アンビバレント
昼下がりの午後、晴れやかな空の下で希美は色鮮やかな薔薇が彩る庭園で日課の庭掃除に励んでいる。
カカのおかげでメイドらしい通常業務も迷惑をかけずに出来るようになったものの、日に何度も使用すれば当然疲弊する精霊術の酷使を避ける為の希美一人でも迷惑をかけないこの庭掃除は彼女の専門になりつつある。
例え庭掃除でも出来る仕事があるのは大変有難い事だ。
彼女はもう、この世界で生きていく事を余儀なくされたのだから。
あれから、クレナハーツは時々希美の様子を見に来るようになった。
見に来るといっても大体庭園にいる希美の元を出掛けるついでに立ち寄るくらいで、特に会話はなく、少し離れた位置から眺める彼に希美が気付くと彼は挨拶代わりに片手を挙げて、希美がそれにお辞儀で答えると彼はその場を立ち去る。そんな事がここ数日続いている。
自身の死をクレナハーツへ打ち明け散々泣き喚いた事に対して、希美は我に返ってすぐに自己嫌悪して謝らなければと思ったが、クレナハーツはあの時の言葉通り知らぬ存ぜぬを貫き通していた。
『……ノゾミなら、たぶん元の世界に帰れると思うの』
自分が死んでしまっていた事をクレナハーツに打ち明けた後、動物ならではの勘の鋭さで何かを察して心配し続けてくれたカカにも話したところ、カカはそう言った。
『前、城下町で話したよね。異世界人は神様に一つだけ願い事を叶えてもらえるって。ノゾミはまだ何も願い事をしてないみたいだから、"元の世界に帰りたい"ってお願いしたら、きっと叶えてくれるよ』
完全に帰れない訳ではない。死んだと思っているがもしかしたら意識不明の重体になっていて、自分が望めば元の世界で目を覚ます事が出来るのかもしれない。
けれど、未だ希美がこの世界でメイドとして働いている通り、元の世界へ帰る決心はついていない。
帰りたいとも思うが、帰りたくないとも思う。
元の世界は嫌いだけれど、未練があるという事は好きなのかもしれない。
この世界にいる以上は"災禍復活の生贄"として周りに多大な迷惑を掛ける事になるし、元の世界に帰っても前と変わらない嫌な日常が待っているだけだろう。
――どっちも迷惑かけちゃうのかぁ……。
これ以上の迷惑は掛けたくないのだが、ならばどの選択が正しいのだろうか。
確かに自分は元の世界でもっと生きたかったとクレナハーツに吐露した。しかし、その本音通りに元の世界へ帰ったら今度はこの世界でもっと生きてみたかったと思うのではないか。
堂々巡りを繰り返す自問自答に希美は頭を抱えた。
何やら城内が騒がしいような気がするが、考え込んでいる希美にはまるで届いていない。
――考えるのは後にして掃除しよ……。
希美は短く息を吐き、考える事を先送りにして庭掃除に専念すべく箒を握り直す。
そこでようやく城内の騒がしさに気付いた。
何かとんでもない事件が起こったという騒がしさではなく、何かを探し回っているような騒がしさで、バタバタと走り回る慌ただしい足音があちらこちらから聞こえる。
事情を訊いて手伝ったがいいのだろうかと悩み城内の様子を窺い見ていた希美は、その足音の一つが自分に向ってきている事に気付かなかった。
「げっ!」
「へ?」
横から聞き覚えのある声がしたかと思うと、そちらを振り向く前に希美へ何かが勢いよくぶつかり吹き飛ばされた。
地面に転がりすべてが180度回転して空が広がる視界、体の上には何か重いものが乗っている。
何が起きたのか理解出来ず希美はしばしそのまま呆然としていた。
「いっててて……わりぃ! ノゾミ、大丈夫か!?」
希美に勢いよくぶつかり彼女と一緒に倒れ込んだ体の上に乗っていた何か重いもの改めデュランは慌てて体を退けて彼女を抱き起す。
「ほ、箒は無事です……」
「いや、ホウキより自分の体の心配しろよ」
希美はふらつきながらもデュランに支えてもらいなんとか立ち上がった。
今日のデュランはいつも見ているがっちりとした全身を覆う鎧ではなく、金糸銀糸の煌びやかな装飾が施された軍服に緋色のマントを羽織っている。恐らく騎士団の制服だろう。いつもの鎧だったなら軽傷では済まなかったかもしれない。
おろおろしながら希美の身を心配していたデュランだったが、こちらに向かってくる足音に気付いた瞬間大慌ててで周囲を見回した。
「ノゾミ、頼む! 誰か来たらオレはどっか別のトコに行ったって言ってくれ!」
「えぇ!?」
希美が詳しい理由を訊く前にデュランは素早い身のこなしで薔薇の茂みの陰に隠れてしまった。
今度は希美がおろおろしていると、デュランの着ていたものより装飾や煌びやかさが控え目な制服を着た騎士団員が息を切らせながら現れた。
「ここに騎士団長が来ませんでしたか!?」
――騎士団長って誰だっけ?
