嵐
空を重々しい灰色の雲が覆い、降り注ぐ雨が激しく地面を叩いている。
時が経つにつれて勢いを増す風と共に雨粒も暴れ狂い、この世のものとは思えない咆哮が轟く。
太陽は雲に隠れてまるで日没後の世界のように暗く、雨音以外の音は聞こえず嵐特有の静けさが広がっている。
「だらん、あなたまた何かしやがったんじゃなくて?」
「デュランだっつーの。アーニャこそ何かしたんじゃねぇのか?」
外の大荒れの天気と隔絶されたカルディア城内の廊下をアーニャとデュランは二人並んで歩いていた。
庭に面した廊下にはその境界線で魔力の隔壁が生成されている為、城内が水浸しになる事はなく雨音もある程度遮っているので、外の景色が嵐になっただけで城内は普段となんら変わりない。
勿論、魔力の隔壁を生成したのは魔道兵団である。こういった自然災害の時は魔道兵団の方が活躍の機会が多く、騎士団の一応団長であるデュランとしては複雑な心境だ。
魔力の都合でカルディア城という建築物を守る程度の隔壁しか生み出す事が出来なかったらしく、隔壁の範囲外である庭は天気と同じように大荒れだ。
――明日の庭掃除、ノゾミは大変だろうな……。
デュランは庭掃除を請け負っている希美の事を思い出し、何から手を付ければいいのか分からずおろおろして何もないところで躓き全身泥まみれになるところまで余裕で想像出来てしまい心配になった。
「隔壁、お前がやったら庭ぐらいまで作れたんじゃねぇの? 魔道兵団長様」
「あたしより魔力馬鹿様にお願いしたら? 庭どころか城下町ぐらいまで作ってくれるわよ」
デュランを睨みつけてアーニャは言った。
隔壁云々の話ではなく魔道兵団長という単語を軽々しく口に出した事を怒っているようだ。
きちんと周囲の気配を確認し、魔道兵団長が表立って動けない事も承知の上での冗談だったのだが気に入らなかったらしい。
「……あなたがあの道化師盗賊に口滑らせたんじゃないでしょうね……」
「なんか言ったか?」
「適当に剣でも振るってればいいだけの騎士団長様には理解出来ない事よ」
「適当に魔法でも使ってればいいだけの魔道兵団長様には言われたくねぇな」
険悪な空気が流れ始めた頃、二人は目的の部屋に辿り着きほぼ同時に足を止めた。
そこはカルディア王の執務室。
いつもの見張りの騎士団員はいない。人払いが済ませてあるという事はそれだけ重要で重大で内密にしなければならないものなのだろう。そのような重大な話などデュランには皆目見当がつかない。
黙り込んで動こうとしないデュランに痺れを切らしたアーニャが扉をノックした。
「入れ」
部屋の中から言葉を掛けられ、二人は視線を交わすと口をきゅっと引き結んで扉に向き直り、アーニャが扉を開けた。
「失礼いたします」
部屋に入り深々と一礼する。
「ご苦労。騎士団長と魔道兵団長には先に伝えておこうと思ってな」
カルディア王は二人が一礼を終えるや否や、単刀直入に言った。
「近い内に、隣国へ戦争を仕掛けるつもりだ」
「戦、争……?」
言葉の意味が理解出来ず、アーニャは思わず聞き返した。
「ああ。魔王などという害悪はいなくなったのだから、自制する理由はないだろう?」
「待てよ! 魔王がいなくなってやっと平和になったんだろ!? なのに、次は戦争って……!」
「だら……じゃなかった……デュラン、口を慎んでちょうだい」
「だけど!」
「案ずるな、騎士団長。我が国の騎士団と魔道兵団はエステルダスト大陸でも随一の実力がある。平和主義の隣国と戦争をした程度の被害はたかが知れているではないか」
カルディア王は続ける。
「ここまで実力差があれば争うまでもなく降伏するだろうがな。その為にも勇者に騎士団長の座を譲るのだよ。魔王を倒した英雄に勝てるなど到底思えぬだろう?」
「……お言葉ですが、カルディア王。今は城下町で起こっている破壊騒動を収める事が先決かと。素性も未だ特定出来ていない存在を野放しにしていては、いつか大きな災いとなってカルディア国を襲うかもしれません」
「素性の知れぬ存在をこれ以上追っても無駄だ。尻尾を出した時に叩けばいい」
「ですが、それでは……っ」
アーニャはすぐに反論しようと口を開けたが、次の言葉が思いつかず渋々閉口した。
「今日はこういった予定を立てていると知っておいてもらいたかっただけだ。戦争に向けて、両団長には団員を纏めてもらわなければならないからな」
