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ネガティブ戦線  作者: 楽夢智
前編 「もう終わりにしよう」と闇が囁いた
36/60

物語の幕引き

椅子に座りスティに持ってきてもらった本を読んでいたホロは、何かに気付き顔を上げる。

床に座り込み、肘掛に凭れかかってうつらうつらとしていたスティもそんなホロに気付き寝ぼけ眼を擦りながら彼を見上げた。


「どーしたのー?」

「……誰か来たみたい」


ホロは椅子に立てかけていた杖を手に取り、コツンと床を一つ叩いた。すると閉じていたハズの時空の裂け目が再び大口を開け始め、ワールドエンドとカルディア城にある希美とアーニャの部屋を繋ぐ。

スティはそっと手を剣に添える。張り詰めた空気を肌で感じた。

ゆっくりと口を開けていく裂け目を緊張した面持ちで見つめ、開ききった裂け目の向こう側、ワールドエンドの景色の中で二人の人物に気付いたスティは思わず立ち上がり、息をのんで両手で口元を覆う。

まずワールドエンドからカルディア城へ戻って来たのは金髪の青年、クレナハーツ。スティとホロを見て少しだけばつが悪そうな顔をしてすぐに視線をそらした。

クレナハーツの後を追うように黒髪の少女、希美がカルディア城へと歩き出したのだが、足元の石に気付かず躓く。

「あ、わ、わわ、わ、わっ!」

転んでしまわないようにと踏ん張りながらよたよたと歩き、なんとかカルディア城に足を踏み入れる事は出来たが、足がもつれてバランスを崩し前のめりに倒れ込む。寸でのところでクレナハーツが支えたお陰で怪我はない。

「オマエ……少しは予想を裏切れよ」

「ご、ごめんなさい……」

恥ずかしさから希美は顔を赤くしてクレナハーツから離れてよろよろと体勢を立て直した。


「〜〜〜っハーぐぅぅぅんっ! ノッぢゃぁぁぁんっ!!」


感極まったスティが涙腺を決壊させて涙を溢れさせながらクレナハーツと希美目掛けて突進する。クレナハーツはすぐに避けようと動いたが途中である事を思い出し、スティの背後に回り希美に激突する寸でのところでスティの襟首を掴んだ。ぐえ、と蛙が潰されたような声。掴んだだけで引っ張ってはいないがかなりの勢いで走っていたのが災いしたらしい。

「涙と鼻水ぐらいふけっ! 汚ぇだろ! 突進すんのもやめろ!」

「げほっ、ごほっ……うー……ハーくんの恥ずかしがり屋さんめ……」

襟首を掴まれ咳き込みながらクレナハーツを見上げる恨みがましい目には、どこか今の状況を楽しんでいるような色が見え隠れしていた。首が締まった勢いで涙のほとんどは引っ込んだようである。

「そんな事よりノゾミの手当てをしてやれ。盛大にすっ転んでたから、あちこち痛めてんだろ?」

「へっ、あ、あー……で、でも、全然、だ、大丈夫、です、よ?」

盛大にすっ転んだ、というのがワールドエンドにあったクレーターの淵から不注意で落ちてしまった時の事を指しているのだと気付くまで少々時間を要した。気付いてからようやく身体のあちこちが痛み始める。色んな事があり過ぎて痛みを感じる暇も余裕もなかったからだろうか。スティに体当たりされていたらひとたまりもなかっただろう。

「ケガっ!? どこっ!? どこケガしたのっ!? どこが痛いのっ!? すぐ治すからねっ!!」

「あ、あの、あのっ、ほ、ほんとに、だ、大丈夫、なの、で……」

引っ込んだハズの涙で瞳を潤ませてスティは希美に駆け寄り、彼女の言葉など聞こえていないのかすぐさま精霊術の詠唱に入った。ロウロの森から戻ってきた時もこんな感じだった気がする。

居た堪れなくなった希美は前髪を梳いて視界を覆おうとして、前髪はもう切ってしまっていた事に気付く。やはり開けた視界はまだ怖い、ついつい視線は下を向いてしまう。

『言ってくれたら、わたしが治したのに……』

不貞腐れたような表情で希美の足元にいるカカがぶつぶつと不満気に呟いた。

そうは言われても指摘されるまで自分でもすっかり忘れていたし、なにより魔法陣が無かった場合はカルディア国まで気張って歩かなければならなかった。一人は魔法のまの字も理解出来ていない異世界人、もう一人は魔力の使い過ぎで魔法が使えなくなった剣士、その中で唯一精霊術を扱えるカカの力を温存しておきたいと考えるのは当然といえる。

「おかえり〜、クレナ。災禍は復活させなくて良かったの?」

「……開口一番がそれかよ」

「結構びっくりしてるんだよ? 災禍が復活したら、どんな風に世界が滅んじゃうのかな〜って待ってたら、クレナとノゾミちゃんが戻ってきちゃったんだからさ。あ、クレナとノゾミちゃんが無事に戻ってきてくれて嬉しいって、ちゃんと思ってるからね?」

