表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
居候はエルフさん  作者: ムク文鳥
第5章
39/55

イニシャルはGですか?

 午後四時を少し過ぎて。

 濡れた髪も乾ききらぬまま、康貴たちはプールの横でテントを張って営業している出店で思い思いのものを買い込み、その横に設置してあるベンチに腰を下ろして食べていた。

「ふわぁ、これ、美味しいですねぇ」

 エルが出店で売られていた焼きそばを一口食べ、幸せそうな顔をする。

「そうなのよねぇ。こういう所で食べる焼きそばって、どういうわけかいつも以上に美味しく感じるのよねぇ」

 エルと同じようにパックに入った焼きそばを食べながら、あおいが同意を示す。

「そりゃあ、一時から三時間近く泳いでいたから腹も減るってもんだ。腹が減れば、何を食べても美味く感じるさ」

「空腹は最高のスパイス……って奴か?」

 隆と康貴は揃ってフランクフルトを齧っている。

 彼らの傍らには各々好きな飲み物が。もちろん、例の競泳のペナルティで隆が奢ったものだ。

 そうしていると、突然エルが抱えていた焼きそばのパックを脇に置き、ペットボトルのお茶を慌てて喉に流し込む。

 びっくりする康貴たちの前で、エルはお茶を半分ほど一気に飲み干すとようやくふぅと一息吐いた。

「どうしたんだ、突然……?」

「そ、それが……」

 涙を浮かべたエルが箸で摘み上げたのは、焼きそばのパックの脇に添えられていた赤い物体。

「綺麗な赤色で美味しそうだったので、纏めて食べたんですけど……そしたら突然、鼻につーんと来て……」

「そりゃあ、紅生姜だもの。纏めて一気に食べたらそうなるわよ」

「べ、ベニショウガ……?」

 目に涙を溜めながらも、エルは摘み上げた紅生姜を凝視する。

「ああ、家じゃ紅生姜は使わないからな。エルが知らなくても無理はないなぁ」

 そう言う康貴を余所に、エルはじーっと摘み上げた紅生姜を見つめていたが、その内にそっとそれをパックの片隅に戻した。

「うぅ~……私、このベニショウガってのは苦手みたいです……」

 形の良い眉をきゅっと寄せながら、エルがぽつりと呟いた。




 夕方になったとはいえ、まだまだ気温は高い。

 そんな気温の中を自転車で走れば、直前までプールで冷やされた身体もあっという間に汗を吹き出す。

 バイパス瀬戸大府線を岩崎方面から日進駅方面へと走ると、浅間北の交差点から折戸寺脇の交差点まで長大な登り坂が待っている。

 いくら年齢的に最も体力のある康貴たちも、この坂を自転車で登りきりのはきつい。それに加えて、今日は数時間も水の中で遊び続け、体力を著しく消耗しているのだ。

 康貴たちは無理をせず、坂は自転車を押しながらのんびりと歩いて登ることにした。

「……暑い……早く家に帰って、シャワー浴びたい……それか、どこかで冷たいものが食べたい……」

「さっき、ぷーるの横で冷たいお茶を飲んだところですよ? でも、本当に暑いですねぇ……」

 あおいが力なく呟き、エルがそれに応じる。

 並んで歩く二人を後ろから見ながら、康貴は嬉しげに微笑んだ。

 エルとあおいが、まるで長年の親友のように仲がいいことが嬉しいのだ。

 こちらの世界に突然現れたエル。そのエルと一番最初に対面したのは康貴だが、同性ではあおいは一番最初に出会ったことになる。

 やはり、同性同士だと気楽に付き合えることも多いのだろう。エルにとってあおいの存在は、こちらの世界で生活する上での支えの一つに違いない。

 エルと出会った当初、一番最初にあおいに相談して本当に良かった、と康貴はつくづくそう思う。

「康貴ー、隆ー、どこかで休憩していかないー?」