本気で誰の事だか分からずに一瞬思考が停止した希美に悪気はない。
「え、あ、その、えーっと……た、確か、あちら、に、行かれた、よう、な……」
「あっちですね! ありがとうございます!」
騎士団長が誰か思い出せないまま、希美はとりあえずデュランに言われた通り彼が隠れている薔薇の茂みとは反対の方向を指差した。
騎士団員は敬礼と共に感謝の意を述べて希美が指差した方向へ「デュラン騎士団長ー! どこですかーっ!」と叫びながら走り去っていった。
――騎士団長ってデュランさんの事じゃん!
ようやく思い出した希美は随分と失礼な事を考えていたと気付き心の中で先程までの思い出せなかった自分を責める。
「――ふぅ、行ったみてぇだな。ありがと、助かったぜ」
足音が遠のいた頃にデュランが茂みの陰から出てきた。
「……ごめんなさい」
デュランさんが騎士団長だったという事を忘れていました、と馬鹿正直に口に出す事はしなかった。
「ん? どうした?」
「あ、いえ、その……えと……ど、どうして、逃げて、るんですか?」
「あー……だって仕事とか面倒だろ? だから逃げてんだよ」
つまりこの城内の騒がしさは逃亡中のデュラン捕まえなければと騎士団員が城中を探し回っている為に引き起こされているのか。耳を澄ませて良く聞いてみると確かに「騎士団長」と呼んでいる声がするような。
犯罪の片棒を担がされた犯人の気持ちが分かったような微妙な心境。先程の騎士団員へ騎士団長はここにいますと言いに行くべきだろうか。
アーニャが言っていた"だらん騎士団長"の意味を希美はようやく理解した。
「騎士団長、騎士団長っていうけど、兄貴の弟ってだけで団長になったオレなんて、誰も認めてねぇのは知ってんだよ」
「デュラン、さん、の、お兄さん……?」
「……前、言ったと思うけど、勇者と魔王討伐に行って死んだ兄貴。ロランっていってさ、騎士団長やってたんだよ」
「あ……その……ごめんなさい」
「別に気にすんなって。オレは兄貴が帰ってくるまでの代理の騎士団長任されてたんだけどな、まぁ……そういう訳でそのまま騎士団長やってんだ。オレは兄貴と違って人望もねぇし、腕っぷしもねぇってのに」
溜め息交じりにデュランは言った。
希美は何と言ってフォローすればいいのか分からず、しばらく沈黙が続く。
「ま、もうしばらくでオレはお役御免だから気は楽だけどな」
「え? そ、そうなんですか?」
「おう。魔王を打ち果たした英雄サマに騎士団長の座を贈るんだと」
魔王を打ち果たした英雄がクレナハーツを指している事に気付くまで希美は時間を要した。
騎士団長や勇者といった肩書きはきちんと記憶にあるのだが、どうにもその肩書きと人物が結びつかない。
ようやく勇者の肩書きとクレナハーツが結びつき、そしてその肩書きに騎士団長が追加されるのかというところまで理解できた辺りで思わず希美は「えっ」と声を上げた。
「……んだよ、なんか言いてぇことでもあんのか?」
「あ、その、えと……えーっと……」
「怒んねぇから正直に吐け、な?」
「その……く、クレナ、さん、が、き、騎士団を、まとめてる、ところ、が、その、想像、できなくて……」
「…………ぶふっ」
予想外の言葉に一瞬呆然と希美を見つめ、言葉の意味を理解した時こらえきれずに吹きだした。
笑っては失礼だと思ったのか必死に笑い声を堪えようと手で口元を押さえているが、こらえきれなかった笑い声が漏れ出ている。
「た、確かに、アイツって、人の上に立つ感じじゃ、ねぇな……っくくく。ってか、それ、お前が言うか? 色々、世話してもらってんだろ?」
「あ、わ、わす、忘れて、くださいっ!」
正直に吐けと言われたがあまりにも正直に言い過ぎた事に気付き、なんとか取り繕おうとしたがデュランは彼女のその必死さも面白がっているのか笑い続ける。
勇者一行、特にクレナハーツに関する話題はデュランにとって地雷でしかないのではと思っていた希美にとって、涙目になるほど笑うデュランの姿は意外だった。
