ブラックアウト
クレナハーツの妹であるミーリィテスが亡くなったのは、旅が佳境へと差し掛かった頃だった。
旅の途中に立ち寄った村では、近くの洞窟を根城にしている牛頭人身のミノタウロスという魔物の群れが度々人を襲い、近隣の村や町との交易さえままならない状態が続いているという。
ギルドに依頼を出そうにもこの村にはギルドオフィス、いわゆる斡旋所が無く、依頼を出すには隣町まで行かなければならない。しかしこの付近には件のミノタウロス以外にも凶暴な魔物が生息しており、戦う術を持たない村人には無理難題であった。
無論、この村にも腕に自信のある者は居た。けれどそのほとんどはミノタウロスの討伐に向かってしまい、生きて帰って来たものは一人も居なかったそうだ。
正義の味方を自称するスティと国と民を守る為に剣を振るい盾となる騎士団長のロランがその話を聞いて黙っていられるわけがなく、小さな頃から人との助け合いに触れてきていたクレナハーツとミーリィテスの快諾もあって、勇者一行はミノタウロスの討伐へと向かった。
ホロは少し難色を示したが、自分以外の仲間が皆乗り気であった為か、半ば諦め気味にスティに引きずられるように渋々ついてきた。何故そこまで嫌そうなのか気になったスティが道中訊ねると「ミノタウロスは脳筋そうな見た目の割に、あんまり魔法が効かないんだよ〜……今回は僕、お荷物だから頼らないでね?」と答えた。
ホロの魔法に頼る事が増えていた時だというのにその言葉を聞いても討伐について再考せず進んでしまった事が間違いであったと気付いたのは、洞窟に足を踏み入れてからだった。
洞窟内部は随分と複雑な造りになっており、いたるところに侵入者用と思しき罠が張り巡らされていた。罠自体はその手の扱いに長けた盗賊が居たので気付き次第すぐさま解除してくれたので大した問題ではなかったが、この場合は複雑な構造をした洞窟が問題であった。
侵入者の気配を察知したミノタウロスの群れと何度か交戦を繰り広げる内にクレナハーツらは仲間と散り散りになってしまったのだ。そこからミノタウロスの攻勢が強まり出し、相手の術中にまんまとはまってしまった事に気付く。
クレナハーツは敵の攻撃をかわしながら逸れてしまった仲間を探して洞窟内を駆けた。けれど前述の通り洞窟は複雑な構造をしており、自分が今どこに居るのか分からなくなり、ミノタウロスの咆哮が轟き反響する中では仲間が今どこに居るのか持ち前の聴力で探し出す事さえ出来ない。
ミーリィテスやホロには前線で戦えるほどの力は無い。スティは前線で戦えはするが陽動や撹乱が得意分野である為、一人では危険だ。唯一最前線で戦えるロランが他の仲間と行動を共にしてくれているならば安心だが多勢に無勢、早く合流しなければ最悪の事態が考えられる。
複雑に入り組み、先の見通せない、全てを飲み込まんとする洞窟の闇が纏わりついて、不安と恐怖が最悪の可能性を絶えず見せる。反響する雄叫びがもう無駄だと嘲笑うかのようで、それから逃げるように走り続け、それが聞こえないように仲間の名前を呼び続けた。
自分が何処に居るのか完全に見失ってしばらく、ようやくホロと、彼の背中に担がれたスティと合流出来た。大きな怪我は見当たらないがぐったりとしているスティに何があったのか訊ねると「ちょーっとだけ、ここの空気に当てられちゃっただけだから、心配ご無用☆」と無理に明るく答えた。スティの様子がおかしい事に気付いたホロが不可視化の魔法を使い、どうにかミノタウロスの群れをやり過ごしていたらしい。
残るはミーリィテスとロランの二人。ホロとスティと合流出来た事で安堵しかかったが予断を許さぬ状況である事に変わりはない。むしろ、状況は悪くなっている。
