「盗人はお前だ」と婚約者に断じられて——けれど落ちていた手袋は、わたくしの手には入りませんの
「盗んだのは君なのか」
差し上げる返事より先に、リディアはオスカーの右手を見た。急いで嵌めた白い手袋の縫い目が、親指の根元でわずかにねじれている。
広間の中央、マルグリット・ベルナール伯爵夫人の座っていた長椅子の陰に、薄青の手袋が片方落ちていた。そのそばにあるはずの首飾りは、どこにもない。
「盗人はお前だ、リディア」
今度は問いではなかった。オスカーは手袋を摘まみ上げ、燭台の明かりへ高く掲げた。
青い子山羊革は、指先まで細く、手首には真珠色の糸で蔓草が縫い取られている。先刻まで、その手袋は別の女の右手にあった。
『薬指が少しきついような気がするのですけれど』
そう言って差し出された手へ、リディアは革を添えた。「嵌めてご覧なさいませ」
指の股まで静かに馴染ませ、最後に手首の留め具を掛けた。
薄青の革に包まれた指が、鏡の前でゆっくりと開かれた。注文主は手を返して刺繍を眺め、それから付き添いの侍女に外させた。
あのときのリディアは、自分の手を乳白色の手袋に隠していた。針を押す中指の脇、裁ち鋏の柄が当たる親指の節、革染めがかすかに残る爪の際まで、人に見せるための手ではないと教え込まれてきたからだ。
手袋商の娘は、商品を選べばよい。採寸台に立ち、革を裁ち、夜更けまで針を運び、自分の名を戸口に掲げたいなどとは言わないほうが、オスカーの隣には似合う。
「お答えなさい、リディア様」
クラリス・ベルナールが伯母の長椅子のそばから促した。左手で扇を持ち、右手はドレスの襞に沿わせている。
「その手袋を、こちらへお渡しくださいませ」
「触れて、証拠を汚すつもりか」
オスカーの声が広間の奥まで通った。音楽を止めた楽師たちは俯き、踊りの輪を解いた客たちは、磨かれた床の中央だけを広く空けている。
「まあ、あの内側をご覧になって」
「糸の始末が、ヴァレル商会の品と同じですわ」
「ご本人の手になるものだと聞いたことがございます」
奥方たちの囁きが、扇の上で重なった。先ほどまでリディアの袖口を褒めていた顔が、今は手袋一枚を挟んだ向こう側に並んでいる。
「内縫いの糸を、革の縁へ二度くぐらせてある」
オスカーは裏口を見つけた役人のように、手袋の口を広げた。リディアが丈夫さを出すために用いる縫い方であり、彼の右手を包む白い一双にも同じ始末がある。
「君が仕立てたものだろう」
「はい」
扇の羽根がいくつか揺れた。クラリスは唇の端へ畳んだ扇を当て、その隣の奥方と目を合わせた。
「では、もう言い逃れはできまい」
「何から逃げるのでしょう」
「伯爵夫人の首飾りを盗んだことからだ。君の手袋が、首飾りの消えた場所に落ちていた」
「わたくしが仕立てた手袋です」
「同じことだ」
リディアはオスカーの右手から視線を上げた。いつもなら、彼は自分の袖口が他人より半寸でも乱れていないかを気にするのに、今夜は周囲の顔が揃ってこちらを向いたことだけで充分らしい。
(ここで庇えば、グランヴィル家まで笑われる。)
「リディア、今ならまだ間に合う。伯爵夫人へお詫びし、首飾りを返すんだ」
謝るべき事柄が、首飾りより先に決められていた。オスカーの手袋は、今夜の正装に合わせてリディアが革から選び、親指の付け根だけ型紙を直したものだったが、その寸法を測った指は、彼の中では証拠に触れてよい手と悪い手に分かれるらしい。
「リディア様がご自分で縫われたのは、本当ですの?」
奥方の一人が扇の陰から問うた。リディアは頷き、両手を腰の前で重ねた。
「ええ。ご注文をいただいた品の一部は、わたくしが採寸から仕立てまで受け持っております」
「それを伏せて、わたくしたちの前へ?」
「職人仕事などなさる方に、娘の支度を任せるのは……」
声は最後まで届かず、別の扇の向こうへ渡された。人の肌を包む品は欲しくても、それを縫う指の硬さまでは見たくないという注文は、珍しくない。
ノアだけが口を挟まなかった。兄の後方に立ち、掲げられた薄青の手袋と、リディアの乳白色の手袋を順に見ている。
