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ネガティブ戦線  作者: 楽夢智
前編 「もう終わりにしよう」と闇が囁いた
39/60

今、ここにいる理由

希美は壁に手をつき息を整える。

騎士団員や魔道兵団員を探して城内を駆け回り続けた運動不足の身体は悲鳴を上げ始めていた。

誰か一人ぐらいなら一緒に戦ってくれる人がいるかもしれないと人見知りで縮こまりそうな自分を叱咤して声を掛け続けたが、やはり"魔王を倒した勇者だから"と言ってまともに取り合ってもらえなかった。

自分が口下手じゃなくて饒舌だったなら、そんな風に言う人達を上手く丸め込んだり、自分の思い通りに誘導したり出来たのだろうか。つくづく自分は無力なのだと思い知らされる。

また一段と激しい揺れが襲う。廊下に等間隔に置かれていたガラス細工の花瓶が倒れて割れた。


『ノゾミ、もう危ないよ! 後はクレナハーツたちに任せて、わたしたちは逃げようよ!』


カカの言葉はもっともだ。けれど、逃げなければ危ないほどになっているという事は、それだけクレナハーツらの戦いが激化しており未だ決着がついていない事を意味している。

しかし自分に出来る事がないのもまた事実で、それが歯痒くて情けなくて申し訳なかった。カカの言葉に従い、もう城外へ逃げようと足を一歩踏み出す。

その瞬間、希美が手をついていた壁が彼女の向かおうとした目と鼻の先で轟音と共に吹き飛ばされるように砕け散った。希美は声を上げる事も出来ずその場にへたり込む。

吹き飛ばされ瓦礫と化した壁の残骸の中に見覚えのある扉があった。来るものを威圧する荘厳で重々しいその巨大な扉は見るも無残な程にズタボロで、吹き飛んだ勢いからか折れ曲がり凹んでいる。哀れな扉に施されていた細かな彫刻が、ここが謁見の間であった事を辛うじて伝えていた。

希美は回り回って謁見の間に戻って来てしまっていたようだ。

早くここから去らないと、と思った。けれど、今の状況を確認したい、という好奇心の方が勝った。

力の抜けた足では立つ事が儘ならなかった為、両腕で這うように移動し倒壊した壁の影からそっと中の様子を窺う。

黒い鱗のドラゴンは最後に見た時と変わらず玉座のあった場所に悠然と鎮座していた。遠目なので不確かだが見るからに硬質な黒い鱗に傷らしきものは見当たらない。一方でクレナハーツ達は肩で息をしており随分と消耗しているように見える。やはりたった三人では難しい相手のようだ。


――あれ? クレナさんの剣……。


ぱっとクレナハーツを見た瞬間感じた違和感、その正体はすぐに分かった。

クレナハーツが今構えている剣は緩やかな弧を描く刀身のサーベルに似た小振りの剣、スティが持っていた二振りの内の一つだ。彼が愛用している剣とは長さも刀身も異なる剣をこんな凶暴なドラゴン相手にわざと使っているとは到底思えない。

何があったのか知ろうと周囲を見回し、そしてドラゴンの足元に転がる見慣れた彼の剣に気付いた。

――あんな所にあるから取りに行けないんだ……!

取りに行ったならドラゴンに踏み潰されてしまうだろう。

いくら武器を持っていてもそれが使い慣れないものであっては実力の半分も発揮出来ない、ホロやスティの支援があったとしても長期戦は免れないどころか途中で力が尽きてしまう可能性が否めない。相手の体力を削り隙を突いて取り戻す事は難しいのではないだろうか。

――どうしよう、どうしよう……。

中の様子を窺う事をやめ、壁に背を預けて必死に考えた。

戦いに詳しくない希美にも分かった、このままではジリ貧だと。勝てないと。

せめてクレナハーツの剣を取って来れる誰かが居れば状況は変わるかもしれない。けれどデュランも騎士団員も魔道兵団員も自分は連れて来る事が出来ていない。今から呼びに行ったとしても、戻ってくるまでの間に負けてしまっていたら、不吉な考えが希美の身体を震わせた。


――また、間違えちゃった……何が何でも誰かを連れて来るべきだったのに……っ!


