その身に孕むのは、鬼
アレックの親殺しから一夜明けて、エミリアがふと言った。
「ねぇ、兄さん?王族であるリリィとアニーを殺して、母親は取られたとはいえ父親を殺して、あなたのあらかたの目的は達成されているわよね?」
「あぁ、そうだね。確かにそうともいえるね。それが?」
「このあとあなたはどうするつもりなのかしら?」
「まだだよ。だって王は生きている。それに、バーナードも、ね。」
「ふふ、そう。それは楽しみだわ。」
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バレット夫妻の死は貂国の人々に今までとは違う衝撃を与えた。何故なら被害者の親族が殺されたのは初めてだったから。一度広まった噂には尾ひれがつき、どんどん大きくなっていく。初めは「被害者の身内が殺された。」次いで、「殺人鬼はもう一度被害者の身内を殺して回るつもりだ。」遂には、「殺人鬼は顔を見た人すべてを殺すつもりだ。」と。
そうして煽られた人々の不安が恐怖へと変貌するのに、そう時間はかからない。そして、恐怖はやがて
猜疑心をもたらす。
「アイツは私を殺そうとしているのではないか。」
「殺人鬼は彼(あるいは彼女)なのではないか。」
「隣にいるこいつは私を殺そうとしているのではないか。」
懐疑、猜疑、狐疑……やり場のない疑いの感情ばかりが貂国民の心を支配する。そういった、向けるところのない感情は常に、上に向けられるものだ。不満も怒りも、そして――懐疑もまた、上に、国に、為政者に向けられるものだ。
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発端は何て事のないとるに足らないゴシップ記事だった。曰く、「殺人者は国の依頼の下殺人を遂行している。捕まらないのはその為だ。」と。
そもそも、王家の娘さえ殺されているのだから的外れもいいところだろう。だが、こんな下らないゴシップ記事に流されるほどに人々の不安は頂点に達していた。というよりも、責任の所在をどこかに求めたかったのである。そうして、この記事に流された人々は即座に国を相手にした「市民軍」なる組織を結成した。
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「今日も今日とて外が騒がしいな。」
フローレンス王は大きくため息をつく。殺人鬼から己れを守るだけでも手一杯だというのに更に市民が暴動を起こすとは考えてもみなかった。フローレンスは、確かにここまで対応が後手後手ではその位考えて然るべきだったな、と思った。
「しかし、殺人鬼に対しては家に隠れていた彼ら彼女らが国を相手にするとここまで強気とはな。」
それだけ国に対する敬意や畏れが無くなっているといえる。もっとも、実際、殺人鬼の所為で使える兵がいないから、この程度の烏合の衆にさえ、手を焼くのだが。
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突然、大きな音と共に悲鳴と歓声が入り交じった。
ゾロゾロゾロゾロゾロゾロゾロゾロと集まった民衆が場内に入ってくる。その群衆は厳しい階級社会の貂国においてあり得ないことに第2地区、第3地区、第4地区……第6地区の人間まで混ざっていた。
「それにしても、なんて情けないことか!」
いかに兵力が下がっているとはいえ、城の衛兵が市民の人海戦術に負けるなど有ってはならない。
もし、人混みのなかに鬼が紛れ込んでいたらどうするつもりなのだ。と考えたところでフローレンスは縁起でもないな、と思いなおして不吉な考えを打ち消すことにした。
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しかし、フローレンスの不吉な考えは不運なことに当たっていた。
奇しくも、王国軍や警察の情報統制が裏目になった形だ。国民の誰もその正体を知らず、国民の誰もその貌を知らない。この場に集まった貂国民15万人。その中に二人、似つかわしく無い人物がいた。目は炯々とし、漂う危険な雰囲気は王家に対しての不満をぶつけに集まったこの場にあって、なおも目立っていた。
アレックとエミリアがその場にいる事を知るのは当人達だけであった。
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数刻前 某所
「ふうん。」
「あら、どうしたのかしら?兄さん。」
「あれを見てごらん、エミリア。」
「へぇ、王家に対してテロを起こそうっていうのね。それで?」
「面白そうじゃないか。参加してみようか。」
「あなた馬鹿なのかしら?そんな人の波に入って何かあったらどうすんのよ。」
「大丈夫さ。それどころか、誰が何をしてもおかしくない状況において僕たちのような人間はとてもうまく隠れられる。――人が死んでもおかしくないだろう?」
「ふうん。良いわね、それ。」
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こうして、アレックとエミリアの二人が群衆に混じることになった。
敵も味方も無い、ただの殺人鬼を孕んだ群衆は既に王庭に足を踏み入れている。