彼が見ていたのは刺繍ではない。指先の長さと、革の幅だった。
ノアはこれまで何度もヴァレル商会へ注文を寄せていた。新しい品を受け取るたび、古い一双も置いていき、擦れた指先やほどけた縁を直してほしいと頼んだ。
直せばまだ使える、と彼はいつも短く言った。今夜の濃灰色の手袋も、手首の内側に三度目の小さな継ぎがある。
「その手袋は、確かにわたくしが仕立てました」
リディアが繰り返すと、オスカーは顎を引いた。欲しかった言葉の半分を手に入れ、残りも同じ形をしていると決めた顔だった。
「ならば認めるんだな」
「作り手であることを」
「持ち主でもあるということだ」
「いいえ」
短い一語が、天井から垂れた灯りの下へ落ちた。リディアはオスカーへ手を差し出し、今度は彼も証拠品を渡した。
受け取った薄青の手袋を、リディアは手首から裏返した。内縫いの糸が現れ、革の裏に細い針目が並ぶ。
「小指の付け根に、二針だけ深い箇所がございます」
爪先でそこを示し、次に薬指の縫い目をなぞった。右手用にわずかにずらした型が、手のひら側へ柔らかな弧を作っている。
「薬指は長め。小指は外へ開きやすい。手首は細く、親指の付け根には厚みがございます」
「何の話をしている」
「この手袋の持ち主の話です」
オスカーの眉間に線が寄った。彼は広間の端を一度見やり、伯爵夫人が待っていることをリディアへ示すように、掌を下へ振った。
「今は職人の講釈を聞いている場合ではない」
「講釈ではございません。寸法です」
リディアは手袋を表へ返した。細い指先が一つずつ起き上がり、最後に親指が元の形へ戻る。
「革は、持ち主より正直です」
「彼女の手には、その手袋は入りません」
ノアの声は大きくなかった。それでも、囁きが切れた広間では、オスカーの断言より遠くまで届いた。
「ノア、お前まで何を言う」
「見れば分かります。リディア嬢の指とは長さが違う」
「似た手袋をいくつも作っているのだろう。多少の違いなど——」
「誂えです」
ノアは薄青の革から目を離さなかった。兄へ言い聞かせる調子も、リディアを慰める響きもない。
「多少の違いを残さないために、彼女は測っています」
リディアは彼の手首にある古い継ぎを見た。ノアは見返さず、ただ右手を軽く握った。
「大きいのなら、手には入るでしょう」
クラリスが早口に言った。扇の骨が、閉じた指の間で一本だけずれている。
「指先が余るだけですわ。盗んだあとで落としたのなら、嵌めていたとは限りませんもの」
「そのとおりだ」
オスカーはすぐに拾った。リディアの返事を待たず、二人分の言葉を一つの結論へ縫い合わせる。
「手袋の寸法だけで、君が無関係とは言えない。だが僕は、君を見捨てたいわけではないんだ」
彼は声を落とし、空けられた床を一歩詰めた。リディアにだけ聞かせるには広く、客たちにも届かせるには柔らかな声だった。
「出来心だったと認めなさい。首飾りを返して伯爵夫人に謝れば、婚約は守る。僕からも寛大な処置をお願いしよう」
オスカーが左手を差し出した。白い革に包まれた掌が上を向き、許しを置く場所だけを空けている。
「婚約を、守ってくださるのですか」
「ああ。君の今後まで台無しにする必要はない」
「盗人となったわたくしを、妻になさると」
「言い方を選びなさい。僕は君のためを思っている」
リディアは差し出された掌を見た。薬指の縫い目に一本、白い糸の毛羽立ちがある。今朝、仕上げを急いだ箇所だった。
「注文は取り消したほうがよろしいわね」
奥方たちの声がまた重なった。今度は囁きながらも、リディアへ聞こえない高さには抑えられていない。
「娘の婚礼用に三十双を頼んでおりますの」
「うちもですわ。王家筋の方のお目に留まるかもしれないと伺っていましたけれど、これでは」
「ヴァレル商会へは、明朝使いを出しましょう」
まだ持っていない工房の扉が、音もなく閉まっていく。借りるつもりだった小さな一室、窓際に置く裁ち台、見本革を収める棚は、手袋の中へ指を畳むように狭くなった。
リディアはオスカーの手を取らなかった。代わりに、薄青の証拠品を両手で持ち直した。
