勇者のなれの果て
クレナハーツらが対峙した魔王は人の形をしていた。いや、人だった。
魔物を統べる王と言われていた為すっかり知能のある魔物、人外だと思っていたクレナハーツらは戸惑いを隠せなかった。
話し合えば分かり合えるのでは、と淡い期待も騒ぐ。
けれど、魔王の瞳は憎悪と悲しみに満ちており、自身の意思を貫かんとするまっすぐな鋭いもので、話し合いの余地などない事を示していた。
魔王は魔法に剣技にと多様な戦い方でクレナハーツらを翻弄した。
クレナハーツは前線で魔王と何度も鍔迫り合いを繰り広げ、ホロは魔王の攻撃で足を負傷しても精神力を切らさず隙をついて魔法で応戦し、スティは魔王の放つ生きとし生けるものの死に絶えたような空気にあてられ精霊術を思うように扱えないながらも二刀のサーベルと軽業で魔王を撹乱する。
死闘の末、クレナハーツらは魔王を討った。
赤い血を絶えず流しながら、戦いで魔力が尽きたのか治療を試みる気配さえなく、ただ死を、運命を受け入れるかのように静かに目を閉じ、息を引き取った。
命の火が消える間際、魔王はその憎悪と悲しみに満ちていた瞳でクレナハーツを見つめて言った。
「お前も、すぐに分かるだろう。わたしの、憎悪の意味が……魔王となるに至った、気持ちが、な……」
その時には魔王の言葉の意味など理解する価値さえないと思っていた。
――なんで、今さらあの時の事を思い出すんだろうな……。
魔王を倒した時に似ている空を覆う重々しい灰色の雲と激しく地面を叩く雨。
見事なまでの荒れ狂った天気にクレナハーツは愛用の剣を腰に提げ、今日の調査をどうするべきか悩みながらあてもなく城内を歩いていた。
あてもなく、のつもりだったが足は自然とカルディア城にいくつかある庭に向かっており、庭に辿り着いては流石にこんな嵐の中で庭掃除などするはずないかとすぐに立ち去って、次の庭へと無意識の内に向かう。
自分は居なかったと言った手前、池の畔で彼女から聞いた話は知らぬ存ぜぬを貫くつもりだが、あんな話を聞かされて気に掛けずにいられるわけがない。
だから庭掃除を担当している彼女なら大半は庭に居るので、一日一回は彼女の姿を確認せずにはいられなかった。彼女が、まだ、この世界で生きている事を確認して安心したいのだ。
クレナハーツは一通り庭を回り終えたが彼女の姿を見る事はなかった。
彼女の事だから箒片手にどうしようかと庭の前で突っ立っているのではと思っていたけれど、当てが外れてしまったようだ。
その心配が杞憂に終わった事には安堵したが、生存確認が取れていない事に安心出来ず、ほんの少し焦りと不安が心をざわつかせる。
――もう少し、見て回るか……。
この嵐では今日はもう魔物の討伐や調査へは行けないだろう。どうせ暇なのだから彼女の生存確認をしてから武具の手入れでもしようと決めた。
庭以外となると何処に居るだろうか、頭を悩ませながら再び城内を歩き回るクレナハーツの耳に誰かの言い争うような声が届いた。
耳を澄ませてよく聞いてみると、どうやらデュランとアーニャのようだ。
口喧嘩は日常茶飯事の二人だが、今日のはどうにも様子が違うように感じる。
――……まさか、またアイツが変な事やらかしたんじゃねぇよな……。
いつかの薬草の件を思い出し、まさかありえないだろうと自分に言い聞かせながら声の聞こえやすい所まで移動する。魔力の障壁によって雨音が遮られた城内は静かなので、二人に近付かずとも十分話を聞く事が出来た。
「……んだよ! オレもお前も、戦争なんかで功績あげても嬉しくねぇだろ!?」
戦争、という単語に耳を疑った。
魔王が討たれてようやく平和を取り戻したというのに、戦争という単語が何故出てくるのか意味が分からない。
