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オーバードリーム  作者: 左ノ右
第一章 
5/14

1-4 璃々という少女


 その夜、璃々は二日ぶりの床に就いた。


 自分では疲れていないと思っていたのだが、思いの外疲れが溜まっていたのか、璃々はあっという間に深い眠りの中へと落ちてゆく。


 そして、その眠りの中で、璃々は一つの夢を見た――。


 最初に映し出されたのは、見た目がボロボロな服を着た六歳ほどの少女だった。


 少女は何かを探すように首をキョロキョロと忙しなく動かしていたが、やがて疲れたのか、誰も居ない路地で座り込んでしまう。


 その少女の瞳には生気が無く、まるで生きる希望を全て失ってしまったような、虚無の表情を浮かべていた。


 少女の様子を、上から俯瞰的な目線で見ている璃々は、思い出すように呟く。


(これは――わたしが今よりもっと子供だった頃の夢……確か、この時は――)


 璃々は、一瞬だけその時のことを思い出したく無いかのように言い淀んだが、思い直したように再び言葉を紡ぐ。


(そうだ――これはあの時の夢だ。まだIEM戦争が終わったばかりで、世の中が混乱していた時期――。この時のわたしは、お金が無くて貧しかった両親に捨てられて、でもその現実をまだ受け入れられずに辺りをあても無くさまよって、両親を探したけど見つからなくて、お腹も空いてきて、そしてこの場所で死んでしまうのだと本気で思っていた時――)


 当時のことを思い出したのか、見下ろす璃々の表情は重く、悲しげだった。


 路地の少し先には、人々が行き交う雑踏があったが、誰一人として璃々の存在に気付くものはいなかった。


 気付いたとしても、関わり合いになりたくないが為に見捨てる者、嘲笑を浮かべる者、気味悪がる者ばかりで、誰も璃々を助けようとはしなかった。


 そして、絶望する少女を誰も助けず、そのまま璃々が倒れてしまいそうになったその時――不意に声が聞こえた。 


「――ん? なんだ……子供か?」


 幼い璃々は、その声が自分を捨てた両親のものだと勘違いして急いで振り返る。


「――お父さんっ!?」


 だが、そこにいたのは、長身で銀髪の若い男だった。おそらく道に迷った旅人かなにかだろう。


 両親でないと分かると、璃々はガッカリしたようにうつむき、男を無視するように黙り込んでしまう。


「………」


 男はそんな璃々を一瞥し、ほんの一瞬だけ凄く驚いたような表情を浮かべたが、すぐに興味が無くなったという風に、路地から去って行った。


 そして、男が去ってからしばらくして、空腹で璃々の意識が遠くなりかけてきた頃に、男は再び璃々の前に現れた。


 男は、その手になにかを持っているようだったが、璃々はもうそれがなんなのかを確認することすらしなかった。


 そんな璃々を前にして、男はやや大げさな溜息をつくと、不意に璃々と目線を合わせるようにしゃがみこみ。


「――おいそこの子供。これをやるからその辛気臭い表情を止めろ」


 そう一方的に璃々にまくしたてると、小さな璃々の手に何かを持たせる。


「……?」


 突然のことにびっくりした璃々は、男をキョトンとした眼で見つめる。


「……まさか、それがなんなのかを知らぬわけではないだろうな? それはソフトクリームといってだな――まあ、平たく言えば食い物だ」


 男は、呆れた表情を浮かべながら璃々が持っているものを指差す。


 それが食べ物だと聞いた璃々は、一瞬眼を丸くすると、貪るようにソフトクリームを食べ始め、


「――っ…げほっ!」


 急いで食べた為なのか、むせて咳き込む璃々を見て、男は仕方ないといった風に、


「誰も取りはせんからゆっくり食べろ。私はそれをあまり食したことはないが、おそらくそれはそこまで急いで食べるものではない」


 そう璃々に諭すように言った。


 それを聞いた璃々は、今度はゆっくりと味わう様にそれを食べてみる。


 すると、急いで食べていた時には感じなかった甘味が璃々の口の中にじわりと広がり、そして、


「――おいしい……」


 思わず璃々はそう呟いていた。


「……フン。それは良かったな。だが、勘違いをするなよ子供。それは私からの施しではない、むしろお前はそれを食べたことを後悔することになる」


 男は、厳しい目で璃々を見つめながら言った。


「どういう……こと?」


 璃々は、男の言葉の意味が分からずに不思議そうな表情を浮かべながら聞き返す。


「それは、私がお前をスカウトする為の前金だということだ。今、お前は私に命を救われた――ゆえに、お前は私にその恩返しをしなければならない。そこまでは分かるな?」


 男の言葉を全て理解したわけではないが、璃々は男の勢いに押されてコクコクと頷いてしまう。


「私は、お前の本当の力を知っている。お前がこのような所で死ぬはずがないということも、そして――その『力』の使い方もだ」


 男の言葉は支離滅裂で、璃々はなにを言っているのか分からなかった。


 だが、男は璃々が話を理解していないのも構わずに、話を続ける。


「子供よ、お前は今日から私の忠実なる仲間になるのだ。そして、お前は私の為に働かなくてはならない――」


 そう諭すように言う男は、終始厳しい眼差しで璃々を見つめており、それは同時にどこか悲しげな表情にも見えた。


(そう――この時のこの人は後悔しているんだ。わたしがそれを断れない状況を作り出してしまったことに――。そして、そんな風に不器用にしか優しさを表現できないということに――)


