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十八日の幽霊。

 

■□十八日の幽霊。



 夕暮れ時のご帰宅ラッシュもだいぶ前に過ぎ去り、肌寒く感じる風を体に受けながら彼は歩いていた。

 近所の商店街にあるコンビニにて、本日発売の週間マンガ雑誌が購入できて少しばかりご機嫌なようだ。いつもならこの時間で買えるのはまずありえないだけに、運が良かったとしか言いようがない。さすがに鼻歌を――とまではいかないが、夕飯のおかずはいつもより豪華だったりする。

 それが例え、値引きシールの貼られたいなり寿司のパック1つだとしても。


 愛用の靴でもある健康サンダルから、軽快な音を響かせ男は夜道を歩く。

 帰路の途中にある公園は、ようやく桜の蕾が膨らみ始めた頃だ。男は足を止め、その桜の木を見た。



「……今年も花見と言う名の飲み会をするんですかねぇ。やれやれ、もうそんな時期ですか」



 ぼやくように男は呟くと、今時珍しい太いフレーム――通称黒縁眼鏡をかけ直した。

 短い毛先が癖であちこちにはねた、艶のない黒髪が風に揺れる。レンズ越しに見える眼は、何処かやる気無さげだった。

 服は幾分サイズが大きいのか、全体的にもっさりとした印象を与えていた。割りと細身なのがそれに拍車をかけている。


 しばらく桜を見ていたが、男は買ったマンガ雑誌を思い出し歩き出した。

 歩きながら読んでもいいが、部屋でじっくり読みたい派故だ。ブロック塀が続く道を進み、お隣さんの庭にある花の散った梅の木を通り過ぎる。そうすれば見えてくる二階建ての建物と看板。

 看板にかかれた文字は『日だまり荘』。

 彼の帰る場所だ。



 日だまり荘1階、管理人室。

 玄関にもっとも近いこの部屋は、日の当たりが悪く、冬場はアパートの玄関扉の開閉により冷たい風が吹き込むという、何ともありがたくない仕様が標準装備とされた部屋だ。

 風が吹き込むのなら夏場は快適なのではないか? と思われるだろうが、実際この部屋――夏は熱気が篭もり、玄関の開閉による風は、夏場は何故か全く入ってこないのだ。


 つまるところ、人に貸すには向かない部屋。故に管理人室となっている。

 おまけに隣の倉庫は、人が居ないのに何故か(・・・)度々物音がする曰く付きだ。


 この管理人室の住人は久尾恵助(くおけいすけ)

 つい数分前まで、コンビニで週間マンガ雑誌を買ってご機嫌だった男だ。

 この部屋に居るのだから、当然現在の管理人でもある。


 就職難の荒波に揉まれ惨敗、そのまま大学を卒業したのが数年前。フリーターの道を進もうと決めた矢先、それを嘆いたらしい祖父から、このアパートの管理人をするよう頼まれた。実際は管理が面倒になった祖父が、恵助に体よく押し付けただけ、だったりするが……。

