いつかの弱き少女が持てなかった小さな勇気
「なんで、そんなに酷い事が言えるんですか?」
カルディア王と対峙する少女が問う。
予想外の出来事に周囲の人々は口を出す事も忘れて、ただ黙って事の成り行きを静観している。
「酷い事? 事実を述べているだけではないか」
愉快そうに口角を上げる王様。
未だいじめっ子の幻が重なって見え、思わず足が震えてしまう。けれど今は恐怖に震えている場合ではないと、服の裾をぎゅっと握り締めて自分を奮い立たせる。
「一方的に責め立てる事のどこが事実だって言うんですかっ!?」
いつかの自分が心の奥の奥に押し込め続けた言葉が、思いが、怒りの波に巻き上げられて溢れ出す。
「確かに、災禍を復活させようってした事は、しちゃいけない事だったんだって分かってます。でも、だからって、クレナさんが勇者になって戦ってくれた事まで否定しなきゃいけない理由にはならないよ!」
ワールドエンドで聞いたクレナハーツの言葉が蘇る。
自分はあの場に来ていないと言った手前、知らぬ存ぜぬを通すべきだと分かっている。ただ偶然にも似通った話をするだけである。あの時には怖くて怖くて伝えきれなかった言葉、今しか伝える機会はない。
「クレナさん達が戦ってくれたから、今の平和な世界があるんでしょ? 魔物とか魔王とか、私にはよく分からないけど、そういうとっても怖いものに怯えなくて済んでるんでしょ? なのに、なんで否定するの? なんで責めるの? クレナさん達の旅も、戦いも、間違ってなんかないじゃん! どこが間違ってるの!?」
王様は短くため息をついた。
「異世界人なら知らぬのも無理はないかもしれぬが、その大層な旅について行ったが為に我が国の騎士団長は死んだのだぞ。その上、貴重な精霊使いもみすみす死なせて――」
「大切な仲間を失って、一番悔しくて苦しくて悲しいって思ってるのはクレナさん達だよ!? 少なくとも、クレナさん達を責める為だけにクレナさんの妹さんや、デュランさんのお兄さんの死を利用するあなたなんかよりも、ずっとずっと悲しんでる!!」
王様の言葉を遮り希美は言った。
クレナハーツの妹の死を、デュランの兄の死を汚されているような気がして、未だに深い悲しみに沈んでいる彼らに聞かせたくない。二人の死が残された家族にどれほどの悲しみを与えているのかさえ知らないような、知った上でわざと利用しているような卑怯者に語らせたくない。
「たくさん悲しんで、たくさん苦しんで、たくさん自分を責めてるのに……何が楽しくて傷付けるの? 何が面白くて傷付けるの? そうやって追い詰めるから、悪い方に思い詰めちゃうんだよ!?」
何一つ知らない癖に知ったかぶって語る自分も卑怯者だという自覚はある。
それでも、何も知らないなりにクレナハーツらを見てきた。彼らがどれほど優しいか、どれほど仲間を大切に思っているか、この世界の常識なんかよりも遥かに知っている。思い上がりでも別に構わない。自分がそうだと思っているのなら、自分の中ではそれが真実だ。
「だが、勇者ならば――」
「勇者勇者うるさいっ! クレナさんはクレナさんだっ!」
ワールドエンドでようやく見たクレナハーツの表情が、涙の熱が忘れられない。
「公明正大で、慈悲深くて、篤い正義感を持った人が勇者だっていうなら――平気で人を傷付けて、苦しめて、見て見ぬフリをする私達は化物だっ!! あなたも……あんたも王様じゃないっ! 化物だっ!!」
一層声を張り上げて叫んだ。こんなにも声を荒らげて喋ったのはいつ以来だろうか。
肩で息をする。足は未だがくがくと震えていた。
しん、と静まり返った謁見の間。傍観者達が正常な思考を取り戻すまでいくらか時間を要した。
「か、か、カルディア王様に向かってなんたる無礼な……! 今すぐこの者を不敬罪でひっ捕らえろっ!」
焦りと怒りの混じった声で大臣の一人が声を上げた。
それを皮切りに官僚らがある者は呆れたような事を、ある者は馬鹿にしたような事を、ある者は卑下するような事を口々に言い始めた。ようやく我に返った要所に点在していた騎士団員が戸惑いながら希美の元へと駆け寄ってくる。
それでも希美はその場から動こうとしない。
足を震わせ、服の裾を握り締め、王様の前に立ち塞がる。
「――っくくく……あっはははははは!」
王様の場違いな笑い声にざわめいていた官僚らは黙り、騎士団員も足を止め、王様の方を見る。
「まさか、こんな何の力も持たぬ子供に見破られようとはな……」
笑いと怒りが混じったような震える声で王様は言い、ゆらりと玉座から立ち上がった。
その王様の姿がぼやけたような霞んだような、上手く焦点を定められないような気がして希美は目を擦ってみたが、やはりどこかピントが合わない。
――あれ、そういえば私、どうして王様が王様だって分かったんだろ?
