が騎士団長代行の話を引き受けなければ、生真面目な兄は勇者一行に同行する機会を流してしまうかもしれない。そうなれば兄の恋を応援する事も出来ない。
「…………兄貴が留守の間だけ、で、いいんだよな?」
長い沈黙の後にデュランが口にした言葉にロランはパッと目を輝かせた。
「ええ、そうです。留守の間だけ、代理を務めてくれれば」
「……分かった、やるよ。オレに任せた事、後悔しても知らねぇからな!」
期間が決められているだけ気は楽だと腹を括った。ロランはその言葉に有難うと言い、安堵の表情を浮かべた。
そうまでして精霊使いの子とお近付きになりたいのかとデュランは少し呆れる。無事に兄が凱旋を果たした時は、恋の行く末を徹底的に弄り倒さなければ気が済みそうにない。
盗み聞きは流石に宜しくないけれど心配で仕方なかった騎士団員らは宿舎に戻ってきたデュランに気付くとすぐさま駆け寄り、口々に何の事について怒られたのか、大丈夫だったのかと声を掛ける。
デュランは怒られてはいないと言って彼らを落ち着かせようとしたものの、それじゃあ本当に相談事だったのかと心配を好奇心へと変えて質問責めにした。
恋愛相談だった、と即答しようかと思ったが、冷やかされるのは嫌いそうな兄だ。堅物な騎士団長の浮ついた話を聞いた団員らは冷やかさなければ気が済まないだろう。この事については黙っているべきだ。
なのでデュランは、ロランが勇者一行に同行する事、そしてロランが不在の間だけ自分が騎士団長の代理を任された事を伝えた。
最初は相槌を打ち各々自由に話していたが、騎士団長代理の話をした途端に先程までの賑やかさはどこへやら、誰もが何とも言えない微妙な表情をして固まりしんと静まり返った。そのあからさまな態度にデュランは流石にむっとした。
「……なあ、デュラン。俺たちは嘆けばいいのか? それとも祝えばいいのか?」
「嘆くってなんだよ! 祝えよ!」
沈黙を破って神妙な面持ちをした団員の一人が言った言葉にデュランがつっこみを入れると、固まっていた団員達は思わず吹き出して笑いながらそれぞれお祝いの言葉を掛けた。それからは普段通りの軽口の叩き合い。
「代理じゃなくて、正式に団長になっちゃえば?」
「いや、それは無理。オレは人の上に立てるような出来た人間じゃねぇし、代理の時になんか問題起こったら、オレを選んだ兄貴に責任被せる予定だし」
「うわー、最低だ」
「ロラン団長の胃に穴開ける気かよ!?」
「いつでも骨を拾えるように準備しとくか……」
「どういう意味だ、それ!!」
わいわいと騒ぎ合ったこの時はまだ誰もロラン騎士団長が生きて帰ってくる事はないなど考えもしなかった。




