急転直下の暗転
その日、五十嵐希美はバスに揺られて隣町のデパートへ来ていた。
土地開発が急速に進み、いたるところで工事があっている隣町にあるそのデパートは若年層向けの店がほとんどを占め、希美にとって随分と敷居が高く、いくら憧れようとも絶対に訪れる日は来ないと思っていたが、彼女にはどうしても自分を奮い立たせこのデパートに来なければならない理由があった。
現在、希美の両親の関係は冷え切っている。
元々の暖かみはどこへ消えてしまったのか、今あるものは口喧嘩が無言のみ。
その発端は、結婚指輪を失くしてしまったというものだった。
口論は日に日に激しさを増し、次第に論点はずれて日常の些細な出来事の揚げ足取りとなり、そして終着点を逃してしまったままいつもの日々に戻ってしまった。
希美には喧嘩の仲裁など出来ず、ただ何か出来る事はないのかと頭を抱えていた。そして、思いついた。
代わりの指輪を買おう。
きっと代わりになんてならないし、両親の思い出は戻ってこないけれど、それでもきっかけぐらいにはなるハズだ。
今は母も父も謝るきっかけを、歩み寄るきっかけを、会話のきっかけを掴めないだけなのかもしれない。
また新たな火種になる可能性もあるけれど、それでも解決の糸口にはなってくれるのではないだろうか。
そうして希美は、財布で持ち歩いていたら失くす上に学校へ持って行ったら盗られてしまうだろうとほとんど使わずに溜め続けていたお小遣いをしっかりと握り締め、学校が休みの土曜日にクラスメイトに遭うかもしれないと怯えながらも、この隣町のデパートまで来たのである。
傍から見たら挙動不審の不審者だっただろうと希美は帰り道で酷く落ち込んだ。
手には、丁寧にラッピングされた指輪の入った箱。
いくら溜め続けていたとはいえ高校生のお小遣いはたかが知れており結婚指輪と同等のものなど買えるわけがなく、結局は中高生向けのアクセサリーショップで両親の好きそうなデザインのペアリングを買った。
自分の不甲斐なさと本当にこの考えが合っているのかという疑念に苛まれながらバス停までの道を歩いていると、いつものごとく何もないところで転んだ。
自分の体の心配よりも先に指輪を確認すると、少しラッピングが崩れた程度で箱は潰していない。
ほっと胸を撫で下ろし立とうとした時、靴紐が解けてしまっている事に気付いた。
慌てて靴紐を結び直していると、道を歩いている人たちがざわざわと騒がしくなってきた。工事の騒音も随分と酷くなっている。
なんだろうかと不思議に思いつつも靴紐を結び終えて立ち上がり、周りの人たちを何の気なしに見ると全員が自分の上空を見上げていた。
焦ったような表情を浮かべて自分に何かを言っているような人もいたが、工事の騒音がまた一段とうるさくなってほとんど聞き取れない。
不思議に思いながら周囲の人たちに倣い上空を見上げるた。
空から、無数の鉄骨が降り注いできていた。
「――――え?」
希美にそこから先の記憶はない。
思い出した、思い出してしまった、自身の最期。
空を見上げて視界が木材で埋め尽くされた光景に、忘れていたハズの降り注ぐ鉄骨の光景が重なり、それが呼び水となって全てを思い出した。
今の自分が持つ鼓動も体温も全てが偽物なのではないか、そもそも死んだハズの自分が生きているこの世界自体が偽物なのではないか、そんな思いに囚われて、そんな事を考える自分が許せなくて、息が詰まる。
夜風に当たって頭を冷やせばいくらかその考えを払拭出来るのではと、部屋を出てカルディア城内を歩いた。
そして行き着いた庭園には池があり、希美は池の畔に座ってその生命のない池を見つめた。
この近くの廊下をクレナハーツが通る事などまったく知らずに。
「…………」
「…………」
希美とクレナハーツの間に沈黙がおりる。
正直に喋らなければ手を離してくれそうになかったので顔色を窺いつつ言ってみたものの、相変わらず彼は希美の腕を掴んだまま。
