ラーメン食べたい
「何でお酒の後ってラーメン食べたくなるんだろうね」
先輩は、盛大に音を立ててすすった大量の細縮れ麺を飲み込んでからそう言った。
「今こうしてラーメン食べてて美味しいけど、別に酔いがどうこうなってる気もしないし、何かアルコールに作用するわけじゃないよね」
「あー、何かむしろ麺に含まれるカンスイだか何とかって成分が肝臓の負担を増やすって聞いたことありますよ」
「あり、まじで? 何だろうねー私の身体の何がそんなにラーメンを欲するんだろうねー」
首を傾げながら、それでも先輩は箸を止めない。ちょっとつつけば切れるほどに柔らかくなった厚切りチャーシューを口に運び、咀嚼の途中で麺も口の中へと放り込む。幸せそうな顔でそれらを飲み込んでから一度口を開こうとしたものの、はたと視線をラーメンに戻してれんげでスープを二口三口。喉を鳴らして満足すると、今度こそ話し始めた。
「何かな、わかった。スープな気がする。スープを欲してるんだわ、私の身体」
「というと?」
「いや、何かこうな、味噌汁的なあれよ。欲しくなるでしょ? 味噌汁」
「じゃあ味噌汁でいいじゃないですか」
「そこはあれよ、ラーメンのが満足感と美味さが違うわけじゃない」
「んー、でもあれですよ、味噌汁はあさりとかしじみが入ってればオルニチンがアルコールに効くみたいなん聞いたことありますけど、ラーメンはやっぱり成分的には身体が欲してるわけじゃないんじゃないですかね」
「塩分が何かこうあれじゃないの、働くんじゃないの、アルコールに対して」
「うーん、確かにそんなイメージありますけどその辺細かいことよくわかんないですねえ。生理食塩水? ていうか、スポドリ飲んだら大変みたいな話もありますし、だいたい」
「あ、ごめん麺伸びちゃうからちょっと待って」
先輩は俺の言葉を遮ると、味玉の半熟状態の黄身にれんげでスープをかけてから一口でそれを味わい、その次はメンマに箸を伸ばした。ほどよい歯ごたえのメンマのコリコリと美味しそうな音が聞こえ、俺はいい加減我慢ができずため息をついた。しかし先輩がそれに気づく様子はなく、ズゾゾゾッといい音を立てて麺を掃除機さながらに吸い込んでいくので、俺はいい加減言ってやることにした。
「先輩、美味しそうにラーメン食べてるとこ悪いんですけどちょっといいですか?」
「ん? 何?」
「それ、俺のラーメンですから」
働き者だった先輩の手がピタリと止まった。しかし、それでも先輩は顔を俺に向けてわざとらしく首を傾げた。
「え? 何のこと? 私わかんにゃーい」
「わかんにゃいじゃねえよこの野郎」
「お、おおう、後輩がグレた……」
止まったままの箸の向こうには、スープまで綺麗に飲み干されたラーメン鉢が一つ。あれは味噌だった。
「一口だけって言うから渡したのに、一口どころかチャーシューも味玉も持っていきやがって。先輩とはいえタメ口になりますよ。俺だって怒りますよこの野郎」
「いや、ほら、とんこつも美味しくてさ、つい」
「ついじゃねえ」
俺は半分以上中身の減ってしまった自分のラーメンに両手を伸ばし、強引に自分のもとへと取り返した。先輩は「あーん」だか「ええー」だかと不満の声を上げたが、ひと睨みしてやると首を縮めてすごすごと箸もこちらに差し出した。
残り二口分くらいしかない麺の一口をよく味わって食べてから、それでも物欲しそうにラーメンを見つめる先輩に俺は呆れてもう一度ため息をついた。
「ていうか先輩、この時間にラーメン二杯とかやばいですよ。太りますよ」
「うぐっ……」
大げさに胸の辺りを押さえておどける先輩に、さらに言葉を浴びせる。
「脂肪が胸にいけばよかったんですけどねえ」
「ひうっ!?」
今度はわりと本気で効いたらしい。先輩は勢いよく顔を上げて、泣きそうな顔で俺を見た。流石に胸のことは言い過ぎた。そう思って俺は口をつぐんだが、先輩は暗い顔のまま俯いてしまう。
どうしよう。
残り一口とはいえラーメンを食べるわけにもいかず俺はオロオロするばかり。酒が入っているとはいえあまりにも浅慮だった。胸の小ささは本人も気にしていたはずだ。悪いことをした。
しかし、そう思って俺が謝罪の言葉を探していると、先輩がボソリと何かを呟いた。
「な、何ですか!?」
俺は慌てて耳を近づけた。すると、先輩は満面の笑みで顔を上げて、
「じゃあ、吐こう!」
そんなことを言った。
「消化しなけりゃ脂肪にはならないでしょー? だからさ、さっさとそれ食べてもう一軒飲み行こう! そんで吐こう! な!」
「いや、俺もう今日さんざん吐いたし、帰りたいんですが……」
「ええー? 帰っちゃうのー? 女の子にあんなひどいこと言っといて、帰っちゃうのー?」
「いや、あの、それはすみませんでしたが……」
顔を逸らしても先輩はニコニコと視界に入り、顔を覗きこんでくる。結局、その圧力に負けた。
「わかりました、もう一軒行きましょう」
「やったー! だから好きだぜお前さんよーう!」
どうせ後でトイレに流すことになるとはわかりつつも、俺は最後の一口を味わって食べた。
それから、ラーメン屋を出てすぐ入ったバーで、先輩はお洒落な空気を全く読まず俺にガンガン酒を飲ませた。予想通り、俺はトイレでさっき食べたラーメンと再開することになり、その辺からはもう記憶がなかった。
翌日、大学の講義をサボったことは言うまでもない。