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居候はエルフさん  作者: ムク文鳥
第2章
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独り寝は恐いですか?

 愛知県日進市。

 人口約8万人、世帯数約3万2千世帯。

 西は名古屋市東部に、東は豊田市に隣接する。

 面積は約34平方キロメートル。標高37メートルの日進市役所を中心に、周囲を標高50メートルから160メートルの丘陵地により形成されている自然豊かな町である。

 戦国時代には徳川、豊臣両雄が雌雄を決すべく合間見えた天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」の緒戦となった「岩崎城の戦い」の地としても有名であり、明治22年に市制町村制施行により14カ村が統廃合され「香久山村」「白山村」「岩崎村」の三村が誕生。その後39年にはこの三村が合併して「日進村」となり、現在の市域が形成されることとなる。

 更には昭和33年に町制施行により「日進町」となり、大都市名古屋に隣接していることから40年ごろから急速に宅地開発が進み、大学・短大なども数多く立地し、快適な環境を持つ住宅都市として、また、学園都市として現在も発展を続けている。

 平成2年の国勢調査で人口が5万人を突破し、これにより平成6年10月1日に市制施行され「日進市」となった比較的新しい町でもある。

 そんな日進市の現市長、(はぎ)()(こう)(いち)は48歳と若いながらも三期連続で市長を続けるベテランである。

 そんな萩野市長の日頃の悩みは、今後の日進市の行く末にあった。




「何か……何かないものですかね? こう、ぱーっと我が日進市の名前を全国規模に押し上げ、かつ、どーんと高い経済効果の見込めるような材料は」

 身長183センチ、体重70キロのすらりとした体型で、中年ではあるが極めて整った顔立ちは、市民の主婦層にとても人気がある。

 きちんと整えられた濃い茶髪。きりっとした知的な印象の黒瞳。古くは尾張藩に繋がる名家の生まれで、地元では資産家としても名高い。

 その萩野市長は日進市の市役所の会議室の一つで、市議たちと共にこれからの日進市の行く末について議論を交わしていた。

「そうは言っても……我が町にはこれといって有名なものがありませんからな」

「隣接する名古屋や豊田ならば、まだ全国的に知れたものがあるのですが……」

 日本人ならば、「名古屋」や「豊田」という町の名前を一度は聞いたことがあるだろう。

 全国屈指の大都市の一つでもある名古屋市。古くは尾張藩として徳川御三家の一つとして数えられた、歴史ある街である。

 豊田市もまた、日本が誇る世界的自動車メーカーである「トヨタ」が本社を置く町である。

 それらの意味からでも、名古屋や豊田という名前を聞いたことのない者は、極めて少ないに違いない。

 ただ、その名古屋市や豊田市が「愛知県」に属することを知っている者は、これが意外に少ないのだが。

「流行に便乗して作ったゆるキャラも、いまいち知名度は上がりませんでしたしねぇ」

 会議室に集まった市議の一人がぽつりと呟いた。

 昨今の「ゆるキャラ」ブームに乗っかろうと、日進市でも独自のゆるキャラを考案したのだが、これが予想以上に知名度が上がらなかった。

 日進市を流れる天白川の上流に住む龍の化身である「にっしー」というゆるキャラでは、どこぞの鎧を着た猫や黒くてほっぺたの赤い熊ほどの経済効果は到底見込めないだろう。

「どこかからいきなり現れてくれないものですかね? こう、一気に我が日進市を有名にしてくれる救世主のような存在が……でも、どうせ現れるなら、可愛い女の子がいいですね。その方がいろいろと受けが良さそうですし」