他人に触れられるのは未だに怖い、そして沈黙が続くのも息苦しい。素直に白状したのだからもう手を離してほしい。
「……あ、あの……えっと……ほんとに、だいじょうぶ、なので……えぇっと……その……そろそろ……」
希美が控え目に申し出ると、クレナハーツは盛大に息を吐き出した。
そして片手で器用に後ろで金具を留めるだけの簡単な胸当てを外し、希の腕を掴んでいた手を思い切り引いた。
「うぇ!?」
希美は突然の事に体勢を崩し、クレナハーツの胸へ倒れ込んだ。
思考が停止寸前になって、でもこのままだと邪魔になると退こうとしたが、何を考えているのか彼は希美の頭に手を置き腕を掴んでいた手は背中へ回し、彼女を抱き締めた。
訳が分からず、希美は混乱する頭を落ち着かせる事が出来ない。
「……オマエ、結構ヒドい顔してんの、気付いてねぇだろ」
クレナハーツがぼつりと呟いた言葉に希美はぎくりと肩を強張らせた。
しかし、天啓から助けてくれた事といい、カルディア城で働けるようにしてくれた事といい、先日の薬草の件といい、散々迷惑を掛けているクレナハーツにこれ以上の迷惑は掛けられない。
混乱する頭でもそれだけは分かった希美はとにかく退こうと彼の肩に手を置き押し退けようと力を込めようとした。
「……いいか、よく聞け。俺は、今日、ここには来てねぇ」
「…………へ? で、でも――」
ここに居るよね、とクレナハーツの言葉の真意が掴めず、希美はそう思った事を口にしようとしたが。
「いいから黙って聞け!」
半ギレで怒鳴られた。
怒鳴られるし、他人に触れられているどころかゼロ距離だし、あまりの理不尽さに緊張やら恐怖やら苦痛やらで目が回る。
「俺は今日、ここには来てねぇ。だから――オマエが何を言ったのか、俺は知らねぇ」
彼は続ける。
「オマエがここに居た事も、オマエが何か喋った事も、オマエが泣いたり喚いたりした事も、俺は何も知らねぇから」
頭の上に置かれていた手に優しく撫でられる。
「泣ける時に泣いとけ」
ぶっきらぼうにクレナハーツは言うと、それきり黙って希美の頭を撫で続けた。
希美はしばらく彼の言葉と行動の意味が分からずきょとんとしたが、頭を撫でるその手の温かさが伝える不思議な安心感に混乱していた脳が落ち着きを取り戻し始める。
彼の心音がようやく耳に届いた。
一定のリズムで耳に響くその音は、人が生きている音。
心臓が鼓動するたびに人の温かさが身に染みる、温かな人が確かに自分に触れている、温かさに触れて安心した自分から心音が聞こえる事に気付く、生きている音がする。
――自分は、生きている。
気付いた時には涙がぼろぼろと零れていた。
本当は泣きたくなんてなかった。自分が泣くと周りは笑ったから、気付かないフリをして気にも留めてくれなかったから。
いきなり自分は死んでいたと言って泣き出してクレナハーツも面倒だとか鬱陶しいだとか思っているかもしれないが、それでも変わらず頭を撫で続けてくれる手が心地良くて嬉しくて涙が止まらない。
押し退けようと思ってクレナハーツの肩に置いていた手で彼の服を掴んだ。
今でも元の世界で思い出すのは嫌な事ばかりで忘れたい事しかない。
それでも、
「それ、っでも……もっと、生きた、かった、よぉ……っ!」
どんなに疎まれ蔑まれても、もっと笑っていたかった、もっと楽しい事をしてみたかった、やってみたい事だって沢山あった。
いつか、こんな自分でも誰かの役に立てる存在になる事が夢だった。
未練が無い訳では、なかった。
「ごめ、っ、なさい……おかーさん、おとーさん……だめ、な、わたし、で、っごめ、なさい……さきに、しんで、ごめんなさい……っ」
嗚咽混じりに言葉を吐き出したら、もう涙が止まらなくなった。
大切な人を残して逝った少女は泣きじゃくり、大切な人に残された青年はただ静かに彼女を抱き締めた。