 薄々その理由に勘付いている恵助だが、「まぁいいか」と特に気にすることなく管理人の座に収まってしまった。

 よもや両親――特に母親が、そんな恵助を見て嘆いていたことも知らずに。その後母親が祖父に烈火の如く怒っていたのも、彼は知らない。


 彼の両親は、沢山の恵みを受け、誰かの助けになれるような子になってほしい。と願いを込めてつけた名だが……。

 ひたすら地味を体現したかのような容姿は、明らかに名前負けをしている。

 大半のアパートの住人や訪問者からは〝(めぐみ)ちゃん〟と、本人としては非常に不本意な愛称で呼ばれていたりする。

 本名にしろ愛称にしろ残念な結果だ。


 そんな管理人恵助は、現在微妙に困っていた。

 片手に週間マンガ雑誌が入ったコンビニの袋をぶら下げ、玄関を潜った先で足を止めていた。と言うか、止めるしかなかった。

 恵助の視線の先にはこの日だまり荘の住人でもある女性の姿が――それもただいるのではなくシクシクと泣いているのだ。


 さてどうしたものかと首を傾げてから中を見回す。

 ちょっとしたラウンジのような広さがある玄関は、来客用の下駄箱に、各部屋のポストが並ぶ。一段上がる場所には大量のスリッパと、住人用の下駄箱が壁際に立つ。

 そして見るからに安そうなカラフルなパイプ椅子が8つと、2台の丸テーブル。住人が勝手に注文したマッサージチェア(最新式)。恵助が何度置くなと言っても置いてしまうのでもう諦めた代物だ。まだ時々冷え込むため置いてあるストーブは、やかんも常備されている。

 この、〝住人曰くたまり場〟の直ぐ隣が管理人室だ。まれに朝までドンちゃん騒ぎをやらかしてくれるので、恵助としてはたまったものではない。


 本日のたまり場はそんな様子は欠片もなく、普段ここの住人が碁や将棋をさしている姿があるが今はない。もしいたのなら、恵助がここで立ち止まる事は無かっただろう。

 女性の扱いに長けているか否かと問われれば、恵助はすぐさま否。と答える。もともと同性とつるんでいる事が多かった恵助だ、彼女がいたのか? と聞かれれば、悲しいかな年齢=彼女いない歴。


 ……ではなかったりする。

 高校時代に付き合っていた彼女がいたのだが、卒業と同時に彼女は自身の目標の為に海外へと旅立ってしまった。そのため疎遠となり、結果的に自然消滅してしまった。

 熱が冷めていなければ、こまめに連絡を取りあったりしたのだろう。頻繁なやり取りは最初の頃だけだ。一年も過ぎれば閑古鳥が鳴いていた。


 もっと恵助が、自分からまめに連絡を入れれば違ったのかも知れない。

 しかしいざ連絡をと思っても、あまりの緊張からメールの送信ボタンが押せない。ハガキをポストに投函できないetc...。

 異性に自分の感情を表現するのがいささかどころではなく物凄く苦手な恵助には、高難易度のミッションも同然だった。

 これならばマシンガン片手に、ゾンビに追い駆けられるゲームの方がまだ心臓にいい。


 そんな自分が泣いている女性を慰めるなどどこの特殊任務だ! と言いたくもなる。だがしかし、ここで彼女を放置しておけるほど図太い神経をしているわけではなく……。恵助はちらりと彼女を見た。

 彼女は自分の指定席だった淡いピンク色の椅子に腰掛けて、この世の終わりのような絶望感を漂わせひたすら泣いている。もともと影の薄い()だ。このままでは本当に消えかねない勢いだ。

 諦め半分に深い深ーいため息をついて、恵助は荒っぽく頭を掻く。履いていた健康サンダルを乱雑に脱ぐと、恵助は覚悟を決めて彼女――楓に声をかけた。



「楓さん、いったいどうしたんですか? こんなところで」



 彼にとっては長い時間(戦い)の始まりだ。

 マンガの続きが早く読みたいのに! 等と思っても、おくびにも出さない。恵助は神妙な顔付きで彼女の隣に座った。



(めぐみ)ちゃぁぁん! 聞いてよぉ!」

「……恵助です」



 相手が泣いていようが訂正すべき所はしっかり指摘する。

 わんわん泣いて恵助にしがみつく彼女、楓は2階8号室に住んでいる。

 若い子よろしく、緩いウエーブに茶色に染めた髪。ぱっちりとした眼が印象的な子だ。その眼は今は赤く腫れている。ベージュのワンピースにカーディガンは、彼女のお出かけ用(・・・・・)の服だ。


 その格好を見て、恵助は僅かに目を開いた。

 ここ最近は住人が対応していたため、この日を失念していた。



(今日は十八日……。すっかり忘れていました)