今まで気にしなかったけれど明らかにおかしい疑問がふと浮かんだ。
初めてカルディア城に来て、初めて王様に会って、その時に何故、何も知らないハズの自分は目の前の存在が王様だと瞬時に悟ったのだろうか。自己紹介があったわけではない、クレナハーツらに教えてもらっていたわけでもない、赤い髪をしたその存在を目にした瞬間、それが"王様"と呼ばれる存在だと頭が勝手に判断していた。
記憶にある"王様"の顔も姿も滲んでぼやけて曖昧で、今目の前にいる"王様"の顔も姿も曖昧に見える。
「新たな魔王を生み出そうと計画を練ったというのに……貴様の所為で台無しだ」
ギロリと睨む目に思わず身が竦み上がる。
その鋭く殺気を帯びた目に覚えがあった。クレナハーツと共にロウロの森を走り抜けた時に追い掛けられていた、確かフェンリルという名の魔物の目。それを更に冷たく鋭く研ぎ澄ました鋭利な刃のような、明らかに人間のものとは異なる恐ろしい目だ。
"王様"の赤い髪が炎のように怪しげに揺らめき、パキリ、バキリ、と黒ずんでいく身体が不気味な音を鳴らす。
「まずは、貴様から死ね」
一層不気味な音を立てた右腕を振り上げると、その腕は大きめの家でも簡単に握り潰せてしまいそうなほどに巨大化し、爬虫類を連想させる鱗に覆われ猛禽類のような鋭利な鉤爪が現れた。そして希美目掛けて振り下ろす。
避けなければ、そう思うとほぼ同時に後ろから腕を引かれて抱き寄せられ、その人は"王様"を見据えたまま後方へと素早く飛び退く。希美が居た場所の赤い絨毯は容易く裂かれ、轟音と共に床に敷かれていた大理石のタイルは砕かれて破片が四方八方に飛び散った。
「ケガはねぇか?」
「ひゃ、は、はい、だ、だいじょぶ、です」
希美を抱き寄せたままクレナハーツが聞いた。
全身が真っ黒に染まりきり黒い人型の塊となった"王様"が、この世のものとは思えない地を這うような低く重い咆哮を轟かせ、バキリと不気味な音を立てながらそれは形を変えていく。
カルディア城のどこよりも高く造られた謁見の間の天井にまで届きそうなまでに大きくなり、片方だけだった巨大な腕がもう一つ振り下ろされて床を抉り、背中から蝙蝠に似ているがそれよりも遥かに大きな翼が生えた。そして全てを噛み砕いてしまいそうな牙が生えた口から天を裂くような咆哮を上げると、全身を染め上げていた黒い靄が払われてそれが姿を現した。
三つの頭にそれぞれ輝く血のように赤いギョロリとした目、全身を覆う見るからに硬質な漆黒の鱗、神話やゲームでしか見た事がない巨大なドラゴン。
振り上げた尾が空を切り、叩きつけた壁や柱が容易く砕かれ、未だ呆然と立ち尽くしている人々へ向かって崩れ落ちてくる。
「止まれ」
倒壊音にのまれる事なくホロの声は謁見の間に静かに響き渡り、瓦礫が動きを一斉に止めた。
「精霊よ、その力を以って悪しきものに戒めの鎖を!」
ホロの後に続けてスティが唱えるとドラゴンの足元から普通のものよりも遥かに大きい神々しく輝く白い鎖が突き出し、ドラゴンに幾重にも巻き付き雁字搦めにして動きを封じる。
「ハイハイみなさーん! ここは危険なので避難しよー! 慌てず騒がず冷静に、スティちゃんとの約束だぞ☆」
その声を聞いてようやく状況を飲み込んだ人々は悲鳴を上げながら出口へと殺到する。
「そこのへっぽこ騎士団員! 避難誘導手伝いなさい! 魔道兵団員もぼーっとしてんじゃないわよ! さっさと城内に緊急事態だって伝える!」
アーニャが騎士団員と魔道兵団員に指示を出している。
スティとホロはドラゴンと対峙するクレナハーツらの元に集まった。
「ホロ、今、何が起こったのか、分かるなら教えてくれねぇか。頭が混乱して訳分かんねぇ」
「王様がドラゴンだった、ってだけの簡単なことだよ?」
「それが分かんねぇんだって!」
「ホロホロ、いじわるしないでよー。ボクの頭がおーばーひーと起こしちゃってるのにーっ!」
「う~ん……僕も混乱してはいるんだけどなぁ。ただ、予想が当たっちゃってただけで」
困ったような笑みを浮かべて頬を人差し指で掻く。
「城下町での破壊騒動は覚えてるかな? 人の目を騙せる力っていったら、魔法の中でも結構高度な幻術とか呪術しかないんだよね。でも一番代表的な不可視化程度じゃ勘の良い人ならすぐ気付くし、誰にも気付かれないなんて不可能なんだ。なら、自分を見えないようにするんじゃなくて、気付かれないように隠れちゃえばいいってこと。木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中ってね。普通なら幻術で自分の姿を変えるだけで充分なんだけど……今回は相手も色々と考えがあったみたいだね。その考えを実行するにはそれなりに地位のある人物にならないといけない。だから、呪術で人の目とか記憶とかをいじって、自分を地位のある人物、王様だと錯覚させた。ってところかな? 可能性としては考えてたし、一番有力な説かな~って思ってたけど、王様に成り代わってたのは予想外だったよ」
「……長過ぎて分かんねぇよ」
「あはは…まあ、要約すると――」
謁見の間にクレナハーツら以外いなくなった事を確認して、ホロは瓦礫を止めていた魔法を解いた。瓦礫が床に落下する轟音が響き渡る。
「僕らがずっと王様だと思っていたのは、城下町を破壊して回っていた犯人、呪術と幻術を使いこなすドラゴン、アジ・ダハーカが成り代わっていた存在だったってことだよ」