「ウソつけ」

「あはは、嘘じゃないよ〜」

今までと変わらないホロとスティにクレナハーツは少しだけ安堵の笑みを浮かべた。


「――楽しく談笑してるところ悪いんだけど」


いつからか扉を開けて部屋の様子を窺っていたアーニャが声を掛ける。自然と話し声がやみ、彼女の方を見た。

「……王様が、呼んでるわ……短気勇者様」

いつもズバズバと物を言うアーニャにしては珍しく言い淀みながらそう言った。ホロもスティもクレナハーツも一瞬息を詰まらせる。その場にいる者の中でただ一人希美だけが、アーニャはどうして言い淀んでしまったのかと、彼女の言葉の意味を考える事もなくそう不思議に思っていた。

「……わかった」

神妙な面持ちでクレナハーツは頷く。アーニャは一瞬だけ申し訳なさそうな表情をして歩き出した。

クレナハーツもホロもスティも黙ったまま彼女の後に続く。

希美も妙な胸騒ぎを覚え、訳が分からないまま彼らの後に付いて行った。

嵐は止んだが、未だ曇天の空が広がっている。


アーニャらに付いて行った先はいわゆる謁見の間と呼ばれる場所だった。

細かに施された彫刻に見入る暇を与えさせないような来るものを威圧する荘厳で重々しい大きな扉は開かれ、扉から一直線に真っ直ぐ鮮やかな赤の絨毯。赤の絨毯が導く先、数段の階段を越えてステンドグラスから色彩豊かな光が照らすその空間の中心に、カルディア王はいた。王が座るに相応しいような意匠を凝らした豪華で絢爛な玉座にゆったりと座っている。

赤の絨毯で区切られた左右には、希美にはあまり馴染みも面識もない人、おそらく大臣やそういった官僚だろう人達が整然と立ち並んでいる。その中で幾何学模様を複雑に組み合わせた魔法陣が赤く描かれた黒い外套の主らが魔道兵団の団員だと唯一分かった。けれど緋色のマントを身に付けた騎士団の姿は見当たらない。出入り口やカルディア王の近くなどの要所に数名いる程度だ。

クレナハーツらが謁見の間に足を踏み入れるが、希美はどこか既視感のあるその場所の空気に気圧されて一歩を踏み出す事を躊躇した。


「――ノゾミ、行くのか?」


後ろからデュランが声を掛けてきた。

「へ、え、えと……だ、ダメ、なんです、か?」

一介の使用人風情は謁見の間などに踏み込んではいけないのだろうかと慌てて聞き返す。

「あ、いや、そうじゃねぇんだけど……」

どこか話が噛み合わないような、彼が言わんとしている事を汲み取れないような、希美には訳が分からず混乱してしまう。ただ、今はクレナハーツの傍から離れてはいけないような気がした。

「あ、あの……えと、き、騎士団、の、方々、は?」

「ん? ああ、大体のヤツらはさっきの嵐でやられた城壁とかの修復中だよ。オレは、これから適当な庭で昼寝でもするわ」

それだけ言うとデュランは小さく手を挙げて足早に去って行った。

釈然としない思いを抱きながら、希美は足元のカカに急かされて謁見の間へと足を踏み入れた。

ホロとスティは謁見の間に入って数歩程度歩いたところで赤い絨毯を隔てて左右にそれぞれ立ち、クレナハーツは一人で赤い絨毯の上を歩いて行き、半ば辺りで跪いてこうべを垂れた。

自分はどこに居ればいいのかと悩み、扉のすぐ傍にアーニャが控えている事に気付いたので、希美はアーニャが居るのとは反対側に立っておく事にした。

――流れで付いて来ちゃったけど、これって何の集まりなのかな?

謁見の間の天井は遥かに高く、広過ぎる空間に満ちるしんとした空気が耳に響く。ワールドエンドに戻って来てしまったのではないかと思うほど、この空気や雰囲気は似通っていた。

「よく、戻ってこれたな」

「……」

それほど大きな声ではないのに静かな空間に反響して謁見の間全体に響き渡る、王様の厳粛な声。


「災禍復活を目論み、我がカルディア国に剣を向けた反逆者クレナハーツ。貴様に死罪を言い渡す」

「――え?」


王様の言葉が冷や水となって心と頭の両方に落ちて来て瞬時に冷え切った。冷静になったという意味ではなく、むしろ更なる混乱を呼んでいる。思わず周囲を見回して、王様の言葉に慌てているのは自分だけである事に気付いた。誰もがその判断は正しいと思っているような表情をしている。希美に背を向ける形で立っているスティとホロの表情は窺えないが、沈黙を貫いているという事は反論するつもりがないという事だ。赤い絨毯を挟んで隣にいるアーニャを見ると、悔しそうに拳を握り締めて、けれどもどこか諦めた目をしていた。

そこで希美はようやく気付いた、自分以外の全てがこの結末を知っていた事に。

災禍を復活させようと行動を起こしてしまった時点で、クレナハーツに残された道は死以外になかった事に。

知りたくなかった現実が圧し掛かってきて息苦しい。

――あれ、でも、こんな光景、前にも見た事があるような……?