否定の言葉も反論も受け付けない独善的な決定事項にデュランはカッとなり、目の前の人物に掴みかかろうとした。
けれど、持ち上げようとした腕をアーニャが掴んでそれを阻む。
デュランはアーニャを反射的に睨むも、彼女はデュランの方を見向きもせずにカルディア王の方を向いていた。
「分かりました。しかし、騎士団長、魔道兵団長、両名共に戦争に対して異議がある事だけはお心に留めておいて下さい。失礼いたします」
アーニャはそれだけ言うと一礼してデュランの腕を掴んだまま引っ張る様に歩き、執務室を後にした。
「アーニャ。おい、アーニャ!」
執務室を出てもなお腕を引っ張られ続け、一向に離す気配のないアーニャの手を少々乱暴に振り払った。
ようやくアーニャは歩くのをやめ、デュランに向き直る。
「なんで止めんだよ! オレもお前も、戦争なんかで功績あげても嬉しくねぇだろ!?」
「戦争で功績をあげる前に、不敬罪で罰せられるところだったのよ? 止めてあげた事に感謝してくれないかしら」
「誰が感謝なんかするか。不敬罪覚悟で殴った方がマシだったっての」
憤然とした態度で言い募るデュランにアーニャはわざとらしい程に大きくため息をついた。
「……どうしようもない大馬鹿ね。いい? 周囲がどうであれカルディア王は戦争するって言ってやがるのよ? そんな時にあなたが王様に危害を加えたら、あなたは敵国の内通者とか疑われるわ、間違いなく。表向きは不敬罪で投獄になっても、命はないと思いなさい。魔道兵団は優秀よ」
淡々と述べるアーニャ。その最後の言葉にデュランは息を詰まらせた。
魔道兵団には諜報活動が任されているが、その中には暗殺が含まれている。
魔道兵団の事を最も理解し把握しているアーニャ団長が言うのだ、脅しなどではない。
「……なら、どうすりゃいいんだよ。戦争とか、平和な今をぶっ壊してかき乱すだけじゃねぇか。魔王のやってた事となんにも変わらねぇじゃねぇか。いっそ、魔王なんか倒さない方が良かったじゃねぇか!」
冷静にならなければと頭では理解していても、怒りで沸騰し煮えたぎった頭ではその理解も蒸発してしまう。
有り得ない、訳が分からない、言葉にすれば少しは落ち着けるかとない頭で考えたが、言葉にすればするほど怒りに拍車がかかった。
「……」
アーニャは黙ってデュランの声を聞いている。
「なんの為に兄貴は魔王を討ちに行ったんだ! 戦争をする為だっていうのかよ!? 平和を守りたかったからじゃねぇのかよ!? なんの為に……なんの為に兄貴は死んだんだよ!!」
どうすればいいのか分からずただ叫ぶ事しか出来ない自分が歯痒い。
兄の残した騎士団を、兄が愛したこの国を、兄が命を賭して守ろうとした世界を、無力な自分には守れない、ただ過去を非難することしか出来ない。
――魔王なんて倒さなければ良かった。そうしたら、兄貴も死なないで、戦争なんか起こらなかったのに。
「うるっさいわねっ!! 喚かれなくても分かってますわ!!」
努めて平静を保ち、ずっと黙っていたアーニャが我慢の限界とでもいうかのように怒鳴った。
「ぎゃーぎゃー喚くだけなら赤ん坊でも出来ましてよ! みっともないと思いませんの!? 感情論だけで世の中動かせるなら苦労しませんわ! この馬鹿阿呆餓鬼騎士団長!!」
最後の言葉はただの悪口だが、それ以外は正論でデュランは押し黙る。
「……分かったら、とっとと対策でもなんでも話し合うわよ。あたしだって丁重にお断り願いたいもの」
昔から理路整然とした話が出来て、現実的な考えの持ち主だったアーニャは今でも健在である。
だからこそ魔道兵団長を務める事が出来ているのだ。
それに比べて自分は考える事は苦手で話など頻繁に脱線する。騎士団長にだって兄の代理だったからそのまま引き継いだようなものだ。
――これじゃ、ダメなんだよな。今考えなきゃなんねぇのは、これじゃねぇ。
苛立ちと歯痒さで沸騰していた頭が心の底に常にあった対抗心で静まり始めた。
魔道と武道、似て非なる力の持ち主でも、昔からアーニャにだけは負けたくなかった。
「……わりぃ、ちょっと頭冷やすわ」
「氷水なら魔法で浴びせてあげてもいいわよ?」
「カゼひくだろーが」
「馬鹿は風邪をひかないっていうから平気でしょ」
「……どーせ馬鹿だよ、オレは」




