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1. 瑕疵無し

 彼は敢えて入り口に直接転移したりはせず、やや離れた人通りの少ない裏路地へ現れた。自分の装いを見下ろして、おや、と眉を上げる。


「正装のまま来てしまった」


 織目の美しい白一色の衣は、陽の光を浴びて輝いていた。その背に流れる淡青の長髪と合わされば、その姿の異質さが嫌でも目に入るだろう。王宮の奥で政務をこなす、『氷の筆頭』こと筆頭宮廷魔術士クレイス。顔を見たことがなくとも、彼の容姿はその名とともに広く知れ渡っている。全属性の魔術を行使する歴史的異能、国の結界の要である魔塔を居城とする叡智の結晶。人々は彼の神授の才を褒めそやし、もしくは畏怖で凍り付くか、その力を利用せんと擦り寄った。


 これでは名札をつけて歩いているようなものだな、と思いながら、クレイスは開き直るように裏路地を出る。低音の弦が鳴るような、遠慮めいた、しかし隠し切れない好奇心を含んだざわめきが表通りに広がった。

 その中を、クレイスは拍を刻むようにしてゆったりと歩いた。


 表通りから一本入ったところの開けた道の向こうに、目的の商会はあった。半年ほど前に金貸しから魔石商を主業に改め急成長したと聞いているが、表玄関から見える範囲に荷馬車はない。

 不揃いな石畳を踏みしめて段を上がり、木製の大扉を開けると、中にいた中年男が息を呑んで彼を見つめ、次いで悲鳴のような声を上げた。


「ひっ……筆頭閣下……!?」


 クレイスは頬をわずかに持ち上げて親しみを示し、やあ、と声をかける。


「驚かせてすまないね。商会主のセルヴァン氏はいるか?」


 中年男は青ざめた顔で、転がりそうになりながら奥の扉へと消えていった。その背を見送りながら、クレイスはどこか冷めた気持ちで己の行動を振り返る。


 あの男の反応は正常だ。国の魔術の万般を統括する筆頭宮廷魔術士が、一商会に突然現れたのだ。むしろ常軌を逸しているのは自分のほうだった。そこまで自分を駆り立てているものの正体はわからない。調査員が何度調べても埃が立たない完璧な潔白、その裏に潜む汚濁を暴きたいという正義感をあいにくとクレイスは持ち合わせていない。だが、この胸に刺さる違和感がなんなのか、それを解き明かしたいという子供じみた欲求が彼の足をここに留めていた。


 クレイスは後ろ手を組んで視線を巡らせた。入り口左に使い古した帳場台、背後には小さな書棚があり、最低限の事務はそこでこなしているようだ。正面右にはまだ新しい長椅子が備えられ、待ち客の存在を仄めかしていた。その近く、隣室への扉が細く開いて、畏れと興奮が入り混じった視線がいくつもこちらを品定めしている。


 彼はそれに構うことなく、静かに帳場台に歩み寄った。帳場台の上には乱雑に置かれた日帳簿が開かれ、羽ペンがしおりのように挟まっている。帳簿の端は一様に折れ曲がっていた。丁寧に扱われた形跡はない。開かれたままのページを見ると、同じ取引が二つ記され、下のほうが三重線で粗く消されている。


 慌てた、粗野な足音が聞こえ、クレイスは奥の扉に目をやった。小太りで髭を生やし、眼鏡をかけた男が、ひきつった顔で手を揉みながら現れる。


「閣下、このような粗末な場所に足を運んでいただけるとは、まこと恐縮でございます」

「ああ、楽にしてくれ。少しばかり話を聞きたくてね」


 クレイスは儀礼的に片手をあげた。それと同時に一度またたく。

 男の魔力は凡庸だった。平民で魔力のある者は多くないが、この程度であれば特筆するほどではなかった。


 首から下げたルーペは魔石の鑑定用だろう。ところどころ塗装が剥げ、この半年間で使い込まれた感がある。しかし鉱山特有の粉塵でつく傷跡は見当たらない。靴も同様で、外側がすり減っているが魔石の粉が縫い目にすら残っていなかった。


 卑屈なほどに身を縮めながら商会主の男がクレイスを案内する。通された応接間に一歩足を踏み入れて、彼は内心、やはり、と確信した。

 肌に感じる魔力が遮断されている。魔道具の類いだろう。それに加え、音を消すための毛足が異様に長い絨毯。壁は吸音に優れたカルム楢の羽目板、さらに念入りなことにタペストリーが無造作にかけられていた。


 クレイスはそれらを注視することはなく、問うこともしない。

 どれも商会には珍しくない調度だ。いかようにも理由はつけられる。


 彼の目が室内を精査するようによぎった。応接室の飾り棚に、貴族との繋がりや後ろ盾を示す贈答品は見当たらない。疎らな棚を埋めるように、魔道具の模型が置いてある。扉は二つ。真ん中に赤い布張りの長椅子が、低いテーブルを挟んで向かい合わせで並んでいた。部屋の隅には小机と椅子があり、黒髪の若い女性が俯いて座っている。彼女の背後の窓から差し込む光が、机の天面にある、何も書かれていない羊皮紙と羽ペン、インク瓶を白く照らしていた。