確かにカルディア国は戦争によって領土を広げていった過去がある。
けれど、それは随分昔の話で先々代のカルディア王からは平和主義の政策が多く執り行わられていた。その思想は今代の王にも変わらず受け継がれているはずだ。
「……どうしようもない大馬鹿ね。いい? 周囲がどうであれカルディア王は戦争するって言ってやがるのよ? そんな時にあなたが王様に危害を加えたら――」
アーニャがデュランを諭している。
内容から察するにデュランがカルディア王に掴みかかるなり殴りかかるなりしたのをアーニャが止めたらしい。どうにもデュランにはロランほどの自制心と冷静さが欠けている。それをアーニャが制止させる事が多く、故に口論が絶えない二人。
だが今回ばかりは制したアーニャに非があるようにクレナハーツは思わずにはいられない。
自分も沸々とわき上がる怒りで冷静さを欠いているのかもしれないが、殴ってでも止めなければというある種の使命感があった。
戦争なんかを始められては、何の為に自分たちが魔王を討ち平和を取り戻したのか分からなくなる。
クレナハーツは拳をぐっと握り締め、カルディア王を探しに行こうと一歩踏み出そうとして、
「――いっそ、魔王なんか倒さない方が良かったじゃねぇか!」
その場に立ち竦んだ。
冷や水を浴びせられたみたいにわき上がっていたはずのカルディア王への怒りが消え、ただなんとも形容しがたい虚無感と途方のない自問が広がった。
もう二人の話し声など耳を素通りして聞こえていない。
――俺が、間違ってたのか?
考えたくなかった可能性。
勇者となって、仲間と共に歩んで、魔王を討ち果たす為に戦って、笑い合ったり、いがみ合ったり、楽しい思い出も辛い記憶も、その何もかもが否定されてしまう可能性。
そんなはずない、間違ってなんかない、と思っても心の底からその可能性を否定出来ない。
現に、ミーリィテスとロランは亡くなっているのだから。
自分が勇者なんてものにならなければ二人は死ななかったかもしれない、ホロも足を失わなかったかもしれない、スティも責任を感じて魔王を倒した後も自分たちに付いてくる事はなかったかもしれない。
それだけでは終わらず、今度は戦争で命を落とす人が出るのだろう。
魔王を倒さなければ、起こる事のなかった、戦争で。
――俺の、せいで。
目の前が真っ暗になるような感覚に倒れそうになる体を、なんとか近くの壁に寄り掛かって落ち着ける。
息が上手く出来ない。視界が霞む。
自分の所為で戦争が起こるかもしれない、計り知れない絶望。
死んでしまった傷ついてしまった仲間たちへの、言い尽せない謝罪。
けれどそれらはたった五人に魔王討伐を言い渡した王の所為だと、責任転嫁を図る怒り。
そして理不尽な運命に世界に矛先を向ける、燻り続けていた激しい憎悪。
『お前も、すぐに分かるだろう。わたしの、憎悪の意味が……魔王となるに至った、気持ちが、な……』
いつかの魔王の言葉を思い出した。
分かった、分かってしまった、自分が倒した魔王と呼ばれる存在は――かつて、自分と同じように魔王を倒し平和を取り戻し、その果てに世界に絶望し憎悪の刃を向けた勇者だった事に。
あの憎悪と悲しみに満ちた瞳は、自身が守り仲間が愛したハズの世界へ向けられたもので、それから自身と同じ道を歩もうとするクレナハーツへ向けられたものだったのだ。
――そうか……そう、だったのか……。
気付いてはいけない事だと脳が無意味な警鐘を鳴らした。
かつて勇者だった魔王。平和を望んだハズの魔王。世界を憎んでしまった魔王。そして、これから自分が至る姿。
受け入れてはいけないと、それは世界を守るために戦い散っていったミーリィテスやロランの思いを踏みにじる事だと心が叫ぶ。
