4-2. 初めての(2)
「私の言葉が足りなかった。あなたの知性を軽んじた物言いをしてしまった。訂正させてくれ」
自分を見つめる碧眼が揺れている。
「あなたは決して無能などではなかった。それはあの商会であなたと対峙した私が、誰よりもよく知っている。あの場で、限られた情報から状況を冷静に分析し、私の問いかけに対して完璧な答えを導き出した、その『知性』と『胆力』。先ほど言った通り、それは、魔力の有無とは無関係の、得難い能力だ。回路があるから無能ではないなどと安易な慰めをして、あなたの誇りを傷つけた愚かな私を……どうか許してほしい」
シトラはクレイスの対応に、今度こそ本当に驚いて、ぱちぱちと目をまたたかせた。
体は強張った。指先も硬直した。自分の感情が決して快いものでないことは、彼にも伝わっただろう。しかし、たったそれだけで、自分が彼の発言に抱いた違和感を、こうも具体的に読み取れるとは。
しかも、自分は彼の親切心を損なうことを恐れてその違和感を呑み込もうとしたにもかかわらず、彼は真正面から詫び、シトラが抱いてきた矜持の部分に踏み込んで、正当な評価をしてみせた。
(……わからない……)
シトラは信じられないものを見る目でクレイスを見つめる。
彼は誠実な人間だ。それはわかる。だがその誠意の精度、大きさが、あまりに並外れている。その上、向けられている先は、さっき出会ったばかりの、自分にだ。
そうされる道理がない。
もし何か意図があってやっていたのだとしても、その意図は自分には読めない。どう考えても、彼の利を考えれば、他の方法を選ぶほうがずっと容易で楽だからだ。
「……もったいないお言葉です、閣下。このような愚昧な者に情をかけていただくなど」
シトラは、筆頭宮廷魔術士に詫びさせたままにはいかないと感じ、咄嗟に礼儀を示す。
だがクレイスは、その礼儀をそのまま受け取りはしなかった。
彼のこの表情を目にするのは何度目になるだろうか。眉を下げ、困ったような、慈しみをこめたような微笑みを浮かべながら、空いた手でシトラの手の甲をぽんぽんと叩いた。
そしてどこかおかしそうに、軽やかに告げる。
「愚昧、か。あなたより年嵩な商会主ですら、まったく気付かなかった私の意図を読み取り、完璧な解を導き出したあなたがそう言うと、まるで嫌味になってしまうね?」
シトラはその『嫌味になってしまう』という言葉に、思わず、むっと眉根を寄せた。
「……閣下こそ、たかだか数回言葉を交わしただけで、その『完璧な解』の仕組みを看破なさったではないですか」
礼儀を冗談で返され、しかも嫌味になるという切り返しに、シトラの口調が不敬ぎりぎりを掠める。
しかし彼は怒るどころか、その言葉に碧眼を見開いた。一瞬の後、整った唇が微かに歪み、堪え切れないといった風情で柔らかい忍び笑いが漏れる。
「ふふ……。これは手厳しい。一本取られたな」
彼は相好を崩し、心底楽しそうに目を細めた。それは、商会で彼が見せていた筆頭閣下の笑みとは違う、飾り気のない少年のような無邪気さを帯びていた。
「だがね、あれは……あなたの台本が、あまりに上等すぎたからなんだよ。言うなればあなたが『賢すぎた』ことが私に味方したというわけだ」
クレイスは首を傾げるようにして、シトラと目線の高さを合わせる。その目が悪戯っぽく笑っていて、シトラは面白くないとばかりに唇を結んだ。
「閣下の今のお話をお聞きして、私の未熟さがわかりました。つまり、出力に合わせた入力をしなかったのが敗因ということですね。次はそうします」
忍び笑いが止まり、沈黙が落ちる。
一拍の後、弾けるように、クレイスは声を上げて笑った。
「なんという負けず嫌いだ。ああ、おかしい」
痛いところを突かれ、シトラは押し黙った。
そうだ。自分は負けず嫌いだ。それの何が悪い。
しかし、クレイスがあまりに楽しそうに笑うので、いつの間にかシトラの不満はどこかに消えてしまった。複雑な気持ちを抱くシトラの横で笑っていた彼が、姿勢を正してこちらに向き直る。
「いけないな。あなたとの会話が楽しくて、本題を忘れるところだったよ。シトラ、よく聞いてくれ。いま私はあなたに魔力を送り続けている。微弱な、しかし決して切れない流れを。幸い、応急処置は概ね済んでいる。しかしあと一歩届かないんだ。どこだと思う?」
クレイスは、繋いでいないほうの手で自分の胸を押さえた。
「ここだよ。私たちが行っているのは、互いの魂の根幹にある魔力を同調させる作業だ。そこに『立場』という無用な壁があっては、魔力の巡りが滞ってしまう。だから……敬意をもって接してくれるなら、どうかその『閣下』という堅苦しい呼び名はしまってくれないだろうか」
彼は、夕食の献立を提案するような口ぶりで、何気なく告げる。
「私のことは『クレイス』と。気兼ねなく、友人に接するように話してほしい」
その身を衝撃が貫いた。
――……何を言い出すんだ、この男は。
シトラは目を剥いた後、微かな呆れを伴った溜息を吐いた。
あのですね、と言いたいところをぐっと我慢して、口を開く。
「筆頭閣下を呼び捨てなんて……できるわけないじゃないですか。伯爵家からも売却された今、私はもう平民同様なんです。そんなことしたら不敬罪で捕まって、極北の牢獄に十年くらい放り込まれますよ」
その物言い自体が不敬罪寸前であることを自覚しつつも、シトラは言った。
正直に言えば、生まれて初めて――いや、転生前も含めれば、前世から初めて、こうして他者と言葉を交わすことを純粋に楽しんでいる。
「極北の牢獄に十年、か。随分と具体的な求刑だね? あなたには裁判官の素質もあるらしい」
喉の奥で笑いながら、クレイスは唇に拳を当てた。
「だが、安心してくれ。その不敬罪の告発状に署名するのは、他ならぬこの私だ。被害者である私が許可しているのだから、誰があなたを捕らえるというんだ? それに」
彼はシトラに向かって、挑戦的に述べた。
「ここは王宮ではなく、私の魔塔だよ。ここでは私が法であり、規則だ。よって、あなたは私を対等に扱うべしという法を、たった今、ここで、制定しよう。いかなる敬称も付してはならず、敬語の使用を禁ずる。そうだな……魔塔特定個人同格化措置法とでもしようか。そして施行は今この瞬間だ」
繋がれた手に、ぎゅっと力がこもる。
「さあ、呼んでみてくれないか。クレイス、と。あなたが呼んでくれるまで、私はここを動かないよ」
子供が駄々をこねるような口ぶりに、シトラは完全に呆れてしまった。
実態よりも偉ぶりたい人間はそれなりに見てきたが、国で最も偉い魔術士が『呼び捨てにしてくれ』などと、誰が予想できただろう。
クレイスは長椅子にゆったりと座りなおして、その体を背もたれに預けながら極めて優雅に微笑む。
シトラはもう、不敬だ何だ、と考えることがどれだけ無意味かを、その笑みを見て悟ってしまった。
「……わかった、クレイス。これでいい?」
負けた、と苦笑しながら、シトラは初めて、彼の名を呼んだ。
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