1-10 オーバードリーム
――爆裂音が広い城の中で響いた。
一瞬にして辺りに熱風が駆け抜け、至近距離の爆発なのでブライトメアは手で眼を庇うようにして飛んでくる破片を防ぐ。
そして爆発が収まった後、辺りには肉と髪の毛が焼け焦げる嫌な臭いと、何かが燃える音、黒い煙が充満した。
ブライトメアは、その匂いや感覚から、確実に攻撃が相手に命中したのだと確信する。
だが、ブライトメアは喜ぶどころか、どこか焦りすら感じさせるような真剣な眼で煙が収まるのをただ見つめていた。
(……なんだ――。……今の嫌な感覚は――?)
攻撃が相手に当たる瞬間、ブライトメアはその身が一瞬引き裂かれたかのような痛みを感じた。
当然ながらブライトメアの体は無傷で、誰からの攻撃も受けてはいない。なのに、身体の一部を失ってしまったような奇妙な感覚が自身の心から離れなかった。
そして、黒い煙がようやく収まり、相手の姿を確認できるようになって、初めてブライトメアは驚愕し、その痛みの正体を知る。
「――ッ!?」
煙が晴れた後にそこにいたのは――、変わり果てた姿となった『璃々』だった。
「……っ…ぁ……」
璃々は、目の前にいる誰かを守るかのように両手を広げて、ブライトメアと夢依の間に立っていた。
瑠璃に例えたその美しい蒼い髪は、火球に焼かれて無残にも半分以上が焼き切れており、片腕は爆発で吹き飛び、攻撃が直接被弾した背中は、火球を真近くで受けたせいなのかドス黒く変色し、もはや注視できないほどに傷ついていた。
当然それは、もう治療などしても無意味なレベルの損傷である。むしろ、石が熔けるほどの威力の火球を受けて、身体が残ってまだ生きていたことが奇跡だった。
璃々によって助けられた夢依は、攻撃音を聞いて振り返っており、ブライトメア同様眼を見開いて驚愕しながら璃々を見ていた。
そして、その夢依が無事なことを確認して気が抜けたのか、傷ついた璃々はそのままの状態で倒れてしまう。
「璃々ちゃん!?」
前のめりに倒れる璃々を、地面に接触する前に夢依は受け止める。
「どうしてっ!? なんであたしを庇って……」
自分自身を庇ってくれた相手に対し、感謝よりも先に夢依は疑問の声を投げかける。
それも当然のことであった。散々自分のことを敵だと言っていた璃々が、敵である自分を庇っているのだから――。
「は…は……この前の…時みたいに……間に合うかと思ったんですけど……今回は……失敗、しちゃいましたね……」
璃々は無理に笑顔を作ろうとして、そしてそれは失敗して顔が引きつるだけだった。
「そんなことより――待ってて、今あたしが薬塗ってあげるからっ!」
こんな状況になっても気丈な璃々に対して、夢依はアルヴァスから貰ったどんな傷にも効くという傷薬を取り出すが、
「――ッ!? ……っ」
璃々の背後の傷を確認して、もうその傷が薬程度では治せないものだと知ってしまう。
「この傷じゃ……ムリですよ……もう痛みの感覚もありませんから――」
それは、冷静で正確な自己判断だったが、夢依は納得できないというように叫ぶ。
「そんなことないっ! まだ間に合うよ!?」
そして夢依は、無駄だと分かっていても自分の薬を璃々に塗ろうとするが――。
「篠森夢依、そこを退け――」
急に現れたブライトメアに首根っこを掴まれ、そしてそのまま璃々から引き剥がすように遠くへと投げられてしまう。
「――くッ!?」
こんな時に攻撃をするつもりなのかと夢依は身構えるが、不思議なことにブライトメアから追加の攻撃はまったく無かった。
ブライトメアは、璃々を優しく労わるように抱き抱えて、戦っていた夢依のことなど忘れたように、璃々だけを見ていた。
「ブラ…イト様……ッ」
璃々は裏切った自分の為に駆け付けてきたブライトメアを、ポロポロと涙を流しながら見つめ、弱々しく残った右手を必死に伸ばす。