精霊使いは万物に宿る精霊の力を行使する者。高次元の存在である精霊との親和性を高めて精霊と同調する事で精霊使いはその力を発揮する。しかし精霊との同調は精霊使い自身に良くも悪くも影響を与えるのである。精霊と呼ばれる存在は正の感情と自然に宿る為、自然の恵みが極端に少ない荒廃した土地や負の感情で満ちた空気の中では著しく力を失う。それは精霊と同調している精霊使いにも及び、体調を崩したり一時的に力を失ったり、酷い時は高熱を出して倒れてしまう事がある。故に精霊使いには病弱な者が多いという。
特にミーリィテスは自然に囲まれた小さな村で人との温かな繋がりに触れながら今まで生きてきたので、負の感情や荒廃した土地に慣れていない。旅に出たばかりの頃は頻繁に倒れていたが、最近では倒れる事は滅多になくなった。
けれど、本職には及ばないものの精霊使いを兼任するスティがここまで体調に異常をきたしている。ならば本職のミーリィテスはスティ以上に危険な状態になっているのではないだろうか。
早く合流しなければと襲いかかるミノタウロスをクレナハーツは一人で蹴散らしながら走った。
そして自分以外が倒したミノタウロスの骸で溢れる通路に出ると確信を抱いてその先へ向かって駆けて、クレナハーツがミーリィテスとロランの姿をとらえて名前を呼ぶとほぼ同時に、ロランはその場で戦っていたミノタウロスの最後の一体を斬り伏せた。
荒い息を整えながらロランはこちらを見て安心したかのように笑みを浮かべ、彼に守られるように抱き寄せられていたミーリィテスも兄の姿を見て額に脂汗を滲ませながらもふにゃりと笑った。
全員が安堵の息をつき、疲弊した身体を引きずるようにしてクレナハーツらの元へとロランとミーリィテスは歩いて、その二人の背後で未だに息のあった一体のミノタウロスが手に持った巨大な斧をロランへ向けて振り上げた。
避けろ、と叫んでクレナハーツはミノタウロスへ向かって駆け出す。その言葉にロランは背後を振り向き避けなければと瞬時に思うも先の連戦で疲弊した身体は思うように動かない。せめてミーリィテスだけは守らなければと突き飛ばそうとするよりも早く、ミーリィテスがロランを突き飛ばした。
驚きに見開かれた目が次に映したのは、赤く染まった愛しい人の姿だった。
それから先を、クレナハーツはよく覚えていない。
気付いた時には洞窟の外に立っていて、腕の中には冷たくなった妹があった。
突き付けられる愛しい人の死。喪失感が心にぽっかりと穴を開けて吹き抜ける。
ホロもスティも黙する中で、ロランだけがずっとクレナハーツに涙を堪えた声で謝り続けた。
謝られるたびにどうしようもない怒りが降り積もり、その怒りの矛先が次第にロランへと向き始め、クレナハーツはロランを、たった一人の愛する者すら守れない無力な騎士を怒鳴り散らした。
スティが止めに入るまで、ロランは何も言わず、ただじっと罵声を浴び続けた。
勇者一行の一人がミノタウロスによって殺された事に村人達も驚きと悲しみを隠せず、せめて墓を作るまではと宿屋の一部屋をミーリィテスの為に宛がってくれた。ロランはもう休んだ方がいいとの言葉を無視してミーリィテスの傍を頑として離れようとしなかった。
クレナハーツはこれ以上何も感じたくないと、耳を塞ぎ目を瞑り、この悪夢が早く覚めるようにと願いながら勇者一行にと宛がわれた部屋で眠りについた。
朝起きると、ロランの姿は村の何処にもなかった。
しん、と不気味なほどに静まり返った洞窟の最奥で、身体を真っ赤に染めたロランが頬を涙で濡らしたまま静かに眠っているのを見つけた。
