ペシミストの夜明け
森を抜け、城下町を通り、城門前へ辿り着いた彼らを真っ先に出迎えたのは泣き腫らした顔のスティだった。
「ノッぢゃああぁぁん!!」
希美の顔を見るや涙腺が決壊したかのようにぶわっと涙を溢れさせ、まだクレナハーツに背負われたままの彼女に勢いよく飛びついて来た。
流石にもう背負ってもらう必要はないしこのままでは迷惑なので降ろしてもらおうと手を離すと、クレナハーツも迷惑に思っていたのだろうか後ろで彼女を支えていた手を離した、屈む事もせずに立ったまま。
「ふぇっ」
支えを失い背中から地面へと落ちかけたが、寸でのところでスティに抱き止められ難を逃れた。
クレナハーツは背後の出来事に目もくれず、緋色のマントを肩に羽織り壁に寄り掛かって座るアーニャの元へ歩き、アーニャも彼が来た事に気付き立ち上がった。
服が汚れないよう地面に敷いていたであろうマントの端が汚れていたが、さして気に留める素振りはない。
「今戻った」
「見ればわかるわよ」
勇者の世話役を任されている彼女へ一応の帰還報告。
アーニャはムスッとして表情でつっけんどんな返事をする。
「あなた、投獄魔法使ったわよね? 何の予告もなしに使うから牢屋番の人が大騒ぎしたのよ? 後始末する方の身にもなってちょうだい」
「天啓の情報が得られるなんて、そうそうないチャンスだろ? 煮るなり焼くなり勝手にやってくれ」
「だーかーらー、そういう事が色々と面倒だって言ってんのよっ! ちょっと、聞いてんの!?」
文句を言い募るアーニャを無視してクレナハーツはさっさと城内へと入っていってしまった。
一方、希美はというと。
「ノッちゃん、ケガは? ケガはない? どこか切ったりしてない? どこかぶつけたりしてない? 具合悪かったりとかしない? するなら言って! すぐ治すから!」
「だ、だだ、だいじょうぶ、です」
聞き取りづらい鼻声のスティに捲し立てられていた。
希美は抱き止めてくれた事に感謝の言葉を述べようとしたがその勢いに気圧され、確かに怪我はしたがカカの精霊術でほとんどは癒されているので無事である事を言う。
「ホントに? ホントに大丈夫? 無理してない?」
「は、はい、本当に、大丈夫、です」
「よがっだ〜……」
ようやく本当に怪我がない事が分かりスティは安堵したのか、その場にへたり込み今度はすすり泣きし始めてしまった。
どうすればいいのか分からず希美はおろおろするしかない。
「ちょっと情緒不安定になってるだけだから気にしなくていいよ〜」
そうホロに言われても泣かれているのを気にしない方が無理である。
「…………え、ホロ、さん?」
「うん? どうかしたの、ノゾミちゃん」
声のする方を見ると、そこには平然と立っているホロの姿。
あの弱りきっていた姿はどこへやら、顔色も足取りもしっかりとしており、いつもの笑顔を浮かべいる。
「え、あれ、でも、え? ……え、夢?」
「……ちゃんと現実だから安心してね」
混乱する希美にホロは宥めるように言い聞かせた。
「ちょっと足が痛くってね、いつもみたいに魔力で集中治療してたら予想外に消耗しちゃったみたいでさ。それでちょっと意識失くしてただけなんだ。だから魔力も回復して、足の痛みも引いたらちゃんと起きるよ」
左手に杖を持ちそれで体を支える姿は、理由を知っただけにどこか痛々しく見え、本当に平気なのか心配にならずにはいられない。
無理はしていないのか訊ねようと口を開きかけた希美の後頭部を誰かが拳でこつんと小突いた。
「ノーゾーミー、お前ウソつきやがったなーっ!」
城の周辺や城下町の捜索から帰ってきたデュランが、両手で希美の髪を思い切り掻き混ぜながら、言葉ほど怒っていない声で言う。
「わ、わわ、デュ、デュラン、さん、ごめ、ごめんなさい、本当に、ごめんなさいぃ……」
デュランは行きがけに会った時には身に付けていた鎧をほとんど身に付けておらず、それにだいぶ息が上がっている。
希美が言った"城の周辺を散歩する"という言葉を信じて探し回ってくれていたであろう事は見て取れ、申し訳なくなった。
「ま、無事なら別にいいけどよ。今度から気ぃ付けろよな」
デュランはさして怒る事もなく、掻き混ぜられてぐちゃぐちゃになった彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。
「あぁ!? アーニャ、俺のマント汚しやがったな!?」
アーニャの羽織るマントの端が汚れている事にデュランは目聡く気付き抗議の声を上げた。
「あら、最初から汚れてたわよ?」
「ウソつけ! ちゃんと毎日洗ってんだから汚れてるわけねぇだろ!」
いつもの口喧嘩を始めた二人を無視してホロが杖を突き左足を引きずって希美の元へ歩こうとしたが、それに気付いた希美の方からホロに近寄った。
「ところでノゾミちゃん、どうしてロウロの森に行ってきたのかな?」
「え、あ……えーっと……それは、その……」
至って元気なホロに聞かれ、希美はどう答えるべきか口をまごつかせる。
元気になってほしくて薬草を摘んできました、と言いづらい。
だが誤魔化すにしても嘘をつくにしても何と言えばいいのか見当がつかず、希美はおずおずと握り締めたままだったハンカチの包装を解いて、長時間握り締められていた為に元気のなくなった萎びた薬草をそっと見せた。
「それって、薬草? ノッちゃん、探してきてくれたの?」
ようやく落ち着いたスティが希美の肩に手を置いて背後から彼女の手元を覗き込んだ。
「えぇっと……カカさん、に、訊いたら、えと、この薬草が、効くかもって、教えて、もらって……」
「――っノッちゃん、大好きーっ!!」
「ひゃあ!?」
スティに背後からぎゅっと抱き締められ、泣かれた時とは別の意味で困惑しおろおろする。
スティのこの過剰なスキンシップが希美は苦手である。
「この薬草、もらっていいかな?」
「へ、あ、も、もちろん、ですっ」
もう元気になっているし、次また寝込む事があっても魔法で治せるだろうから必要ないのだと思い込んでいた希美はホロの意外な言葉に驚きを隠せない。
慌ててハンカチごと薬草を差し出す彼女に苦笑しながらホロは薬草を手に取った。
「魔法だけじゃなくて、薬学とか呪術とかも嗜んでるからね、こういうのがあると助かるんだよ〜……あ、これは毒草だね」
一つずつ丁寧に確認していたホロがさらっと言った。
「ど、どくっ!? ご、ごめんなさい、全然、気付かなくって……」
「大丈夫だよ、これって生息地とか見た目とか似てるから間違えやすいんだ。これはこれで呪術の方に使えるからね。ありがとう、ノゾミちゃん」
その言葉に希美はほっと胸を撫で下ろした。
自分に出来る事はしたい、例え社交辞令だったとしてもホロの言った感謝の言葉は自分の思いを肯定してもらえたような気がする。
だが、今回は迷惑を掛け過ぎたので反省すべきである。
――この優しい人たちに、私は何が出来るのだろうか。
心配されるのも、それ故に怒られるのも、それでも感謝されるのも、どこか恥ずかしくてむず痒くて、どんな表情をしてどんな言葉を紡げばいいのか分からず、希美はぐちゃぐちゃになった髪を手で梳いて前髪で顔を隠した。