ブライトメアは、伸ばされた手を優しく掴むと、決して璃々を叱責するつもりではない優しい声音で聞く。
「璃々……何故このような馬鹿なことをした……それほどに情に絆されたか?」
ブライトメアの問いに、璃々はか細い、今にも消え入りそうな声で答える。
「さぁ……なんででしょうか? 自分でも……よく……わかりません……ただ……」
「ただ………なんだ?」
璃々は眼だけで夢依のいる方向を見ると、彼女の言葉を思い出すように、
「つい――体が動いちゃったんです………夢依さんが……殺されてしまう――と思ったら体が勝手に……不思議ですね――げほっ!」
そこまで言ったところで、璃々は咳き込んでしまう。
その咳には血がかなり混ざっており、傷が肺にまで達したことを表していた。
「………」
黙って二人を見ていた夢依は、以前に言った自分の言葉のせいで璃々がこうなってしまったのだと気付き、顔を蒼白に変えながら自責の念に駆られていた。
「……もういい、喋るな。傷は私が治してやる。だからもう何も言うな」
璃々を安心させる為にブライトメアはそんな嘘を言ったが、その意図に璃々は気付いているのか、一度首を振って、
「ブライト……様。もうわたしは……あなたに付き従うことは出来ません……どうしても、人を殺してまで平和を勝ち取るということが……理解できないのです……こんなわたしは……愚かでしょうか……?」
自らの行いを悔いるように、自らが溜めこんでいた想いを吐き出す。
それは、璃々がブライトメアに対して初めて反抗の意思を伝えた言葉だった。ブライトメアの傀儡としてではなく、璃々としての意思を主に伝える言葉だった。
「……考え方は人それぞれだ。お前がそう思うことを私は否定出来ん」
ブライトメアは、渋い顔をしながらも、少しでも相手の意志を尊重するように言う。
それは彼なりの、ここまでするほどに追い詰めてしまった璃々への、償いの言葉だったのかもしれない。自分の意志は変えるつもりはない、だが死にゆく璃々には優しい言葉をかけてあげたい。そんな相反する思想が、その不器用な言葉を作り出していた。
そんなブライトメアに対し璃々は、ビクビクと引きつる顔を必死に笑顔へと変えて、
「そ…んな……悲しい顔を……しないでください……大丈夫です。わたしが死んでも……わたしの能力がブライト様の力になりますから……」
健気にも、自らの主に最後の忠義を尽くそうとするそんな言葉を呟いた。
それはつまり、自分が死んだ後に、自分の能力を吸収してくれと、そう言っているのだった。
結果だけを見れば彼女はブライトメアを裏切った。だが、彼女は最後まで彼の忠臣だったのである。
「――っ……」
ブライトメアは、そんな璃々の言葉を聞いて、辛そうに顔を歪める。
「あ……なん……だか……いしき……とおくなって……き、ました………さいごに……ひとつだけ……おねがい……いいですか?」
だんだんと眼の焦点が合わなくなってきた璃々は、ぼやけた視界でブライトメアを見ながらそう言った。
「ああ……なんでもいい、言ってみろ」
二つ返事で了承したブライトメアに、もう声が掠れて殆ど聞こえないような声で璃々が言う。
「みみ……をちかくまで………よせてください――」
ブライトメアは、その最後の願いを叶える為に、璃々の口元へと耳を近づける。
そして、璃々は最後の気力を振り絞って、自身の最後の言葉をブライトメアに伝えた。
「――ッ!?」
璃々の言葉を聞いたブライトメアは、大きく眼を見開くと、急いで璃々を見る。
しかし、ブライトメアが璃々を見た時には、もう既に彼女は絶命していた。
それはとても安らかな表情で、想像を絶する苦痛を身に受けて死んだとは思えない、幸せそうな死に顔だった。
――それが、過酷な人生を生き抜き、齢が十にも満たない少女の最後の表情だった。
「……っ」
ブライトメアは、深い悲しみを堪えるように、硬く固く眼を瞑って、音が鳴るほどに歯を強く食いしばる。