 幼い自分を見下ろす璃々は、当時のことを思い出すようにそう呟く。


(でも、この人はまだ気付いていない――この時のわたしがどれほど感謝していたのかを、そして、その言葉が孤独だったわたしをどれほど癒してくれたのかを――)


 悲しげな様子の男とは対照的に、宙に浮く璃々の表情はどこか愛おしいものを見るかのように優しげだった。


 男は、未だキョトンとした眼差しを自分に向ける幼い少女の下に跪き、初めて自身の名を名乗る。


「私の名は『ブライトメア』という、お前の名はなんだ?」


 問われた少女は、しばらく考えるように首を傾げていたが、


「わたしは………だれ…だったっけ……なんでだろ……おもい…だせない――」


 と、不意に泣きそうな表情になってそう言った。


 璃々は、そんな幼い自分を悲しげな様子で見下ろす。


(両親に捨てられたショックからなのか、それとも長くさ迷っていた間に記憶からこぼれおちてしまったのか――どうして自分の名前を忘れちゃったのか、今でもわたしは思い出せない――でも、わたしはそれで良かったと今は思ってる。だって――)


 そこまでの璃々の言葉に重なるように、ブライトメアが動いた。


 泣きそうな幼い璃々に、ブライトメアはゆっくりと近づいてゆき、その眼に溜まった涙を拭いながら、


「思い出せぬのなら、思い出さずともいい――そうだな、お前には今日から『璃々(りり)』という名を与えよう。お前は瑠璃のような透き通った蒼い髪をしているからな――」


 今までにない、優しい口調でそう言った。


 そして、璃々の頭に自分の手を乗せて、くしゃくしゃと撫でた。


 ブライトメアの手の温もりを感じながら、すっかり機嫌が直った璃々が聞く。


「る…り……?」


「ああそうだ。そして、瑠璃は時として星空に例えられることがある。お前はこれから夜空に輝く星々のように、他の星々を輝かせなければいけない――そして、それを続けていれば、いつか自分自身が輝く時が必ずやってくるだろう」


 そのブライトメアの言葉は、名前が思い出せなくて不安だった少女の心に深く響いたのか、


「璃々……それが、新しいわたしの名前………」


 璃々は自身に与えられた名前を再確認するように呟いた。


 ブライトメアはそんな璃々を見て、それでいいのだと言うように頷き、立ち上がる。


「……共に行こう璃々よ。我々の星を輝かせる為に――」


 ブライトメアがそう言って、幼い璃々に手を差し伸べ、璃々がその手を取った所で、璃々は自分の意識が覚醒してゆく感覚を感じた。


 まるで深い海の底から急浮上していくように、璃々は夢の中から現実へと引き戻されてゆく。


 そして、璃々は夢が終わると同時に、パチリとその眼を開いた。


 目覚めたばかりの眼に、情景があやふやだった夢とは違う、リアルな光景が映し出される。


「………」


 璃々は、先ほど見た夢を思い出そうとするように、しばらくボーッと虚空を眺めていた。


 そして、だんだんと意識が覚醒してきて、起き上がろうかどうか悩んでいたその時、璃々の部屋のドアが控えめに叩かれる音が聞こえた。


「璃々、起きているか? 少しお前に頼みたいことがあるので、後でかまわんから私の所に来てくれ、昨日の今日ですまないと思っているが、これはお前にしか出来ぬ事なのでな……」


 その声は、先ほどの夢と同じ声――ブライトメアのものだった。


 ブライトメアはそれだけを言うと、要件を終えたとでもいうようにその場をすぐに離れてゆく。


 遠ざかってゆく足音を聞きながら、璃々はすぐさまベットから跳び起きた。


 急いで準備をしながら、璃々は夢を見て思い出したことを再確認する。


(――そうだ。わたしはあの時ブライト様に命と名前を――居場所を貰った。だからこそ、わたしはブライト様の手伝いをしなきゃいけない――あの時の恩を少しでも返せるように――)


 璃々は、そう強く自分に言い聞かせるように思うと、迷いを振り切るように勢いよく扉を開け、部屋を飛び出していった。




 その翌日――何事も無く学校を終えた夢依達は、学校帰りにショッピングモールに立ち寄っていた。


「いやー、しっかし、昨日は驚いたね。事故もそうだけどさ、まさか璃々ちゃんがIEM能力者だったなんてねー」


 片手にクレープを持ちながら、やや興奮した様子で夢依が言う。


 『ユグドラシル』に住む人間は、なにも全てがIEM能力者なわけではない。

 