ロランの息は、既に絶えていた。
ミーリィテスもロランも自分が殺したも同然だ。
洞窟の危険性を考えずに感情だけで突き進んでしまったからミーリィテスは死んでしまった。自分の事を棚に上げて責め立てた所為で思い詰めたロランは単身洞窟へ乗り込み死んでしまった。
分かっていた、ロランは無力な騎士などではないと。自分達が合流するまでたった一人で愛する者を守り続けた誇り高い騎士だったと。無力な人間は、彼を散々罵倒した自分の方なのだと。
謝る相手を失った自分には、二人の意志を継ぎ魔王を倒して世界に平和を取り戻す事ぐらいしか贖罪の道が残されていなかった。だから自分は立ち止まらずに前へ進めた。
しかし、魔王を倒しても平和を取り戻す事は叶わなかった。
なんて理不尽な運命だろうか。
妹を失った悲しみ、義理の弟になるはずだった者を死へと追い立てた後悔、大業を成し遂げても埋まらない喪失感、やり場のない感情がぐるぐる渦巻いて混ぜこぜになって、大切な者を容易く殺す理不尽で無慈悲な運命への怒りと憎悪へと変わっていく。
贖罪の為に世界に平和を取り戻すには魔王になり必要悪として君臨する他ない。
復讐の為に世界を壊すには災禍を復活させて理不尽な運命を与える他ない。
――理不尽な運命に殺されたんだ……なら、理不尽な運命で壊してやるよ。
決意と共に生贄の首筋に当てていた剣をゆっくりと持ち上げる。
振り下ろせば、全てが終わる。
「――いい、ですよ」
震える小さな声で希美は言った。
「さ、さいか、を、ふっかつ、させて、えと、せかい、を、ほ、ほろぼし、ちゃって、いい、ですよ」
恐怖に身体を震わせながら、その言葉が意味するところを理解しているにも関わらず希美は告げる。
「わ、わたしが、く、クレナ、さんの、ために、で、できる、ことって、これくらい、しか、な、ない、ですからっ」
潤む瞳。涙を堪える声。溢れそうになる涙を押し込むように目を瞑り、弱音も嗚咽も押し殺すように唇を引き結んだ。握り締めた小さな手がカタカタと小刻みに震えている。
ようやく彼女は受け入れたのだ。災禍復活の生贄という"理不尽な運命"を。
ミーリィテスやロランを殺した、同じ"理不尽な運命"に殺される事を。
クレナハーツは剣を持ち上げる腕を止めた。
気付いた、自分が前と同じ過ちを繰り返そうとしている事に。
理不尽な運命だと、無慈悲な世界だと、理由も責任も周りの所為にして、けれども守らなければならないハズの人を一時の感情だけで死へと追い込んだのは紛れもない自分だった。散々悲しんで後悔したハズなのに、今度は自分の手で何の罪もない少女へ理不尽な運命を下そうとしている。
魔王討伐の旅の中で出会っていたなら、魔王討伐の旅の最中にこの世界へ来ていたなら、今から与えようとしている理不尽な運命は何もしなかった傍観者への鉄槌として少しだけ正当化され迷いなどすぐに振り払えたかもしれないが、彼女がこの世界へ来たのは魔王を討伐した後だ。少なくとも、勇者が魔王を討伐してくれるのをただ待っていただけの人ではない。
それどころか、本来居た世界で不運の死を遂げ、安らかな眠りにつく事さえ許されず、この世界で災禍の生贄という非情な役目を背負わされた、理不尽な運命に振り回されている、なんの力も持たないか弱い少女だ。
剣を持つ腕が震えているのが分かった。
本当に災禍を復活させる事が正しいのか、魔王になる事が正しいのか、理不尽で無慈悲な世界への復讐を望む者は居るのか、答えの出ない自問が頭を巡る。
決意が揺らぐ。しかし、憎悪の炎は揺らがない。
「―――――――――-ッ!!」
声にならない叫びと共に、クレナハーツは剣を振り下ろした。