そして、しばらくしてからその眼を開けると、もう動かなくなった璃々の身体に手を当てて、
「璃々……お前の力、使わせてもらうぞ………」
そう呟くと同時に、自らの能力『パワー・アブソープション』を発動させた。
能力が発動し、光の帯がブライトメアから伸び、璃々を包み込んでゆく。そして、帯が璃々の全身を包んだ瞬間――帯は璃々を包んだまま、ブライトメアの身体の中に入り込んでいった。
璃々の身体を全て自分自身に取り込むと、光の帯は消え去り、璃々の死体はどこにも見えなくなった。後に残ったのは、璃々の能力を吸収したブライトメアだけだった。
その一部始終を見ていた夢依は、激しい怒りを込めた声で、
「ブライト……メアッ! アンタは……っ!」
身体を激しく震わせながら、ブライトメアを睨む。
璃々を吸収したブライトメアは、先ほどのことなどもう忘れたかのような、いつも通りの冷静な口調で、その両の瞼を閉じながら振り返りもせず、
「なんだ? なにを怒っている篠森夢依。これは彼女が望んだことだ……君を助けたのも彼女の意志ならば、私の能力になることもまた彼女の意志だ」
冷静な声で、夢依を諭すようにそう言った。
「だからって……アンタにゃ人の情ってモンがないのかよっ!」
夢依は璃々がその命を賭けて二人の戦いを止めようとしたことが分かっていた。だというのに、ブライトメアはそんな璃々の意思を無視するように、それでも戦いを続けようとしていることに怒っているのだった。
「何か勘違いをしているようだな篠森夢依。こう見えても私は相当に怒っている……キサマの息の根を止めて璃々の『仇討』をしようと本気で思っている。だからこそ私は璃々の能力を吸収し、キサマを全力で殺そうとしているのだよっ!」
冷静だった口調がだんだんと怒りを込めた震えた声になり、耐え切れないとばかりにブライトメアはその両目を見開く。すると、その眼は血のように赤く染まっていた。
赤く眼を血走らせ両目を開いて夢依を睨むブライトメアは、まるで物語に出てくる悪鬼のようであった。璃々が死んだことを全て夢依のせいにして、あくまで自分は悪くないのだと思い込み、理不尽な怒りを夢依にぶつけようとしているのだ。
「……っ! ――アンタは……狂ってる……」
豹変したブライトメアにたじろぎながらも、夢依はまっすぐに敵を睨みつける。
「キサマを殺せるのならばいくら狂おうとも構わんさ――さぁ戦うぞ篠森夢依ッ! もう後には引かせん、私とキサマ……どちらかの命が尽きるまでな――」
髪が乱れるのも構わず、歯を剥き出しにして口から激しく唾を飛ばしながら、血走らした眼でブライトメアは夢依を強く睨み付ける。
そんなブライトメアと対峙しながら、夢依は自らの仲間へと静かに問う。
「……風迅、一刀、まだ戦えるよね?」
その主の問いに対し、返って来たのは頼もしい言葉。
「ダイジョーブだって……オイラがこの程度でへこたれるワケないだろ? オイラ達の最強コンビであのヤローをぶっ倒しちゃおうよっ!」
「……まだ自分の刃は折れておりません。なので――存分にお使いください!」
二つの魔具に勇気付けられ、自らの闘志をさらに燃やした夢依は、その二人に感謝しながら、
「……うん。ありがとう二人共……じゃあちょっと――今から『本気』出すね……」
そう言うと、まるで自分に何かの暗示を掛けたかのように、スッ――っとその表情を、どこか達観したような、眼の据わった状態へと切り替える。
それは、夢依が最高レベルにまで集中力を高めた時のみに見せる、文字通り本気の表情だった。
「………」
ブライトメアは、夢依の様子が少し変わったことに気付いていたが、沸々と沸き起こる怒りを抑えるのに精一杯で、そのことを大したことだとは考えていなかった。
そして――、通算三回目となる。夢依とブライトメアの最後の戦いが始まるのであった。
常に先手を取ってきた夢依だったが、今回はブライトメアの方が速かった。