 今日は彼女にとって忘れられない日でもあり、この行動の理由でもある日。

 大切な日で、そして最悪の日。

 どうしてそんな日を忘れていたのか? この日だまり荘管理人(・・・・・・・・)としてあるまじき行為だ。


 とつとつ話し出す楓を見て、恵助は苦い顔になる。

 管理人になる恵助に、祖父から渡された膨大な管理人日誌。今までにこの日だまり荘に住んでいた、また住んでいる者達が書かれている記録。

 自分はさんざん読んだじゃないか。



「でね、彼ったらもういい! って、言って出てっちゃったの」

「はい。出て行ってしまったんですね。でも、ケンカしてしまったんですよね?」

「そう。ケンカしちゃったの……」



 か細い声でそう言うと、楓は目に涙を溜め嗚咽を漏らす。

 もともと8号室は、彼女ともう一人で借りたものだ。もう一人は将来を誓った相手。婚約中の恋人同士が、結婚するにあたり探していた新居。住まいを見つけたら籍を入れ、ささやかながら式を挙げる。

 二人共照れながら言ったのだろう。祖父の日誌に、賃貸契約を結ぶ。の文字と、微笑ましい光景だ。と短く一言書かれていた。


 楓達がこの日だまり荘に住み始めてから、三ヶ月経った頃らしい。

 あの日の日付は十八日。

 時間は夕暮れ時だった。8号室から突然怒鳴り声がし、投げた物が割れるような音が何度も響いた。楓が何か叫んですぐ、部屋の扉が勢い良く開いた。扉から出てきたのは婚約者の男。男は足早に歩き出すと日だまり荘を出て行った。それから少しして、楓も後を追って部屋を出た。


 ベージュのワンピースに、カーディガンを羽織った姿で。

 そしてこの騒ぎで様子を見に管理人室を出た祖父に会う。めかしこんだ格好で楓がボロボロ涙を流す姿に、祖父は結婚に関することで何かあったのかと思ったらしい。


 楓は「ケンカをした」と短く答えた。

 だから祖父はこう言った。


「自分が悪いと思うのなら、謝ればいい。多分、婚約者さんはまだ遠くには行っていないだろう。相手の方が悪くても、きちんと話し合ったほうがいい」


 楓は小さく頷くと、彼の後を追って外へ向った。

 そんな楓の背中に、


「もう暗いんだから、周りに気を付けて行くんだぞー。見つかんなかったらすぐに帰って来るんだよー」


 祖父はそう言って、


「はーい」


 楓の返事が遠くから返ってきた。けれどその日、日付が変っても楓は帰ってこなかった。


 ――翌日、まだ夜も明けない時間に、祖父は電話で問い合わせに来た警察から、彼女が亡くなった事を告げられた。

 楓は事故で亡くなった。婚約者を追って、周りをよく見ずに反対車線に渡ろうとしてトラックに轢かれたそうだ。警察からの報告はこうだった。自殺、では無いらしい。その時間帯、同じ歩道にいた人達が皆一様に、楓が誰かを探しているようだったと、言ったからだ。


 その時祖父は思ったそうだ、止めるべきだったと。

 いくらその場は落ち着いたように見えても、頭が冷静でいられるかと考えれば、容易に分かるはずだった。


 楓は実家で荼毘に付される事になった。彼女の両親の計らいらしく、彼女の乗った車は日だまり荘の前を通った。無言の帰宅だった。祖父と当時姉妹のように親しかった住人が、葬儀に参列した。

 住む人のいなくなった部屋は、散らかったままだった。部屋の荷物は、ある程度落ち着いたら家族が引き取りに来る事になり、婚約者の男は消沈した様子で、自分の荷物を片付けにきていた。


 そして――喪も明けぬ数日後、楓は、いつもと同じように帰って来た(・・・・・)