「彼女は?」

「はっ、これは書記でございます。……おい、何をぼさっとしている。さっさとご挨拶をせんか!」


 叱責するように促され、彼女は立ち上がって無言で礼をした。気後れも怯えもない、感情の欠けた乾いた仕草。クレイスは首を軽く傾げてそれに応じ、その姿に一度だけ目を留めた。肌で感じられないのであれば、視るしかない。彼の碧眼が女性の輪郭をなぞるように確かめた。案の定、彼女の周りに魔力の揺らぎは見えない。所作は整っているが、おそらくは平民なのだろう。


 視線を外すと、書記が座りインク瓶のふたを開ける音がした。

 クレイスは足先が沈むような絨毯の上を歩き、飾り棚の前で足を止める。魔導機関を模した小さな置物を見つめながら、彼は天気の話をするように口を開いた。


「調査員が何度も手間をかけたようだね。結果から言って、君たちの手続きに瑕疵はなかった。この規模になるまで一年も経っていないだろうに、実に見事だ」


 控えめな筆記の音がする。


「それに、運搬技術も目を見張るものがある。特に、最新の帳簿にあった北部の鉱山から王都までの搬入記録は素晴らしかった。あの地域は、どれほど厳重に封印しても魔石の純度が落ちてしまうだろう? しかし、君たちの記録を見ると魔力減衰の数値が一切なかった。私が知る限り、これほど完全な状態での運搬は類を見ない」


 クレイスは振り向いて、口を噤んでいる商会主に、ふわりと微笑んだ。


「この画期的な保存技術について、ぜひ詳しく聞かせてもらいたいと思ってね」


 男は震える指先で、眼鏡の中ほどを押し上げる。

「さ、左様でございますか……閣下、よ、よろしければ……こちらにお掛け願えると幸いでございます」

 声が上手く出ないのか、商会主は乾いた唇を舐めるようにしてクレイスに席を勧めた。うん、と目元で頷き、彼は長椅子に腰を下ろす。膝の上で長い指を交差させるように組んで、背もたれにゆったりと体を預けた。

 男は落ち着きのない様子で、自身も席に着く。

 クレイスは向かいに座る商会主に、答えを促すように軽く唇の端で笑んで見せた。


 技術があると言えば、その技術を証明する義務が生じる。

 技術がないと言えば、帳簿の改ざんを白状したも同然だ。


 ひどく静かな室内に、羽ペンの筆記音だけがささめいている。

 男は突然、弾かれたようにびくりと身を跳ねさせた。視線を震わせ、何度もまたたいてから、ごくりと喉を鳴らす。


「閣下がご質問なさった保存技術に関してですが……残念ながら、ございません。あれは帳簿上、魔力の減衰を……正常減耗としてあらかじめ、処理しているのです。つまり単なる帳簿上の処理の問題でして。昨今は……減衰率の予測精度が高まりましたから。ええ」


 眼鏡の奥の男の目が、動揺するように彷徨っている。しかしその口から出た論理は巧妙で、クレイスはひそかに舌を巻いた。


 減衰率の予測精度が高まったのは、昨年初めにクレイス自身が計算式を一新させたからであり、すなわちこれは『この処理の信頼性は筆頭閣下ご自身が証明なさっている』と言われているに他ならない。


 クレイスは、そうか、と穏やかに微笑んだ。

「減耗を織り込み着荷時の純度のみを予測し計上する……たしかに、後から減耗を計測し修正するより手間がなく、誤りも少ない。珍しいが、実に堅実で、理にかなった処理だ」

 男が下の前歯を見せながら、ええ、だの、はい、だのと頷くのを、クレイスは冷ややかに見つめている。


(なるほど、これが『瑕疵無し』か)


 彼は商会主の萎縮した態度を観察した。この男からは焦燥と怯えの匂いがする。だというのに、返ってきた答えだけがあまりに洗練されていた。正常減耗? 減衰率の予測精度? この男が前準備もなしに出す言葉にしては的確過ぎる。


「新技術が存在しなかったのは残念だが……理解したよ。非常に『賢い』方法だね」

 それを聞いて、男はあからさまに安堵したように首を縦に振った。

 ややあって、思い出したように懐からハンカチを取り出し、額の汗を拭う。男の、声帯の震えを伴うような深呼吸が室内に響いた。


「そういえば、裏庭の荷馬車だが」

 クレイスは息をするように、見てもいない荷馬車の話を出す。そこで言葉を区切り、男の双眸を黙って見つめた。


 さり、さり……と淀みない筆記音が静寂を支配している。

 彼は何も言わない。ただ、見つめている。


「あの荷馬車が……いかがいたしましたか」

 しばらくの後、沈黙に耐えかねたように男が口を開いた。


 男に向かって、クレイスが目を細めた。『あの』荷馬車。


「車輪に赤土が付いていたのが気になってね。あの特有の色……あれは王都北、旧街道のさらに奥にある禁足地『竜の顎』の土と酷似している。まさかとは思うが」


 詩歌を紡ぐように、柔らかく滑らかな声が羽ペンの音に被さった。しかしその言葉は、根も葉もない捏造そのものだった。

 これでいい、とクレイスは長い睫毛を伏せ、膝の上で組んだ指に視線を落とす。


 正常減耗の件は、王宮に帳簿が提出された際に事前準備を仕込んでおいてもおかしくない内容だった。だがこれは違う。適当にでっち上げたこの内容は、目の前で縮み上がっている男の口から出る言葉を測る、試金石だ。


 筆記音が呼吸をするように止み、インク瓶のふちで余分なインクをしごく音がする。その微かな音にクレイスは自身の胸がわずかばかり弾んでいることに気が付いて、吐息と共にひそかに苦笑した。


お読みいただきありがとうございます。

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