 例えばIEM能力者の子供であったり、外から働きに来ている人間は能力者でない場合が多いのである。特に璃々ほどの年齢で能力に目覚める者は少ないので、ことさらに夢依は驚きを隠せないのであった。


「そうね。でも、彼女が能力者だったおかげで貴女は命を救ってもらったんだから、ちゃんと感謝しないとダメよ。まさか、昨日のソフトクリームだけで借りは返したなんて思ってないわよね?」


 菓子パンを持った理恵にそう指摘されると、夢依は手をバタバタと振って、


「思ってない、思ってないから、どんだけあたし薄情なのよ」


 真顔で釈明した。


 その様子が可笑しかったのか、理恵はイタズラっぽく笑いながら、


「ふふっ、冗談よ。でも……なんだか不思議よね、この前助けた女の子に、今度は助けられるなんてね」


 どこか感慨深げにそう言った。


「そうだよねー、なんか世の中狭いっていうか、運命みたいなものを感じるよね」


「運命……はさすがに言い過ぎかもしれないけど、確かに似たものはあるかもしれないわね」


「本当に――『良い子』だよね。璃々ちゃんってさ?」


 その夢依の言葉に、同意するように理恵は微笑みを返した。


 それは、璃々の本当の目的を知らない夢依達だからこその感想だった。


 彼女たちにとって璃々はあくまで偶然知り合った友人に過ぎず、彼女が裏で自分達を尾行していたことなど知る由も無いのである。


 夢依達はそれからしばらく雑談を続け、ショッピングモールが終わりにさしかかろうとした所で不意に理恵が立ち止まった。


「あ、今日はここでお別れにしましょ、私ちょっと買い物を頼まれているのよね。もうこんな時間だし、遅くなるから付き合わなくていいわ」


 思い出したようにそう言った理恵に対し、夢依は特に気にする様子も無く。


「そうなんだ。うん、じゃあまた明日ね」


 そう別れのあいさつをかわし、笑顔で理恵に向かって手を振った。


「ええ、また明日――」


 理恵もまた夢依に手を振って、そして二人はそれぞれ別々の方向へと歩いてゆく。


 しかし、その時の夢依はまだ知らなかった。


 何気なく別れたその友人に、危険が迫っているということを――




 スーパーで予定通りの買い物を済ませた理恵は、少し重い買い物袋を手にぶら提げ家路につこうとしていた。


「理恵さん――」


 急に聞こえた声に、理恵はビクリと反応して立ち止まる。


 声は、――あまり人の通らない細い路地から聞こえた。


 そして、そこには――、どこか暗い表情をしてうつむいている璃々が立っていた。


「え……璃々ちゃん? どうして、そんなところにいるの?」


 恐る恐るといった感じで理恵が璃々に聞くが、璃々はうつむいたままその問いには答えず。


「そんなことより……理恵さんにお話したいことがあるんですが、少しこちらにきてもらっても構いませんか?」


 そう言って、理恵を急き立てるように手早く手招きをした。


 その声は、暗い路地に合わせるように重く、低い声だった。


「え、ええ………分かったわ」


 理恵は、そんな不気味な様子の璃々を訝しみながらも、言われた通りに路地に入る。


 理恵が路地に入り、人の流れから外れた場所に立った瞬間、璃々は下を向いていた顔を上げて、


「以前、理恵さんは言いましたよね。わたしが困ったらなんでも言ってかまわないって……」


 いきなりそんな話を切り出した。


 その主語が無いような、あやふやな言葉に対し、理恵は少し疑問を覚えながらも、


「確かに言ったわ――。それで、どうしたの?」


 冷静になにがあったのかを璃々に確認する。


 しかし、その問いをやはり無視するように、いきなり璃々は理恵に要求をする。


「あの……まず、わたしの手を握ってくれますか?」


 そう言って差し出した手は、よく見るとわずかに震えていた。


 その明らかにおかしな態度に対し、理恵は疑問に思いながらも、震える璃々の手を柔らかく包み込むように握り、


「いいけれど、なにかあったのかしら璃々ちゃん。様子が少しおかしいようだけど……」


 怯える子供を落ち着かせるように、心配そうな声でそう聞いた。


 だが、璃々はあくまで頑なに理恵の問いには答えず、しまいにはブルブルと身体を震わせながら、うわ言のように呟く。


「ごめんなさい……こんな風に、あなたの善意を利用するなんて……本当にすいません………」


「なにを言っているの? 一体なにが――」


 言葉を言い切る前に――。理恵の姿は路地裏からかき消えた。


 まるで最初からそこに居なかったかのように一瞬で、璃々と共に理恵はその場から居なくなった。


 そして、誰も居なくなった路地裏では、ビニール製の買い物袋が主を探すようにガサガサと風で揺れる音を響かせていた。

 

 


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