「管理人さん、暇会のみんな。ただいま。ちょっと帰ってくるのが遅くなっちゃった」



 そう明るく言うと彼女は、自分の部屋へと帰って行った。荷物は半分に減り、今は誰も居ない部屋へ。

 酷く希薄な存在を見せる背中に、誰も何も言えなかった。


 祖父の心残りの一つ。

 もう三十年以上前(・・・・・・)から繰り返されている現象。

 まるで暗示にでもかかったように、十八日になると繰り返される行為。


 十八日だけの、8号室の住人。


 現在8号室には、別の人が住んでいる。もちろんその住人に楓の事は話してあるし、本人も了承した上で入居している。



「大丈夫ですよ。きっと婚約者さんは、冷静になるために外に出たんじゃないんですか? ほら、頭を冷やしてくるって言うでしょ」

「頭を冷やす?」

「そう。だから楓さんは部屋に戻って、婚約者さんが帰ってくるのを待ちましょう。ね?」

「彼、もう帰ってこないかもしれない。私、酷いこと言っちゃったんだもん」



 潤む瞳を隠すように、楓はハンカチを押し当てる。



「そんな事はありませんよ。男って言う生き物は案外単純でしてね、冷静になると、なんて恥ずかしい事してんだろ。って思うこと結構あるんですよ」

「恵ちゃんもそう思うことあるんだ」

「昔彼女とケンカした時思いました。大声で怒鳴ったりして大人気なかったなと」

「……恵ちゃん、彼女いたんだ」

「物凄く意外な顔するの止めてくれません? これでも昔はいたんです」



 そう言いながら、恵助は真面目な顔で何度も頷いた。暫らく呆けた顔で恵助を見ていた楓だが、やがて小さく噴出すとクスクスと笑いだした。



「はい。いくら意外でも笑うのは無しです」

「ぷっ、ふふっ……。ご、ごめんねっ。だって、本当に意外だったから」

「……まぁ、悪気が無いのは分かってますけど」



 まだ大学を卒業する前、合コンや飲み会の話の時に、仲間内で良くあった光景だ。最初の頃は、いかにも彼女がいなそうな外見にそれだけ見えるんだと、半ば驚いてもいた。付き合いが長くなるにつれ、煩わしい反応になってきたが。

 あの時特に親しくしていたメンバーの顔を思い出し、恵助は思わず頭を振った。

 ひとしきり笑って、楓はようやく治まってきたらしい。肩を小さく動かして、呼吸を整えていた。目に涙を溜めているものの、その表情は晴れやかだ。



「……うん。私部屋に戻るわ。彼を待ちながら片付けでもしてる。部屋、すんごい事になってるから」

「ええ。それがいいですね。外はもう暗いですし、それに女性の夜道の一人歩きはお勧め出来ません」

「わぉ。恵ちゃんやさしー」

「ただ思ったことを素直に述べたまでです」

「照れてる照れてる」



 ちゃかすように楓は指先でツンツンと恵助の腕を突付いた。ごまかしたつもりなのか? 恵助は軽く咳をすると、慌てたように玄関扉を見る。外は既に暗く、街灯の明かりがその存在を主張していた。

 恵助は視線を戻そうとして、視界に入っていたものの違和感に気付き思わず二度見する。街灯の明かりから僅かに外れた場所にある、黒い影。それも人の形だ。その影の腕が、暗闇に不釣合いなほど真っ白な百合の花束を抱いていた。

 百合の花は、僅かに風に揺れていた。



(……うん。とりあえず今は関わるのよそうか)