「もう今日は止めた方がいいと思うぞ、あおい。それから、俺と康貴以外の男にそんな聞き方するなよ! 変な誤解をされるからな!」

 自分の発言がどのような誤解を招くかを悟り、あおいの顔が見る間に真っ赤に染まる。

「ば、馬鹿っ!! そんな意味で言ったんじゃないってばっ!!」

「僕たちは分かっているけど、僕たち以外だとどう取るかは分からないから気をつけた方がいいって、隆はそう言いたいんだよ」

「そうそう。それから、男が運転する車の助手席に乗っている時に、『眠い』って言うのも誘い文句だと思われるからな?」

「男の人の車の助手席に乗る機会なんて、お父さんの運転する車ぐらいだから大丈夫よっ!!」

「それもそうだな」

 ひょいっと肩を竦める隆。それを見て康貴が笑い、堪えきらなくなったという感じで隆も笑い出した。

 そして、そんな二人を見ていたあおいも笑い出し、三人は足を止めて屈託のない笑い声を上げる。

 ただ一人、エルだけがきょとんとした顔で笑う三人を見つめていたけど。

「あ、あのー、三人ともどうしたんですか? それにさっきのアオイさんの言葉、どこかに誤解されるようなところがありました?」

 こくん、と不思議そうに首を傾げているエル。「ご休憩」という言葉に隠語のような別の意味があることは、現代の日本人でなければ分からないことなので仕方がないだろう。




「ただいまー」

 玄関の鍵を開けて、一歩家の中に入る。

 エルは誰もいない家の中に向かって、返事が帰ってくるはずもない帰宅の挨拶をしていた。

 だから康貴は、エルの背後からその挨拶に応じてやる。

「お帰り、エル。僕もただいま、だ」

「はい。お帰りなさい、ヤスタカさん」

 二人は照れたように笑い合うと、家に上がってリビングを目指す。

 今、二人の手には途中のスーパーで買い込んだ今晩の夕食用の食材がある。まずはこれを片付けねば、ゆっくりと腰を落ち着けることもできない。

 買ってきた食材を簡単に整理し、すぐには使わない物は冷蔵庫に収納する。

 その後、一休憩してから康貴は夕食の準備に取りかかり始めた。

「何かお手伝いすることはありますか?」

「じゃあ、材料を切るのを頼む」

「分かりました」

 エルは自分用のエプロンを装着すると、キッチンで康貴と並んで包丁を握る。

 元々、彼女は料理はできる方なのだ。ただ、こちらの世界の調理器具や調味料などに不慣れなだけで、それさえ慣れてしまえば問題はない。

 最近ではこうして、康貴と一緒に料理をするぐらいにはこちらの料理にも慣れてきているし、時には一人で料理をすることさえある。

 それに何より、エルにとっては康貴とこうして肩を並べて同じ作業をすることが楽しくて仕方がないのだ。

 今も鼻歌混じりに楽しそうに包丁を操っているエル。そんな彼女の隣で作業する康貴は、微笑ましそうに横目でエルを見つめていた。




 夕食を食べ終えた後は、康貴、エルの順番で入浴する。

 今はエルが風呂に入っており、康貴はリビングでTシャツと短パンという夏の寝間着スタイルで、冷たいお茶を飲みながらテレビを見ていた。

 しばらくそうしていると、とたたたたっという軽い足音。どうやら、風呂から出たエルが小走りでこちらに向かっているらしい。

 そして、がちゃりと開かれるリビングの扉。

 そこから入ってきたのは、ちょっと興奮した様子のエルだった。風呂上がりのエルも、淡い緑の半袖と七分丈の生地の薄い夏用のパジャマ姿だ。

「ヤスタカさん! お風呂場に見たこともないムシがいました! なんか平ぺったくって黒くてツヤツヤして長いヒゲのやつです! これって何て名前のムシですか?」

「げっ!!」

 嬉しそうにエルが差し出したものを見て、康貴は目を見開いて絶句する。

 なぜならエルの白くて細い指に摘まれているのは、俳句の夏の季語のもなっている「台所の黒い悪魔」またの名を「イニシャルG」だったからだ。