後悔に涙が滲む。どうしよう、それだけが頭を巡った。

居もしない誰かを、心の中で呼び続ける。

お願い、誰かクレナハーツ達を助けて、と。

誰か、誰か、誰か――

「あ……」

一人、居た。

自分が呼び続けた誰かは、もう既にここに居た。


――私が……五十嵐希美が、ここにいる。


自分の存在を確かめるように震える両手を見つめた。心臓の鼓動が早まり、息が荒くなる。それは自分に出来る事を見つけた喜びではなく、自分に出来る事があまりにも分不相応だった事への恐怖だった。

気付いた瞬間に無理だと、出来る訳がないと思った。

いかにドラゴンの隙を突いても剣の元まで駆け寄る事も、ましてや剣をクレナハーツへ届ける事など出来ない。走って、躓いて、転んだところを確実に踏み潰される。

やはり誰かを呼んで来るべきだ。自分に出来る訳がない。

早まる鼓動を押さえようと胸元に手をあてた時、自分が可能性を一つ持っている事に気付いた。


――できる、かもしれない……。


心臓がバクバクと脈打つ。胸に灯った小さな希望を否定するかのように足が震えて立てなかった。

やはり無理だ、恐ろしい、もし失敗したら、溢れ続ける不安に肺が押し潰される。

カカが心配そうに希美の顔を覗き込む。

今は震えている場合ではない。逃げるか、助けを呼ぶか、挑むか、選択しなければならない。

否、答えなど可能性に気付いた時点で決まっていた。

「カカ、さんは、もう、逃げて、下さい」

『えっ……ノゾミは? ねぇ、何をするつもりなの? ねぇってば!』

問いかけるカカに答えず、希美は気持ちを落ち着かせようと深呼吸を始める。

――私が、今、ここにいる理由は、なに?

不安と恐怖を叫ぶ心臓に語りかけた。

――私は、災禍の生贄になる為だけに、この世界にいるの?

ぎゅっと拳を握り締める。

――違う。私は、私にでも、私にしか出来ない事が、この世界にあるかもしれないから、だから、この世界にいるんだ。

唇を引き結ぶ。


――今、私に出来る事は……クレナさんの剣を取って来る事!!


決意を固め、いつの間にか震えが止んでいた足に力を込めて駆け出した。

突然横を通り過ぎた存在にクレナハーツは驚き、それが城外に逃げているハズの希美だと気付いて更に驚く。驚きにしばらく呆然とし、彼女がドラゴン目掛けて走っているという状況をやっとの事で飲み込んだ。

「ば、バカッ! 戻れっ! ノゾミ!!」

クレナハーツの声に振り返らず、希美は瓦礫まみれでズタボロになった赤い絨毯の上を走る。ドラゴンはこの哀れで愚かな子羊をどうしてやろうかと愉快な考えを巡らせながら、にやにやとした意地の悪い目で彼女の動きを追うだけに留めている。

このまま相手が何もしてこなければ、無事に剣を持って帰れるかもしれないという希望が見えた。

しかし、そう上手くいかない事は希美も薄々感じていた。

希望が見えて一瞬気を抜いてしまったのか、先程まではよろけながらもどうにか避け続けていた瓦礫に躓き転び、顔面から地面に倒れる。今日だけで既に両手では足りないぐらい転んでいる希美はもうこの程度では怯まない。また恐怖で全身が竦んで動けなくなる前に腕に力を込めて上体を起こす。

その希美の頭上に影が伸び、暗くなった視界に気付いて彼女が顔を上げると、そこにはドラゴンの前足があった。足裏にはあの全身を覆う黒い鱗はなく、けれど鱗同様に真っ黒な肌をしている。次第に近付いてくるその足が自分を踏み潰そうとしているものなのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。

「ノッちゃんっ!!」

スティが悲鳴に近い声で名前を叫んだ。

――やっぱり……。

段々と大きくなるドラゴンの足を見つめる希美は思った。

それは、予想通り転んでしまった事への自責や後悔、などではない。


――やっぱり、足の裏とか手のひらとかには、鱗は無いんだ……!


立てていた予想が確証へと変わり希美は目を輝かせた。

希美はその場に片膝を立ててしゃがみ、迫り来るドラゴンの足を待ち構える。

そして、懐に仕舞っていたホロからクレナハーツを殺す為に貰い受けていた短剣を抜き、鱗で覆われていない足裏の地肌に渾身の力で突き立てた。

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