「伯爵夫人。こちらをお借りしてもよろしいでしょうか」
「すでに持っているでしょう」
マルグリットの声は冷えていた。長椅子の脇に立ち、姪にもリディアにも同じ細さの目を向けている。
「何をするつもりです」
「寸法を、ご覧に入れます」
リディアは自分の右手を上げた。乳白色の手袋の上へ薄青の手袋を重ね、手首の位置を揃える。
青い革の指先は、リディアの指より先へ余った。とりわけ薬指は爪の幅ほど長く、小指は外側へずれている。
「重ねただけではないか」
「では、嵌めればよい」
マルグリットが言った。リディアは頷き、薄青の手袋の口を開いた。
自分の手袋の上からでは、親指の付け根で革が止まる。乳白色の指を押し込んでも、薄青の指先まで届かず、形の違いだけがくっきりと残った。
扇の陰から、いくつもの目が出た。オスカーの左手は、差し出された形のまま少し下がった。
「革が縮んだのかもしれない」
クラリスは扇を握り直した。右手が腰から離れ、その指先にだけ、薄青の刺繍糸と同じ色の細い毛羽が絡んでいる。
リディアは手袋を外し、縫い目を一度なぞった。それから手袋ではなく、クラリスの右手首を見た。
「クラリス様」
「なぜ、わたくしを」
「右手をお貸しくださいませ」
「伯母様の首飾りが消えたのですよ。遊んでいる場合ではございませんわ」
クラリスは右手を背へ隠した。左手の扇が胸元まで上がり、金具がドレスの飾りへ硬く当たった。
リディアは薄青の手袋を差し出した。
「嵌めてご覧なさいませ」
「必要ありません」
「クラリス」
マルグリットが姪の前へ出た。背へ回された腕を見て、扇を持つ左手ではなく、隠された右の手首を掴む。
「伯母様、革が傷みます」
「手を出しなさい」
クラリスの右手が、ドレスの陰から引き出された。薬指は人差し指よりわずかに長く、小指は力を入れるたび外へ逃げる。
マルグリットはリディアから手袋を受け取った。手首の口を広げ、姪の指先へ押し当てる。
「自分で嵌めなさい」
「わたくしは——」
「嵌めなさい」
クラリスの親指が革の内側へ入った。人差し指、中指、薬指と進み、小指の縫い目が外向きの指へ沿う。
最後にマルグリットが手首の留め具を掛けた。薄青の革は余りも皺も作らず、クラリスの右手を包んだ。
薬指の先まで革が届いた。親指の付け根にも隙間はなく、二針だけ深くした小指の根元が、その手の開き方を受け止めている。
扇が一斉に止まった。
クラリスの口元から色が退いた。薄青の手を胸元へ引こうとして、マルグリットに手首を留められる。
「外しなさい」
マルグリットは姪の手から手袋を抜き取った。裏返った革の内側から、小さな留め金が床へ落ちる。
金の粒に青い石が嵌まっていた。伯爵夫人の首飾り、その留め具の片側だった。
「侍女を呼びなさい」
マルグリットは周囲を見ずに命じた。やって来た侍女へ、クラリスの扇と小袋を渡すよう顎で示す。
「伯母様、お待ちください。これは、何かの間違いで——」
「改めなさい。すべてです」
小袋の口が開かれた。畳まれたハンカチの下から、切れた首飾りが引き出され、青い石が燭台の光を返した。
クラリスの唇が動いたが、マルグリットは聞かなかった。首飾りを受け取り、切れた留め具を掌へ揃える。
「この者を別室へ。今夜のうちに連れ帰ります」
「伯母様!」
「歩きなさい」
侍女に両脇を支えられ、クラリスは広間を出ていった。薄青の片手袋だけが、マルグリットの手に残された。
奥方たちの顔は、リディアからクラリスの消えた扉へ向いた。次に、ほとんど同じ速さでオスカーへ向き、止めていた扇が一枚ずつ開く。
婚礼用の三十双を取り消すと言った奥方は、リディアの袖口を見直した。王家筋という言葉を口にした奥方は、オスカーとの間に扇一枚ぶんの距離を取り、その隣も半歩ずれた。
中央に残ったオスカーの左手は、もう誰にも向けられていなかった。彼はようやく掌を閉じ、白い手袋の指を握る。
「リディア」
先ほどより近い呼び方だった。リディアは薄青の手袋をマルグリットへ返し、オスカーへ向き直った。
「僕は最初から君を信じていた」
リディアは自分の左手首へ右の指を掛けた。乳白色の手袋を、一本ずつゆっくりと抜く。
