リフレインの情景
バザールで食品の買い物をするアーニャの隣で、希美は静かに買い物の仕方や金銭の種類など見て学べるものは学ぼうとしたり、時々バザールというものに物珍しさを覚えて周囲を見回したりした。
アーニャは買い物をしながら逐一、ここがお得意様だとか、ここは個人的な買い物に向いているとか、希美に説明と案内を行ってくれている。
とても憶えきれそうにないぐらい事細かに説明してくれており、その親切心を無下にしたくはないが希美の記憶力が限界なので、せめてお得意様だと言われた店だけでも頭に叩き込んだ。
「お、いつものねーちゃん、相変わらずべっぴんだねー」
「あら、ありがと。おじさんも相変わらず元気そうね」
店員と話し込み始めたアーニャを希美は少し離れたところから見る。
彼女は社交的で顔が広いらしく、行く先々の店員と楽しそうに世間話や値切り交渉をしており、希美は自分もこのくらい出来るようにならなければならないのだろうかと思ったが数秒と経たずに絶対無理という結論が出て、内心ため息をついた。
自己嫌悪に苛まれ始めたので気分転換しようとまた周囲を眺める。
少し視線を上げて立ち並ぶ出店の奥に隠れてしまっているレンガ造りの建物群を見ると所々屋根が半壊していたり、完全に壊れて大工と思われる人たちが修理をしている姿に気付いた。
『魔物、かな?』
建物を見上げる希美に気付いたカカは彼女の肩に軽やかに飛び乗り、同じ方向を見てそう言った。
「こんな街中、でも、魔物って、来るん、ですか?」
『うん。魔物が来ないようにする結界とかは張ってあるみたいだけど、範囲が広過ぎるとあんまり効かないんだよね』
「そうなん、ですか――ひゃっ!?」
相槌を打ちつつ半壊の建物を見上げていると、突然後ろから誰かがぶつかった。
「おい、気ぃ付けろ。危ないだろ」
「ご、ごご、ごごごめんなさい! す、すみ、すみません! ごめんなさい!」
ぶつかった鎧を身に着けた強面の大男に委縮し希美は頭を下げて謝り、大男は小声でぶつぶつと文句を言いながら歩いていった。
こうやって人にぶつかってしまうから彼女は人混みが苦手である。
申し訳なく彼の背中を見送っていると、彼が背中に背丈ほどあろう大剣を背負っている事に気付いた。
『怖そうな人だったね……あんな人のギルドには近付きたくないなあ……』
ぶつかられた拍子に希美の肩から落ちて地面へ着地していたカカが呟いた。
「ぎ、ぎるど……?」
『んーと……なんでも屋さんって言ったら分かるかな。迷子探しから魔物退治までいろいろやってくれる組織だよ。所属してるギルドのシンボルマークが描いてあるネームタグを首から提げてるから分かりやすいの』
「へえ……そうなんですか」
『ほら、あそこで屋根を修理してる大工さんがいるでしょ? あの中の何人かはギルドの人みたい』
カカに言われ、目を細めてよく見ると確かに何人かの大工は首に何かを提げている。遠目でいまいちハッキリとは見えないがシルバーで出来たネックレスのようだ、あれがギルドのネームタグなのだろう。
日頃から魔物退治等で鍛えられているのだろう、角材を数本持っては屋根まで軽々と上っている。
先程ぶつかってしまった大男なら、あの大剣から考えるに十本以上持っていけそうだなと希美は頭の隅で呑気に考えていた。
「待たせたわね。はい、こっちがあなたの持つ分よ」
店員との世間話を終えたアーニャが抱えていた紙袋の二つの内一つを希美に手渡す。
それなりに大きめの紙袋は見た目に反してそこまで重くなく、中を覗いてみると折り畳まれた黒や白の布地が入っている。
「新しい制服と、補修用の布よ。今度は大事に使いなさいよね」
「は、はい!」
それからも城下町を事細かに案内してもらい、彼女たちが帰路につく頃には日は傾き始め、人で賑わっていた大通りも店は畳み始めて客も減り、家屋の修理に勤しむ金槌の音がよく響き渡っていた。
「あ、使用人のおねーちゃん。ちょっといいかい?」
「八百屋の奥様じゃない。どうしたのかしら?」
民家のドアから顔を出した女性に呼び止められたアーニャはまた話し込み始めた。
周辺の地形だけでも把握しようと周囲を見回していた希美はそれに気付かず歩き続け、希美よりも早くに気付いたカカが彼女の足を尻尾で軽く叩き教える。
希美は来た道を戻って一緒に話を聞くべきなのか悩んだが、その八百屋の奥様はアーニャにだけ話したいらしく小声でぼそぼそと喋っているので、このままこの場所で待つ事にする。
希美の立つすぐ真上から金槌の音が聞こえてくるのが少し残念だが、夕陽色に染まった町にも今までと違う趣きがあり、景色を眺める事に飽きない。
修理中の屋根の上に積まれた角材が丁度太陽を遮ってくれているおかげで存分に景色を堪能出来た。
「最近、魔物の被害が多くってねぇ。家は壊されるわ、畑は荒らされるわ、安心して寝れやしないよ」
「……確かに、最近の被害報告は多いわね」
女性の言葉にアーニャは眉をひそめて難しそうな表情をして呟いた。
彼女の言葉通り、最近の城下町では家屋の破壊や畑荒らしが多く発生しており、しかもそれだけ派手にやっておきながら犯人の正体を知るものは一人としておらず、犯人が魔物なのか人なのかさえ確定出来ていない。