今のこの光景にどこか既視感を覚えるもそれが何だったのか思い出せない。


「勇者としても満足に働けぬ貴様など、死んだ方がこの国の為になるだろう?」

『ノミのくせになんで学校来てんの? 生きてるだけで目障りなんだけど』

「――――ッ!!」


既視感の正体に気付いて冷や汗が噴き出した。希美は思わず後ずさる。

王様が発する言葉と、自分が元居た世界で聞き続けてきた――いじめっ子達の言葉が重なって聞こえた。

人を傷付ける為だけの言葉を平然と吐き散らかして、悪意ばかりを笑顔で投げつけて、どれだけ標的が泣いても喚いても指差して笑い転げて、そして誰もが見て見ぬフリをし何も言わずに目をそらした。

忘れていた、忘れていたかった忌々しい記憶が蘇り、脳に焼き付いた悪意と嘲笑に満ちた声から逃げたくて耳を塞ぐ。王様がまだ何か言っているが、どれも脳裏で再生されるいじめっ子達の言葉で塗り潰される。足が竦んで震えが止まらない。彼らの口が、目が、悪意に歪んで見えて、希美は助けを求めるようにクレナハーツを見た。


そこには、自分が居た。


「えっ」

自分を傷付ける為だけの言葉を吐き散らかされても、悪意ばかりを投げつけられても、泣く事も喚く事も諦めて、全部自分が悪いのだと言い聞かせて、ただただじっと耐え続ける。クレナハーツの姿と学校の制服を着た自分の幻が重なって見えた。

――そっか。そう、だったんだ。

希美は一人納得する。

どうして自分は、クレナハーツが災禍を復活させようと自分に剣を向けても、彼を追ってワールドエンドへ行けたのか、ずっと不思議だった。あの時に自分が出来る事など、災禍を復活させない為に彼を追わず城でじっとしている事以外ないと分かっていたにも関わらず、立ち止まっていられなかった。

自分を突き動かしていたのは恩を返したい、助けたいという思いだけではない。あまりにも自己中心的で思い上がりも甚だしい、自分と似ている彼に自分と同じような孤独を彷徨ってほしくないという思いが自分をワールドエンドへ向かわせたのだ。

身勝手な思い込み以外の何ものでもない。

自分は鈍臭いのが悪いのだから悪意を向けられても仕方がない、ずっと言い聞かせ続けた所為で思い込んでしまっていたとしてもそれが真実だ。

――でも、クレナさんは何も悪くないよ?

誰よりも家族を仲間を大切に思い、それ故に亡くしてしまった悲しみが大き過ぎて、乗り越えられずにいただけで。自分が弱かった所為だと、自分が勇者になった所為だと責め続けて、やり場のない深い慟哭と重く圧し掛かる責任感から道を踏み外そうとしてしまって。それでも、もう誰にも死んでほしくないという思いだけで踏み止まった、心の強い優しい人。


――クレナさんは悪くない。悪いのは、クレナさんの声に気付けなかった、聞こえないフリをした自分達だ……っ!


気付いた時、希美の心にある感情が芽生えた。否、既に芽生えていたが押さえつけて心の隅へと追いやっていた感情が叫び始めた。

「騎士団長も精霊使いも殺しておいて、それでも何も罪を問わずにいたというのに、随分と馬鹿な真似をしたな」

『あんたみたいな害虫の相手をしてあげてんのに感謝の言葉もないの? あ、そっかぁ、ノミだから人間の言葉なんて理解出来ないかぁ』

どれだけ言葉で傷付けられても、どれだけ理不尽な暴力で泣き喚いても、自分が悪いからだと言い聞かせ続けた心の奥底で、ずっとずっと叫んでいた感情。

「こうなるのならば、代わりに勇者が死ねば良かったではないか」

『とっとと死んでくんない? ていうか、死ね』

その感情の名前は、

「…………るさい……」

怒り。


「うるさああああああああああああああああああいっ!!」


気付いた時には叫んでいた。

誰もが自分の方を見る。その視線に怯んで足が竦むが、それはほんの一瞬。

驚愕と困惑と卑下する視線の中を希美は歩き出す。自分の靴音だけがこの空間に響いた。

そしてクレナハーツと王様の間まで行き、クレナハーツを背に庇うようにして立つ。

自分と世界を隔てるもののない開けた世界で、ただ真っ直ぐに玉座に座る王を睨みつけた。

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