ブライトメアは止まっている夢依にいきなり火球を放つ。だが、夢依はその行動を読んでいたかのように横に飛んでそれを避けてみせた。
その軌道は、今までの避け幅よりも明らかに小さく、まるで必要最低限の動きで避けたかのような動きだった。
「………」
余計な喋りを封印し、ただ相手にのみ集中する夢依は、今までとはまるで別人のように変化していた。
そして、変化したのは夢依本人だけではなく、風迅の使い方もだった。
一見すれば『ハイスピードモード』の時に出る光の粒子も、『ジェットモード』の時の爆発的な光も見えない。しかし、確かに夢依は風迅の力を使っているのだった。
夢依が今使っている風迅の力は『ブーストモード』という使用が最も難しいモードだった。
そのモードは、ハイスピードよりも長時間は使えず、ジェットよりも遅いが、瞬発的な反応速度はそのどれよりも速い。つまり、よりテクニカルな動きが可能になるということである。だが、同時にその扱いは今までのどれよりも難しく、集中力を維持していなければどこへ飛んでゆくか分からないという非常に危険なものであり、だからこそ夢依は『本気』の状態でしかそれを使えないのだった。
夢依は一見すれば普通に走っているようなモーションでブライトメアへと向かってゆく、しかしそのスピードは今までになく速かった。
ブライトメアは、接近してくる夢依に、両手に持った火球を連続で投擲する。
だが、夢依はそれを動物的なセンスで的確に避けて、背後で爆発が起ころうとも無言で敵を見据えながら、ブライトメアに迫ってくる。
「クッ――!」
本気を出しているのはブライトメアも同じだったが、無情にも彼の戦闘能力が夢依の身体能力に追い付いていなかった。
(ならば――)
ブライトメアは、璃々から吸収した転移能力を使って、夢依の背後に転移した。
そして、後ろから容赦なく火球を二つ投げつける。しかし、その奇襲攻撃も本気の夢依には通用しなかった。
「………」
夢依は、ブライトメアが後ろから攻撃することが分かっていたかのように、振り返りながら横に一度ステップして一発目を避ける。そして、夢依が逃げる先に投げられていた二発目の火球も、慌てず騒がず当たる寸前でさらにステップして回避する。
その軌道は、『ブーストモード』だからこそ出来る超高速のものだったが、一歩間違えれば被弾してしまう危険な動きだった。
夢依はまるで武芸の達人のようなその神技でブライトメアの攻撃を避け続けているが、一度当たれば全てが終わってしまうこの状況で、夢依の集中力も限界が来ているのか、その顔に大量の冷や汗をかいていた。
今はまだ大丈夫だが、この戦いが長期戦になれば圧倒的に不利になってしまう。
一方ブライトメアは、攻撃こそ夢依には当たらないが、転移能力でいくらでも逃げることが出来る。
つまり、ブライトメアは夢依のスタミナが切れるまで逃げ続ければ、簡単に夢依を倒すことが出来るのである。だが、そんな絶望的な状況でも、それでも夢依は諦めなかった。
後ろに逃げたブライトメアに対して、夢依は愚直に前進を続ける。それに対して、ブライトメアは転移をして逃げようとするが、
「ぐっ――!?」
ブライトメアは、突如襲ってきた原因不明の頭痛に思わず転移を止めてしまう。
(これはまさか――)
ブライトメアは、即座に頭痛の原因を突き止めるが、その一瞬の隙が夢依にとってチャンスになった。
夢依は、高速でブライトメアに迫りながら、心の中で強く思う。
(今しか攻撃を当てるチャンスは無い……だから、もっと――もっと速く――)
その想いは力となって、夢依をさらに加速させてゆく。
そして、夢依はブライトメアが『ジェットモード』の範囲内に入った瞬間、すぐさまモードを切り替える。
――次の瞬間、夢依はブライトメアを追い越していた。
攻撃する対象を追い越してしまっては意味が無い。そうブライトメアは思ったが――
