死体の上から降りる (読み切り)
歓声は、ちゃんと聞こえているはずなのに、どこか遠い。
「勝ったぞ!」
「お前がいたからだ!」
「すべて終わった!」
手が上がる。
肩を叩かれる。
誰かが泣いているのが見える。
私はその中心に立っている。
勝ったのだと、理解はしている。
でも、その理解には実感がない。
代わりにあるのは、妙に静かな感覚だった。
終わった、という感覚ではない。
何かが“空になった”という感覚だ。
欲しかったはずのものは全部ある。
結果も、評価も、証明も。
なのに、胸の中だけが抜け落ちている。
私は気づいてしまう。
これが“全てを手に入れた場所”なのだと。
そして、その場所には、思っていたものは何も残っていない。
歓声の中で、私は一歩だけ後ろに下がる。
その瞬間、空気が変わる。
世界が少しだけ遠のく。
私は降り始めている。
⸻
最初の記憶は、まだ“何も持っていなかった頃”だ。
私たちはただ集まっていただけだった。
目的は曖昧で、勝算なんて言葉は冗談みたいなものだった。
誰かが笑って言った。
「どうせ無理だろ」
それを聞いて、別の誰かが真顔で返した。
「じゃあ、やってみるか」
その瞬間が、始まりだった。
私はその場にいた。
その軽いようで重い決断の中に。
⸻
一歩、降りる。
歓声が少しだけ遠ざかる。
代わりに、あの夜が近づく。
初めて全員で失敗した夜。
誰も成功を信じていなかったのに、誰も諦めなかった夜。
火の前で、誰かが笑った。
「これ、絶対勝てないやつだろ」
その言葉に、みんな笑った。
でも、その笑いは明るくなかった。
むしろ、怖さをごまかすための笑いだった。
私は覚えている。
その中で一人だけ、笑わずに空を見ていた奴がいた。
あいつは言った。
「それでも、やるしかない」
その声で、空気が変わった。
⸻
また一歩降りる。
今度は、もっとはっきりとした記憶。
初めて誰かが倒れた日。
勝てると思っていた戦いだった。
でも、現実は簡単じゃなかった。
静かに、誰かが動かなくなった。
誰も大声を出さなかった。
ただ、その場に“空白”ができた。
その空白を埋めるように、誰かが前に出た。
誰も立ち止まらなかった。
立ち止まれなかったのではない。
止まる理由がなかった。
そのとき初めて、私は理解した。
これは遊びでも、挑戦でもない。
“戻れない選択の連続”だと。
⸻
降りる。
歓声はまだ聞こえる。
でも、その中に混ざっている声が変わってくる。
「お前がいたから」
「お前を信じてた」
「ずっと見てた」
その言葉が、少しだけ重い。
私は気づく。
それは今の私に向けられた言葉ではない。
ここまで積み上げてきた“全部”に向けられた言葉だ。
⸻
さらに降りる。
記憶が濃くなる。
あの頃の私は、まだ何かを信じていた。
勝てば何かが変わると思っていた。
終われば楽になると思っていた。
でも、違った。
進むほどに、選択は減っていった。
逃げ道が消えていった。
そのたびに、誰かが支えになった。
「大丈夫だ」
その一言だけで進めた日もあった。
⸻
一歩降りる。
思い出す。
誰かが言った。
「お前は最後まで残るタイプだよ」
その言葉は冗談だったのか、本気だったのか、今はもうわからない。
でも、今の私はそれを証明してしまっている。
残ってしまった。
⸻
歓声が少しずつ崩れていく。
代わりに、静けさが増える。
その静けさの中で、私はようやく気づく。
全てを手に入れたと思っていたのに、
実際に手にしていたのは“結果だけ”だった。
その中身は、もうここにはない。
⸻
さらに降りる。
今度は、戦いの最中の記憶。
叫び声。
判断。
一瞬の迷い。
誰かが前に出て、誰かがそれを支えた。
そのすべてが連鎖だった。
私一人では絶対に届かなかった場所。
でも今、私はそこにいる。
⸻
そしてまた一歩降りる。
気づく。
これは勝利の物語じゃない。
ここまで来るために壊れずにいた時間の物語だ。
⸻
歓声はもう薄い。
私は足元を見る。
そこにあるものは、もう“戦場”ではない。
選ばれた時間の重なりだ。
⸻
最後にもう一歩降りる。
すべてが静かになる。
その静けさの中で、私は初めてはっきりと思う。
「全部、あったんだな」
でも同時に、もうひとつ思う。
「もう、ここにはないんだな」
私はゆっくりと息を吐く。
歓声は消えかけている。
代わりに残るのは、確かに歩いてきたという感覚だけ。
私はそこから、ようやく一歩前へ