嘲笑でも冷笑でもなく、純粋に面白くて可笑しくて笑っている。
きっと、兄を見殺しにされた事を憎んで恨んで怒っているのも本心で、けれどそれと同時に憎みきれない恨みきれない葛藤もあるのではないだろうか。
歩み寄る機会を逃したまま、ずるずると険悪な態度をとってしまっているのではないだろうか。
本当は悲しみを分かち合って、立ち直りたいのではないのだろうか。
もしかしたら義理の兄弟となるかもしれなかった人なのだから。
――でも、そんなに簡単な事じゃないんだよね……。
家族に残された者の悲しみは、家族を残して逝った側の希美には到底推し量れるものではなかった。
「あー、笑った、笑った。お前、結構言うんだな。アーニャの性格がうつったか?」
「ご、ごめんなさい……忘れて、ください……」
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にする希美を見てデュランはしばらく思案した。
「んー……アーニャってさ、割と敬語使ってっけど、微妙にお嬢様っぽい喋り方だろ?」
「は、はい……?」
急な話題転換の意図が掴めず希美は首を傾げる。
「あれな、前は正真正銘のお嬢様っぽい喋り方だったんだぜ? 使用人になるから敬語使えねぇと、って必死に直そうとしてたんだけど三日ぐらいで諦めてさー。今なんか言葉遣い指摘されたら"たかだか言葉の使い方が独特というだけで目くじらを立てられるあなた様は随分ご立派な価値観をお持ちなのですね"とか言って開き直ってんだよ」
似ても似つかないアーニャの声真似でわざわざ言うデュランに対して思わず吹きだしそうになるのを希美は必死に堪えたが、どうしても声は笑いで震えてしまう。
「そ、そうなん、です、か……よく、知ってるん、ですね」
「腐れ縁ってか幼馴染みだからな。でも、これ話したらすっげー怒られるから内緒な。これで公平だろ?」
公平の意味が分からずしばらく考え、希美の先程の爆弾発言を忘れる事は出来そうにないからデュランも他人に公言してほしくない事を話して、内緒話を共有しようとしてくれたのだとようやく気付き頷いた。
――デュランさんって、優しいんだな……。
気だるげに見張り番をしているところか、クレナハーツに敵意剥きだしで接しているところぐらいしか今まで見た事がなかったので、サボり魔な怖い人という認識しか持っていなかったが、それは限定的なもののようだ。
今、こうして笑ったりふざけたりしている方がデュランの素のように思える。
「……妹がいたら、こんな感じだったのかな……」
デュランがぽつりと呟いた。
彼の妹など希美には恐れ多いが、彼自身は良き兄になるのではと思った。
デュランの兄であるロランの影響が強いのだろう。ロランについて詳しく知っていなくとも、デュランを見ているとどれほど良き人物だったのかが分かる。
希美にも姉がいたのだが、希美が生まれる前に不慮の事故で亡くなってしまい面識はない。
それもあってか希美は姉や兄という存在に憧れを抱いており、先程のデュランの発言が冗談であっても気恥かしさを感じずにはいられなかった。
「……? あ、あの……アーニャ、さん、は……?」
デュランは先程アーニャとは幼馴染みだと言っていた。なら妹云々を考えるならばアーニャのように身近な人物の方が考えやすいのではと希美は思った。
「アーニャ? アイツはどう考えても"姑"だろ」
「へえ? じゃあ、あたしは姑らしく、ろくに仕事をしやがらないお嫁さんにぐちぐちねちねち嫌味の限りを尽くせばいいのかしら?」
希美でもデュランでもない声に二人は固まり、おそるおそるその声の主の方を見る。
恐ろしいぐらいの満面の笑みを浮かべて仁王立ちするアーニャがそこにはいた。
逃亡を図る暇もなく、二人ともアーニャに説教される事になったのは語るまでもない。