「ぐぬ……」
ブライトメアは先ほどの頭痛がさらに増していることに気付く。
(まさか、すれ違いざまに攻撃を加えたというのか……あの眼に見えぬほどのスピードの中で――)
ブライトメアは、集中した夢依の驚くべき戦闘センスに驚愕する。
そして次に、先ほど自分が転移を出来なかった理由を改めて考える。
(やはり……借り物の力では上手く扱えぬということか――、それとも璃々よ……お前はこの頭痛を身に受けながら転移を続けていたというのか――)
考えるが、璃々が死んだ今となっては、それを知る術も余裕もブライトメアには無かった。
攻撃を加えてきた夢依を見ると、既に彼女は二回目の攻撃を与えようと構えていた。
(これは――まずいな……)
ブライトメアは、ガンガン響く頭痛に耐えながら、転移をしてその場から逃げる。
逃げた先は夢依の背後、別にそこでなくてはならなかったわけではないが、無意識の内に彼は夢依の死角を転移先に選んでいた。だが、その無意識の行動が、ブライトメア自身を追い詰めることになる。
(さっきから――同じトコばっかりワープしすぎなんだよアンタは――)
夢依は、真後ろにブライトメアの気配を感じると、すぐさまそこに向かって風迅の『ジェットモード』を発動させる。
「なっ――!?」
そして、再びそのすれ違いざまに一刀の正確な一撃が放たれ、驚くブライトメアの頭に命中する。
けれども、自らの加速が加わった尋常ではないその一撃でも、ブライトメアの皮膚を傷つけることは出来なかった。
(まだだ。まだあたしの攻撃は終わっちゃいない――)
夢依は、もう二度とあるかどうか分からないそのチャンスに、自分の全てをぶつけるつもりでいた。
着地した瞬間にすぐさま踵を返し、身体に負担が掛かるのも構わずに再び夢依はブライトメアに突撃する。
そして、三度目となるすれ違いざまの一撃。その一撃は寸分の狂いも無くブライトメアの頭に直撃した。しかし、まったく同じところを何度も攻撃して、それでもブライトメアの皮膚には一筋の傷も付いていない。
普通ならば、それで自分の攻撃はまったく相手に通用しないのだと絶望してもいいはずだ。だが、それでも夢依は諦めなかった。
幾度と無く連発した『ジェットモード』の衝撃や、神経を使う『ブーストモード』、そして今までの戦闘の積み重ねで夢依の集中力や体力はもう尽きかけていた。だがそれでも、夢依はまだ戦うことを止めなかった。
着地すると同時に踵を返し、鬼気迫る勢いで、何度でも何度でも攻撃を繰り返す。
夢依の攻撃が当たる度に、ブライトメアの頭は左右に振れ、まるで一方的なボクシングの試合のように顔が連続して跳ね上がる。
「――ッ!? いいかげん……鬱陶しいぞっ!」
何度も攻撃されてタイミングを覚えたのか、ブライトメアは飛んでくる夢依を叩き落とすように腕を振る。
「一刀ッ!」
夢依はその攻撃を一刀の刃で受け流すように防御して、ブライトメアから少し離れた場所に着地した。
「ハァ……ハァ……ハァ………」
ブライトメアはその隙に転移をして逃げようとするが、――何故か転移能力は発動しなかった。
「馬鹿なッ!?」
信じられないといった様子で、顔にダラダラと汗をかきながら、ブライトメアは狼狽する。その足はなぜかガクガクと震えており、もはや立っているのがやっとという感じであった。
それは――、効いていなかったと思われた夢依の攻撃の成果だった。
攻撃は効かなくても、衝撃は脳に与えられる――。夢依が執拗に頭ばかり狙っていたのは、そういう狙いがあったからなのであった。
「クッ――何故転移出来ぬのだ……」
グラグラと揺れる視界の中、未だに叩かれていると錯覚して痛む頭を押さえながら、ブライトメアが苦しそうに呻く。
彼が転移能力を使えなくなったのも当然であった、元々璃々から吸収した借り物の転移能力な上に、転移をするには膨大な計算と冷静な思考が出来るような状態でなくてはならないのである。
