一抹の不穏
カルディア城の内装は、白に統一されていた外装と比べて色彩に溢れた煌びやかな造りとなっていた。
床は大理石に似たタイルが敷かれ、その上には長い長い鮮やかな赤の絨毯。
等間隔に置かれたガラス細工の花瓶には色とりどりの花が生けられている。
希美は普通の生活ではまずお目にかかれない調度品の数々に好奇心を掻き立てられ、近くにあった花瓶の一つに思わず近付こうとして、はっとしてなんとか踏み止まる。
鈍臭い自分が花瓶なんかに近付こうものなら故意でなくとも割ってしまうに決まっている、今までの経験がそう物語っている。
壁際に寄るのは危険だろう。だがそうなると、廊下の端から端まで敷かれたこれまた高級そうな赤い絨毯を踏まなければならない。
今自分の履いている、森を全力疾走して明らかに汚れているだろうくたびれたスニーカーが恨めしい。
「ほらほら! 早く行くよ、ノッちゃん!!」
「ぅえっ!? あ、その、ま、まだ、心の準備が……」
小さく抗議の声を上げるがスティは耳を貸さず、希美の腕を掴んでぐいぐいと引っ張り、絨毯の真ん中を堂々と歩き始める。
希美の腕を掴むその腕の力強さにやはりスティは男なのかと思ったが腕の細さを見てやはり女なのかと思い、けれど考えるだけ無駄な気がしてきた。
「……えっと……えっと……スティさん、も、魔王と、戦われた、んですか?」
城内の輝きと静寂に耐え切れず、希美は控えめに訊ねた。
「違うなぁ、ノッちゃん」
ちっちっち、と立てた人差し指を軽く左右に振るスティ。
まさかまた自分は勘違いして見当違いな発言をしてしまったのかと頭が混乱し始まる前に、スティは続けた。
「ス・ティ・ちゃ・ん。"さん"でも"くん"でも"さま"でも"どの"でも呼び捨てでもなく、スティちゃんね!」
呼び方の訂正だったようだ。
「ス、ス……スティ、ちゃん……さん」
言われた通りに呼んでみたはいいがどうにも落ち着かず、さん付けにしてしまうと、スティは不服そうに頬を膨らませた。
「むー……まぁいっか。で、えーと、魔王と戦ったか、だっけ?」
「は、はい」
「もっちろーん! ボクってこー見えてけっこー器用でね、カギ開け縄抜け、敵地の偵察お手のもの! そのうえ精霊術だって使えちゃう、はいすぺっくが売りの盗賊ちゃんなんだー」
聞き慣れない単語に希美は首を傾げる。
「精霊……術……?」
「およよ、精霊術知らないの……って、当然か! 異世界人だもんね。うーんとね、精霊術とは魔法と似て非なる法則・術式形態を持ち、万物に宿る精霊の力を行使する力の事。図解・よく分かる精霊術よりばっすーい☆」
――全然よく分からないのは私だけなのかな……。
そう思ったが"分からない"と考えるのを怠るのは良くないと思い、無い頭で理解しようと努力を試みた。
魔法と似て非なる、という事は魔法とは違う力という事でいいのだろうか。
魔法はホロが見せてくれたものだが、見ただけでどういった原理が働いているのかは皆目検討がつかない。
そもそも自分は超常現象を引き起こす力の事を一概に魔法だと思っていたのだが、それと似たような精霊術なる力があるという事はこの世界で言う魔法と自分の思う魔法は違うという事になるのだろうか。
希美の頭ではここまで考えるのでやっとだった。
ただでさえ異世界などという普通では有り得ない状況下におり、理解の範疇を既に超え切っている。
難しい顔をして黙り込んだ希美を見かねて、前をさっさとを歩いていたクレナハーツが言う。
「魔法は自分の持ってる魔力を、精霊術は自然に宿る精霊の力を使うんだよ。簡単に言うなら、例えば物を浮かせる時とか、魔法だと魔力を使って自分自身で持ち上げてる状態で、精霊術は精霊に持ち上げてもらってる状態だな。パッと見は違いなんて分かんねぇけど、大体の魔法は自分にしか効果がなかったり、精霊術は誰にでも効果があったりするな。傷の治療とか」
これ以上詳しい事言ってもどうせ分からねぇだろ、とクレナハーツは続けた。
全く以ってその通りだが、辛うじて精霊術について理解出来た。
つまり精霊術というのはロールプレイングゲーム等でよくある、仲間の傷を癒す僧侶の力と似たようなものだと捉えて良いのだろう。
「さっすがハーくん、ミーちゃんのお兄ちゃんなだけあるね!!」
スティが茶化すように言った後、その言葉が問題発言に当たる事を思い出し、スティは気まずい表情を浮かべた
「あ、クレナハーツさん、は、兄妹が――」
希美はスティの表情に気付かず、ちゃん付けという事は妹だろうかと考えながら言葉を紡ごうとして、クレナハーツの纏う空気がさっきまでと違うことに気付き言葉を詰まらせた。
「……んな事、どーでもいいだろ」
突き放すような寄せ付けたくないような冷たい声でクレナハーツは言った。
――地雷、だったんだ……。
気付かない内に距離感を誤りテリトリーへ足を踏み入れてしまっていたのかもしれない、そう希美は思い、自分の浅慮さを恥じた。