現れた中指の脇には針を押した跡があり、親指の節には鋏の柄でできた薄い硬さが残っている。爪の際には、洗っても消えきらなかった褐色の染料が細く沈んでいた。
続いて右の手袋も外した。隠すものを失った両手は、空いた広間の灯りの下で、どの宝石より働いた形をしていた。
「この手で、あなたの手袋も誂えました。寸法は、とうに存じております」
オスカーは白い手袋の右手を背へ引いた。
「それは今の話とは関係がない。僕は君の立場を守るために、あえて厳しく——」
リディアは薬指から婚約指輪を抜いた。輪の跡を親指で一度撫で、オスカーの閉じた左手へ置く。
「守っていただく立場を、先ほど失いましたので」
「誤解だ。あの状況では、誰だって——」
「ノア様は、お疑いになりませんでした」
オスカーの口が閉じた。ノアは兄を見ず、継ぎのある濃灰色の手袋を外した。
素手の右手が、リディアへ差し出された。求める形ではなく、採寸台へ置くときのように、掌を横へ向けている。
「以前頼んだ一双を、お願いできますか」
「古いものは、まだ直せます」
「では、直しを。それと新しいものを一双」
「承ります」
リディアはノアの手を取らなかった。今はまだ採寸道具もなく、ここは彼女の作業台でもない。
それでも、その手の指の長さは覚えている。何度も測り、何度も直した客の手だった。
「リディア・ヴァレル嬢」
マルグリットが呼んだ。切れた首飾りを侍女へ預け、薄青の手袋だけを両手で持っている。
「姪のしたことは、わたくしが引き取ります。あなたの商いに生じた損についても、こちらからヴァレル商会へ正式に話を通します」
「お預けいたします」
「それから、この手袋の仕立てについて伺いたい。王家筋の方が、先ほどからご覧になっています」
広間の端に控えていた侍従が、一歩進み出た。リディアの素手と薄青の手袋を確かめ、胸元へ手を置く。
「後日、採寸のためにお越しいただけますか。仕立て人ご本人を、とのご希望です」
取り消すはずだった注文を口にしていた奥方たちが、扇の上からリディアを見た。先ほどまで閉じていた工房の扉が、今度は誰の手も借りず、リディアの前に立っている。
「承ります。わたくしがお測りいたします」
リディアは手を隠さなかった。オスカーの足元に落ちた視線も拾わず、差し出された注文だけを受け取った。
◇
新しい工房の窓から、午後の光が裁ち台へ伸びていた。壁の棚には革が色ごとに収まり、窓際には採寸紐と鋏、針山が過不足なく並んでいる。
戸口の小さな看板には、リディア・ヴァレルの名がある。王家筋から届いた最初の注文書は、額へ飾らず、作業台の引き出しに次の型紙と一緒に収めた。
婚約指輪のあった指には、細い採寸紐が巻かれていた。リディアは注文帳を開き、向かいの椅子を示す。
ノアは腰掛けると、濃灰色の古い手袋を外した。直した箇所は増えていたが、革はよく手入れされ、縁の三度目の継ぎもほどけていない。
「まだ、お使いくださっていたのですね」
「使えるものを捨てる理由がありません」
「新しい一双をご注文になった方のお言葉とは思えません」
「新しいものを頼む理由は、別にあります」
ノアはそれ以上を言わなかった。リディアも注文帳へ理由を書く欄は作らなかった。
彼は黙って右手を差し出した。掌には剣だこの硬さがあり、親指の付け根には以前よりわずかな厚みがある。
リディアはためらわず、その素手を支えた。指の付け根へ採寸紐を回し、締めすぎない位置で目盛りを読む。
「以前より、右手が少し変わりました」
「分かりますか」
「わたくしの客ですもの」
小指の長さを測り、次に薬指へ紐を移す。ノアの指は動かず、古い手袋だけが作業台の端で光を受けていた。
「右手を、もう少しこちらへ。今度はわたくしの名で、お作りいたします」
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
「悪くなかったな」と思われたら、★や感想を残していってもらえると、とても励みになります。
作者ページには他の短編も並んでいます。よろしければどうぞ。