夢依の幾度もの攻撃によって脳を揺らされ、真っ直ぐにすら歩けない状態のブライトメアに、まともな転移が出来るはずもなかったのである。
逃げることが出来なくなったブライトメア――その少し前方に、いつの間にか夢依が立っていた。
夢依は風迅を使わずに、ゆっくりとブライトメアに向かって歩いてくる。
もう風迅を使う気力すら残っていないほどに消耗し、歩くのがやっとの状態なのである。
その表情は、どこか力が抜けてぼうっとしたようでもあり、同時に激しい怒りを抑えているようにも見えた。
「アンタ……あたしの力が欲しいとかどうとか言ってたよな……でも、アンタはあたしのこの力のことをなんにも知らない――。大好きな人や、目の前で死んでいった璃々ちゃんも助けられないこの無慈悲で残酷な力のことを――」
少し震えた怒りを抑えるような声で言う夢依の周りに、何かが集まってゆくのをブライトメアは視認する。
それは――、パチパチと音を立てるなにかだった。
ブライトメアはそれがなんなのか思い出そうとするが、激しい頭痛で思い出すことが出来なかった。
混乱するブライトメアを尻目に、夢依は彼の前に立ち、
「だから、今からアンタに見せてやるよ――あたしの能力『オーバードリーム』の力をっ!!!」
そう叫ぶと、自らが出したくても出せなかったIEM能力『オーバードリーム』を発現させる。
どうして今までそれを使わなかったのか、それは『オーバードリーム』という能力があまりにも強力かつ、副作用もある能力なので、夢依が強く感情を噴出させた時にしか使えぬよう制限を掛けられていたからである。
『オーバードリーム』は、どこからか引っ張ってきた異能の力を、他者に強制的に与える能力である。だが、その異能の力は他者だけでなく、自分自身にも宿すことが可能であり、そして夢依は、『オーバードリーム』によって新たな異能の力をその身に宿しているのであった。
そして、宿したその能力が漏れ出ているのか、夢依の周りには小さな雷が多数に出現していた。
最初はパチパチと軽い音を立てていたそれは、だんだんとバチバチと高圧電線が反応するような音に変わり、その場から動けずそれを見ることしか出来ないブライトメアは、強烈な攻撃を予感させるその音に、ほんのわずかな恐怖心を感じている自分に気付いた。
(馬鹿な――私はこの身にドラゴンの能力を宿しているのだぞ――。このような小娘の……一朝一夕で身につけたような能力に負けるはずがないというのに――)
そう考えるブライトメアはまだ気付いていなかった。
夢依が『オーバードリーム』によって身につけたその能力に対して、ブライトメアの能力が本能的に怯えているのだということを――。
「行くよ――これがアンタの傲慢な力を打ち砕く、天罰の一撃――」
夢依はそう言って自らに宿ったその能力を解放させる為、右手を天へとかざす。
すると、夢依の周りで出ていた雷が、夢依の右手に収束する。集まった雷が放つ音は、もうバチバチではなく、バリバリと鼓膜を破ろうとするかのような激しい音へと変わっていた。
そして、夢依は右手に集まった雷の球のようなそれを、ブライトメアに向かって容赦なく投げつける。だが、意外なことにその雷の球は、ブライトメアに当たると何事も無かったかのようにかき消えてしまった。
「――なんだ?」
もしかして効かなかったのか――とブライトメアが希望を持ったその刹那――。天からその何十倍以上もの規模に膨らんだ大きな落雷がブライトメアに向かって降り注いだ。
「なっ――!? ぐッ――――ああああああああああぁぁあぁぁッ!?」
自分の体を包み込むような大きな雷の一撃を受け、ブライトメアの全身に今まで感じたことの無い痛みが走る。鉄よりも硬いはずの皮膚はあっさりと裂け、その隙間から雷が入り込み容赦なく身体を焼いてゆき、雷は舐めるように全身に渡って、ありとあらゆる骨を、内臓を、神経を焼き焦がしてゆく。