今日も買い物の片手間に城下町の状況を視察し、町人に世間話を装ってそれとなく聞いてみたが、被害が増えているだけで目新しい情報は得られなかった。
「悪さしてるヤツさえ分かれば、ギルドに依頼書出したり出来るんだけど……一体お城の連中は何をやってるんだい?」
やっぱりか、とアーニャは内心ため息をつく。
女性の言葉の端々からある程度の予想はついていたが、彼女はお城の連中の行動や対策に不満と怒りを覚えているようだ。
今の騎士団は使えない、魔道兵団なんて居ても居ないようなものだ、勇者様たちは一体何をしている、そういった思考がありありと感じ取れた。
目の前にいる女性は、今、随分と醜い表情をしている事に気付いているのだろうか。
「ごめんなさい、奥様。一介の使用人には分かりかねますわ」
暗にこれ以上の詮索は無意味だと告げる言葉を嫌味なぐらいの笑顔と一緒にアーニャは言った。
「そうかい……悪いね、こんなおばさんの愚痴に付き合わせちゃって」
「いえ、いつもお世話になっていますもの。お互い様よ。では、あたしにはまだ仕事が残っているので」
笑顔を貼り付けたままそれだけ言うとアーニャはお辞儀をして、背を向けると同時に社交用の笑顔を消し、離れたところでやはり物珍しげに周囲を見回している希美の元へ歩き出そうとした。
その時、視界の端で何かが動く。
その何かを探す一瞬間後。
「メイドの嬢ちゃん逃げろっ!!」
切迫した怒号に近い叫びが、希美が佇む民家の屋根の上から響いた。
突然の大声に肩を跳ねらせて驚いた希美は、不思議に思いながらも怯えた表情で屋根の方を見上げる。
そこには空がなく、代わりに視界を覆うのは修理用に屋根の上に積まれていたはずの角材。
「――――あ」
次第に大きくなる角材が、落ちてきているのだと理解に至った時にはもう足が竦んで動けなかった。
アーニャは焦る気持ちを抑え状況を冷静に素早く判断する。
この距離では走ってもギリギリ間に合わない、間に合ったとしても安全な場所まで希美と共に退避出来る猶予は残らない。
幸いな事に、ここは開けた大通りな上にほとんどの店は閉店の準備を終えており、人や物といった障害物は無いに等しい。
ならば、今考えられる内のどれが最も正しい? どれが最も確実に彼女を助ける事が出来る? そう考える時間はもう既に残されていなかった。
――ああもう! 緊急事態! 緊急事態なんだから、そんな事を考える余裕はないの! 配慮とか考慮とか知るか!
アーニャは決心すると、紙袋を抱えていない空いている手を前へ突き出し、精神を落ち着けて焦る気持ちを抑え込み冷静にイメージする。
「木の章、生命の節、芽吹の項。生い茂りて迷い路の壁となれ! ツリーズ・ウォール!」
声高らかに唱えた瞬間、希美の周囲の地面から石畳を勢いよく突き破って無数の木々が生える。
葉や枝がない為、木というよりも根といった方が的確なそれは勢いを落とす事無く空へと伸び続け、希美の近くに生えた根は彼女の頭上で絡み合いドーム状の屋根を形成し、それ以外の根は落下してくる角材に絡みついて更に根同士でも強固に絡み合って、ようやく根も角材も動きを止めた。
アーニャは急激な魔力の消費に伴い乱れた息を整え、一種の前衛芸術が完成してしまった現状を直視して流石にやり過ぎたと顔をひきつらせながら、希美の元へ駆け寄った。
「ノゾミ、無事?」
希美は返事をする事無くその場に立ち尽くしている。
その目は未だ空を、角材と木の根で作り上げられた前衛芸術を見上げていたが、しかしそれを見ていないようなどこかピントがずれている。
「ノゾミ……?」
「大丈夫か!? 嬢ちゃん!?」
アーニャがもう一度呼びかけようとした時、屋根の上からまた声がした。
「大丈夫か……じゃないわよ! こんの不安全作業員!! なんでいかにも落としますって所に危険物を置いてやがるのよ! 馬鹿なの? 馬鹿よね? 馬鹿でしょ!?」
「す、すんません……」
「怪我人が出なかった事に感謝しなさいよ。後、これもあなた達でなんとかしなさい」
アーニャが作り上げてしまった前衛芸術を指差して処理を強制する。
「はい……」
アーニャに徹底的に罵られ、心配で声を掛けた大工の一人は力無く返事をし、落ち込み項垂れた。
その奥で修理を手伝っていたギルドのメンバーが大工達と角材と木の根をどう処理するか話し合っている。
ギルドの人が居るならば魔法を扱える仲間でも呼んできて、すぐにでも解体してしまえるだろう。
「ノゾミ……もう、ノーゾーミ!」
「ふぇっ!」
希美は肩を揺さぶられてようやく返事をした。目もきちんと焦点を合わせてアーニャを見ている。
アーニャはようやく安堵の息をついた。
「大丈夫そうね」
「あ、は、はい、す、すみません、でした……えと、あ、ありが、とう、ございます……」
「別に気にしなくていいわ。そんな事より、さっさと城に戻るわよ」
「は、はい……」
少しだけ残る怯えと恐怖に震える希美の肩に手を置き、後ろから軽く押してあげながらアーニャは帰路を急いだ。