 そう決めるや否や、恵助はその場は見なかったことにして楓に向き直る。そして楓が部屋に戻れるように、軽く背中を押した。



「ちなみに、壁や柱に畳、傷、付いていたら修繕費徴収しますからね」

「えぇーっ! うっ、恵ちゃん良い笑顔!」



 清々しいほどの笑顔の恵助と、その反対に見るからに嫌そうな顔の楓。それでも思わずこぼれる楓の笑みを見て、恵助は僅かに頬を緩める。

 ついさっきまで楓が出していた、あの暗く重たい空気は今は無い。明らかに軽くなった足取りと、ほんの少し光を纏いだす身体。



「さ。修繕費がどの位になるか、まずはご自分の目で確認しておいて下さい」

「うぅ。こう言う時の恵ちゃんって、容赦ないんだから。そんなんじゃもう彼女出来ないからね!」

「ご心配なく。半ば諦めてますので」



 冷めた恵助の反応に呆気にとられ、それから毒気が抜けたように息をはいた。ふっと肩の力を抜くと、楓はくるりと恵助に背を向け歩き出した。

 一歩一歩進むたびに、薄くなっていく楓の身体。確かに存在していながら、今に生きてはいない姿。


 ――十八日の幽霊。


 恵助は時計の針を見る。彼女が日だまり荘を飛び出した時間は当に過ぎた。その事にホッと胸を撫で下ろす。



「……管理人さん(・・・・・)ありがとう」



 不意に耳に入った楓の言葉に、恵助はすでに姿の見えない廊下を見た。

 毎回、引き止めると言われる言葉。それで恵助の表情が明るくなる訳ではない。どこか納得できないような顔で、天井を見上げ髪を掻き上げる。



「〝ありがとう〟なんて、言われる理由は無いんですけどね」



 結果的に、自分は彼女を救った訳ではないのだから。感謝されるとしたら、それは彼女が未練を手放した時だろう。

 だから、どれだけ繰り返し感謝されても、虚しいだけだ。それは、自分が彼女を止めるために吐いている言葉も同じだ。

 少ししてから聞こえてくる扉の開閉音。どうやら楓は無事に部屋に戻ったらしい。これで今日はもう、何も起こらないはずだ。


 彼女が部屋へと戻ったのを確認した途端、どっと疲れが押し寄せてきたようだ。肩を解すように大きく伸びをして、もれてくる欠伸をかみ殺す。少しだけ休もうと、恵助はだらしなくパイプ椅子へと腰を下ろした。

 夜間、玄関は人目を避けるため、カーテンが引かれている。恵助が帰って来たとき元に戻さなかったため、今は半分開け放たれた状態だ。曇りの無いガラス越しに、普通の世界がそこにあった。――一部を除いて。

 軽く背をそらせた状態で外を眺めれば、まだあの影と百合の花束はそこにいた。どうやらあの花束の御仁、中に入るのを躊躇っているらしい。何を今更な。と恵助は思った。何しろ今までの数々の行いに比べたら、あの花束など兎の如く可愛いものだ。


 暫らく横目に見ていたが、どうにも入る気が起きないらしい。だからと言って、恵助が「中に入れ」と言う気も無い。そこまで優しくしてやる義理も無い。……一応は。

 なにしろあの御仁、家賃滞納常習者。現在三ヶ月分の家賃未払いだ。滞納理由は分かっているし、後れはするものの何やかんやで支払っているので、恵助としては追い出すのを躊躇う。


 それに――ここを出れば、彼が……いや、ここの住人の殆どが、新しい住まいを探すのは至難の業だ。

 それが分かっているからこそ、ぞんざいな扱いはするものの「出て行け」とは言わない。

 滞納が嫌なら、職を変えろと言いたい所だが、彼の場合はそうも行かない。


 まったく難儀な立ち位置を選んだものだ。……それでも、彼が自ら選んだのならば、外野がとやかく言うべき事ではない。

 呆れとも感心とも取れる顔で、揺れる百合の花束を見る。百合を大量に扱う仕事か? 今回は一体何を頼まれたのやら。きっと買いに行った花屋の店員は、さぞ驚いたことだろう。



(まさか、花束持っているのが恥ずかしいんですかね? このおんぼろ下宿の前にリムジン止めやがった輩が……)