だが――、それでもブライトメアは死ななかった。いや、それはもはや死ねなかったというべきだった。強靭すぎる肉体が邪魔をして、死ぬことすら出来ずに、ブライトメアは痛みだけを全身に受け続けてゆく。
――それは、ありとあらゆる拷問の痛みを超越する想像を絶する痛みだった。
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッ!?」
全身を何度も何度も引き裂かれるような痛みと、肉どころか細胞すら焦がしてゆく雷の熱が同時に体を走り、気絶することも許されずに激しい痛みだけがブライトメアに断続的に襲い掛かる。
そして――その地獄のような痛みが三十秒以上続いた後に、雷はその場から消失し、ブライトメアはようやくその痛みから解放された。
「あ……あ…あ……あ……ぁ……」
声なき声を発して、口から煙を吐きながら白目を向いて、ブライトメアはその場に倒れる。
全身がズタズタに引き裂かれ、肌が黒く変色したブライトメアに向かって夢依は、
「ヘッ――ザマァみろ……これが、璃々ちゃんにヒドイことをしてきた罰なんだか……ら――」
喉の奥から絞り出すようにそう言うと、自分もまたその場に倒れ、そのまま気を失ってしまう。
強大な力を引き出すことが出来る『オーバードリーム』だが、その能力が体にかける負担は凄まじいもので、一度行使するだけで、夢依は全ての気力を使い果たしてしまうのである。だからこそ、今までそれを使わなかった――というより、使えなかったのであった。
そして、互いに意識を失った状態で、二人の戦いは終わりを告げる。
「――どうやら、これで幕引きのようだねぇ……両者KOで引き分けってトコロかい? 案外結末は呆気なかったねぇ……」
『巨大な何か』に座って遠くから二人の戦いを見物していた鷹子が、見終わったテレビの感想を言うような気軽な口調でそう言った。
(……あのねお婆ちゃん、プロレスとかボクシングじゃないんだから……)
理恵が呆れて言うが、鷹子は素知らぬふりで、
「アタシからすりゃ似たようなモンさ。それより、どうするんだい? これから?」
そう言って理恵に指示を仰ぐ。
(……とりあえず、気絶してる夢依を連れてこの城を出ましょう――この城の脱出方法は私が知ってるから――)
理恵は黒焦げになっているブライトメアを視界に捉えながら、鷹子にそう告げる。
「おや? いいのかい? あのヤサ男にトドメを刺さなくても?」
鷹子は黒焦げのブライトメアがまだ生きていることを見抜いた上で、理恵にそんな確認をする。
(……ええ、それがあの子との――。璃々ちゃんとの約束だから――)
理恵のその口調は、死んだ璃々のことを考えているのか、切なげでとても悲しそうだった。
鷹子は感傷に浸る孫をからかうように、
「そうかい、そりゃ甘いこった。まぁ約束を通すのも仁義っちゃ、仁義だ……さて、そんじゃそろそろ帰るとしますかね」
そう言って鷹子は座っていた『何か』から立ち上がる。
鷹子が座っていたのは、鷹子と戦っていたはずのバジリスクであった。
あれから彼女はあっさりとバジリスクを倒してしまい、半死半生の状態のそれに座って夢依達の戦いを見物していたのである。
バジリスクは、鷹子が立ち上がるのを待っていたかのように一瞬で光の球となり、吸い込まれるように夢依の体の中に入ってゆく。鷹子はその一連の様子をどこか満足気に眺めた後、片手で気絶した夢依を拾い上げて、軽い足取りで夢幻城を後にするのだった。
一方、その場に取り残されたブライトメアは、しばらくその場で動かなかったが、鷹子と夢依が城から完全に脱出すると同時に、ようやく使えるようになった転移能力を使い、どこかへと消えていった。
こうして、ブライトメアと夢依の戦いは、本当の意味での終焉を迎えたのであった――。