「ゴメンね、ノッちゃん。この話題、ハーくんにはNGだったのに、スティちゃんってばうっかりしちゃってたよー。気にしないでね? 出来れば忘れてね? ね?」
スティは希美の耳元に顔を寄せ片手で隠しひそひそと小声で謝る。
「よーし、代わりにスティちゃんについて教えてあげようではないか! ボクは天上天下唯我独尊――」
「それはもう百回ぐらい聞いた」
「――世界は俺を中心に回ってるな自己中心的勇者サマ、クレナハーツの仲間、盗賊のスティちゃんでーす☆」
「おい、こら、誰が自己中心だ」
「けれど盗賊というのは世を忍ぶ仮の姿……その正体は世の為、人の為、日夜戦い続ける正義の味方なのである!」
「世を忍ぶ姿が盗賊って、職業間違ってねぇか?」
「困った時、ピンチの時は『助けて! 美少女盗賊スティちゃーん!』って叫べば、いつでも光の速さで駆けつけてあげちゃうよ!」
「呼ぶヤツなんざいるかっての」
クレナハーツの厳しいツッコミに耐え兼ねて、スティは希美に泣きついた。
「わーん! ハーくんがいじめるー! ノッちゃん助けて! ついでに慰めて!」
「ふえ!?」
スティは希美に抱き着き、希美の背後へ回ってクレナハーツから隠れる。
どうしたら良いのかと困惑し、不機嫌なクレナハーツと涙目のスティを交互に見る。
隠れたいのはこちらの方だ。
「え、えぇっと、その……ク、クレナハーツさん――!」
「あ?」
「ひっ、ごめんなさい!」
「そんな怖~い目付きしてたらモテないぞー」
「余計なお世話だ」
今にも泣き出しそうな希美を知ってか知らずか、スティは背後から暢気に野次を飛ばしケラケラと笑う。
「随分と騒がしいな」
二人の声がぴたりと止まり、表情が強張った。
クレナハーツは強張った表情のまま前に向き直り、スティは希美の背に隠れるのをやめると今度は逆に彼女を自身の背にするように立つ。
一瞬にして緊張した空気を作り出した声の主を希美は遠慮がちに見た。
原色でそのまま染めた様な鮮やかな赤色の髪が真っ先に目に留まる。
――"王様"だ。
何も知らないはずなのに、希美は瞬間的に目の前の存在をそう悟った。
「君が、異世界から訪れた少女、だな?」
その言葉が希美に対してのものだと考えずともすぐに分かった。
「は、ははは、はい! いが、いぎゃら、いがら、し、のの、の、のののののぞみ、です!」
「……ノッちゃーん、テンパり過ぎで何言ってるか全然分かんないよー?」
突然過ぎて心の準備も何もあるわけがない。
自分でも情けないぐらいに噛んでいる上にどもっており、顔に熱が集中してくるのが嫌というほど分かる。
「……名前はイガラシ・ノゾミ。どのような理由でエステルダストへ来たのかは……本人も分かっていません」
見かねたクレナハーツが助け舟を出す。
「右も左も分からない異世界人を放って置くことは出来ず連れて来てしまっておいて、このような申し出を出来る立場ではないと重々承知ですが、彼女をこのカルディア城で働かせてあげてはくれないでしょうか」
堅苦しい台詞をすらすらと話すクレナハーツに、ちゃんと敬語が使えるのかと中々に失礼な事を希美は思ってしまい、慌ててその考えを振り払う。
「ああ、構わんよ。メイド長には既に話してある。アーニャ」
カルディア王はあっさりと告げ、王の一歩後ろに控えていた女性を呼んだ。
淡い桃色の髪をツインテールにしたメイド服に身を包んだ細身の女性は前に出て軽くお辞儀をした。
希美もつられてお辞儀する。
「彼女はアーニャ、君の教育係だ。分からない事があれば彼女に訊くと良い」
「は、い、あ、えと……あ、ありが、とう、ございます……」
あまりにもあっさりと決まってしまい、どことなく肩透かしを喰らった様な気分だ。
「お心遣い、感謝します。では、私達はこれで失礼します」
それだけ言うとクレナハーツは一礼して踵を返して歩き出した。
スティはやれやれと言いたげに肩を竦めると彼の後を追った。
彼らの後を追うべきなのか否か分からず、次にどう行動すればいいのかとオロオロする希美にアーニャが声を掛ける。
「ノゾミ……だったわよね? あなたの部屋に案内するわ。あなたの部屋、と言っても、あたしと相部屋だけどね」
「は、はい……えぇっと、よ、よろしく、おねが、い、します」
希美はほっとして、歩き出したアーニャに続く。
「まったく…勇者は厄介事を持ち込むのが得意なようだな。今回といい、あの時といい……」
独り言とするには大きすぎる声でカルディア王が呟いた。
その言葉を聞いた一瞬、クレナハーツとスティの空気が冷たく張り詰めた事を、希美が気付く事はなかった。
ただ、やはり自分は厄介事だったのかと思い、静かに落ち込んだ。
ふと、綺麗に磨かれたガラス窓に映る自分の姿が目に留まる。
ガラスの中にも溢れる、芸術品や高級品に疎い希美でも一目で分かる豪華な輝き。
その中に、お世辞にも綺麗とは言えない伸ばしっぱなしの黒髪をした自分が居る。
煌びやかさに不釣合いな姿が見苦しくて、前髪を梳きながら視界を覆った。