 康貴の家はお世辞にも新しいとは言えない古い家だ。「イニシャルG」がいても不思議ではない。

「は、早くそれを捨てろっ!!」

 慌てる康貴を見て、エルも自分が持っている虫が普通の虫ではないことを悟る。

「え? え? ま、まさかこのムシ……ど、毒虫ですかっ!?」

 康貴の様子からこの黒い虫が毒を持っていると勘違いしたエル。摘んでいた「G」を、彼女は熱いものに触れたかのように慌てて離してその手を引っ込めた。

 だが。

 慌てて手放した「G」は、緩やかな弧を描いてエル自身の方へと空中を移動する。

 そして。

 夏用のエルのパジャマは、ちょっとゆったりとしており襟元に結構な隙間があった。

 つまり。

 空中に放り投げられた「G」は、丁度良い隠れ場所とばかりにすっぽりとエルの服と肌の隙間へと潜り込んでしまったのだ。

 途端、顔を青ざめさせるエル。毒を持っていると誤解した虫が、服の中に潜り込んだのだ。彼女としてはじっとしていられるわけがない。

 ひっ、とエルの唇から小さな悲鳴が零れ出る。

 だが、そこはエルも冒険者。最初こそは驚きを見せたものの、すぐに冷静になって行動へと移る。

 エルはその場で素早くパジャマのボタンを全て外して全開にすると、パジャマの上着をばたばたと揺らす。それに驚いてリビングの床に落ちた「G」を、手近にあった雑誌でぱんっと叩き潰した。

「ふぅ。何とか毒虫は退治しましたよ、ヤスタカさん。もう大丈夫です」

 一仕事やり遂げた清々しい顔で、エルは康貴へと振り返った。

 だが、その顔はすぐに不審そうなものへと変化する。

 康貴へと振り返ったエルは、なぜか彼が真っ赤な顔で自分の顔を凝視していることに気づいた。

 いや。

 彼が見ているのは自分の顔ではない。どうやら顔よりも少し下のようだ。

 そう感じたエルは、慌てて自分の胸元を確認する。もしかすると、毒虫の毒針か何かが刺さっているのかも知れない。

 そして、彼女はそこに見る。小振りながらも形の良い二つの膨らみと、その頂にちょこんと乗っかっている二つのピンク色の小さな果実を。

 エルの顔が、一瞬で康貴に負けず劣らず真っ赤になった。

「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!!」

 今の自分の格好を自覚したエルは、思わず悲鳴を上げてばたばたとリビングを飛び出して行く。すっかり見えてしまっていたその双丘を、しっかりと両腕で隠しながら。

 まるでどこか他人事のように、飛び出していくエルを呆然と眺めていた康貴。

 彼はふと我に返ると、エルが雑誌で潰した「G」の残骸の後始末に取りかかる。

 ティッシュを何枚も箱から抜き取り、黙々と重ね合わせたそれで潰された残骸を取り除く。

 残骸を片付けながら、彼は心の片隅でほんの少しだけこの「G」に感謝を捧げた。

 この世に生まれてから十六年。彼が「G」に感謝の念を抱いたのは、この時が初めてだった。


 ぽたり、とフローリングのリビングの床に、赤い滴が一滴零れ落ちた。


 『エルフさん』更新。


 水着披露の後にちょっとしたサービス。うん、何か急にこんなのも書いてみたくなったんだ(笑)。

 最後の方の元ネタは、以前に聞いた話から。

 北海道から就職や進学などで本州に出てきた人が、下宿先で見たこともない虫を捕まえて飼ってみたそうです。

 それを友人に話し、その虫を見せたところ……その虫の正体は例の黒い悪魔だったとか。

 北海道って寒すぎて一般家庭には黒い悪魔はいないそうです。今でもそうなんでしょうかね?


 では、これからも『エルフさん』をよろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