 そう言いながら、萩野市長は会議室の窓の外に広がる、日進市の街並みを眺める。

 それはその日進市に、異次元からの来訪者が流れ着く一日前のやり取りであった。




 隆とあおいが康貴の家を後にしたのは、翌日の日曜日の夕方だった。

 明日は月曜日であり、学生である彼らには当然学校がある。

 もしもこれが夏休みなどの長期休暇中であれば、彼らはもう二、三日は康貴の家に泊まり込んでいただろう。

 あおいと隆が帰った後、康貴は夕食の準備に取りかかる前に軽く掃除をすることにした。

 四人で一日以上も騒いだのだ。リビングのあちこちには色々と細かなゴミが落ちていた。

 階段下の収納スペースから掃除機を取り出し、それを持ってリビングに戻ると早速エルが興味津々な眼差しで近づいて来る。

「ヤスタカさん! それもカデンセイヒンってやつですね!」

 どうやら彼女、こちらの世界の家電製品がいたくお気に召したらしい。

 なんでも、向こうの世界の魔法具(マジックアイテム)に通じるものがあるとか。

 もともとエルは魔法具に対して強い興味を持っていて、いろいろな魔法具に触れたり入手したりするために冒険者となったそうなのだ。

 そんなエルにとって、こっちの世界は魔法具に溢れた夢のような世界でもあるらしかった。

「待ってくださいね。これがどんなカデンセイヒンなのか言い当てて見せますから……言っちゃだめですよ?」

 しげしげと掃除機を見つめるエル。彼女のそんな様子を見守りながら、エルの言うことも一理あると康貴は考える。

 もしもこの時代に江戸時代の人間がいれば、世に溢れている様々な電化製品の殆どは、奇天烈で摩訶不思議で理解できないもののはずだ。

 エルにしてみれば、魔法具も家電製品も大差ないのだろう。違う点といえば、消費するものが電力か魔力かの違いだけ。

「分かりました! これはきっと『(すい)(れい)の水瓶』に近いものだと思います!」

「『水霊の水瓶』?」

「はい。取水口となる部分を水源に沈めておくと、対となる水瓶の方に無限に水を供給してくれる魔法具です。つまり、既にどこかに取水口は沈められていて、この太くなっている部分に水が溜まり、この細長い方へ流れ出る仕組みじゃないですか?」

 そう言いつつエルは掃除機のノズルを下に向けて傾ける。

「あれ? 水が出てきませんね……」

 ノズルの中を覗き込みつつ、エルが不思議そうに首を傾げた。

 そんなエルを微笑ましく思いつつ、康貴は掃除機から電源コードを引き出してコンセントに差し込む。

「これは水は関係ないぞ。そもそも、エルは僕が水を使って今から何をすると思ったんだ?」

「だってヤスタカさんが掃除をするって言っていたので、てっきりモップがけをするために水が必要かと思いまして……あ、そ、そういえば、そもそもこの部屋にもスイドウという魔法具がありましたっけ……」

 赤塚家のリビングには対面式のキッチンがあり、当然そこには水道がある。そのリビングにわざわざ水を供給する道具を持ってくる必要はない。

「さすがに日本の一般家庭でモップがけする所は少ないと思うぞ? こいつは掃除機。こうやって使うんだ」

 康貴が掃除機のスイッチを入れる。途端、掃除機独特の吸気音が響き、間近にいたエルはその音に飛び上がらんばかりにびっくりする。

「な、なんですかっ!? 突然すごい音が……っ!?」

 驚愕しつつも、エルの目は掃除機から離れることはない。なるほど、彼女自身が公言するように、魔法具に目がないというのは確かなようだ。

「こいつはモーターでファンを回して、ゴミや埃を吸い込むんだ」

 康貴は掃除機を操作して、床に落ちているゴミを実際に吸い上げて見せる。

「お、おおー。なるほど! 水の魔法具じゃなくて、風の魔法具だったんですね!」

 まあ、エルの言っていることもあながち間違いじゃない。掃除機は確かに風の力でゴミや埃を吸い込むのだから。

 尚も興味津々で掃除機を見つめるエルに、康貴は苦笑を浮かべながら尋ねる。

「もし良かったら、このままリビングの掃除をお願いしてもいいかな? エルが掃除してくれている間に、僕は夕食の準備をするから」

「え? この魔法具……じゃなかった、デンカセイヒン使ってみてもいいんですか?」

 嬉々とした表情で掃除機を受け取り、康貴に教えられたようにリビングの床を掃除していくエル。

 そんなエルを微笑ましく見守りながら、康貴は夕食の準備に取りかかるのだった。




 夕食も終わり、康貴もエルも順次入浴を終えた。

 二人はリビングのソファに腰を下ろし、冷やしたお茶を飲みながらエルが暮らしていた世界について楽しく語り合っていた。

 もちろん、エルに初めて冷たい紅茶を出した時、彼女が驚いたのは言うまでもない。

 これまでファンタジーを敬遠していた康貴だったが、こうしてエルから実際に異世界の話を聞くとやはり興味が湧いてくる。

 例えば、外国の話を聞いてその国に興味を持ち、実際にその国に行ってみたくなるように。

 それにエルの語る話題は、世界そのものが違うというレベルのものである。康貴には想像もつかないようなものが、エルの話の中にはいくつも転がっていた。

 特に驚いたのが空を飛ぶ魚の話であった。こちらの世界では絶対に考えられない生態系。まさにファンタジーだ。

 時には康貴やあおいたちの昔話を交えながらの楽しい一時。そうしている内に、いつの間にか時間は翌日の午前に突入していた。

「おっと、もうこんな時間か。明日は学校だし、そろそろ寝ないと」

「部屋の中が明るいから、今が夜だってことをつい忘れちゃいますね」

 二人は一緒にソファから立ち上がり、リビングを後にする。

 廊下の電気を点灯し、リビングを消灯。康貴の私室は二階にあり、その隣のかつて姉のものだった部屋をエルの部屋として提供した。

 康貴の姉は一年ほど前に結婚して家を出ていて、今は遠方の県で生活しており盆と正月ぐらいしか帰省しない。

 ちなみに、あおいと隆が泊まった昨夜は、エルとあおいがその姉の部屋で、康貴と隆が康貴の部屋で寝た。あおいが姉の部屋で、隆が康貴の部屋で寝るのは既に決まり事のようなものなのだ。