 あの時は一騒動だった。その時の光景を思い出して、思わず眉間に皺が寄る。

 テーブルの上にあるコンビニの袋を見やり、もういっそここでマンガを読んでしまおうか。半ば自棄になった状態で手荒に雑誌を取り出す。手にずっしりと来る重さ。分厚い雑誌を恵助はパラパラとめくり出す。カラーで紹介している新作ゲームや映画情報に興味は無い。自分が好きな作品から読むのが彼の主義だ。

 外にいる御仁の事などすっかり忘れ、恵助はマンガに没頭した。



「何をやっている、(めぐみ)



 マンガを粗方読んだ頃か? 大量の呆れを含んだ声に、恵助はマンガから視線を外した。

 恵助が視線を向けた先には、まるで一昔前の時代から来たような格好の青年が一人。

 白いスタンドカラーのシャツを中に着こんだ袴姿に、艶のある長い黒髪を後ろで一つに纏めている。


 ……そして、肩にフクロウが乗っていた。因みにこのフクロウ、例の8号室の住人のペットで名前は京一郎と言う。どういう訳か、右京とこのフクロウは馬(この場合は鳥か?)が合うらしく、よく一緒にいる。

 青年は細身のフレームの眼鏡を指先で軽く持ち上げると、ワザとらしく位置を直した。



「………………恵助です。こんばんは、右京さん」

「……随分間があいた割に言う事がそれか。まあ、見れば分かるから質問に答えなくていい」

「そうですね。マンガ読んでるだけですし」

「――楓の相手をしたのはお前か?」



 脈略の無い唐突な質問と、切れ長の目で鋭く睨まれ、恵助は思わず緊張する。アパートの住人で普段からこう言った目を見せるのは、恐らく彼だけではないだろうか?

 少なくとも記憶の中でこんな鋭い目付きが出来る住人を、恵助は彼以外に知らない。



「はい。うっかりしてました」

「そうか。いい加減逝かせてやればいいものを。お前も大概だな」

「そのセリフ、そっくりそのままお返ししますよ」



 逝かせてやればいい。そう言いながら彼は、逢えば毎回楓を引き止め部屋に戻すのだ。

 毎回の事に辟易している訳ではない。ただ、死してなお、留まる場でない事を彼は知っているだけ。そして楓も、自分が死んでいる事に恐らく気付いている。けれどもここへ戻ってきてしまう。

 彼女の未練は、一体何だ?


 相手を凍りつかせるかのような視線を、瞬き一つで右京は消し去る。そしてゆっくり玄関を、正確に言うならその外を見た。

 一気に眉間に皺が寄ったのは、恵助の気のせいではないはずだ。



「で、アイツは何をしているんだ?」

「百合の花束持って立ってます」

「そんなことは見れば分かる。私が訊きたいのは、何故そんな状態でいるかだ」



 寧ろそれはこちらが訊きたい。心の中で恵助は呟く。



「知りません。仕事なんじゃないですか? 家賃の滞納、やばいですし」

「定職と言う言葉を教えてやりたい」

「では、是非右京さんに教鞭をとって頂きたく思います」



 恵助はマンガ雑誌を袋に戻しながら、右京は壁際に置かれている止まり木にフクロウこと、京一郎を止まらせながら言った。話題の本人が聞けばどちらも言っていることは辛辣だろう。恵助に至っては、アパートの管理者としてはあるまじき他人事のような一言だ。

 京一郎を定位置に置くと、その時、きちんと枝を掴んでおけ。と自然と言っていたことを恵助に聞かれつつ、右京はさっさと玄関扉へと向う。

 木枠の取っ手に手をかけ、ガラリと扉をスライドさせながら、



「いい加減中に入ったらどうだ。不審者」

「不審者は止めてください! 心の底から!」



 遠慮も何も無い右京の呼びかけが夜道に響き、声をかけられた人物は悲鳴に近い反応をしながら、勢い良く玄関の中へと駆け込んで来るのだった。


 そんな光景が半ば日常的になっているのが、この日だまり荘である。


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