けれど、二人を殺したのは理不尽で無慈悲な運命を強いた世界ではないか。
導き出してしまった極論は、そうなる事が当然かのようにすとんと容易く心に落ち着いた。
――俺も……俺も、魔王になればいいんだ。
魔王が再び現れれば戦争なんてくだらない事は起こらない。自分は魔王を討つという間違いを犯してしまったのだから、その間違いを正さなければならないのだ。
そして世界を本気で壊しにかかって、本当に壊せたなら理不尽な世界への復讐を果たせる。
口角が上がるのが分かった。
世界を壊す方法。一つ、思い当たる。
クレナハーツはしっかりとした足取りで、あの天啓の男が投獄されている離れの塔の地下牢へ向かった。
目指すは、災禍の復活。
誂えたかのように、自分の周りにはすべてが揃っていた。災禍を知る絶対なる天啓の一員も、災禍を復活させる為の生贄も。
災禍の話を聞いている時は、これで世界を壊せるのだと、一種の高揚感さえあった。
塔と城の往復で嵐に吹かれ雨に濡れても気にならない程に、憎悪と使命感に燃えていた。
けれど、いざあの生贄を探そうと城内を歩き出し、その足が自然と向かった庭を見た瞬間、自分の名前を呼ぶあの人を疑う事を憎む事を知らないような声が聞こえたような気がして、それまで感じる事のなかった言い知れぬ恐怖が突然心を覆った。
あれだけ生存確認をして安心したかった生贄、いや希美を自分は殺そうとしている。
鈍臭くて鬱陶しい、でも、勇者の仲間の魔法使いだからと全員が素知らぬ振りをしたホロの為に薬草を採りに行ってくれた、優しい少女。
殺したくないと思った、だが決意はなかなか取り消せない。
今、希美と会ったら自分は確実に彼女を殺すだろう。でも、今、会わなければ決意は鈍るかもしれない。
クレナハーツはカルディア城に宛がわれた部屋へ向かう。今だけは会わないでくれと心の中で祈りながら。
しかし、その祈りは届かなかった。
部屋まで後少しの、池のある庭を通りかかろうとした時、前から希美が早足で歩いてきたのだ。
思わず立ち止ったクレナハーツを不思議に思ったのか、希美は首を傾げて少し歩く速度を落とす。
伸ばしっぱなしの前髪越しにクレナハーツを窺い見て、そして何かに気付いたのかさっと顔色を変え慌てて駆け寄ってきた。
「く、クレナ、さん! か、かぜ、カゼ、引いちゃい、ます!」
そういえば塔への行き帰りに雨に打たれていたなと、どこかぼんやりと、けれど冷静にそんな事を考えた。
希美は両手で抱えていたカゴを床に置き、その中からタオルを取り出してしばらくの逡巡の後にそのタオルをクレナハーツに押し付けた。
使っていい、という意思表示だろうか。クレナハーツはぼんやりとタオルを見つめた。
『ちょ、ちょっとノゾミ、それ乾かしてもらったばっかりじゃん! 怒られちゃうよ!』
「あ、う、えと……こ、転んで、庭に、落とした、って言います、から」
カカに怒られて、しゅんとしながら苦しい言い訳を言う。
苦しむ誰かの為に薬草を採りに行ける希美には、雨に濡れた自分を放っておくなど選択肢には無いのだろう。
もし、今日が嵐じゃなかったら。もし、自分が雨に濡れないよう傘を差していたら。もし、希美がいつも通り庭掃除をしていたら。今となっては無意味でしかないもしもが頭を巡った。
「……なんで、オマエって間が悪いんだろうな……」
決意は取り消せない。燃え盛る憎悪の炎も消せない。悪魔の誘いに乗り、魔王への道を歩み出してしまった自分を止められない。
今日は、少しだけ運が悪かったのだ。
「……なぁ、ノゾミ」
決意の辛苦に震える手で希美の手首を強く掴んで、勇者は、魔王は言った。
「オマエを殺せば、災禍が復活するんだよな」