「じゃあ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 手前にある康貴の部屋の前で、挨拶を交わす二人。

 康貴はエルが手を振りながら部屋の中に入ったのを確認して、廊下の灯りを消して自分も部屋に入った。




 ベッドに入って寝入り、それほど経ってもいない頃。

 何となく目が覚めた康貴は、枕元の目覚まし時計で時間を確認した。

 覗いた時計のデジタル表示は午前三時少し過ぎ。寝入ってから二時間と少し経過していた。

 朝は六時前に起きれば十分間に合うので、あと三時間ほどは眠れる。そう考えた康貴がベッドの上で姿勢を変え、再び目蓋を閉じようとした時。

 康貴は部屋の中に、何かの気配があることに何となく気づいた。

「………………?」

 半ば眠っている頭で部屋の中を見回す。少し離れた所にある街灯の光が、窓の外から差し込むので部屋の中はある程度見通せる。

 そして康貴の目は、部屋の片隅にうずくまっているモノを捉えた。

「──────────っ!!」

 声にならない声を上げる康貴。この瞬間、眠気などどこかに吹っ飛んでいった。

 うずくまっていたモノは康貴が起きたことに気づいたようで、もぞりとその身を震わせるともそもそと康貴の方へと近づいて来る。

 ゆっくり。

 ゆっくり。

 まるで康貴の恐怖を煽るように、たっぷりと時間をかけて康貴のいるベッドまで這い寄って来たそれは、ベッドの間近まで来ると一気に康貴に飛びかかってきた。

 その途中、まるで脱皮でもするかのごとく、するりとそれは内側から小柄な影を産み落とす。

「…………ヤスタカさん……」

「え、エル……か……?」

 小刻みに震える華奢な身体と、湿りを帯びたか細い声。薄暗い中でもきらきらと輝く淡い金色(オフゴールド)の髪。

 飛びかかって来たのがエルだと分かり、康貴はほっと安堵の息を零した。

「ど、どうして僕の部屋にいたんだ?」

「…………そ、それが……暗い部屋の中で一人でいたら、あのことが思い出されてきて……そ、そうしたら急に恐くなって……」

 エルの言うあのこと。それは間違いなく、彼女の仲間たちが惨殺された件だ。

 昨日までは突然の異世界転移や、康貴やあおい、隆たちと共に騒いでいたので一時的に忘れられていたが、こうして静かな夜に一人きりになり、あの時の恐怖がフラッシュバックしたのだろう。

「……それで、掛け布団をかぶったまま僕の部屋に来ていたのか……。それならそうと声をかけて起こしてくれれば良かったのに」

 幼子を諭すように優しく告げる康貴に、エルは彼の胸に埋めていた顔をようやく上げた。

 康貴は薄暗い光の中、エルの両の頬が涙に濡れていることを見て取る。

「……だって、寝ているヤスタカさんを起こすのは悪い気がして……それに、明日は朝早くからどこかへ出かけるって言っていましたし……」

「馬鹿だな」

 康貴は微笑みながら、ぽんぽんとエルの頭を叩く。掌に当たる彼女の細くてしなやかな髪の感触が心地良い。

「泣いているエルを放ったらかしにしていた、なんてことがバレたら、僕の方があおいに怒られる」

「…………ヤスタカさん……」

 康貴を見上げるエルの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんで来た。

「ほら、一緒にいるから安心して寝ていいぞ」

「…………はい」

 エルは康貴に抱きついたまま、もぞもぞと体勢を変えると満足そうに目を閉じた。

 やがて安らかな寝息が彼女の口元から零れ始めたのを確認した康貴は、ふうと一つ大きな溜め息を吐く。

「…………こんな状態で眠れるわけがない…………」

 ベッドの上に上半身を起こした状態の康貴。その彼に丁度膝枕をしてもらうような格好で、エルが安らかな寝息を立てている。

 パジャマ越しに伝わる彼女の身体の柔らかさと、髪やパジャマと肌の間から漂うエルの甘い体臭。

 そして何より、暗がりの中で同じような年頃の女の子と二人きりという事実が、康貴から完全に眠気を奪い取ってしまっていた。


 『エルフさん』更新。


 前回まで当作の略称は『居候エルフ』でしたが、何となく語呂が悪いので『エルフさん』に変更(笑)。

 今後は『エルフさん』で行こうと思います。


 さて、今回より新章です。いつまでもエルフさんが異世界に驚いてばかりいても仕方ないので、少しずつ彼女を馴染ませていかないと。


 では、次回もよろしくお願いします。


 ※日進市に関する記述は、日進市のホームページを参考にさせていただきました。


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